そこにあったのは、『分裂』の文字だった
「これはまた……」
村長さんに連れられて向かったのは、村のはずれ。新たに開墾した畑ということを考えれば妥当な場所なんだろうけど、そこにあった光景はあまりにもあまりなものだった。
もとは耕された土だったであろう一面が、俺の背丈ほどに成長した草で埋め尽くされていたんだから。
言い現わすならば「雑草だらけの畑」ではなくて、藪だ。
これがほんの数日で発生した、なんてのは、確かに控えめに言っても薄気味悪い。
「さすがに気味が悪いので村の者は誰も近づこうとしないんですよ」
「ですよねぇ……」
当たり前だ。俺だって、好き好んでこんな場所には足を踏み入れたいとは思わない。
とはいえ……
だからと言って放置するわけにもいかないし……やるか!
そう腹を決める。やらなければ始まりもしないし、終わりもしない。端から全部草を引っこ抜いていけば、いつかは終わるはずだ。
「さっそく始めますんで」
「お願いします」
藪にしか見えない畑に近づき、しゃがんで草の1本を両手でしっかりと掴む。俺だって育ちは農村。草むしり自体は慣れたものだ。
そうして手に力を込めて引き抜――
「おわっ!?」
――こうとした矢先に、半ば反射的に飛び退く。
何だ?何が起きた?
師匠に鍛えられる中で、意識よりも先に身体が動くというのは何度か経験している。そのほとんどは、危険にさらされた時に起きたもので、救われたことも多い。
ならば、今起きたことも同じである公算は高そうだが……
「アズールさん?どうかしましたか?」
村長さんは不思議そうに問うてくるのみ。つまり、村長さんには何ともなかったということか。
この状況。臭いところがあるとすれば短期間で大発生したという草くらいなんだが。
畑から距離を取ったままで、草を観察する。
揺れてる?
そうすれば目に付いたもの。風が吹いているわけでもないのに、大量に生い茂る草の1本がゆらゆらと揺れていた。
これは……ひょっとしたら……
思い浮かぶのは、師匠に聞かされた話のひとつ。確か魔獣の中には……
何はともあれ、確認だな。
「村長さん。もう一度草を抜きにかかってみます。何か起きるかもしれないので、よく見ていてください。それと、畑には絶対に近づかないでください」
「は、はぁ……?」
疑問顔だが、今はそれでいい。俺の取り越し苦労だったなら、その方がいいんだから。
「さて!」
今度は少し動きを変える。勢いよくしゃがみ込み、草を掴むと同時にバックステップ。重視するのは速さ。手ではなく脚力で抜くように動く。
だが、予想以上にしっかりと根を張っているのか、ビクともしない。
まあそれも予想はしていたさ。
だからすぐさま手を放す。心の準備ができていたからなのか、今度は何が起きたのかをはっきりと視認することができた。ついさっきまで俺が居た場所目がけて、1本の草が勢いよく振り下ろされていた。
確定、だな。
尻もちになってしまった着地から身を起こし、畑を見据える。さっきは1本が揺れるだけだった草だが、今は目に付くすべてが大きく揺れ蠢いていた。さっきと同じで、風は吹いていないってのに。
「ア、アズールさん!?今のは……」
そして、慌てふためいた声色からして、村長さんにも見えていたんだろう。
「この畑の件。いろいろと妙なところがありましたけど、魔獣が原因だったみたいですね」
「魔獣が?」
「ええ。呼び名には獣と付いてますけど、植物に近い性質の奴もいるらしい……っと!」
俺の言葉を遮ったのは、足元から突き上げてくるような揺れ。村長さんを後ろに庇える位置に立って畑の方を見れば、藪の向こう――恐らくは畑の中心あたり――に盛り上がるようにして、姿を現すモノ。
「おいおいおいおい……」
「なっ……ななななななあっ!?」
度合いの差こそあれ、俺と村長さんに揃って驚きの声を上げさせた存在。
バカでかいカボチャを4つほど積み上げ、その上に球体を乗せたような姿。
球体部分にあったのは、ニヤケたような目と深く裂けたような口。
目測では10メートルくらいか。その大きさは見上げるほど。
「ピギャギャギャギャギャギャギャ!」
耳障りな笑いめいた声を発する魔獣の姿がそこにあった。
「あの、つかぬ事を伺いますが……」
へたり込んでしまった村長さんに手を貸しながら問いかける。
「アレ、思い当たる節ってあります?」
「あ、あるわけないでしょう!」
「ですよねぇ」
まあ、それは当然か。
「それはそうと……今回俺が引き受けたのって、畑の草むしりだったわけですけど……」
