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通常業務

夜の王都。その路地を俺は走っていた。昼間道を行き交っていた馬車や時々見かける自動車は完全に姿を消していた。静寂が満ち、風が背筋を撫でるようで寒気がする。


 月明かりに照らされた、石造りの建物と、時計塔が俺達を見下ろす。のんびり紅茶でも飲めばセレブの気分になれる程の優雅な静寂が満ちる。が、そんな雰囲気などお構いなしで、俺は俺を追う者から、全速力で逃げ続ける。


「ったく、何なんだよ、一体!」


 いくら勇者一党として持ち上げられても、それが一段落したら普段の業務に戻るだけ。そう、俺達騎士団の仕事。外敵の迎撃、そして王都内の治安維持である。


 初日なので、のんびり散歩を兼ねてパトロールしてたのに……数分前に記憶が一瞬遡る。


 オレンジ色の街灯の周りを虫がブィーンと飛び回りリーリーと草むらからも虫の声。


 空はもう真っ暗。


 どこからか、「クヒヒッ」という笑いが聞こえてきて、産毛が逆立つ。何だ?不審者でもいるのだろうか。


 人間の根源的不安を呼び覚ます暗闇の中を、オレンジの街灯を頼りに歩く。


 虫の声が唐突に止む。サァッと生温い風が吹き抜け、身体が芯から震えだす。


 その風に乗って鼻を刺すように不吉な香り。そうその匂いはまるで、まるで、錆びた金属のそれで。 


 路地を曲がった瞬間、鮮烈な朱が目に飛び込んできた。


「うっ」

(何だこれ!?初日で?いきなり?グロい!)

 驚きと恐怖が頭を飛び回る。だが、地面一面に飛び散ったそれから視線を引き剥がして顔を上げると、屋根の上に立っていたのは。


「ケヒャヒヒヒ」


 底冷えのする笑い声を上げる、仮面の男だった。


 (何だあれ!?)


 男は高速でトランプをシャッフルしながらこちらを見る。


 黒い仮面の右頬に、真っ赤なハートマークが刻まれている。マジシャンの様なシルクハットに、尖った靴。喪服の様な黒いタキシードに、黒い手袋。


 自分の胸ポケットから取り出したハートマークのトランプにキスをするそいつの服には、夥しい量の朱が付着していた。


「ハッ!」


 全身が粟だつような悪寒と共に、俺は問答無用で最大威力の火球を撃つ。


 が、男が手を翳すと見当違いの方向に逸れていって当たらない。逸れた火球は壁に激突して爆炎を上げる。人気の無い建物だから良かったものの、家に直撃すれば大損害だ。


 奴の異能と俺の魔法はどうやら相性が悪いらしい。この調子で攻撃を逸らされていけば、市街地への被害が甚大なものになる。一旦建物から離れなければ。足裏から炎を噴射し、飛ぶ様に走る。


 しばらく走ったが、振り返ると奴がいない。

(追ってこないのか?)

 そのまましばらく走ったが、敵が追ってこないことがどうしても腑に落ちない。何度も何度も振り返る。敵の姿が無いが、逆にそれが不気味で仕方がない。


 荒い息を吐きながら、立ち止まって周囲を警戒する。剣を抜き、炎を左手に纏わりつかせる。しばらく周りを見回しても、人っ子一人いやしない。

(撒いた……のか?それとも、追ってこなかったのか)


 と、突然ピン、ピッと音を立てて背後の街灯、そのランプが明滅する。一瞬視界が黒で埋め尽くされる。そして灯りが点いた瞬間、目の前には別の黒があった。


 二つの穴からこちらをジロリと睨め付ける、真っ暗な虚空。仮面の右頬の真っ赤なハートマークが目に焼き付く。気色の悪いピエロの笑みが、緩い弧を描いたその仮面。全身をうぞうぞと虫が這い回る様な悪寒に全身が包まれる。


「うわっ!」


 咄嗟に俺は火球をばら撒きながら大きく後ろへ後退。周囲の空間から魔力を集め、全力で全弾叩き込む。


 爆炎が上がるのを尻目にそのまま炎を噴射し、一瞬で距離をとる。奴のことは知っている。あれは……特A級指定殺人犯ファントムだろう。


 奴の殺し方は様々だが、標的となる人間には一つの共通点がある。それは、必ず大きな罪がある、という点だ。例えば殺人や強姦等をした者は、問答無用でターゲットになる。大概逃走犯や、賄賂で罰を逃れた者が狙われる。


 実際、奴が現れてからというもの、王都での犯罪はめっきり減った。もしかしたらそれを狙って殺しをしているのかもしれない。


 ここまで聞くと、良い奴に聞こえなくはない。ないが、殺し方は凄惨極まりなく発見者が受けるショックも大きい。加えて殺戮を好む節もあり、いつ一般人が犠牲になるか分からない。当然、指名手配犯になっている。


 強力な異能を持ち、対象物を高速で引き寄せることが出来る。支点をどこにでも設置でき、上下左右あらゆる方向に動かせる。


 それにしても、何で俺を襲ってくるんだ?そう言えば指名手配犯に、俺に似た顔立ちの奴がいたが、まさかそれが理由か?立ち止まったとして話し合いが出来る相手か?


