(13)鳥のように
トリポリ市中央公園。面積およそ350ヘクタールに及ぶ自然公園であり、園内には植物園や水鳥が繁殖できるほどの大きな池があった。
この地に元々あった原生林の一部も残されており、市民の憩いの場であるとともに、自然保護区域としての役割も持っていた。
「ちょっと休憩しましょうか?」
「はい、お疲れになりましたか?」
「そういうわけじゃないけど、ほらあれ。食べてみたくない?」
シルヴィアが指差す方を見ると、華やかな彩のワゴンで何かを売っているのが見えた。
「アイスクリーム?」
「そう。フランちゃん、ずっと食べたことないんじゃないの?」
「確かに……」
二人はアイスクリームの屋台へ行き、“あれもおいしそう”“こっちはどうでしょう?”“そんなに食べられません”などといいながら、思い思いのものを注文した。
公園のベンチで、戦利品をなめていると、シルヴィアが尋ねた。
「そういえば、戦闘艇の訓練、うまくいっていないんですって?」
「ええ。私、落第かも。戦闘機動には自信あったんだけどなぁ……。やっぱり、こんな体じゃ駄目なのかなぁ……」
「あら、どうして?」
「機体はフルファンクションだった。でも宇宙と惑星の上じゃ、勝手が違っていたんです。粘っこい大気と重力。スラスターを吹かしても、機体はちっとも言うことを聞かないし。Gキャンセラが効いていても、スティックは岩のように重かった。こんな条件じゃ、体が小さくて力も弱い私には、無理なんだわ」
「私も最初、苦労したわ」
「シルヴィアさんも、戦闘艇に乗っていたんですか」
「現役時代はね。私、結構なエースだったのよ」
「へぇ、そうだったんですか。スランプから抜け出せる、なんかコツとかあるんでしょうか?」
「そうねぇ……」
シルヴィアはちょっと考え込むと、公園の柵の上で羽繕いをしている、一羽の鳥を指差した。
「自然は人間にとって、最高の先生だわ。あれを見て」
「鳥?」
「ツバメよ。あの鳥が飛んでいるところを、良く見ていてご覧なさい」
「鳥と戦闘艇じゃ、だいぶ違うと思うけど」
「風を切り、重力を利用して自在に飛ぶのは、あの鳥の得意技なのよ」
暫く見ていると、柵の上に止まっていたツバメが飛び立った。
フランチェスカはシルヴィアに言われたとおり、ツバメが飛ぶ様子を見ていた。
ツバメは羽ばたいて空高く舞い上がったかと思うと、急激に角度を変え地面すれすれにまで急降下した。
そこへもう一羽が飛んできて、互いに互いを追いかけ始めた。
急上昇に急降下、水平に移ったかと思うと急旋回。
2羽は小さな獲物を取り合っているのか、それともじゃれあっているのか、次々に複雑で俊敏な軌跡を描いていった。
インメルマン、スプリットS、バレルロール、ジンキング、ハイスピードヨーヨー……。
フランチェスカはいつの間にか、ツバメの飛行軌跡を空戦機動になぞらえていた。
2羽のツバメは、戦闘艇ならば高度なテクニックを要する機動を、難なくこなしていた。
彼らは戦闘艇と違って、己の2枚の翼と鋭い2つに別れた尾しか持っていない。
そしてその羽ばたきは短く優雅で、全く無駄がなかった。
フランチェスカはいつの間にか、2羽の鳥の華麗な舞いに夢中になっていた。
そしてその手は、2羽の機動を追いかけるように操縦する、戦闘艇のスティック操作になっていた。
「どう?」
「なんとなく、判ったような、そうでないような……」
「じゃあ、行って見る?」
「行くってどこへ?]
「うふふ。ついてくれば判るわ」
そういうとシルヴィアは携帯を取り出して、どこかへ電話をかけた。
シルヴィアに連れられて基地エリアへ戻ると、官舎へは戻らず、軍施設のほうへと向かった。
「シルヴィアさん、どこへ行くんです? こっちは軍の施設で、民間人は……」
「うふふ。“魔女”の特権。私はどこへでも、出入り自由なの」
「それはなんとなく、気がついていましたけど……」
勝手を知っていると言わんばかりに、会うたびに敬礼を返す兵士たちに笑顔を振りまきながら、シルヴィアはある施設の中に入っていった。
「ここは……」
「シミュレーターよ、戦闘艇の。大したGはかからないけど、操縦感覚は本物とほぼ同じよ」
「こんなところがあったんですね。部隊にあるのとは大違い」
「あれは単に計器に慣れるだけの椅子でしょう? これはモーション制御もできる揺りかごね。実機でやったほうが早いから、隊のみんなはあまり使わないかもしれないけど、いまのフランちゃんには、結構使いでのある施設かもよ?」
コックピットだけを切り離した形のシミュレーターに触れていると、管理者と思しき隊員の一人がやってきた。
「シルヴィアさん、お待たせしました」
「悪いわね、無理言って」
「とんでもない、シルヴィアさんのお願いとあれば、いつでも大歓迎ですよ。そちらは?」
「フランチェスカ・ジナステラ大尉です。今は臨時で47訓練戦隊の訓練生です」
「これは失礼いたしました。ハンス・ヴィッター少尉です。この設備の管理を任されています。そうですか、大佐のところの……」
シルヴィアはコンソールに近寄ると、メインスイッチを入れた。
すると、沈黙していた模擬コックピットに灯がともり、低い機械音がうなり始めた。
