(12)トリポリの休日
3度目の休日の昼下がり。
フランチェスカは、“たまには息抜きも必要よ”と言う、シルヴィアに、商業街に連れ出されていた。
支給されたばかりの(本物の)女性用士官服を着て、お供に出ようとしたフランチェスカは、シルヴィアに呼び止められ、夫人が昔着ていたという、カジュアルなワンピースをサイズを少し詰めたものに着替えさせられていた。
女性用の服といえば、コスプレ士官服とせいぜいラヴァーズ用のドレスぐらいしか、着た事のなかったフランチェスカは、まともなアクセサリ類も持っていなく、それも夫人のものを借りた。
シルヴィアのああでもないこうでもないという、1時間強のコーディネートタイムを経てようやく解放されたフランチェスカは、トリポリ市に普通にいるような、ハイティーンの少女らしい装いになっていた。
着慣れない服装に戸惑いを感じながらも、フランチェスカはシルヴィアに手を引かれて、基地のあるレスコ市から鉄道に乗り、星都のあるトリポリ市へと向かった。
「街に出るのは久しぶりです。トリポリ市って、どんなところですか?」
「そうねぇ……とても賑やかな場所よ、ってこれじゃ説明になっていないわね。一通りなんでもあって、何でもそろうわ。フランちゃんは、どんなものが見たい?」「特にこれと言ってないです。ノープランなので、シルヴィアさんにお任せです」「そうねぇ……まずはショッピングかしらね?」
「おつきあいします」
鉄道を降り、市街の商業区域に出た二人は、『ちょっといいかしら?』というシルヴィアの一言で、食器を扱う店に入った。しばらく店内を見て回った後、店を出た。
「あれ? シルヴィアさん、買わないんですか?」
「え、どうして?」
「だって、このお店に入ったのって、欲しいものがあったからじゃないんですか?」
「別に、可愛いのがおいてあるかなって思って、寄っただけよ」
「でも、さっき“これ、すごくいい”って、熱心にお皿を見ていたじゃないですか」
「いい、とは思ったわ。でも家にも食器はたくさんあるし、必要はないわ」
「え? それじゃ、何でこのお店に入ったんです?」
「だから、寄ってみただけよ」
「???」
怪訝そうな顔押しているフランチェスカに、シルヴィアはにっこりと笑顔になって言った。
「もしかしてフランちゃん、ウィンドウ・ショッピングってしたことないの?」
「ウィンドウ・ショッピング?」
「欲しいものや必要なものがあるとかないとか、そういう理由じゃなくて、お店でこういうものがあったらいいな、とか、もしかして掘り出し物があるかも、と期待してお店を回ることよ」
「でも、それならカタログか、ネットで調べれば済む事じゃ?」
フランチェスカにとって、買い物とは必要に迫られてすることであって、それにはカタログやネットで事前に調べて購入するものだった。それもたいていの場合、直接販売店に出向くことはまずない。たいていはネットで注文を入れれば、運送会社を経由して手元に届くのであった。そもそも航宙艦の中での生活が長く、仮に下艦している間でも、軍施設内にあるBX(Base eXchange:基地の購買部)で、必要なものがあるとき以外、買い物と言うものをした記憶がなかった。
「うふふ、思い出した。昔は私もそうだったわ」
「どういうことです?」
「女はね、必要とか必要じゃないとか、そういう理由でお店に行くわけじゃないわ。そうねぇ、あえて言えば、娯楽みたいなものかしら?」
「娯楽?」
そんなことが娯楽になるのだろうかと、フランチェスカは疑問に思ったが、シルヴィアには、フランチェスカの知らない楽しみ方があるのかもと思った。
「もちろん、カタログとかネットとかで、いろんな品物を眺めるのも悪くないわ。セールが無いわけじゃない。でも、そうじゃなくて、こうして実際にお店に来て、今どんなものが流行っているのかな? とか、これはこんな飾り付けをするのも悪くないなとか、そういうのを見て楽しむのよ。そしてもちろん、すごく気に入ったものがあれば買うこともあるわ。その場合でも、写真やディスプレイ越しに見るよりも、実際に手にとって見て選べば、もっといいわ。女はそういうのを楽しむものよ」
