英雄には知られざる真実あり、ってやつか
「どう?」
「あ、ああ……」
クーラに問われても、かすれた返事をするのがやっと。
それほどまでに、振り返った先に見えたものは衝撃的だった。
夜空に浮かぶのは、穏やかな光をまとう真ん丸。
だけどそれは、月とはまったく違っていた。
まず大きさからして、目算では月の3倍以上はありそうなところ。
色は様々。メインとなっているのは青だろうか。ところどころには緑や茶色が顔を覗かせ、他の色とは違った様子の白も見て取れる。
そしてなによりも――
闇の中に浮かび上がるその様は、本当に――
「奇麗だ……」
ごく自然にその言葉を引き出される。
前言は撤回する。これならば、クーラが一番のお気に入りだと言うのもうなずける。
「その様子だと、気に入ってもらえたみたいだね」
「ああ」
「よかった。……それはそうとさ、座らない?いろいろあったわけだし、疲れてるでしょ?」
「……そうだな」
素直に同意する。立っているのも辛いというほどではないが、それなりには疲労感もあったから。
「……座ると見え方も変わってくるんだな」
俺の目線が下がったことで、見上げるような形に。
そして気が付けば、俺は手を伸ばしていた。
「こうしてると、手が届きそうだな……」
「うん。私も、始めて見た時は同じことを思って、同じように手を伸ばしたよ」
その手は空を掴むだけ。子供っぽい発想だろうか、なんてことを意識の片隅に思う。クーラはそんな俺を冷やかすこともなく、懐かしそうに同意してくれて。
「……ところで、ここはいったいどこなんだ?」
そうしていたのはどれくらいだったのか。やがて、感動はゆっくりと余韻に変わり、静かに引いていく。そうなれば、当然のように浮かんでくる疑問があった。
「……せっかくだし、当ててみてよ」
けれどクーラはどこか楽しそうに、そんな返しを向けてくる
「無茶言うな」
「いや、せめて考えてから返事しようよ……」
「そうは言うがな……」
俺が目にしているもの。
夜空なのに太陽のように眩しい光が浮かんでいて、見たことも無いような青い光も浮かんでいる。
これまでに目にしたことが無ければ、話に聞いたことも無い。物語の中ですら、知らない光景だ。
その正体を当ててみろというのは、無茶ぶり以外の何物とも思えないわけで。
「じゃあヒント。あの白い光も、あの青い光も、私たちが座っているこの場所も、どれも君が知っているものだよ?」
「……そうなのか!?」
「うん。数えるのも馬鹿らしいほどの回数、目にしてきたもの」
「俺が……目にしてきた……?」
さすがにこの状況で嘘は言わないだろう。そもそもが、知られたくないのならば黙っていればいいわけだし。
だから、ヒントを前提にして考えてみることにする。
まずはこの場所。
師匠に連れられて旅をする中で、荒野と呼ばれる場所に足を運んだことはあった。けれど、そこだって殺風景ではあったとはいえ、枯れ木やら草やらは散在していた。そもそもが、ここまで白一色でもなかったはず。それに、実際に行ったのは一度きり。何度も目にしてきたという部分にも当てはまらない。
そうなると、やっぱりまるでわからない、という結論になってしまう。
じゃあ次だ。あの、一番印象的だった穏やかな青光なんだが……
これこそまさしく、まったく思い当たるものが無い。
月でも太陽でも星でも雲でもないことは確定的に明らかで、それ以外が空に浮かんでいるところなんてのは、ただの一度も見たことが無い。
考えてみるも、見当も付かないというところにしか行き着かない。
最後に、まぶしい方の白光について考えてみる。
アレとよく似ていて、なおかつ何度も見たことがある。そんな存在に心当たりはある。あるんだけど……
それはそれであり得ないだろうという話にもなってしまう。なにせ重なるのは、俺の記憶にある太陽と、なんだから。
昼間に月が見えることはあっても、夜に太陽が見えたなんて経験はこれまでで皆無。
というかそもそもが、陽が沈むから夜になって、陽が昇るから朝になるんだろうに。
そんなわけで……
「すまん。降参だ」
