いつか引退を迎える日には
「地図だとここらへんにパン屋が……。あ、なんかいい匂いが……。っと、ここか。んで、そこの角を右に曲がって、と」
初依頼を受け、支部を後にした俺が次に向かったのはカイナ村方面への街道に続く王都の西門――ではなくて、支部から少し離れた区域。
「……ユアルツ荘。ここだな」
目的の場所は、第七支部が管理運営しているというアパート。ここの203号が俺の城――というのは多少大げさとしても、帰るべき場所になるわけだ。なぜこのタイミングだったのかと言えばそれは、今回の依頼を終えて帰って来た時に疲労困憊になっているという事態を想定したから。ヘトヘトで場所探しをするよりは、余力のあるうちに場所の確認だけでも済ませておいた方がいいと考えたからだ。
203号は……あそこか。
多少古びてきた感はあるが、しっかりとした作りの建物。2階建てで、ひとつの階にドアが8つ。全部で16部屋ということなんだろう。
入ってみるのは、帰ってからにするか。
気にはなるんだが、いざ入ってみたらあれこれ時になって時間を浪費してしまう、なんて未来が想像できてしまったから。寝るだけならば、入ってすぐにでも問題は無いだろう。
さて、次は早めの昼飯に……
「ん?」
「おや?」
そんなことを考えてきびすを返そうとした矢先。ドアのひとつが開き、そこから現れた顔と目が合う。
「たしかあなたは……」
102号室から現れた人には見覚えがあった。俺がソアムさんに気絶させられた時に、その場にいたひとりだったはず。
「第七支部でお会いしましたよね?」
ここにいる時点で確定とは思うんだが、念のために確認。
「ということはやはり……」
「はい。昨日からの所属になりました、アズールです。よろしくお願いします」
タスクさん相手の失敗は繰り返さない。今度はこちらから先に名乗る。
「これはご丁寧に。私はセオ。こちらこそよろしくお願いしますね」
穏やかに返してくれた男性――セオさんは口調と同じように、落ち着いた雰囲気をまとっていた。細身で長身の体格に金髪で色白ということもあってか、まだ悪さを覚える前のガキの頃に物語で読んだエルフのようにも見えてしまう。
「ここにいるということは、アズールさんもこちらに入居されるので?」
「はい。203号に」
「そうですか。私は見ての通り、102号に住んでいます。何かあれば、ぜひ訪ねてきてください」
「ええ。その時は。もっとも、俺は依頼でさっそく数日間留守にするんですけど」
「……はて?タマ狩りでしたら1日で終わると思いますが」
首を傾げるセオさん。タマ狩りというのは、例の常設依頼のことだ。標的がイヌタマ、ネコタマ、ウサタマなんだから。そして、当然のようにソレを受けると思っているような様子からして、やはり白の依頼というのは珍しいということか。
「いえ、実はですね……」
「……なるほど。草むしりの依頼が入っていましたか」
とはいえ、軽く説明すればすんなりと納得してくれる。
「それでは、ささやかな贈り物をさせてもらいましょう。少々お待ちを」
そう言って部屋に戻って行ったセオさんが持ってきたのは、手のひらに収まるくらいの小瓶。
「これは塗るタイプの湿布薬です。草むしりは腰に負担のかかる作業ですし、よろしければ使ってください」
「あ、ありがとうございます」
タスクさんといい、やけに腰を気にするんだな。まあ、腰は変な痛め方をすると、一生影響が続くらしいから無理も無いのか。
「ちなみに、材料のハーブが採れるノックスの森は、カイナ村へ向かう道すがらにありますので、場所だけでも覚えておくと役に立つかもしれませんね。住み着いている魔獣は緑小鬼と狗小鬼ですし、残渣納品の依頼で行く機会も遠くないうちに来るでしょうし」
緑小鬼と狗小鬼。これも師匠の下でやり合った記憶があり、1対1でもかなり際どかった相手だと記憶している。気性の方も、イヌタマあたりと比べると、かなり好戦的だったはずだ。
「わかりました。それでは、俺はこれで」
「はい。お気をつけて」
セオさんに見送られて、俺はその場を後にする。
そうしてやって来た先は、西門にほど近い広場。目的は、立ち並ぶ露店で早めの昼飯を済ませること。
さて、どれにするかだが……
見回せば目に留まるのは――肉の焼ける音が耳を直撃し、焦げるタレの香ばしさが鼻へと連携攻撃を仕掛けて来る串焼き肉。これまたいい匂いを漂わせる分厚い焼き肉を葉物野菜と一緒に挟んだパン。様々な野菜類と一緒に大量の肉を煮込んだシチューなど、目移りしそうになる獲物の数々。
そして――
結局俺が選んだのは、たっぷりのジャガイモが浮かぶトマトスープだった。理由の決め手は、トマトのスープというのが初めてだったことが5割で、残りは値段だったんだが……
いや!金はそれなりに大事だし、詰められるところで詰めるのは正しい判断だ。そうに違いない!だから俺の選択は至極合理的なものなんだ!
