俺は、クーラと仲直りするんだ!
ニヤケ長男から逃げ出して駆け込んだのは、近くに見えていた通路。その先はいくつものドアが並ぶ廊下。
適当に選んで入ったのは、本来は着替えにでも使うような場所だったんだろうか。壁に大きな鏡が張り付けられたその部屋は、片隅にはふたつのクロゼットが並んでいた。
少しでもニヤケ長男に見つかるのを遅らせるのであれば、その中にでも隠れるべきだったんだろう。
けれど、
氷槍の飛沫を浴び続けたせいなのか、あるいは失血が増えてきたからなのか、それとも精神的なものなのか。震えの止まらない身体が酷く重くて、手近な壁に寄り掛かるように座り込む。
ここまで、なんだろうな……
そして身体だけでなくて、心の熱も冷めきって、諦観が広がっていく。
一矢報いることすら無理だとしても、せめて最期の嫌がらせくらいはしてやろうか。
自然と浮かんできた思考のままに、生み出した泥団子を額に押し当てる。あとは『爆裂付与』を発動してやるだけでいい。
このまま食われちまったなら――俺の記憶にあるクラウリアの存在を知られてしまったなら、間違いなくクーラを危険に晒しちまう。それだけは、絶対に嫌だった。
自分の終わりを受け入れたからなのか、クーラに対して抱いていたすべてのわだかまりが消えていくようで。
「ごめんな、クーラ」
最後に残ったのはそんな、届くことのない詫びの言葉。非のすべてが俺にあったとはいえ……いや、俺が全面的に悪かったから、というべきなのか。大事な悪友を泣かせちまって、喧嘩別れしたままで終わるというのが本当にやるせない。
はは……こんな時にまで考えちまうのはクーラのことばかりなのかよ……
そしてそんな事実が、口元に苦笑いを浮かばせる。
ノックスの森で出会った時。
エルナさんの店の前で、出会いという名の再会をした時。
レビダから戻ってきて、俺の住処の前で出くわした時。
毎朝の10分間で他愛のないことを話していた時。
あいつが休みの日に、連れ立って王都を回っていた時。
休日の締めくくりに、俺の部屋やあいつの部屋で、のんびりと茶を飲んでいた時。
あらためて考えてみれば、クーラと過ごした時間の大半で俺は機嫌よく笑っていたように思うが、その中では苦笑の割合も案外高かったような気もする。
遺書、とかいうやつになるのかもしれないけど、手紙でも残そうか。上着にはまだ汚れていない場所くらいはあるだろうし、ペンの代わりはわき腹から流れている血を使えばどうにかなりそうなところ。『すまない』くらいの文字は書き込めるだろう。あとは、無事にクーラの元に届いてくれるかどうかは……
そこまで考えて脳裏に浮かんだのは、俺が最後に目にしたクーラ。
また、心臓のあたりがズキリと痛む。決して浅くない傷を負っているはずのわき腹とは痛みの毛色が違っていて、そして……ずっと痛かった。
ったく、アホなこと考えてるんじゃねぇぞ俺。
とはいえ、呆けていたところを我に返らせてくれたあたり、その痛みも無意味ではなかったんだろう。
俺は謝罪っぽい自己満足をやりっぱなしで終わればそれでいいのかもしれない。けど、そんなふざけたメッセージを送られたクーラはどうなる?あいつの性格を考えたなら、間違いなく延々と引きずることだろう。それこそ、果てがあるのかどうかすらわからない旅路の彼方までも。
なぁクーラの悪友。お前はそれを許せるのか?許せるわけがないよな?なら、どうするべきなんだろうな?
いつか師匠が言っていたっけか。「墓と仲直りしても、虚しいだけだからな」とかなんとか。
だったら、俺の大事な悪友の旅路に、虚しさなんてクソみたいな荷物を押し付けるわけにはいかないだろうが。
というか、そもそもの話として……
俺は、クーラの力になりたい。
そう根幹を定めたのは、ほんの1日前のことだったはず。
クーラが抱える事情が予想外に重すぎたというのはあるのかもしれない。けれど、それを差し引いたとしても、そこから続く1日の間に俺はどれだけの醜態を晒していたのやら……
暴言吐いて泣かせちまうわ、薄っぺらい自己満足の中でさっさと諦めちまうわ。むしろ、定めたはずの根幹とは真逆に位置するような真似ばかりを繰り返していたわけで。
なんというか……散々見損なっていたはずの自分自身を、さらに見損ない直した気分だぞ……
まあ、それでも……
そんな見下げ果てた俺だが、こうして気付けた以上は、まだ取り返しは利くはずだ。
というか、力になりたいなんてのが、どうにも曖昧だったからブレちまったというのはありそうな話か。だったら……
もう一度クーラに会うんだ。暴言吐いて泣かせちまったことを謝るんだ。
そして――
俺は、クーラと仲直りするんだ!