白旗を振る以外のことはできそうもなかった。
「……君だったら気付けると思ったんだけどなぁ」
「それは買いかぶりだ」
「じゃあ答えを言っちゃうけどさ……ここは、お月様」
「………………………………はい?」
そうしてやってきたのはあまりにもぶっ飛んだお言葉で。
「お月様ってのは……」
たしか、月をそう呼ぶこともあったはずだが……
「昼間に見えることもあるけど、基本的には日が暮れてからの空に浮かぶもので、満月だったり半月だったり三日月だったりして、薄黄色の優しい光で地上を照らしてくれる。そんな存在」
どうやらクーラの言うお月様は、俺が知る月と同じものだったらしい。
「いやいやいやいやいやいやいやいや!おかしいだろ月って!」
俺だって月を見上げたことは数えきれないほどにある。だから、クーラのヒント通りではあるわけだが……
「どこをどうやったら月まで来れるんだよ!」
「『転移』で」
「いや、そりゃそうだろうけどさ……」
『転移』を使うとは、ここに連れて来てもらう前に聞いた。それは覚えているけど……
「……まあ、クーラだからな」
ここは思考を放棄してしまうことにしよう。主に俺の精神衛生上の理由で。というか、いい加減驚き疲れてきた。
「いや、それで納得されちゃうのも妙に腹が立つんだけど……。まあいいや。それで、あっちのまぶしい方の光は太陽だね」
「……たしかに似てるとは俺も思ったけどさ。なんで太陽が出てるのに夜なんだ?」
そんな疑問は残るわけで。
「実はそれは私にもわからない。たださ、気になったから、太陽を視界に収めたままで、地上からここまで普通に来たこともあったんだけどね――」
「……普通?普通ってなんだっけ?」
『転移』ならいいのかと問われれば首をかしげるところではあるけど、地上から月まで来るなんてのは、間違っても普通とは言わない。
「うるさいなぁ!とにかく、アレが太陽なのは間違いない。というかさ、星の世界って、昼間が存在しないみたいなの」
「星の世界、か……」
空の彼方をそんな風に呼称するということは、俺も知っていた。星の世界を目指した英雄の逸話を読んだこともあった。たしか……彼が生涯をかけて夢見て、そしてたどり着けなかった場所がここだったはず。
「ここが月でアレが太陽だとしたら、あの青い光はまさか……?」
そして思い至る。地上から見える月が薄黄色の真ん丸だとしたら――
「エルリーゼ、ってことになるね」
「やっぱりかぁ……」
日常ではあまり使われることのない呼び名ではあるけど、すべての大陸と島、海や空をひっくるめた、いわゆるところの世界。その名前がエルリーゼ。
「俺たちは、あそこで暮らしてたわけか……。なんだか不思議な気分だな」
「だよねぇ……。そういえばカシオンさんも同じこと言ってたかも」
「……なぁ、クーラ」
なにやら歴史上の偉人と同じ名前が出てきたんだが……
「そのカシオンさんってのは、『銀翼のカシオン』だったりするのか?」
「うん。もう……1000年くらい前のことなんだけどね。懐かしいや」
時期的にも間違い無いらしい。
『銀翼のカシオン』というのは、今でも広くその名を知られている英雄のひとり。飛翼という心色の使い手で、いつしかその翼が銀色の光を帯びるようになっていたことから、銀翼のふたつ名が付いたのだとか。
星の世界――月にたどり着くことを夢見て幾度と挑戦を続けたカシオン。彼はある時を境に目指す先を変え、以降はその翼で船乗りたちと共にいくつもの新航路を発見したと伝えられている。
月にたどり着くことを諦めたのでないかという説が有力。それでも航路開拓の偉業は大きく、今でも各地の港町ではカシオンの功績を称える祭りが毎年開かれているんだとか。
「……じゃあ、カシオンは実は月にたどり着いていたってことなのか?」
けど、それならそれで、事実を伏せたのはなぜなのかという疑問が出てくるわけだが。
「それは……なんて言ったらいいのかは微妙なところなんだよね……。あの日の私は、いつものようにここであれこれ考え事をしててさ……」
いや、すでにそこがおかしいんだが……
そんな疑問はとりあえず飲み込んでおく。
