謝罪ってのは義務でやるようなものじゃない
「う……んあぁ……」
目覚めは決して快適なものではなかったけれど、
「あらぁ、お目覚めですかぁ?気分はぁ、いかがですかぁ?」
「……最悪になったぞ」
直後に聞こえてきた声のおかげでさらに悪くなる。
「うふふふふぅ。それはぁ、残念ですわねぇ」
あんたの面を見せられたからだって、皮肉で言ったんだがな……
まるで通じていない様に内心でため息をひとつ。
縛られているせいで身動きを取れないのはアレだが、気を失う前のことははっきりと思い出せた。
ズビーロ邸の前であっさりと捕縛されてしまった俺が目を覚ました時、すぐ近くに居たのは俺を気絶させてくれやがった張本人ことミューキ・ジアドゥで。気味の悪い口調とニヤケ顔は、気を失う前に見せられたのと変わらないもので。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ここはぁ、ジマワ様の執務室ですわぁ」
マトモな答えを期待せずに、適当に投げてみた問いかけには、意外にもそれっぽい返事が返ってくる。
たしかにここは屋内で、やたらと立派な机やら、多数の本棚やらの調度品が目に付く。身体の痺れはすっかりと引いていたが、窓から差し込む日差しの色合いを見るに、気を失っていた時間はそこまで長くはなかったらしい。
腹具合からしても、まるまる1日が過ぎていたなんてことも無さそうだ。そして時間的な意味でも、ここがズビーロ邸の中だというのは十分にあり得そうな話。
「そんな場所で寝転がるのは気が引けるんでな。できればこいつをほどいてもらえないか?というかさっさと退散したいんだが」
現状では俺は、ミューキ・ジアドゥ――もうニヤケ女でいいや――の鞭で縛り上げられたままで床に転がされているわけで。
「それはぁ、無理ですわねぇ」
ま、そうだろうけどさ……
どうせ最初から期待はしてなかった。
「ジマワ様はぁ、アズール様にぃ、お会いしたいようですのでぇ」
絶対にロクな用向きじゃない。誓ってもいい。
「だったら普通に支部に来ればよかっただろ」
「それもそうですわねぇ。ですけどぉ、わたくしはぁ、捕えてくるように命令されていましたのぉ。ですのでぇ、手荒なことはぁ、させないでいただきたいですわぁ」
つまり、下手に動けばまた電撃を食らわせるぞと、言外に言っているわけだ。
このままずっとおとなしくしているつもりは毛頭ないが、動くべき時は見極めなきゃならんな。なにせこっちは電撃一発で即座に無力化させられちまうわけだし。どうにか隙を作れればいいんだが。
とりあえずは……
「ところで、あんたは何者なんだ?やっぱり第一支部に所属していたのか?」
様子見も兼ねて、少しでも情報を抜き出すことにする。嘘や隠し立てもあるかもしれないが、そのあたりまで織り込んだ上で。
「違いますわぁ。わたくしはぁ、ジマワ様のフィアンセですのよぉ」
「そりゃまた……」
思った以上に近しい存在だったらしい。
「んで、なんで婚約者に俺の捕獲なんてことをやらせたんだ?ジマワのところには、第一支部から引き抜いた連中がわんさか居ただろうに」
俺が間抜けだったことは差し引くとしても、門の前での件を考えるに、このニヤケ女はそれなり以上の手練れ。
だがそれでも、普通に考えたら婚約者よりもそいつらを使いそうなところなんだが。クソ長男の私兵には、元第一支部所属が多数居たはずなんだが。
「いいえぇ。もうこの屋敷にはぁ、わたくしとジマワ様以外はおりませんわぁ」
「どういうこと――」
「……虫ケラが、ここで何をしている?私はあのウジ虫を捕えてこいと命令したはずだぞ」
俺の問いかけを遮るようにドアが開く。入ってきたのはヒョロリとした長身で、神経質そうな印象のあるひとりの男。
「お帰りなさいませぇ、ジマワ様ぁ。アズール様でしたらぁ、ここにおりますわぁ」
コイツがジマワか。無駄に偉そうなあたりは、クソ次男クソ三男に通じるものがあるか。
「……なんだと?……だが、たしかにこの顔は間違いない」
そのジマワは、机の上にあった紙切れと俺を見比べてそう断じる。
どうやら俺の似顔絵か何かのようだけど、わざわざそんなものを描くってのも紙の無駄遣いなんじゃなかろうかな。
「ふふふ……。そうかそうか、ようやくこのウジ虫を捕えたのか。虫ケラにしてはやるじゃないか」
「うふふふぅ。ありがとうございますぅ」
なんだこいつら?
