(16)より疾く、より強く
翌朝、フランチェスカとシルヴィアは、ブリーフィング前に格納庫へ直接行った。
整備班長に、フランチェスカ機の後席にシルヴィアが乗ることを伝え、座席の調整をするためだった。
だが朝一番だというのに、隊の連中が何人か集まって、整備用の端末PCの前に座り込んでいた。
「何やってんだ? “バスク”」
「へへへ、こうするとだな……」
「おおっ流石は、隊一番のスケベ。もうこんな画像ファイルを……」
「スケベとは何だスケベとは、情報処理のエキスパートと言ってほしいね」
「こうしてみると、“プリマ”も意外に出るところは出ているし、締まっているところは締まっているもんだなぁ」
自分の名が聞こえたので、なんだろうとフランチェスカが隊員たちの後ろから覗き込んでみると、そこには昨日の夕方、レオタードに身を包んで舞っている、フランチェスカの画像が表示されていた。
いつの間に……とフランチェスカが呆れていると、端末を操作していた“バスク”が、さらに画像に加工を加えた。
「感心するのはまだ早い。ここで、IRST(戦闘艇の機首に装備されている、赤外線目標追尾装置)で隠し撮りした赤外画像を重ねて、その温度分布から監視カメラの画像データベースや、とあるサイトのアプリを使って解析したデータを元に、原画像に加工をするとだな……」
そう言いながらポインタをクリックすると、フランチェスカの肢体がヌード画像に切り替わった。
「おお流石だな、このロリコンスケベ」
「ロリコンとは何だ。どうよ、この"ナマイキなおっぱい"はよぉ!」
“ナマイキなおっぱい”とはなんだよと、フランチェスカが呆れていると、妙な雰囲気を背後に感じた。
恐る恐る振り向くと、以前見せられた時よりもさらに強度を増した、シルヴィアの世にも恐ろしげな笑顔があった。
フランチェスカがラヴァーズになった時から、これに似たようなセクハラまがいのことを受けるのは日常茶飯事だった。
気にならないから、ここは穏便にと喉まで出かかったが、フランチェスカは氷の微笑のシルヴィアに固まった。
シルヴィアの凄まじい殺気に気がつき、振り返った"ビッグス"の喉元に、シルヴィアはどこから出したのか、コンバットナイフを突きつけ、黙っているようにとジェスチャーで示すと、こう言った。
「へぇ? フランちゃんのおっぱいがナマイキなおっぱいなら、私のおっぱいはどんなおっぱいかしら?」
誰からの質問かとは気がつかないままに、モニタに向かったまま“バスク”は答えた。
「決まってまさぁ、姐さんのでっかいおっぱいは、ケシカランおっぱ……い?」
さすがに気づいた“バスク”が振り返ると、そこには今この場で最も危険な人物の笑顔があった。
「へぇ? ケシカランおっぱいねぇ……」
「あ、姐さん、いや、その……俺は決して……」
手にしたコンバットナイフで、“バスク”の頬をピタピタと突きつけているシルヴィアに、あわや流血沙汰とその場の全員が思ったその時、放送が流れた。
『ブリーフィングを始める、全員、会議室に集合!』
助かった……と、彼は思ったかもしれない。
だが、"魔女”の異名を持つ、シルヴィアには、そんなモノは通用しなかった。
そそくさとその場を去るフランチェスカの背後で、"ウギャー”というこの世のものとも思えない、断末魔のような叫び声が響いていた。
数分後、ブリーフィングルームに集まったのがフランチェスカ一人と言う有り様に、隊長は不機嫌そうに言った。
「あ? “プリマ”だけか? 他の連中はどうした?」
「ちょっと遅れるかも……」
「なんだ? 全く! みんなたるんでいるな。あとでヤキを入れてやらんといかんな」
「それなら、多分シルヴィアさんが、今入れているところではないかと……」
「はぁ? それはどういう事だ?」
「それはそのう……、あ、そうだ隊長。ナマイキなおっぱいって、どんなおっぱいだと思いますか?」
「お前は何を言っているんだ? “プリマ”?」
数十分後、フランチェスカ以外は、顔中傷だらけの隊員と、爽やかな笑顔のシルヴィアを前に、疑問を隠しえないローゼンバウアー隊長はブリーフィングを終えた。