「そしたら、星の世界に突っ込んでくる人がいて、びっくりしたのよ。しかも、空を超えたところで力尽きたみたいで気絶してたからさ、大慌てでここに連れてきたの。障壁を作る魔具は使ってたみたいだけど、あの状況だったら効果が切れた瞬間に死んじゃうところだったから」
「……つまり、カシオンは自力で星の世界に来ることはできたけど、自力で月にたどり着くことはできなかった。そういうことなのか?」
「そういうことになるね」
英雄には知られざる真実あり、ってやつか。まあ、クラウリアって例もあるくらいではあるんだが……
「けど、障壁が切れた瞬間に死ぬってのはどういうことなんだ?気絶したままで地上に落ちたら助からないだろうってことならわかるんだが」
「星の世界ってのは、それだけヤバいところなの。私の周り5キロくらいは障壁を張って、その中が地上と同じ環境になるように細工してるからいいけどさ、君だってそこから出たら一瞬でお終いだからね。絶対に出たらダメだよ」
「あ、ああ……」
その表情にふざけた色は無い。だから、クーラは本気で言ってたんだろう。
もっとも……
半径5キロの環境を変えるとか、サラッと言ってるあたりも十分にアレな話なんだがなぁ……
まあ、そこは言うまい。
「とにかく、その時にここでカシオンさんと少し話してさ、その時にエルリーゼを見て、君と同じこと言ってたのよ」
「なるほど……。じゃあ、カシオンが航路発見に注力するようになったのって……」
「……ここでの一件が一因だったことは間違いないと思う。私としてはさ、口先だけの口止めをして、地上に『転移』させて、あとは関わってなかったんだけど」
「月――この場所について伝わってる話が無いあたり、カシオンは何も言わなかったってことになるわけか」
「だろうね」
けど……
推測、というか妄想レベルの話だけど、ここから見える光景――海とよく似た青色に感じ入るものがあったんじゃないかと、そんな風に思えた。
というか……
そしてその色合いを眺めるうち、思うところがあった。
「ひょっとして、あの青い部分って海なのか?」
前に見たことがある海。印象的だったのは夕日が沈む光景だったとはいえ、昼間は青色をしていたはず。
「それに、緑とか茶色は陸地なんじゃないのか?」
陸地の中でも、草木の緑と土岩の茶色が占める割合というのは小さくはなかったはず。
「あと、白いのは雲だったりするのか?」
ひと言で雲と言っても様々だろうけど、白という印象はそれなりに強いと思う。
「うん、全部正解。ちなみにだけど……右端の方に大きな陸地が見えるでしょ?」
「ああ」
「あれが、レスタイン大陸だね」
「……まさか、初めて他の大陸を目にするのが月からになるとは、夢にも思わなかったぞ」
「そりゃそうだ。あと、その反対側。左端に見えるのが、さっきまで私たちが居たエデルト大陸」
「……レスタインはエデルトのほぼ反対側にあるとは聞いてたけど」
まさか実際にそれを視認する日が来るとは思わんかったぞ……
「……さて、余談が長くなっちゃったけど、そろそろ本題――私の自分語りに入らせてもらってもいいかな?」
「……そういえばそんな話もあったか」
まあ、忘れてしまった原因は明確なんだけど。
「酷いなぁ……。それで、長い上に辛気臭い話になるだろうからさ。もしウザいと思ったら、その時は遠慮しないで切り捨てていいからね。あと、気になることも遠慮なく聞いていいよ。偽りも隠し立ても一切無しで答えるから」
「……やけに気前がいいじゃないか」
「それくらいはいいでしょ。無理してまで聞いてほしいとは思わないし」
軽く肩をすくめてため息。
「まあそんなわけだからさ、付き合ってくれるのは、君が付き合えるところまででいいからさ」
そう言われると、なんとしてでも最後まで聞き届けたいと思うのは、俺がひねくれているからなんだろうか?
「それじゃあ、始めるね。私の自分語りを」
そう前置いて話し始めるクーラの口調。それは、毎朝の気安い会話を交わす時とよく似ているようで、けれどどことなく違っているようにも感じられた。