明らかにおかしい。
流れからして、ウジ虫ってのは俺を指しているんだろう。ジマワが俺をウジ虫呼びするのはまだ理解できるにしても、命令を果たしてきた婚約者を虫ケラ呼ばわりし、された方も相変わらずのニタニタ顔で腹を立てた様子すら無い。まあ、ニヤケ女がおかしいのは今更なのか。
「ははははは!ウジ虫よ、今の気分はどうだね?」
「最悪だが?」
「……気に入らないな。お前が私を見る目は、恐怖と絶望に溢れていなければならないのに」
「いや、そう言われてもな……。一応は俺だって、現状のヤバさは理解しているつもりなんだが」
ただ、どうにかこうにかで冷静さも維持できているだけのことで。
「貴様……」
だが、それがジマワには腹立たしかったらしい。青筋立てて杖を発現させる。たしか野郎の心色は光闇杖だったか。大きく振り上げたソレを、
「づあっ!?」
仰向けに転がされたままでいる俺の右肩へと突き立ててくる。
「ジマワ様ぁ。アズール様の身体はぁ、わたくしのものですのよぉ。あまり傷つけられてはぁ、困りますわぁ」
「フン!だったら治せばいいだろう!虫ケラはそんなこともわからないのか!」
「それもそうですわねぇ」
そう言ってニヤケ女は近くにやってきて膝を落とし、俺の右肩へと手を伸ばし、ネメシアやセルフィナさんが使うのと同じような光を当ててくる。そうすれば、ゆっくりと痛みが引いていく。
治癒使いかよ……って待て!
それはおかしい。
新人戦以降のあれこれで、先輩たちと一緒に他支部に足を運んだことも何度かあった。その中で聞いた話の中には、今の王都に居る治癒の使い手は10人だけで、ネメシア以外の全員が単独型だというものがあった。
さすがにクーラは規格外としても、治癒を含めた3種の複合持ちなんて噂になっていないはずがない。
そういえば、クーラは今頃どうしているんだろうかな。アピスが上手くフォローしてくれればいいんだが。
そこから想起したのはクーラのことで。
最後に見た顔が脳裏に浮かんで、また心臓のあたりがズキリと痛んだ。
俺が傷つけちまったのは間違いない。謝らなきゃ……って、そうじゃないか。謝罪ってのは義務でやるようなものじゃない。俺自身が心底悔いているから、そのことを言葉で伝えたいんだ。たとえそれが、俺の身勝手な自己満足だったとしても。
師匠に出会う前の俺は、同年代の女子に対してミミズを投げつけて大泣きさせたこともあり、その時には腹を抱えて馬鹿笑いしてたはずなんだが……
まあそのあたりは、多少なりとも更生できた証拠ともいえるのか。
「ジマワ様ぁ。早くぅ、アズール様を食べさせてくださいましぃ」
「その前にやることがあると言っておいたはずだぞ。……まあいい。ならば、さっさとそのウジ虫を連れて来い」
「かしこまりましたわぁ。それではぁ、行きましょうねぇ、アズール様ぁ」
俺があれこれと考える間にジマワとニヤケ女も話を進めていたらしい。なんにせよ、ここを切り抜けなければどうにもならないか。
さすがに立ち上がることには許可が下りたが、縛り上げられたままで引っ張られるように廊下を歩かされる。ちなみにジマワは後ろから付いてきていて、さすがにここで仕掛けるのは無謀だろうと思える状況。
やけに静かだな……
仕方がないので代わりに周囲をうかがうことにして、そこですぐに違和感を覚える。
ズビーロ邸には多数の虹追い人が私兵として滞在していたはずだが、その割には誰の姿も見えない。それによく見れば、壁に取り付けられた照明や飾られている絵画の端に蜘蛛が巣を張っていた。
掃除もされていないのか?
