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失恋姉弟  作者: 加納安
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【春】

 最近、毎朝、ねーちゃんの顔色が悪い。


「ちゃんと寝てる?」


 青い顔で起きてきて、朝食もいらないと呟くねーちゃんに、無理やりマグカップを押しつけながら尋ねる。

 ねーちゃんはサンドイッチをチラ見して、ずずう、と、汚い音を出しながらミルクティをすすった。


「だって寝れないんだもん。ちゃんと寝ようとしてるのに。目を閉じても開いても」


 うぐ、と。ねーちゃんの顔が歪む。ファンデーション塗る前でよかったな。妙なしわが入るところだった。


「悩みごと?」


 何となく、うすうすと。勘付いてはいたけれど。知らないふりをしてみたら、ねーちゃんはくわっと目を開いた。


「だって、連絡が、来ないんだもん!」


 どうやら先日参加した飲み会で、知り合った人にねーちゃんは恋をしているらしい。


「すごく感じのいい人で、連絡先も交換して、メッセージのやり取りしてたのに。けど、返事、来なくて」


 ねーちゃんが震えているのは、悲しみか、怒りか、その両方か。


「忙しい人だし、そんなに頻繁には連絡できないんだろうし。それにすぐに返事が必要なことでもなくて、そりゃあ、いつまでだって私、待てるし? あんまり催促して重いとか思われたくないし? 私がこんなに好きだとかすでに惚れちゃってるとか思われて調子に乗られたくないし? 惚れた方が負けだし?」


「べつに勝ちとか負けとかないだろ、恋愛に」


「あるからー! ぜったいあるからー! マウント取らないとやだ!」


 ねーちゃんのプライドはなんか、めんどくさい。


「連絡欲しいな、って言えば?」


 恋愛に大事なのは素直さだと思う。しかし、弟の意見なんて、ねーちゃんは欲していないのだ。


「そんなの絶対迷惑だから! めんどくさい奴だと思われるから! 既読はスルーだしむしろ読まずにスルーでミュートでブロックされるから! 縁切られるの、嫌ああああ」


 ねーちゃんを見てると、某名画が頭に浮かぶ。両手を頬に当てて、目も口も虚ろに開いて虚無を叫ぶ、あの絵。


「一応、早めに寝ようとは思うんだよ。連日寝不足で仕事中は超眠いし。どうせ起きてても返事来ないなら寝て待ってたほうが時間も有効活用できるし、って。でも、寝ててもさ、もしかしたら連絡来てるかなって、確認しちゃうよねスマホ。なぜだか二時間おきに目が覚めて、そのたびブルーライト浴びちゃうよね?」


 ねーちゃんの顔が青いのはブルーライトを浴びすぎたせいか。そうか。


「でも来てないから悲しくて、子守歌代わりに恋愛ソングとか聞いちゃったりしたら、どの歌聞いても泣けてきて、結局泣いて、寝れないし」


 ねーちゃんの好きなアーティストのラブソングは、どれもこれも死体と血液と呪詛にまみれてるけど、どうしてあれで泣けるんだろう。刺さりポイントがわからない。


「どうしようもなくて、スマホの検索窓に、『片想い つらい』とか入れちゃうし。そしたら恋愛エッセイとか出てくるから、なんか役に立つかと思って読んじゃってさ」


 なるほど、おしゃれなタイトルにおしゃれな素材の写真、意識の高い上から目線の言葉の羅列をねーちゃんは夜な夜な摂取してるんだな。そりゃ、安眠妨害される。


「なんかいいアドバイスあった?」


 いくつかサイト巡回したら、同じことばっか書いてんなーって気づくだろうに。ふつうなら。

 するとねーちゃんは、ちょっと遠い目をした。


「読んでるうちに、何故か結婚相談所に登録させられかけたかな……。つらい片想いはさっぱり諦めて、新しい出会いをすすめられたね。でも、それは私の望む解決方法じゃないし。私は今の状態をなんとかしてほしいのに。あと、別のところは、占い師の紹介につながってたね。でもさあ、占うったってさ、相手の生年月日とかさ、知らないから! 血液型も知らないから! そんな個人情報どうやって盗むのよ、本人に聞くの? そんなのさり気なく聞けるテクあったら、片想いなんかしてないいいいいい」


 まだうっかりカモられたりしない程度には、ねーちゃんは冷静なのか。そう思ったけど、やっぱりそうでもなかった。ねーちゃんはテーブルの上で拳を握って震わせる。


「結婚相談所に登録して占い師に占ってもらったら私、楽になるの? そしたら次はどうしたらいいの? 幸せになる絵とか買えばいい? やっぱり壺? 今は青汁? 幸せになる汁があるなら飲みたいよ!」