強く、明確に、シンプルに、そう心に刻み込む。今度こそ、見失ってなるものかと。
んで、そうするにあたっては……あのニヤケ長男をどうにかしなきゃならんわけだ。
そして結局、話はそこへ戻ってきてしまう。
だがまぁ……
身体の方は相も変わらずに痛いわ寒いわ怠いわだが――さっきまでは冷え切り、奮い立たなかった心には、いつの間にやら熱が戻っていた。
諦観しちまってたのは闇の心色が意外と効いていたってことで、時間の経過でその効果が薄れてきたという話なんだろう。というか、そうに違いない。そうに決まってる。
そもそもが、ラッツやネメシアだって、レビドア湿原では死にかけてたってのに、最後まで諦めてなかったわけだし、バートやアピスだって同じだったことだろう。ノックスの時のガドさんだって、自刃を決意したのは諦めからじゃなかったはずだ。
そのあたりを踏まえたなら、俺だけがあっさりぽっきりばっきりと心折れていたなんてのは、あまりにもみっともない。だから認めてたまるか。絶対に。断じて。
……っと!?
ガチャ!
そんな、ドアを開ける音に心拍が跳ね上がる。
……別の部屋に行ってくれたらしい、か。
幸いにも、この部屋に居ることがバレた風ではない。とはいえ、ニヤケ長男がここにやってくるのも時間の問題。それほど先のことではないんだろう。
まあ、こうして思考を巡らせる時間を作ることができたというわけで。苦し紛れの行動だったとはいえ、ここに逃げ込んだのは結果的にではあれ、案外悪くない選択だったのかもしれない。
さて、現状を考えるに……
まず、長期戦は無理だな。
そう判断する。心色の方にはまだまだ余裕があるのは幸いだが、身体の方はすでにボロヨレなんだから。
とりあえずは、何かのはずみで俺の窮状に気付いたクーラが駆けつけてくれる可能性には期待しておくとして……
生き伸びることが仲直りの前提である以上、食われるのも自殺するのも論外。となれば、今の俺にやれるのは短期決戦。不意打ちを決めてそのまま押し切るというのが、比較的現実的なところ。
その上でさっきまでの攻防を思い返すに――
多彩かつ極悪な攻め手はどれも厄介で、少しでも対応をしくじったなら、即座に転がされかねないところ。しかも膨大な数の手札を備えてることだろうし、俺が知らないようなものも山ほどあるんだろう。
だがそれでも、そっちはまだマシな方だ。不意打ちを成立させることができたなら、俺の攻め手を通せてはいたんだから。
むしろどうしようもないのは、どうにかして通したこっちの攻め手がまるで効いていないということ。寄生体そのものは踏みつけただけでも始末できそうなチンケな外見だってのに、寄生先のあの頑丈さはないだろう。
俺の切り札である『爆裂付与』は障壁で防がれていた。まあ、500『分裂』のすべてに『爆裂付与』を乗せればあるいは……なんてことも、思わないわけじゃない。不本意ではあるが、勝ちの目が見えているのであれば相打ち覚悟の捨て身も容認はする。だが無策でそれをやっても、俺だけがくたばってお終いだ。
なにせ奴は、障壁が間に合わないような不意打ちでシャンデリア落としを食らわせてみても『身体強化』だけで無傷に済ませられるほど。しかも、多少なりとも手傷を負わせたところで、治癒であっさりと無かったことにしてくれやが……る?
どういうことだ?
そこではたと、妙なことに気付く。
障壁を使わなくてもシャンデリア落としでケロリとしていたのに、なんで最初に仕掛けた『爆裂付与』が多少とはいえ効いていたんだ?
治癒ですんなり治っていたとはいえ、顔の一部がえぐれる――かすり傷どころじゃない程度には効果があったはず。
シャンデリア落としと『爆裂付与』の威力を単純には比較できないだろうけど、同じ『身体強化』で受けたにしては、差が大きすぎるような気がするんだが……
あるいは、そこに妙案のタネが埋もれているかもしれない。思い出せ!あの時はどんな状況だった?
たしかあれは……クソ長男とニヤケ女が仲間割れを起こしてて……俺はまだ縛り上げられてた時、だったよな?だからその隙に『爆裂付与』で鞭を外そうとして……んん!?
さらに芋づる式で掘り起こされる違和感。
なんであの時、急に鞭が消えたんだ?
わざわざ俺を自由にする理由が奴にあったとは思えない。であれば、あれは消したのではなく、消えてしまったと考えるのが妥当。
その前後に起きたのは……
寄生体の詳しい生態を知っておかなかったことが悔やまれる。こんなことなら図書院で調べておくんだった。
けど、あり得ない話じゃないよな?
それにたしか、いつかセオさんから聞いた話では……
だとしたらこれは……ひょっとしたらひょっとするんじゃないか?
いや、けど……奴もそれを警戒している公算は高いよな。その上で考えると……待てよ?あそこだったら、行けるんじゃないか?
ようやく光明らしきものが見えた気がした。けれど――
やりたくねぇ……
心の底からそう思う。勝算を確保した上で背負う相打ちのリスクである以上、一応は許容範囲内になるんだろう。だが、さすがにこれは無い。できれば、もう少し確実かつ穏便な手を……っ!?
ガチャ!
また、ドアを開く音が聞こえた。閉める音が聞こえないあたり、開けたら開けっ放しにしているんだろう。気に入ってるという口調の割には行儀が悪い奴め。
幸いにも、今の音もこの部屋のドアを開けるものではなかったわけだが。
それでも、残された時間は少ない。
「はぁ……」
ため息をひとつ。
今の俺が立たされているのは、選り好みができるような状況でもないんだろう。
……しょうがねぇよな。……嫌だけど。
だから、後ろ向きかつ嫌々ながらで、どうにかこうにか腹をくくることができた。