 ファントムの関連資料を思い出す。


――――――


 王都警備隊資料室より。特A級犯罪者資料・ファントム。


 過去の人物を追体験する異能による再現。


 二年前。魔法による部分的再現による、殺人現場当日の様子。なお、街頭監視魔法具にファントムが映ったのはこの一度きりである。



 とある男が、暗い路地を必死に走っていた。後ろを振り返る暇は無いが、確実に奴が追ってきているのは間違いない。トーン、トーンという特徴的な足音と、


「クフッ、フヒャヒャヒャヒャ」


 ゾッとする笑い声がぴったりついてきているのだから。寒い。疲れた。運動に慣れていない脚がジンジンと痛みを訴える。


「チクショウ、何で俺がこんな目に!」


(警官に金を握らせた意味が!クソックソッ!ガキ一匹殺した程度の罪で、俺みたいなエリートが、なんでこんな奴に狙われんだよぉ!)


 しばらく走ると、唐突に笑い声と足音が途絶える。


「撒いたか?」

 暫く走って距離を取り、ゼェハァと荒い息を吐く。男はつい先程からの悪寒を、敢えて無視して、歓喜に打ち震えた。簡単に逃げきれる相手ではないという現実から、目を逸らすために。

 そして、右手でガッツポーズをしようとして、ふと気がついた。




 右手が、無い。




「は!?何だよこれ!どうなってんだよ!どこだ、どこだよ!助けてくれぇ!」


 血が迸る腕を抑えながら、必死にそう叫ぶ男の背後から。


「ばぁ」


 という、寒気がするほど平坦で高い男の声が聞こえて。


 男が後ろを振り向くと、真っ黒な仮面をつけた男が立っていた。


 殴りかかろうとするが、得体の知れない力で引っ張られる様に、全方位ギュンギュンと振り回される。


「ぶべらっ?」一度大きく吊り上げられた後、地面に激しく叩きつけられる。痛がる隙もなく、男の左手に、トランプのカードが突き刺さる。


「ぎゃあああぁあ!」


 悲鳴を上げる男の左手が、何かに引っ張られる様に持ち上がり、その手からトランプが抜ける。


 トランプを抜かれた男が安堵したのも束の間、仮面の男が手を動かすと、それに従ってトランプも、見えない手に引っ張られる様にヒュン、ヒュンと横に移動する。右に左に、左に右に。徐々に、徐々にトランプの動きが早くなる。ギュンギュンギュンギュン、と虫の羽音のような音を立て始め、嫌な予感が加速する。


「や、やめろ、やめてくれ!」


 仮面の男は一切の躊躇いもなく手を振り下ろした。


 しばらくの間暗い路地に、高速で往復するカードで指の先から腕まで輪切りにされていく、男の悲鳴が響きわたった。



「やべ、やべてくだしゃひ」


 数分後、男は完全に腕を失い、耳や脚から血を流していた。泣き腫らしてぐちゃぐちゃの男の顔を見て、仮面の男はゴミでも棄てるかのように軽く手を横に振った。


 背筋に氷柱を差し込まれたような、一瞬凄まじい寒気が来て。


 次の瞬間、男の視界がグルンと一回転して、地面にドシャッ、と落下した。壁にもたれかかったままの自分の胴体を見ながら。


 痛みで正気を失った男は終ぞ、自分の首が切り落とされことに気づかなかった。



 王国警備隊、特A9犯罪者資料より抜粋。



――――――



 資料を見る限り、化け物並みの異能と残虐さは間違いない。引き寄せの異能は凡庸だが、使い方と強度が桁違いだ。


 話し合いは無理っぽい上に、人口密度が高いこの市街地では、派手に焔をブッ放す訳にはいかないのも問題だ。今は地上を逃げて、場所を変えるしかない。空中を飛行すれば、遮蔽物も無く良い的になってしまう。


 冷えた夜の空気が肺を痛めつける。


「ハッ、ハッ、ハッ」


 荒い息を吐きながら走る俺の背後から、


「クヒヒヒヒヒッ」と笑い声。


 深淵から得体の知れない怪物にこちらを覗き込まれたかの様な感覚。ゾクッ、と手足が震える。


 咄嗟に足下から炎を噴射し空中へ舞い上がる。すると背後からまた、敵の気配が……


「ハイハイ、後ろな!もう分かってんだよ!」


 したので、さり気なく背後に向けていた掌から爆炎を放つ。


 目の醒めるような燈が、眩く周囲を照らし出す。敵の姿は見えない。


 しばらく観察するが、気配はない。殺した手応えはなかったが……逃げたか、或いは重傷を負ったか。


「やった……のか?」


 そう呟いた俺の首に、シュピッ、と、薄い金属製のカードが押し当てられる。金属の冷たい感触に、微かに芽生えかけた安堵が根こそぎ引きちぎられていく。


「ざーんねーんでーした。クヒヒッ」


「ッ!!!??」


 一瞬頭を、俺の背中にコバンザメのように貼り付いている様が過ぎる。

(しまったコイツ、常に俺の身体に引っ付いて……!?殺られる!)