 ブルーライトを浴びながら、出てきた画面にひとり突っ込み、文字を追ってるうちに寝落ちして。力の抜けた手からスマホがシーツに伏せたわずかな動きを。もしやあの人からの連絡を伝える振動かもと、誤解してまた目が覚めて。何の通知もない暗い画面に、だよねえ、って呟いて、目を閉じて、エンドレス。


「まともな奴なら、ねーちゃんが寝てるときは、そいつも寝てるって。返事なんか送ったりしねーよ」


「まともじゃなくてもいいから、返事くださいー」


「いや、だめだろ」


 ほんとに、今のねーちゃんになら壺売れんじゃないかな。決断力も判断力も弱り切っている。


「『返事 来ない』とかって検索したらさ、出てきたアドバイスがさ。一か月ぐらい我慢しましょう、だったんだよ。信じられる? 一か月って!」


 ねーちゃんはネット上のアドバイスにひどく怒っていた。自分の心とぴったり同じ意見じゃないと、受け入れられないところがまさに恋は盲目たる所以。


「あんた一か月も、推しの補給断たれて生きていられる? ぜったい、無理!」


 確かに俺も好きな相手とひと月も離れるのは、嫌だけど。


「でもそれたぶん、一か月ぐらい間空けて、頭冷やして、じっくり考えて、それでも相手のこと好きかどうか確かめろって意味なんだろ」


 そして俺の意見はやっぱり、ねーちゃんには不要なのだ。


「一か月も空いたら他の人好きになっちゃうよー! 裏切っちゃうよー!」


「裏切るも何も、何の約束もしてない相手なら別にいいだろ。まだ恋人じゃないんだし」


「私、そんな尻軽になりたくない!」


 ねーちゃんの倫理観はよくわからない。


「とにかくさー。連絡のテンポが合わないってのは、この先付き合うにしても致命的にストレスになると思うけど。相性悪いんじゃね?」


 弟としては。

 ねーちゃんをこんなにボロボロな状態にして、放置している奴になんか……って、思う。

 だからわざと、きつい言葉を選んで言った。ねーちゃんの泣き顔が、俺へのムカつく感情に、変化すればいいのにって思って。


 なのに。


 そのタイミングで、テーブルの上でねーちゃんのスマホが震えた。ねーちゃんはすげえ速さで画面を確認する。

 さっきまで真っ青だった肌に朱が差す。しかめっ面は、一瞬にしてほどけて笑顔になった。悔し涙が浮かんでいた瞳が、キラキラ光る。もうファンデーションも口紅もいらないぐらい、ねーちゃんの顔は華やかだ。


「……返事、きたー」


 ねーちゃんが言う前に、そうだろうなってすぐにわかった。


 ねーちゃんをボロボロにするのも、一瞬にして輝かすのも。同じ相手なんだよな。結局弟の、俺の嫌味は。その隙間に入ることすらできなかった。


「あー、今日は朝からいい日。もう絶対いい日」


 ねーちゃんはその場で返事を打とうとして、でも、指を止めた。


「いやいやいや、これですぐに返しちゃったら、待ち構えてたみたいでやばい? ちょい、焦らすべき? っていうかすぐに返事したらまた、返事待つことになるから、またつらくなる? え、私どうしたらいい?」


 好きな人にどんな返事をしようか、考える時間は楽しいから。できる限り引き延ばしてもいいと思う。……って、もしかして相手の奴もそうだったりして……?

 なんてことは、ねーちゃんには言わない。


「とりあえず。準備して、仕事行ってから考えたら?」


「そうだね! 着替えなきゃ!」


 ねーちゃんはさっきまでの儚さはどこへやら。サンドイッチを一気に頬張ると、ぬるくなったミルクティで流し込む。食欲なかったんじゃないのか。まあいいけど。食べてくれた方がいいけど。


 うきうきとリビングを出て行ったねーちゃんを見ていたら、春だなあって思った。

 春は恋の季節。


 ま、この恋がだめでも。夏は衝動的に恋に落ちるし。秋はセンチメンタルになって恋に落ちるし。冬は人肌恋しくて恋に落ちるし。年がら年中、ねーちゃんは、恋愛体質だから。ほっとこう。

 ねーちゃんの感情に一緒に一喜一憂してたら、俺の心がもたないし。


 三日も一か月も数か月も数年も。終わってしまえばあっという間。来年の春にはねーちゃんは、どんな恋をしてるんだろう。


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