「ちょっと彼女に、空戦の手ほどきをしてあげたいのよ。使い方は分かるから、ここはいいわ」
「どうぞご自由に。お帰りになるときにおっしゃってください。では」
「ありがとう少尉」
少尉が出て行くと、シルヴィアがウィンクをしながら言った。
「時々、内緒で使わせてもらっているのよ。昔の血が騒ぐって言うのかしらね。私ったら、おかしいでしょ?」
「いえ、そんな。判ります」
一度でも地上から飛び立った者は、一生飛び続けたいと思うのは、パイロット経験のあるものならならみんなそうだろうと、フランチェスカ自身も思っていた。
「操作系が若干違うかもしれないけれど、セッティングはフランちゃんの機体にあわせておいてもらったわ」
複座のシミュレータの前席にはフランチェスカ、後席にはシルヴィアが乗り込んだ。
コンソールスイッチをいくつか操作して確かめると、フランチェスカが言った。
「大丈夫です。これならほとんど同じだわ」
「それじゃいってみましょうか。先ずはレッスン・ワン、の前にフランちゃんがやってみて。いつものように」
「は、はい……」
メニューは訓練生が課程の初めにやるシミュレーター訓練と同じ、次から次へと現れる空中に浮かんだバルーンを、ひとつづつ撃破して行くタイムアタックだった。
パイロット候補生なら、誰もが一度は経験したことがある初歩の初歩で、ゲームのようなものだったが、バルーンの数は倍以上に多かった。
それでも固定設置型のシミュレーターだけに、大きなGもかからずスティックも軽い上に、フルファンクションに設定されていたこともあって、フランチェスカは難なくクリアした。
「すごいわね。機体の性能全開って言うところかしら」
「そんな。“お前のは、ただ飛び跳ねているだけだ”って、隊長が」
「あの人らしい言い草ね。じゃあ、今度は私の番ね」
そう言って、シルヴィアも全く同じプラクティスをこなした。
フランチェスカ以上の激しい機動で、シミュレーション上とはいえGメーターは始終振り切っていた。
そしてタイムは、少しばかりフランチェスカよりも早かった。
「すごい、シルヴィアさん! そのまま現役のパイロットになれますよ!」
「うふふ、そうね。まぁ、何度かこうして遊んでいれば、これぐらいはできるようになるわ。でも、もう一回やってみてもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
シナリオを初期化して、再び同じプラクティスが始まった。
だが、シルヴィアの機動は、先ほどとは全く違うものだった。
スラスターも使わず、Gメーターも最大で3を越えることがなかった。
確かにディスプレイ上の景色は、めまぐるしく変わってはいたが、決して急激な変化ではなかった。
クリア後のフライトパスの表示結果は、フランチェスカを驚かせた。
その無駄のない軌跡は、あの公園のツバメを思い出させた。
そして、最初にフランチェスカが出したタイムよりも、圧倒的に早かった。
「どう? フランちゃん」
フランチェスカは、ただ驚いていた。
そしてシルヴィアが教えたかったことも、理解した。
フランチェスカが、今のやり方のままプラクティスを続けていけば、確かにもう少しは早くなるだろう。
けれど、シルヴィアが今やって見せたように、機動に関する根本的な考えを改めれば、もっと早くなる。
「シルヴィアさん、教えてください。シルヴィアさんの飛び方を!」
「うふふ。いいわよ。それじゃ、改めてレッスン・ワン。私が操縦するから、フランちゃんは軽く操縦桿に手を添えておいてね」
「はい、お願いします!」
シルヴィアは一度だけ、フランチェスカの手足を操るように、スティックの動かし方、ラダーペダルの踏み方にスロットル操作。そしてほんのわずかに吹かす、スラスターの使い方を教えた。
けれど“あとは自分なりにやってご覧なさい”といって、シミュレーターからは降りてしまった。
フランチェスカは、なんとかシルヴィアと同じように操縦しようとしたが、頭で思うように体が動かなかった。
全く同じターゲットの出現パターンなのに、タイムは酷い時には倍以上かかり、ターゲットを外すことも多くなった。
「クリアしようなんて、考えなくていいのよ。当てられないと思ったら、もう次のターゲットのことを考えて。全体の流れを頭の中にイメージするのよ」
教官用のコンソールから、シルヴィアがアドバイスを続けたが、フランチェスカにはシルヴィアのような、美しい軌跡を描くことが出来なかった。
「お願いします。もう一度、一緒にやっていただけませんか?」
「うーん、こういうのは理屈じゃないし、私の真似をしているだけでは、フランちゃんの技にはならないわ」
「そう、ですか……」
自分にはやっぱり、才能がないのだろうか?
落ち込むフランチェスカに、シルヴィアが言った。
「それじゃあ、つぎは気分を変えて、女の子らしく優雅にレッスンをしましょうか」
「何をするんですか?」
「ここではダメだわ。ジム(体育館)へ行きましょう」
「は?、はぁ……」
フランチェスカには、シルヴィアの言う“女の子らしく”という事と戦闘機動がどう結びつくのか、想像ができなかった。




