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クーラ。俺は、お前と仲直りがしたいんだ

 暗い。真っ暗だ。


 何も見えなくて、何も聞こえず、何も無い。


 唯一把握できたのは、俺自身がそんな暗闇にゆっくりと溶け出している最中だということ。


 思考もだんだんとぼやけてきた。やがて俺の存在は霧散し、完全に消えてなくなるんだろう。


 闇の底に沈んでからどれくらいが過ぎたのかも、すでにわからなくなっていた。


 なん……だ……?


 そんな中で不意に、知覚できたものがあった。


 これは腹のあたり……いや、違う。もう少し上の方を、強く締め付けられるような感覚……だろうか?ズキリとした痛みも混じっているような……


 その正体はわからない。


 けれど――


 ぼやけていた思考が徐々に、まとまってきたような気がする。それだけでなくて、意識がゆっくりと引き上げられていくような感覚もあって。


 そんな圧迫感は唐突に終わり、直後に別の感覚がやってくる。


 流し込まれるような。あるいは、注ぎ込まれるような。それとも、吹き込まれているんだろうか?そんな、何かが俺の中に入ってくるような感覚で、不思議と温かく、心地が良かった。


 いつの間にか、暗闇が薄れているような……


 そんなことを思っていると、またさっきの圧迫感がやってきて、しばらくすると、再び何かが入ってくる感覚に切り替わり、それらが交互に繰り返される。


 そのたびに引き上げられ、暗闇も晴れていくようで。


 それに、感覚もはっきりとしてくる。


 圧迫感の正体は、胸元を強く押し込まれていることによるものだ。入ってくる何かの正体こそわからないものの、口からだということも理解できた。触れているのは柔らかな何かで、塩気のようなものも感じ取れる。


 そして――


 これまでのふたつとは異なる感覚。それは言い表すのなら、喉の奥からこみ上げる息苦しさだろうか。


 いつの間にか、周りに立ち込めていた暗闇は完全に消え失せ、底まで落ちていた穴の淵にも手がかかっていて。それに自分でも気づかないうちに、身体と意識も結びついていた。


 だから自分の意思で目を開ければ、文字通りの意味で目の前にあった何か。


「……ふぇっ!?」


 間の抜けた声と共に、驚いたように離れるソレは見知った顔で。


「クー……ぶへっ!がふっ!げほっ!」


 身を起こし、名を呼ぼうとした声を咳き込みが遮る。


 なかなか止まってくれない咳と一緒に吐き出される鉄さび臭さが気持ち悪い。


「大丈夫!?」


 それでも、背中をさすられるうちにだんだんと楽になっていって、ほどなくして咳は止まる。


「……もう大丈夫だ」


 後ろを振り返って、


「ありがとうな、クーラ」


 背中をさすってくれていた悪友に礼を伝えることができた。


「……私のこと、わかるんだよね?」

「当たり前だろうが」


 なんでそんなことを不思議そうに聞いてくるのやら?


 いくら俺が阿呆でも、クーラのことがわからなくなるなんてのは――それこそ記憶の封鎖でもされない限りは――滅多なことではあるはずもないだろうに。


 と、俺はそんなことを思っていたんだけど……


「ふぇ……」


 よく見れば泣きはらしていたような目をしていたクーラ。


「お、おい……」


 その瞳にみるみる涙が溜まっていって、


「アズ君っ!」

「おわっ!?」


 勢いよく飛び掛かるようにして抱き着いてくるクーラを受け止めきれずに、床に押し倒されるような形になってしまう。


「よかっ……!君が……戻ってくれて……っ!ホントによかったよぉ……っ!」


 嗚咽混じりで胸元に顔を擦り付けてきて、


「づあっ!?」


 そんな胸元に不意に、激しい痛みが走る。


「アズ君!?まだどこか痛いの?」

「ああ。なんだかこのあたりがな」


 身を離したクーラに答えつつ、痛む部分に手を当ててみれば、間違いなくそこが原因だということがわかる。


「あ、さっき力を入れすぎて折っちゃったんだね。すぐ治すよ」


 そう言って手を当てれば、あっという間に痛みは消えていく。


「どう?」

「ありがとうな」

「どういたしまして……って言っても、私が負わせた怪我なんだけどね。そうだ!他にどこか痛むところは?それと、気分が悪いとか、頭が痛いとかは?」

「……特に無いな。それでも挙げるなら、口の中に残ってる鉄さび臭さが気持ち悪いくらいだけど」

「……本当だよね?心配かけたくないから我慢してるとか、絶対にやめてよ?むしろそんなことしたら殴るからね?」

「ああ。本当にもうなんとも……」

「どこか痛いの?」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが……」


 何気なく目を向けた手のひらには傷のひとつも無く、まったく問題なく動かすことができた。気を失う直前には、骨らしきものが見えていたはずなんだが……


 それに、あらためて全身に意識と視線を向けてみれば、


 衣服はすでにボロボロの血みどろ。とりあえずは肝心の部分を隠せてはいるものの、こんな格好で外を出歩いたなら、即座に衛兵の皆さんの仕事を増やしてしまうに違いない。多分だが、主な原因は最後にやらかしてしまったアレに巻き込まれたことなんだろう。