民間人であるシルヴィアが、フランチェスカの後席で戦闘訓練に参加するという、通常ではありえないようなイレギュラーな説明にも、隊員たちは力なく、ある者は呆けた表情で頷いた。
★ミ
一時間後、二人は機上の人となっていた。
『そこはそうじゃないわ、こうよ!』
「は、はい」
実際には存在しない、HUDに表示される、模擬ターゲットを相手に、フランチェスカは格闘していた。
『フランちゃん、いくら機体がフルファンクションでも、ここは惑星の上よ。上昇の時は重力が加算されるし、下降のときはその逆だわ。だから余分な動きをしているの』
「そ、そうか!」
シルヴィアのアドバイスどおりに、上昇時は少し多めにスラスターをふかし、降下時は少なめに加減した。
機体が発生する揚力を、動翼を使って姿勢を変化させ、慣性力を失わないように滑らかな軌道を空に描いていった。
『そうよ! 良い感じだわ。飲み込みが早いわね。やっぱり空に上がると違うわね』
「そんな、シルヴィアさんの教え方がうまいからです」
シルヴィアは直ぐには応答せず、暫くしてから言った。
『……空は、いいわね。昔を思い出すわ』
「戻りたく、なったんじゃありませんか?」
『え? そうね。でも……、私は降りたのよ。あの人のために』
「隊長のため、ですか?」
『そう、レオンのために』
「隊長は、シルヴィアさんのことがとても大切なんですよ。だからじゃないでしょうか?」
『そうね……』
フランチェスカは機体を安定させ、雲海遥か下に見ながら、水平飛行を続けた。
そしてシルヴィアは、ひとりごとのように言った。
『空……どこまでも広がる、蒼穹の頂……。そしてその先にあるのは……』
「……果てしなく広がる、漆黒の宇宙……ですか?」
『いいえ、明日を照らす、太陽よ……』
ミラー越しに見るシルヴィアの顔は何かを考える風だった。
シルヴィアの瞑想を中断させるのがなんとなく躊躇われて、フランチェスカは黙って水平飛行を続けていると、シルヴィアが言った。
『空に上がると、私いつも思うの。私の本当の幸せは、どこにあるんだろうって……おかしいでしょう?』
「いえ……」
再び沈黙がコックピットに流れた。
微かなエンジン音と、薄い大気の層を切り裂く、翼の音だけが支配者だった。
「シルヴィアさんの幸せは、きっと地上にあったんですよ。だから地上に降りたんでしょう?」
『そうね。私はレオンのために地上に降りた。でも悩んでいるの、あの人のために、私は何が出来るんだろうって』
「隊長の、ために?」
『彼の、子供を産みたいなって、最近思うのよ』
「ええっ?!」
突然のシルヴィアの告白に、機体が少し揺れた。
それは普通の夫婦であったなら、誰でも願い、叶えようとするのが自然なことであった。
しかし、生まれながらの女性ではないラヴァーズは、自然に妊娠することはない。
他人から卵子を提供してもらい、人工授精を行えば、受胎して出産することは可能だった。
しかし複雑な書類手続きと、厳しい生命倫理委員会の審査をパスしなければ、それは不可能だった。
そして性転換して女性になった妊婦の、出産リスクは非常に高かった。
もちろん長時間の苦痛を伴う陣痛は男女問わず、精神力を大いに削ってしまう。
しかし性転換プログラムで肉体の改変を行った体には、耐えきれないことが多かったのだ。
母子ともに無事に出産を迎えられる確率は、ようやく半分を超える程度というのが、一般的だった。
そのため、どうしても子供が欲しい場合は無理をせず、養子を取るのが普通であった。
そのことをラヴァーズの睡眠学習で知っていたフランチェスカは、驚いたのだった。
『でも……、きっとレオンはそんな事、許してくれないかもね』
「そう、ですね……」
再び沈黙の後、シルヴィアは自嘲気味に少し微笑むと、気を取り直したように言った。
『つまんない話、しちゃったわね。訓練再開よ、次は高起動ターゲットの撃墜、5機まとめて! タイムは5秒短縮、ロストターゲットはゼロ!」
「はいっ!」
VSD(前方の高度情報を含む表示器)に5つの輝点が現われ、フランチェスカはその内のひとつに、機首を向けた。