蜘蛛というやつは、1日もあれば巣を張ると聞いたことがある。だがそれでも、それが複数というのは引っかかる。
この屋敷には他に誰も居ないとか、さっきニヤケ女が言っていたようだが……
そうするうちに見えてきたのは、下りの階段。窓からの景色を見るに、ここは1階。地下に用があるってことか?
「ははは。その先が貴様の末路だ。よく見ておくんだな」
「俺を投獄でもするつもりか?」
流れから思いついたのは地下牢というやつなんだが。
「いつまでその余裕が続くのか楽しみだな」
ジマワのリアクションからすると違うらしい。
「灯りを用意いたしますわぁ」
「……はい?」
間の抜けた声を上げてしまったのは、そう言ってニヤケ女が浮かべたのが結構な明るさの光球だったから。これはラッツが同じようなものを使っていたはず。
鞭に雷に治癒に加えて光まで使うのかよオイ!?治癒を含めた4種なんて、希少具合ではラッツ以上だぞ……
ますます妙な話に思えてくる。それだけの使い手が味方にいるのに、虫ケラ呼ばわりするものなのか?
「アズール様ぁ。くれぐれもぉ、足元には気を付けてくださいましねぇ。わたくしもぉ、手元が狂ってしまうかもしれませんのでぇ」
「……あいよ」
そして口調の割には阿呆でもない。
これまた脅しのつもりなんだろう。階段でこけるフリをして仕掛けてくるのは想定しているからな、というわけだ。
簡単には隙を見せてはくれないらしいな。
「くくく……この向こうにあるのが、貴様の最期だ」
得意気なジマワへのイライラを我慢しつつ、下りた先には扉がひとつ。どうやらこの中が目的の場所だったらしいが。
なんだか匂うな。
恐らくは部屋の中からなんだろうけど、鼻をつくような異臭が漂ってくる。これは……
悪ガキ時代にやらかしたことを思い出した。悪さをするための道具として、近くの川で釣ってきた魚を隠れ家に放置して腐らせた時と似ているような気がするんだが。
「おい、扉を開けろ!」
「かしこまりましたわぁ」
そうして扉が開かれる。ニヤケ女が照らす室内にあったのは――
「う、あぁ……」
あまりにも強烈な光景で、うめくような声が口をつく。
「ははははははっ!そうだ!その顔が見たかったんだよ!理解するがいい!お前ももうすぐあの仲間入りだ!」
わざわざ正面にやってきて顔を覗き込んでくるジマワが嗤う。
「な、なんなんだよ、これは!?」
声の震えが自分でもはっきりとわかる。
扉の先にあったのは、そこそこの広さがある部屋。そこには多数――10や20ではきかないほどの人間が居た。……いや、居たという表現が適切とは思えないか。
その全員がぐったりと力無く、壁に寄り掛かるように座り込み、口はだらしなく半開き。開かれた目にも意思の色はまるで見えなくて、身体はピクリとも動かない。
漂ってくるのは腐敗臭だったんだろう。おそらくは、その全員がすでに生きてはいなかった。
いや!ちょっと待て!
多数の死体。そのひとつには見覚えがあった。
表情は生前のそれからは程遠い。けれど、紫髪であごにデカいホクロがあり、でっぷりと太った男。これだけ特徴的ならば印象にも残る。たしかこいつは、新人戦の決勝でやり合った、クソ次男の不快な取り巻きたちのひとりだったはず。
まさか……!?
