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失恋姉弟  作者: 加納安
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【ハート】

 またねーちゃんが、この世の終わりみたいな顔してる。

 はああああって、腹の底からため息。眉間にしわ。


「……どした?」


 一応声かけてみる。ねーちゃんの招いたこの世の終わりに、巻き込まれたくはないけど。放ってもおけないし。


 ねーちゃんは静かに、買い物袋を差し出してきた。仕事の帰りに買ってきた、いろいろ。この品揃えはドラッグストアだな、期間限定の変な味のお菓子が紛れてる。定番の味が結局一番うまいのに、何度経験しても懲りないなあ。


「詰め替え。買ってきた」


 ねーちゃんに言われて改めて袋を探れば、パウチの袋型容器がふたつ入ってた。そういえば昨日の夜、もうシャンプーもコンディショナーもなくなりそうって、言ってたな。

 お互い手軽な値段の量産品のヘアケア商品で十分落ち着く髪質で得だよなー。こういうとこ、姉弟だなあって思ったり。


「すげえ、俺すっかり忘れてた。ありがと、ねーちゃん。さっすがー!」


 ちょっと大げさに褒めて、ねーちゃんのご機嫌を取ってみる。

 けど。

 ねーちゃんの表情はますます険しくなる。巾着袋の口の紐、思いっきり締めたときみたいな顔してる。超すっぱい。


「さすがじゃない! すごくない! むしろすごい!」


 えええどういうことだと俺がねーちゃんのセリフの意味を考えてる間に、ねーちゃんが買い物袋から詰め替えのシャンプーを出す。そしてもうひとつも。並んだふたつのそっくりなパッケージ。

 そっくりっていうか、瓜二つ、あれ? 両方同じじゃね?

 俺がそれに気づくと同時に、ねーちゃんがうめいた。


「ほら! ふたつともシャンプーだった! もー、やだ」


 たしかに、両方シャンプーだ。なるほど、買い間違えたんだな、ねーちゃん凡ミス。でも、こんなことでこの世を終わらせられたらたまらない。


「別にすぐ腐るもんじゃないし。次コンディショナー買ってくりゃいいことだろー?」


 褒めてダメなら励ましてみる。しかしねーちゃんは相変わらず、むしろ更にがっかりしていた。


「なんか私、調子悪い。きっと疲れてる。今朝はさあ、せっかく作ったお弁当ひっくり返しちゃうし」


 ああ、そんなこともあったっけ。今朝の話。珍しく作った弁当を、ねーちゃんは手を滑らせて一回転。でも奇跡的に、ハンバーグがひとつ犠牲になっただけで、残りの中身は形が崩れたけど無事だった。

 朝からフリーズしちゃったねーちゃんの、弁当箱に予備のハンバーグを詰めてやって、落としてしまったハンバーグにごめんなさいと手を合わせて、終わったはずの話。

 ねーちゃん、まだ気にしてたのか。


「それだけじゃないよ、他にも、まだ」


 ねーちゃんのセリフのトーンは昏い。けど、その頬は紅くなる。伏せた目、まつ毛が微かに震えて。

 ああ、と。俺はその表情から察する。

 ねーちゃん、あいつとなんかあったな、って。

 そしてその予感は的中で。俺の胸がほんのりきしむ。


「あの人に。うっかり、ハート、送っちゃった、し」


 ねーちゃんのメッセージにはほぼ感情がない。それはあいつにだってそうなんだろう。言いたいことはいっぱいあるのに、言葉を選びすぎて業務連絡。最近ようやくちょっと慣れてきた雰囲気だったけど。ま、ねーちゃんがどんなメッセージを送ってるかまでは、さすがに俺も把握してない。