 だというのに、身体には傷ひとつ見当たらない。


 いやまあ、クーラが治癒を使えることは知っていたし、ネメシアやセルフィナさん以上の技量を備えていることだって知っていたわけだが、よくもまあアレを完治させられた――


 いや、それどころの話じゃないな……


 これは間違いなく死んだなと、あの時はそんな確信めいたものを感じていた。そこから引き上げてくれたのもクーラだったんだろう。というか状況からしたらそれ以外はあり得ない。


 やっぱり、雲の上の存在ってことなんだよな……


「……はい?」


 そうして何となくで上に目を向けて、そこにあった光景に呆けた声を漏らしてしまう。


 ここは、ニヤケ長男相手に待ち伏せをかけた部屋……だったと思う。


 なぜ断言できないのかと言えばそれは――おそらくは最後にやらかしたアレが原因だったんだろうけど――室内の状況が、それはもうすさまじいことになっていたからだ。


 鏡は粉々に砕け散り、クロゼットのドアは大きくひしゃげ、壁はボロボロで床には大穴。そして天井は吹き飛び、崩れ落ちてきたと思われる瓦礫が、()()()()()()()()()


「ああ、あれのことね。そりゃ驚くよね……」


 そんな思考が顔にも出ていたんだろうか。隣に座り直したクーラが肩をすくめる。


「私が来た時には、見ての通り天井がヤバいことになってたからさ。君と私に『時隔(ときへだ)て』を……えっと……ノックスの時にもやったんだけど、覚えてるかな?時間の流れから切り離すってやつ」

「……なるほど」


 聞いた覚えがあった。たしか……自分たち以外すべての時間を止めるようなもの、だったか。


「安全な場所に『転移』してもよかったんだろうけどさ。咄嗟の状況だと、どうしても慣れてる方が出ちゃうんだよねぇ……」


 しみじみとそんなことを言う。


「『転移』も十分に大概だとは思うが、時間止めに慣れてるのかよお前は……」


 本当に、聞けば聞くほどにとんでもない事実が飛び出してくるなこいつは……


「まあ、虹剣の次に付き合いが長い技術だからねぇ。それはそうとさ……酷い有様になってたわけだけど、あの後に何があったのかって、聞いてもよさそうかな?」


 あの後というのは、パン屋の前で俺が暴言を吐いて別れてからのことだろう。


 なんだかんだで今はこうして普通に話せているわけだし、あの時には抑えきれなかった苛立ちやわだかまりなんかも感じない。だから、このまま有耶無耶にしてしまってもいいのかもしれない。俺が知る性格と照らし合わせたなら、むしろクーラはそれを望んでいるんじゃないかとすら思える。


 けど……


 結局は自己満足なのかもしれない。クーラが望まないことなのかもしれない。


 それでも、自分自身へのケジメは付けておきたかった。


「いまさら隠し立てをしようとは思わないさ。……っと、そういえば」


 ふと気になったこと。


「えっと、『時隔て』だったか?今の、時の流れをどうのこうのするってのは、続けたままで大丈夫なのか?キツいようなら、話をするのは安全な場所に避難してからの方がいいんじゃないか?」


 普通に考えたなら、クーラが現在進行形で続けているのは、とんでもなく大変そうなこと。であれば、あまり続けさせるのもどうかと思うわけだが。


「それだったら全然平気。やろうと思えば100年単位で維持できるから。1時間や2時間くらいなら、ジャガイモの皮むきよりもずっと楽」

「だったらいいんだが」


 いや、よくないだろ俺!?


 またしてもサラっととんでもないことを抜かしやがる。なんだか俺も感覚が麻痺してきてるぞ……


 まあ、好都合ではあるのか。


 とりあえず、今はそういうことにしておく。


「けど、辛いようなら無理しないで言ってくれよ?さっきのお前じゃないけど、やせ我慢なんてしやがったら殴るぞ?」

「わかってるってば。私としてもさ、君に心配かけるのは不本意だから」

「……その言葉、信じたからな。さて、そういうことなら……あの後で起きたことを話すのはまったく構わない。けど、その前に聞いてほしいことがあるんだ。少し付き合ってもらえるか?」