その事実とニヤケ女の言葉、この屋敷に他の誰も居ない様子だったことが結びついて、ある考えが浮かび上がる。
それは――
「ひょっとしてこいつら……お前が引き抜いた第一支部の連中なんじゃないだろうな?」
「ほう。よく気づいたな。その通りだ」
ジマワはそのことをあっさりと、それもニタニタ顔で認めやがる。
いやいやいやいや!どういうことだよそれは!?
「お前の部下ってことだろうが!それを失って、なんでそこまで平然としていられるんだよ!いや、それ以前に……なんでこんなことになってるんだよ!」
そもそもが、こんなところで揃って死んでいる理由が見つからない。
「こいつらは私の役に立つためにその命を捧げることができたのだ。むしろ感謝しているだろう」
「だからお前は何を言ってるんだよ!?」
本気でわけがわからない。せいぜいが、ジマワはクソ次男クソ三男クソ宰相にも引けを取らないほどにクソだということくらいしか。
「ならば、愚かなウジ虫にもわかるように教えてやろう。貴様は、寄生体という魔獣を知っているか?」
「さすがに有名どころだからな……って、嘘だろ!?」
すぐにその意味に思い至り、背筋が凍り付いた。
寄生体というのは魔獣の一種。外見としては、手のひらに収まるサイズの蛇の頭部を丸ごと目玉に変えたようなもの……らしい。
なぜ『らしい』なのかといえばそれは、俺は現物を見たことが無く、伝聞や本でしか知らないからだ。
ともあれ、そこだけを見るのならば多少気色が悪いだけのチンケな魔獣と言えそうではあるんだが、実際にはそんなことはない。
最大の特徴としては、その名が示す通りに、生きた人間に寄生するということ。
死体には寄生できないとのことだが、口から体内に入り込まれたが最後、精神を食い尽くされ、完全に身体を乗っ取られてしまう。
しかも記憶すらも完全に自分のものにしてしまうらしく、乗っ取られる以前と変わらぬ立ち振る舞いをすることもできる。そして宿主を変えることもあるらしく、寄生体が抜けた後の身体は、抜け殻同然となり、そのまま衰弱死してしまうとのこと。精神を食われるということを考えれば、それは当然なのかもしれないが。
と、これだけでも相当に恐ろしい魔獣。けれど、真に恐ろしいところは別にある。
それは、食い尽くした相手の心色までもを自分のものとし、自在に扱うことができるという点。
簡単に言ってしまうなら、炎使いの精神を食い尽くした後に氷風使いに寄生すれば、炎、氷、風のすべてを扱えるということ。それも、食った相手と同じレベルで。
そんなわけで、犠牲者が増えれば増えるほどに際限なく強くなり、果てしなく脅威度を増していく魔獣というわけだ。
発生頻度は低いらしいけど、それでも有名なのは、実際に過去には多大な被害を出しているから。
最も有名なのは、今日まで語り継がれる英雄のひとり。灼哮ルゥリの逸話に出てくる個体だろうか。
600年ほど前に発生したと言われている寄生体。そいつは人から人へと巧妙に寄生先を変え、多数の犠牲者を出して強大な存在となり、その時代に存在した国がいくつも滅ぼされたという記録が残されている。
その最後は――有史以来最強の炎使いとも呼ばれるルゥリが宿主ごと焼き尽くしはしたものの、代償として彼女自身の命も尽きることとなった、というもの。
記録によれば、その寄生体に精神を食われた人の数は2000を超えていたらしい。
「こいつら全員、寄生体に食われた……」
いや、そうじゃない!
ジマワ……もとい、クソ長男の口ぶりから察するに……
「お前……こいつらを寄生体の餌にしやがったな?」
そう解釈するのが妥当だろう。
「その通りだ」
そしてクソ長男は得意気に、そう肯定しやがった。