 ねーちゃんが送ってしまったのは、ハート、らしい。

 心臓を模した形。トランプの柄のひとつ。

 ねーちゃんを惑わせるもの。


 メッセージで送ることのできる絵文字はたくさんあって。送る相手を厳選しそうなものも、通常誰にでも使えるものもあって。

 もちろんそれを使うのも使わないのも個性だし自由だし。

 だけどねーちゃんが言うには、うっかり。ほんと、うっかり。

 送ってしまったらしい。その、ハートを。


 でも。

 自分が送られたら、と考えたら。別に、悪いことじゃないんじゃないかな。

 好きのレベルは違えども。

 嫌いな人には絶対に、送らない。

 好きな人にしか送らない、そんな「しるし」だと思う。

 だけどねーちゃんにとっては、それがとても、大変な意味らしく。


「これまでだって気をつけてたんだよ。ハートだけはね、送らないようにしなきゃって。意味がとても重いから」


 受け取り方は人それぞれ。別に単なるカワイイ形だと思われるかもしれないし。

 ねーちゃんはまるで自分の心臓をくりぬいて、添付してしまったかのような。

 そんなにか。

 まあでもなあ、俺も。ねーちゃんからのメッセージに、ハートがついてたら。たぶん一瞬心臓が跳ねる。意味はなくても、跳ねるなあって。思ったり。

 そして自分は送れないな。ねーちゃんに。冗談であっても、ハートを送ってはいけないような気がしてる。

 姉弟そろってこういうところは、なんかビビりで似てんだよな。


「あー、どうしよ。引かれてないかな」


「なんで引かれんだよ」


「私がす、す、す……」


「好きって?」


「……そういうの、伝わるの、困る。好きって言ったら嫌われる」


 あー、姉弟。俺もその気持ちわかるんだ。

 今の関係が心地いいから、それを踏み越えて、壊してしまうのが怖いし。

 そういう目で見てるって、知られて、気持ち悪がられて、怖がられて、避けられたら、最悪だから。だから現状維持がいい。自分の気持ちは隠しておく方がいい。

 つーか、俺の「好き」は、世間的に許されない「好き」だからなあ……って。

 ねーちゃんはそうじゃねーし、伝えた方がよさそうなのに。

 ねーちゃんに好きって思われて、嫌がる人間なんかいるのかよって。俺、本気で思うけどな。

 間違えて買ったシャンプーも。落ちてしまったハンバーグも。取り返しがつくけど。

 うっかり送ってしまったハートはもう取り返せなくて。

 ねーちゃん、まさに、心ここにあらず。

 俺のハートでいいならねーちゃんにあげるけど。ねーちゃん、貰っても、困るだろ、これ。


 その時小さく振動音バイブレーション。ねーちゃんの目が、くわっと開く。

 いつものかばんからスマホを取り出すと、表示された画面を見て、ねーちゃんの顔がにまあ、と緩んだ。

 どしたの、と聞く必要もない。ねーちゃんがその場でスクワットを始める。嬉しいことがあるとじっとしていられない性質。


「うわー♡うわー♡う♡う♡う♡うわ♡ああああ♡」


 声にならない声の間に、ハートマークが挟まってんの、見えんの俺だけかな。

 そして、どしたの、と聞く前に。

 ねーちゃんは画面を俺に向けた。


「ハート、戻って来たぁ!」


 示されたのは確かにハート。ねーちゃんが特別に思ってるハートの絵文字。ああ確かに、表示されてる。送り主はあいつで……っていうのは、まあ、ねーちゃんの反応見てたらすぐわかったけど。


「あー、よかったな」


 文字のやり取りをしていると、お互い言葉が似てくることがある。相手の文章をミラーリングするから。そうすると、会話しやすいから。言葉遣いだけじゃなくて、使う絵文字もそう。

 だからねーちゃんがハートを送ったから。相手もハートを送ってきた。そういうことだと、思うけど。

 ほんと、受け取り方は人それぞれで。ねーちゃんにとっては、特別なこと。

 っていうかねーちゃん、句読点にすら震えてたしなあ。好きすぎだろ、あいつのこと。


「うへへ、ちょっとこれはもう永久保存。ずっと眺めてられるよね」


 数分前。買い間違えたシャンプーに挟まれて、この世の終わりを経験してたねーちゃんは、これにて完全復活だ。


「コンディショナーは明日買ってくるねー、あ、忘れないように、メモ送っといて!」


「おー」


 ねーちゃんは単純、だからこそ難しい。

 俺は自分のスマホから、ねーちゃんにメッセージを送っておく。

 コンディショナー、と、入力して。その隣に、ハートをふたつ。二個買って来い、の意味で。

 こんなときじゃないと送れない俺のハート。ねーちゃんに届け。


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