「もちろん。君が望むならいくらでも」


 迷い無しの即答。


 ともあれ、長く見ても10分はかからないだろう。ここは甘えさせてもらおうか。


「パン屋の前でお前に言ってしまったことなんだけどさ……」

「……うん」


 それだけで察したんだろう。朗らかだったクーラの声がその色を変える。


「俺はお前の真実を知って、受け入れることができたつもりでいた。けど……情けない話ではあるんだが、実は揺らいでたんじゃないかと思うんだ」

「……それは無理もないよ」

「……たしかにな」


 それほどにとんでもない事実だったことも否定はしない。


「それで、いつも身近に感じてたお前が急に遠くなっちまったような気がしてさ。戸惑って、苛立ってたんだと思う」


 そしてそんな感情を膨れあがらせたのが、『超越』はクーラに与えられた力だったのかもしれないという疑念。暴走させたきっかけが、俺なんかを気遣って痛みを背負おうとするクーラの姿だったんだろう。


 と、俺はそんな風に自己分析してるわけだが。


 まあ、このあたりは言い訳か。


 そして、死を間近に感じる中でそこらへんもどうでもよくなってきて。最後に残ったのが、クーラを泣かせてしまったことへの後悔。


 本当に、こうしている今を迎えられてよかった。身体を張った甲斐があったというものだ。


 ……まあ、最後の最後でクーラに助けられたというのが締まらない話ではあるんだが。


「けど、理由がなんであれ、俺が自分勝手な考えで暴言を吐いてお前を泣かせてしまったのは揺らがない。だから――」


 虫のいいことを言ってる自覚はある。ただ蒸し返そうとしてるだけなんじゃないかとも認識してるつもり。


 それでも――


「すまなかった。許してほしい。クーラ。俺は、お前と仲直りがしたいんだ」

「……ねぇ、アズ君」


 そう言い終えて、黙って聞いていたクーラが静かに、俺の名を呼んでくる。


「答えを返す前にさ、私からも聞いてほしいことがあるの。いいかな?」

「ああ。何だって聞くさ」


 今更拒もうとは思わない。


「ありがと。あのさ、さっき――エルナさんのお店の前で君は言ったよね?『何様のつもりなんだよお前は!』って」

「……ああ」


 本当に、何であんなことを言ってしまったのやらだ。叶うなら、あの時の自分を殴りに行きたいとすら思う。


「これでも多少の修羅場は経験してるからさ、痛みには慣れてるつもりだったはずだった。なのにあの言葉は、すっごく痛かったの。なんていうのか……脆いところにグッサリ来た感じで」

「……そうか」

「けど、私なりに考えるうちに思えてきたの。もしかしたら、君の言葉は単なる事実だったんじゃないか、って」

「……どういうことだ?」


 俺の知る限りでは、クーラが偉そうな態度を取ったことなんてのは――明らかに冗談だとわかるそれを除けば――ただの一度だって無かったはずだ。


「ほら、私って無駄に長く生きてるでしょ?」

「……無駄、という部分には同意しかねるけどな」


 1600年近く生きているというのは事実だろうけど。


「だからその分だけ……他の人よりもちょっとだけ、できることは多いの」

「……ちょっとだけ?」


 8種複合の心色である虹剣、時の流れに関するあれこれに加えて、『転移』に記憶の封鎖。料理に菓子作りに茶を淹れるのだって上手だし、とんでもなく博識。俺が知る範囲だけでも、『ちょっと』ではないと思うんだが……


「ツッコミが細かいね……。とにかく、そんな事情があるからさ。そのことで思い上がらないようにって、自分を戒めてきたつもり……だったんだけどね。それでも、知らず知らずのうちに、私は傲慢になってたんだよ」

「いや、だからどこがだよ?」


 傲慢。これほどクーラと結びつかない言葉なんて、滅多にないと俺は思うんだが。


「遠い昔にさ、大好きだった女の子に叱られたことがあったの。自分が犠牲になればいいなんていうのは傲慢な考え方だ、って。いろいろあって、その時には私も心の底からそう思ったはずなんだけど、さっきの私は同じことを繰り返してた。少しでも君の心が軽くなるんだったら、私が辛い思いをするくらいなんでもない、って考えてた。もしかしたらさ、そのあたりも君がやらかしちゃった一因だったんじゃない?」

「……無い、とは言えそうもないな」


 というかそれこそが、暴発のきっかけだったわけで。まあそれでも、クーラを責める気にはなれないんだが。


「やっぱりかぁ……。まあそんなわけだからさ……」


 軽く息を吐き出し、まっすぐに目を向けて、


「理由がなんであれ、私の自分勝手な考えで君に嫌な思いをさせちゃったこと、謝りたいの。ごめんなさい。許してほしい。アズ君。私は、君と仲直りがしたい」


 告げてきたのは、さっきの俺とよく似た内容。


 というかこれは……


 意図的に似せてきたんだろうなぁ……


「お互い様ってことで、これで水に流す。蒸し返すのも禁止。このあたりを落としどころにするか?」


 だから、言外に目で告げられた気がしたものを言葉でオウム返しにしてやれば、


「うんっ!」


 ようやく果たせた仲直り。満面の笑顔でうなずいてくれるその様は、俺を心の底から満たしていくような気がした。

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