魔獣を見やる。こうしていても攻撃が飛んでくる様子の無いあたり、多分奴には飛び道具はないってことなんだろうけど。
「畑をどうにかしようと思ったら、アレをどうにかしなきゃならんわけですよね?」
「そうなりますね……」
必ずしもサイズと強さが比例するとは限らないんだろうけど、基本的にはデカい魔獣ほど脅威度も高い。そしてあのサイズはといえば……
「けどアレ、どう見ても新人……白の手に余ると思うんですよ」
依頼放棄と言われれば返す言葉もないんだが、それが俺の正直なところ。
ここで見栄は張らない。過不足という言葉があるが、慎重さが過であって困ることと不足であって困ること。傾向としては後者の方が圧倒的に多いだろう。
「た、たしかに……」
幸いというか、村長さんも同意をしてくれる。
「ですので、第七支部に宛ててそのあたりを手紙に書いてもらえないでしょうか?そうすれば、先輩たちが来てくれると思います」
「わかりました。すぐに用意します」
「お願いします。それと、村の人たちはここには近づけない方がいいかと」
草が届く範囲に入らなければ安全だとは思うが、念のためというやつだ。
「そうですね」
「俺は……」
不愉快なニヤケ顔の魔獣に目を向ける。
「ここに残ってアレについて調べておきますので」
不甲斐ない俺の尻ぬぐいで手間を取らされてしまう先輩たちのためにも、少しでも伝えられる情報を集めておいた方がいいだろう。
「さて……」
ひとり残ったところで畑の魔獣――呼び名が無いと不便なのでニヤケ野郎とでも呼称することにしようか――を眺める。奴の顔はこっちを向き、目線も同じくだ。
まずは、草が振るわれても届かない位置まで近づいてみる……これといった反応は無し。
次に短鉄棒を抜き、草が届くかどうかといったところまで伸ばすと、
「おっと」
ヒュン!という風切りを伴って振るわれた草が短鉄棒に当たり、得物を取り落しそうになってしまう。
見た目の割に力が強い。藪の中に踏み込むのは危険だな。
絡めとられでもしたら怖い。近づくのは……余裕を見て2メートルまでにしておこう。
その距離を保ったままで、ゆっくりと畑の周りを歩く。そうすれば、俺を追いかけるようにしてニヤケ野郎の首が回る。どんな身体の作りをしているのかはわからないけど、1週するまでずっと、ニヤケた視線は俺から離れなかった。
アホ面を晒してはいるが、目に付くものを追いかける程度の知能はある、と。
観察でわかるのはこれくらいか。次は……と。
右手に泥団子を生み出す。まずは『衝撃強化』を使っていないもの。これを……
「そらっ!」
投げ付ける先はニヤケ野郎のニヤケ面。狙いは違わずに命中。ニヤケた顔はカラフルな泥にまみれた……んだけど。
ブンブンと頭を振って泥を振り払い、再び目が合う。そして――
「ピギャーギャッギャッギャ!」
これはイラっと来るな……
垂れ流すウザい声には、たっぷりの侮蔑が乗っている……ような気がした。
あくまでも俺が感じているだけなんだが「その程度かよ?これだったら仔猫に甘噛みされた方がまだ効くんだけど?」とでも言われているような気分にすらなって来る。
「ま、まあいい。次だ」
あくまでもコレは比較用の対象だ。次に用意するのは、『衝撃強化』を込めた泥団子。
「食らい……やがれっ!」
ソレを同じくニヤケ面目がけて。念のために――イラついていたからでは断じてない――5つ連続で投げ付けてやる。
「ピギャーギャッギャッギャッギャッギャ!」
命中時の音は響く感じだったものの、結果は変わらず。実にウザったい笑い声が返って来るのみ。
「ふうぅぅぅぅぅっ」
気分を落ち着かせるために深呼吸をひとつ。
とりあえず、今の俺では歯が立ちそうもないってことらしいな。それがわかっただけでも収穫アリということにしておこう。
次は……
ニヤケ野郎についてはこんなところ。今度は大量に生い茂っている草の方だ。当然ながら、ただの雑草というのはあり得ないだろう。風に揺られて偶然にではなく、あれだけ露骨に叩きつけてくる雑草なんてのがあってたまるか。
親切に近づいてやるつもりはこれっぱかりも無い。だから食らわせてやるのはニヤケ野郎と同じものを。
「よっ!」
まずは同じように、『衝撃強化』を未使用の泥団子。狙うのは生え際を。命中し、草の1本が傾ぐものの、すぐに何事もなかったように元通り。そして――
「ピギャギャッギャッギャ!」
またしても不愉快な笑い声。
イラつくことに変わりはないんだけど……今は聞き流すことにする。
これならどうだ?
