【割れた愛】
もうすぐバレンタインデーである。好きな人にチョコレートを渡して、好きですって言う日である。諸説あるけどメインはそれだと、俺はずっと思ってる。
通りがかった店にはチョコレートの山、山。寒い季節はチョコレートがおいしいから。新製品のチョコレートがあちこちに並ぶのは、バレンタインのためだけじゃないんだろうけど。なんか年明けたらもうバレンタインのコーナーも、できてたような。年々、イベントの売り場準備が前倒しになってる気がする。
さて、こういう恋愛絡みのイベントになると、俄然そわそわするのがうちのねーちゃんな訳だけど。
去年など、「ちゃんと試食したやつじゃないと、安心して渡せない」という大義名分を振りかざし、あれもこれもと色んなチョコレートを買ってきてた。そして片っ端から、「これうま!」「うんま!」「やば、うっまー」と、にこにこ食べていたのを思い出す。
まあ結局、そうやって吟味して選んだチョコは、ちゃんと渡せたみたいだけど、結果は……、うん、まあ、それも例年のことだったりするので。割愛。
そんなねーちゃんと、今日は買い物である。
正しく解説すると、会社帰りにたまたま会ったので、ついでに買い物して帰ろうか、ということになったのだ。
思春期のころは、ねーちゃんと一緒に行動するとか、誰かに見られたらどうしよう、恥ずかしいな、でも一緒にいられるのうれしいしな、と矛盾した自分の気持ちにそわそわさせられていたけど。
お互い社会人にもなると、別に誰に見られようがどうだってよくなった。むしろ、よその人には姉弟だとか思われてないだろうな、俺たち。それはそれで、こっそり照れる。
店のチョコレート売り場で、俺はちょっと身構える。ねーちゃんのことだから、テンション高めでチョコレートを欲しがると思ったから。
でも、何やら落ち着いている。どうしたどうした。
冷静なのが逆に怖い。
「ねーちゃん、チョコ用意した?」
あまりにも不安で、俺の方から尋ねてしまった。つまりねーちゃんの大好きな誰かさんには、どうすんのかって聞いてんだけど。
ねーちゃんはちらりとこちらを見て、「あー、はいはい」とめんどくさそうに呟くと、すぐに視線を外す。
「なーんか今年、いいかなーって。自分用もなあ……」
そりゃあ毎年あれだけこの時期チョコレート踊り食ってたら、飽きていてもおかしくないな、とは思う。
だけどねーちゃんのため息は、深く、長い。
「あーあー。だって、だってさあ。……一番あげたい人に贈れないならさ、気分上がらないっていうか」
どうしたねーちゃん。あんなに毎年玉砕覚悟でチョコ投げまくってたのに。
投げる前から諦めてるのは、珍しい。
俺が不思議がっていたら、ねーちゃんは口を尖らせる。
「どうやって贈ったらいいか、わかんない。贈り方わかっても、たぶん贈れない。贈れないってわかってる。贈っちゃいけないんだよ、私は」
なんて悲しい動詞の活用。なんとなく、俺は察した。
ねーちゃんはどうやら、今、チョコレートを贈れない相手に片想い中らしい。
つまりそれって、好きになってはいけない系の奴だよな。もうすでに相手がいるとか。……うん、だめだな。それはだめだ。ねーちゃんに、略奪愛とかムリだろう。
ねーちゃんは、好きになる相手が幅広い。俺とは大違い。
俺は狭すぎるからなあ。ほんと狭すぎる。ずっと狭い。ある意味ねーちゃんが羨ましい。
広すぎるのも狭すぎるのもめんどくさいなあ。
それからねーちゃんはしょんぼりと、肩を落としてため息をつく。
「なので、今年のバレンタインは、見送りなのですよ……」
「そっか」
まあ、そういうことなら、いいか。
じゃあこのコーナーにはもう用はないなと通り過ぎようとしたら、ねーちゃんが思い出したように言う。
「あ、ちゃんとあんたには買ってあげるって。どれがいーの」
俺は、思いがけないねーちゃんの言葉に胸熱である。思わずヒャッハーと叫びそうだったけど、すぐに正気を取り戻した。
ねーちゃんの思惑が、手に取るようにわかったから。
「え、今買い物かごに入れたら、家計から払えるからいいじゃん、的なやつ?」
俺の問いに、ねーちゃんは慌てることなくにんまりと、笑う。
「そそ、おやつ費から出しとくから。好きなの選んでいいよー」
ちゃっかりしてんなあ。俺はねーちゃんの前で、堂々と舌打ちした。
義理チョコにしたって雑すぎるだろ、それ。
っていうか、どうせなら俺が選ぶんじゃなくて、ちゃんとねーちゃんが選んで買ってくれたのが欲しい。
超絶有名店のなんかじゃなくていいからさ。見た目ばかりで味スカスカのやつでも。センスがあるのかないのか不安なおもしろ系でも。いつも食べてる定番のやつでも。
何でもいいのにな。選んでるときに、俺のこと考えてくれてるって、そのことが、何よりうれしかったりするのにな。
まあ、でも。せっかくなので。
選ばないっていう答えは、俺は選ばない。
「じゃ、これ」
俺はがさりと一袋、目に付いたチョコレートを選んで手に取る。それを見て、ねーちゃんが目を輝かせた。さっきまでしんみりしてたのに、表情、めっちゃ明るくなってる。
「お、質より量いったね!」
「このチョコうめーんだって」
にこにこするねーちゃんにそう言って、俺は買い物かごにチョコを入れた。
それは製菓用の割れチョコだ。グラム換算したらこの売り場に並んでるチョコレートの中で一番お得。
ねーちゃん、知ってるか、バレンタインって。すでにさ、この国でもさ、女の子が男の子にとか、狭いこと言わなくてさ。好きな人にあげていいんだ。
だからこれで俺はめっちゃテンパリングして、艶々のチョコ作って。んで、バレンタインの日に、ねーちゃんと食べる。
それ食べてねーちゃんはさっさと、今のヤバイ恋など忘れちまえばいいんだよ。
ねーちゃんには、もっと甘くて、ちゃんと一緒にチョコ食べて笑える、そんな恋をしてほしい。
*
そしてバレンタイン当日。俺の作ったチョコ菓子を遠慮なく食べながら、ねーちゃんは呟いた。
「あんたの作るチョコレート、さあ。すっごいおいしいから……、あの人にも食べてもらいたくなるねえ」
手作りチョコを贈るのは、難易度が高すぎるし、弟の作ったやつって、謎だろ。
いやむしろあいつに食わすってわかってんなら、俺、たぶん毒……、いや、なんでもないです。これ以上は問題がありすぎるので、割愛させていただこう。