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失恋姉弟  作者: 加納安
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【失恋】

 ねーちゃんは飯を食っている。

 両眼から、だらだらと涙を流しながら。


「うぇ、う……、う……っ、ううう」


 それでもしっかり咀嚼して、しっかり飲み込んでいる様子。

 ときどきティッシュを箱からもいでは、ごしごしと頬を拭っているけど。

 まだ涙は止まりそうにない。


 どうやら、ねーちゃんは。

 失恋したらしい。


「ん、んぐう」


 ちらちらと様子を見ていたら、ねーちゃんは何か思い出したかのように、顔をしかめた。


「肉じゃが、しみてる……」


「だなー。イイじゃがいもで作ると、うまいよな」


「うう、でんぷん……」


 ねーちゃんは箸を止めて鼻をすすった。彼氏と、でんぷんにまつわる思い出でもあったんだろうか。いや、彼氏じゃなくて、片想いの相手か。

 ねーちゃんはがっくりと肩を落として、ため息をついた。


「……好きだったのに……」


「だよな。ねーちゃんは芋が好き」


「違う、いや、好きだけど、そうじゃなくて。そっちじゃなくて……、もう、つらい」


 ぱたぱたと、涙の粒が机に落ちた。料理にかからなくてよかった。しょっぱみを追加しなくたって、俺の料理はねーちゃんの口に合うようにできている。


「もう、泣くなって」


「むりだよ、泣きたくないのに。涙出る。涙腺壊れた。水分全部ここから出る」


「そんなにひどいフラれ方したのかよ?」


 尋ねたら、ねーちゃんの口がぎゅーっとゆがんだ。歯をぎりぎりと噛みしめている。


「ひどくないフラれ方なんかないよね。どんなフラれ方したってひどいよね」


「結果は一緒でも、過程は違うだろ」


 じゃあどんなフラれ方なら、ねーちゃんが傷つかずにすんだのか、なんて。俺にも思いつかないけど。でも、それでも。理由が納得できるものなら、ちょっとは傷も浅いんじゃないかって。そしてその傷が癒えるのも早いんじゃないかって、思うんだ。


「他に好きな人がいるんだって!」


 ねーちゃんが早口に白状する。あー、と、俺は思わず声を漏らした。なんて真っ当な理由だろう。

 ひとりは、ひとりしか、好きになってはいけないルール。それが基本。そしてそれを守るのが当たり前で、守る人は偉くて、誠実で、イイやつだ。

 だからねーちゃんが好きになった相手は、イイやつだったんだろう。


「正直に言ってもらえて、よかったんじゃねーの? 二股とか、嫌だろ」


「ふっ、二股でも、愛人でも、よかった……」


 だめだ、ねーちゃんの思考が大問題だ。ねーちゃんが好きになったやつ、あんたの判断は正しいよ。こんな問題ありの相手にさ、好かれて、そばにいられたら。イイやつだって、イイやつのままじゃいられなくなるかもしれない。

 何と言ってねーちゃんを慰める、いや、たしなめるべきか。言葉を探していたら、ねーちゃんは再び箸を持ち上げた。

 そして目の前の皿に突き立てる。


「私は、肉じゃがが好き。じゃがいもだけじゃなくて、肉も好き。とろけてしまった玉ねぎも、なくてもいいんじゃない? って思うけど入ってたらおいしそうに見える、色がきれいなにんじんも。調味料だって愛してる。ひとつ欠けてもおいしくない。ぜんぶだいじ。みんな好き。でも人間はひとりしか選べない……つらい……」


「なに、ねーちゃんはハーレムにでも入りたいわけ?」


 嫌味っぽく言ってみたら、ねーちゃんは目を見開いて、なるほど、と呟いた。


「そうなのかもしれない。全力で毎日愛されたいわけじゃない。いっぱいの片隅で、ときどき、たまに、好きな気持ちを向けてほしい」


 ねーちゃんは、くずれたじゃがいもの欠片を、箸でつついた。もう箸で持つことは難しい、汁に同化したでんぷん質。メインじゃないけど、この芋の溶けた汁のところがうまいんだよなーって、俺は思う。思うけど。

 ねーちゃんは芋ではない。無論、ハーレムになんか、入らせるわけにはいかない。


「ねーちゃんはそう思ってるかもしれないけどさ。他のハーレムのメンバーは、一番になりたいって思うだろうし。なかよく共存するのはムリだと思う」


 ねーちゃんだって本当は、独占欲があるはずだ。最初は愛されるのはときどきでもいいだなんて殊勝に思ってたって。思いが募れば欲しいときどきの回数が増えていく。

 とん、とん、とん、のリズムでよかったのが、だだだだだのリズムじゃないと不安になるのだ。そしていずれはずっと長押し、隙間なく、ぴったりと。一緒にいたくなる。

 他の誰かを見つめる時間を、奪ってしまいたくなるはずだ。ぜんぶぜんぶ、自分のものに。


 俺はねーちゃんに視線を向ける。込み上げた想いを、危うく漏らしてしまいそうだった。

 だけど。


「私、あんたがいてくれてよかった」


 ふいにねーちゃんがこぼした言葉に、俺は息をのんだ。外に出してはいけない熱も、一緒に、のんだ。


「な、なんだよ、急に」


 俺の声は引きつって、心臓は早鐘を打つ。俺はねーちゃんと一緒にいたら、一定のリズムなんか刻めない。あっちこっち振り回されて、不安定で、でもそれが、面白くてやめられないから、だから困る。


「だって、つらくても。……おいしいもの食べたら元気になる。ありがと」


 ねーちゃんはそう言って、口にじゃがいもを放り込むと、涙でぐちゃぐちゃの顔で、笑った。

 俺はありきたりな言葉しか、かけることができなくなる。


「次、がんばれよ」


 違う、本当は。もうがんばってなんか欲しくない。ねーちゃんが他の誰かを好きになって、うきうきしたり、こんなふうに泣いたりするところを、見るのは、俺がつらいのに。


 ねーちゃんは俺の前でうんうんとうなずく。そして顔を手のひらでごしごしこすって、また、笑う。


「へへえ、がんばらない恋愛の方が、かっこいいのにねー。でもがんばる」


 そんなことない。がんばるねーちゃんはかっこいい。失恋が人を強くするなら、ねーちゃんはすでに最強だ。


「お代わりある?」


「あるよ。いっぱい食べて。元気出して」


 汁まで残さず食べて、すっかり空になった皿を渡してくるねーちゃんを見ながら、俺が確信したことは。

 俺はひとりだけしか好きになれないルールから、一生はみ出ることもないだろうということ。

 俺の好きな人は。

 ずっと、ひとりだけなんだ。


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