「はぁ、それはなんとなく判ります。戦闘艇もカタログスペック通りなんてことはまずないですし、携行火器(拳銃とかナイフ類)は自分の手に馴染むものじゃないと……」
そう言いながら、フランチェスカは腰に手をやった。だが、今日は休日で、しかもシルヴィアのお下がりを着ているということもあって、丸腰だった。
「うふふふ、戦闘艇や携行火器か、あははは」
「そんな、笑うことないじゃないですか!」
以前の体だった時は、お守りのように下げていた携行火器がないことに、物足りないような寂しいような、何とも言えない感じがしたが、シルヴィアがおかしそうにするのを見て、そんな感情も吹き飛んでしまった。
「うふふふ、ごめんなさい。私も昔、男で軍にいたときを思い出しちゃったわ。女って、何でそんなことが楽しいんだろうって、うふふ」
シルヴィアの言うことは判った。なら自分もそういうことが出来る様になるべきだろうかと、フランチェスカは思った。
「私も、女になったら、そういうのが楽しめる様にならなければ、駄目ですかね?」
フランチェスカは過去の記憶に、何にも手を加えないまま、ラヴァーズになったせいか、性自認は極めてあいまいだった。窮余の策で性転換し、男性ばかりの航宙艦にいた間は、それで何か困ることはなかったが、これからはそんな場面だけではない。女として生きていくのならば、もっと知っておかなければならないことがあるのではと、不安になった。
だが、シルヴィアは一瞬、意味が分からないというふうに、ぽかんとした。
だが、何かに気が付いたように、にっこりとして言った。
「そう難しく考えなくてもいいのよ。フランちゃんは、ラヴァーズの教育を睡眠学習と、テキスト読んだだけなんでしょう?」
「はい……」
「だからこれは、これはお勉強ではなくて、普通の女の子だったら体験しているであろうことを、フランちゃんにも知って欲しかっただけ。フランちゃんはフランちゃんの思う様にしていいのよ。でも体験したことが無ければ、それが自分にとって、好きなことなのかそうでないのか、わからないでしょ? それは残念だな、と思ったのよ。だから今日は、ラヴァーズが、いえ、女の子が普段どんな風に日常を楽しんでいるのかって言う事を、体験して欲しいと思ったの」
「そうだったんですか……」
フランチェスカは、シルヴィアが自分のことをとてもよく考えてくれていることに、感謝するのだった。
☆彡
二人は公園を散策しようと、門の入り口に来たところで、声をかけられた。
背広姿ではあったが、どこか普通の勤め人ではなさそうな印象の男に、フランチェスカは警戒した。
「これは、ローゼンバウアー夫人。お元気そうで」
「あら、バウマン大佐。こんな時間に、こんなところで?」
「いえ、ちょっと散歩にね」
「ここは基地からは結構離れていますわよ。お仕事でしょう?」
「ははは、やはり誤魔化せませんなぁ。ところで、そちらのお嬢さんは?」
「フランチェスカ・ジナステラ大尉です、大佐」
フランチェスカは敬礼をして答えた。
油断のならない目つきをした、がっしりした体格の男性は夫人との話から軍人と言うことらしかった。
だが仕事中と言うのに、私服で昼間から街中をうろついているのは、おかしいとは思ったが、大佐と言うのが本当ならば、礼を失してはまずいと思った。
「これは失礼。私はアルブレヒト・バウマン大佐です。誰もが嫌う憲兵の所属でね。こう見えても一応は軍人なのですよ」
と握手を求めてきた。自分よりもずっと上官なのに、妙に丁寧な物腰なのが気になったが、フランチェスカも手を差し出して握手に応じた。
憲兵で大佐とは、おそらく基地でもかなりのクラスの人物の筈だった。