今度は『衝撃強化』を込めた投擲を生え際に見舞ってやり、
「……お?」
異なる結果が現れた。泥団子を受けた草が傾ぐところまでは同じだったんだけど、耐え切れなかったようにポキリと折れた草はそのままで、元に戻ることはなかった。
これは……効いてるのか?
「ピギャッ、ピギャッ、ピギャァァァッ!」
そんな予想を裏付けるのは、他ならぬニヤケ野郎自身の声。そこに宿る感情の質が、明らかに変わっていた。
だんだんとわかってきたぞ。草が折れたことで声色が変わることといい、折れた草が残渣に変わらないことといい、周りに生えている草はコイツの一部ってことか。そして、『衝撃強化』を使えば、俺でも周りの草は潰せるってことだ。
「へっ……」
ニンマリと、口の端が吊り上がる感覚。
散々コケにしてくれたが、今度はこっちの番だな。
先輩方に任せる前に、露払いくらいはできそうだ。そのついでに……練習相手兼憂さ晴らしの道具になってもらおうか!
「これは……結構キツイな……」
そうして始めた一方的な攻勢。泥団子を投げるたびに草が倒れていくのも、ニヤケ野郎の声色に怒りの色が増してくるのも、爽快には違いなかったんだけど、俺の方に問題が出てきた。
右の肩をさする。心色の使い過ぎによる疲労は今のところは無いんだけど、泥団子を投げ続けて来た腕はそうもいかなかったらしい。100を超えたあたりで数えるのはやめたが、だんだんと右腕がだるく、肩にも痛みを感じるようになってきた。
まあ、当然と言えば当然か。これが炎の心色あたりなら、飛んで行けと念じるだけで飛んで行ってくれるらしいので肩の負担は無くて済むところなんだろうけど。
……ひと息入れるか。そういえば、キオスさんが持たせてくれた食い物もあった。せっかくだし、つまませてもらおうか。……っと、しまったな。
そこで自分の不手際にも気付く。食い物は貰い物があったとはいえ、それだけでは不十分だった。王都を出る際に、飲み水を用意しておくべきだった。目的地がさして遠くないからと油断してたのかもしれないな。
そのあたりは要反省か。とりあえず今は、この村の井戸を使わせてもらうとしようか。
「さて……」
ニヤケ野郎に目をやる。心なしか、俺に向ける目つきが睨むようなものになってきたような気がするんだが、それは大いに結構なことだろう。投げ付けた泥団子の数だけ、奴の周りに生えた草は倒れていたわけで、それが効いているということなんだろうから。
「せっかくだ。休憩前にもうひと頑張りするか」
あと……20発だけ食らわせたら、休むことにする。
「……17!18!19の……お?」
そして最後のひと踏ん張りもあと一発というところで、不思議な感覚がやって来る。ついさっきも感じたもの。心の中に何かが書き込まれていくようなこれは、新しい彩技が身に付いた時のそれだ。
さて、一体どんなものが使えるようになったんだ?
泥団子投げは中断して、心色へと意識を向ける。
そうしてそこにあったのは、『分裂』の文字だった。