 そこにビュオッ、と音がして。


 真横から黒い影がぶっ飛んできた。それは俺の背後のファントムを吹っ飛ばし、クルンと一回転して着地した。


(誰だ?)


「ん?だいじょぶ?ノア」


「ティア!助かったぁ!」


 目の前の黒髪黒眼、サラサラの短髪少女の姿に安心感を覚える。


 ちょうど俺の目の当たりに、頭頂部が来るくらいの身長。格好はちょっとした買い物帰りの少女にしか見えないが、彼女も勇者パーティの一員だ。因みに俺がちょっと気になってる人でもある。


「帰りが遅いから寄ってみれば……ノアは色々と、巻き込まれるのが早過ぎ」


 一目で状況を理解したか、ティアは呆れたような眼でこちらを見てくる。


「なんというか、うん。ごめん」


 実際こうして迷惑をかけているので恥じ入るしかない。


 しかし吹っ飛ばされた敵も然る者。ふわりと余裕を持って着地していた。


「効いてない……ノア、下がってて」


 言い終わる前に、再び敵がグリングリンと回転しながら突っ込んでくる。壊れた操り人形の様な動きで、不気味を通り越して悪寒がする。


 ティアは短剣を取り出して振り上げ、躊躇なく仮面の真ん中に突き立てようとする。が、一瞬グイッと後ろ向きに肘が引っ張られ、仮面を薄く傷つけるだけに終わる。


「ん?」意表を突かれたティアは驚きを隠せない。


 続けて敵はティアに向けて、引きずりまわすように手をうぞうぞと動かす。引き寄せの異能により、ティアもその手に最初の二、三回は振り回される。しかし、すぐに適応する。振り回される力を利用して、回転する様に移動し攻撃するようになっていく。


 反動を利用し、素早くパンチを叩き込む。引き寄せの異能で体勢を崩してくる敵に対し、逆らわないことで対応する。


 背中を引かれればそのまま退く。足を後ろに引かれてつんのめる。前に倒れる勢いを利用し、そのまま頭突きをぶちかます。


 適応するティアに、徐々に敵は押されていく。冷静に敵の動きを見極める。戦術を組み立て、一手ずつ自分のペースへと流れを引きずり込んでいく。


 結果、息もつかせぬ猛連撃が敵を襲う。堪らず敵はティアを一度空中に吹き飛ばし、その隙に大きく後退。引っ張られるように平行移動し、距離を空ける。


 吹き飛ばされたティアの方も、一回転してスタッ、と着地する。


 接近戦を嫌ったか、後退した敵は素早くコインやカードを放つ。ティアはダンスでも踊るかの如く細かくステップを踏んで全て避ける。暗い路地にタンタンとリズミカルで軽い足音が響く。


 次の瞬間放たれたそれらが空中で急停止。レーザービーム並みの速度で引き戻され、再びティアを貫こうとする。


 ティアは特に焦った様子も無く、地面を強くダン、と踏み締める。すると真っ黒な影が、盾のように現れる。更にソレは触手を伸ばし、全ての攻撃を弾ききる。



「影踏み」



 ティアが呟く。


 敵はもう笑い声を漏らしていない。もう一度コインとカードを投げた後、正面から凄まじい速度で顔面を狙う。恐らく、自らの拳をティアの顔に引き寄せることで得る圧倒的加速。


 対するティアは影をトランポリンの様に踏んで背後に低く大きくジャンプ。


 そこでは先程放たれたカードが滞空し、凄まじい勢いで再び射出……される前に、ティアはそれを引っ掴む。影を纏った小さな手で、正面目掛けてシュピッ、と素早く投げつける。


「おっと?」


 ファントムはそれを何とか避けるも体勢を崩し、二度目の後退を余儀なくされる。


 もう、先程までの余裕も無い。少し焦りが伝わってくる。


 なんとか避けたファントムたが、その右腕から、少し紅いモノが飛び散る。


「ク、クフフ、これはなかなか予想外。やるようですねぇ、お嬢さん。しかしながら残念ながら!あなたのような美しい方には、私も本気は出せません。では、今宵のダンスはここまでで」


 気取った負け惜しみを恥ずかしげもなく言い放って、また引っ張られるような動作で消え去った。


 しばし警戒していたティアは完全に敵が去った確証を得たか、こちらへと振り向く。


 そして何事もなかったかのように、平然と俺に声をかけた。


「ん。だいじょぶ?」

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