「大尉はどこの隊に? あまりお見かけしないようですが?」
「自分は先々週、47訓練戦隊に配属になったばかりです、大佐」
「おお、ではあの“猛獣”の。女性の身では大変でしょう? 総括班(部隊の庶務担当)ですかな?」
「彼女は訓練生なんですよ。しかも優秀なパイロット。今は夫が彼女の面倒を見ているの」
直立の姿勢を崩さずに立っているフランチェスカに、シルヴィアはまるで妹にするように両肩に手を当てて、フランチェスカを紹介した。
「ほう? 人は見かけによらないものですな。いや、これは大尉には失礼でしたな」
「いえ、今はまだ半人前の身ですから」
「ずいぶんとお若いようだが、大尉とはかなりの出世頭のようですね」
バウマン大佐は心の中では、どうせ軍上層部の令嬢か何かで、縁故人事の結果ゆえの地位だろうと思っていたが、そんなことは表情にも出さずに言った。
だが、大佐の胸の内を感じ取ったのか、シルヴィアはさも自慢げに続けた。
「彼女は私と同じ、元ラヴァーズだけれど、パイロットとしては、スコア28(撃墜数28機)のトリプルエース級」
「ほう?」
「そして、激戦といわれた第4次ジュトランド戦役の生き残り。艦隊幕僚としても、司令官を補佐して残存艦隊を率い、無事生還を果たした有能な軍人ですのよ」
バウマン大佐に見くびられないようにと、夫人が思ったのかは知らないが、本人が言ったら自慢にしかならないようなフランチェスカの経歴を、まるで自慢の娘の功績であるかのように話した。
フランチェスカ自身は、自分をそんな風に紹介されるのは少し恥ずかしかったが、見かけどおりの少女の様にあしらわれるのも、確かに嫌だった。
「いや、お見逸れいたしました。是非、お見知りおきを、大尉」
「いえこちらこそ、よろしくお願いいたします。大佐は何かの任務中でしょうか?」
「ああ、そうですね。任務中といえば任務中。休暇中といえば休暇中」
黙ったままなのも居心地が悪いので、フランチェスカは当たり障りのない質問をしたつもりではあったが、憲兵が私服で街を歩いているならば、その理由を尋ねるのは無意味だと、質問してから気づいた。
「いや、休日を楽しんでおられるご婦人方の邪魔をしては申し訳ない。また基地でお会いする機会もありましょう。ではこれにて失礼。ご主人によろしく」
と、シルヴィアに会釈をし、フランチェスカには握手を求めてから、去っていった。
「ずいぶん物腰の柔らかい人でしたね。シルヴィアさんはお知り合いなんですか?」
「ああいうのを慇懃無礼と言うのよ。彼はレオンの同期なの。一応、トリポリ基地の憲兵隊隊長ということになっているわ」
「じゃあ、偉い人なんですね」
「有能なのは認めるけどね。でも、なんであなたに興味を持ったのかしら?」
「え? シルヴィアさんに挨拶したかったんじゃないんですか? 隊長の奥さんてことは、挨拶ぐらいはしないと失礼だと思ったんじゃ?」
「彼はレオンの同期で、お付き合いは長いわ。もちろん私のことも良く知っている。でも車両で移動するでもなく、わざわざ私服で街を出歩いているってことは、任務中だと思うし。それなら私たちなんか、お互いに見て見ぬ振りをするはずだわ」
それはフランチェスカも気にはなっていた。
「ま、考えても仕方ないわ。さあ、私たちも行きましょう。休日の一日は短いわ」
そして二人は特に当てもなく、ウィンドウショッピングの続きや、瀟洒なカフェでのティータイムなどを楽しんだ。
シルヴィアには知人が多いらしく、散策の途中途中で何人もの人々から声をかけられた。その都度、自慢の娘の様に紹介されるフランチェスカは、気恥ずかさを感じながらも、シルヴィアの人徳の高さに驚いていた。
フランチェスカはこんな風に休日を、それも年上の女性と過ごすのは初めてであったが、姉の様に接する夫人にくすぐったさを感じながらも、次第に本当の姉妹のように打ち解けて行った。