そこはかとなくみじめな気分を吹き飛ばすように自分に言い聞かせ、木の器に盛られたスープに口を付ければ、
「うっま……」
自然とそんな言葉が口をつく。トマトの酸味はたしかにあるんだけど、冷たい時の鮮烈なそれとは違って、穏やかな感じがする。けれど物足りないかと言えばそんなことも無くて、各種の香辛料とおぼしき香りが周りを固めるとでも言えばいいのか。
木製のスプーンで具材のジャガイモを口に運んでみると、歯を使うまでもないほどに柔らかく煮こまれた芋がホロホロと崩れ、吸い込んでいた酸味と本来の甘さが広がる。酸味のせいで甘さが引き立つということなのか。
別の鍋で煮込まれていたのか、ところどころに混じっているほどほどの硬さを残したままの芋の食感が楽しくもあり……
いや、柄にもなく気取った感想を思い浮かべるのはやめよう。美味い。素直に美味い。ただひたすらに美味い。それで十分だ。大ぶりの椀になみなみと入っていたはずの具材たっぷりのスープは、気が付けば全てが腹の中へと消えていた。
「ふぅ……。美味かった」
「それはよかったね。あの屋台の店主、美味い芋を求めて10年以上も各地を渡り歩いてきた趣味人なんだよ。だから、一見するとシンプルでも、ね」
「なるほど。言われてみると、トマトもさることながら芋も印象に残ってるような気が」
「だろう?季節によっていろんな芋料理を出してるし、通ってみるのもいいかもね。値段も手ごろで盛りもいいし」
「ですね、腹も膨れましたし。いや、ホントに美味かったですよ。また機会があれば……」
はて?
ふと違和感に気付く。当然のように会話をしていたが、スープを買って手近なベンチに腰を下ろした時、俺はひとりだったはず。恐る恐る隣を見やれば――
「やあ」
「おわぁっ!?」
そこにはひとりの男性。気さくな風でかけられた声に対して、俺の方が飛び上がらんばかりに驚かされてしまう。
「おっと」
そして、俺が取り落してしまいそうになった碗は、この人がキャッチしてくれた。
「いつの間に……というか……」
この顔、見覚えがある気がするんだが……
記憶をたどり、行きついた先は、ソアムさんに気絶させられた時のこと。つまるところ……
「もしかして、昨日第七支部でお会いしましたか?」
「会話をした、とは言えないだろうけどね」
やはりそういうことだったらしい。
「ご挨拶が遅れました。昨日、第七支部に入りました、アズールです。よろしくお願いします」
「僕はキオス。こちらこそよろしくね」
陽気に言ってくる男性――キオスさんは、大柄でもなければ小柄でもなく、細身でなければがっしりした風でもない。そんな中肉中背で、比較的目を引くのは、三つ編みにした長い髪だろうか。女性ならばよくあるものでも、男性がやっているのは珍しい。
「ところでアズール君は、第七の他のメンバーとはもう会ったのかな?」
「えーとですね……支部長、セルフィナさん、シアンさん、ソアムさん、タスクさん、セオさんとは話しましたけど」
「なるほど。じゃあ、今の第七では僕が最後ってわけだ」
「あ、これで全員なんです……か?」
疑問符がついてしまったのは、そこに違和感を抱いたから。
「どうかしたのかい?」
「いえ、少し引っかかった気がしまして……」
支部長、セルフィナさん、シアンさん、ソアムさん、タスクさん、セオさんにキオスさんで全員、というあたりで妙な感じがしたんだが、キオスさんが言うにはこの7人で……7人?
そして違和感の正体に気付く。アパートの俺の部屋は203号。201と202はラッツたちとして、1階には全部で8部屋あったはず。だとすればもうひとり居るんじゃないかって話になるんだが。
「……いい勘してるよ」
その旨を伝えれば、キオスさんは感心を見せる。
「たしかに、第七所属の虹追い人はもうひとりいるよ。3カ月くらい前からベゼルトの方に出かけてるんだけどね」
そういえば、遠出がどうのと支部長も言っていた気がする。
ベゼルトというのはたしか……宝石の産地として有名だった……はず。
「そうでしたか」
「けど、出かける前には2カ月くらいで戻ってくるって言ってたし、多少遅れるにしても、そろそろなんじゃないかと思うけどね」
「やっぱり、そういう長期の依頼なんかもあるんですね?」
「まあ、アイツの場合は別の目的で行ったんだけど。あまり待たせすぎてセルフィナちゃんに愛想尽かされなきゃいいけどねぇ」
「もしかして、セルフィナさんと親しい人なんですか?」
「親しいというか……ね」
そう言ってキオスさんは小指を立てて見せる。
「なるほど」
その意味は俺でもわかる。そして行き先は宝石の産地。だとすれば、
「もしかして目的って、セルフィナさんへの……」
「そういうこと」
「けど、ひと月も帰りが遅れるって……大丈夫なんでしょうか?その……」
思い浮かべてしまったのは、最悪の展開。
「それはないね。アイツは、殺したって簡単には死にそうもないし。それに何よりも、セルフィナちゃんのためなら、地獄の底からでも戻ってきそうな奴だから」
けれどキオスさんはきっぱりそう言い切る。
「……なんかすごそうな人ですね」
「まあ、実際に腕は立つからね。多分だけど、行く先々で困ってる人を放っておけなくて、あれこれと首を突っ込んでるんじゃないかな?」
それはまるで……
「……もしかして、タスクさんと似てたりします?」
「正解」
なんとなく浮かんだことは、的を射ていたらしい。
「そういえば……タスクで思い出したよ。アイツ、新人のタマ狩りを手伝うって気合入れてたみたいだったけど、アズール君は一緒じゃないのかな?」
「えーとですね……」
「……なるほど。草むしりの依頼をねぇ」
セオさんと同じような誤解は、同じように簡単な説明で解けてくれる。
「感心感心。じゃあ、そんな立派な君には僕からプレゼントだ」
そうして、これまたセオさんの時と同じようなリアクション。
「これは?」
手渡されたのは、小さな布袋。
「保存食料。虹追い人的には必須アイテムだろう?」
たしかに、キオスさんが言うのは至極もっとも。今回俺が受けた草むしりは、人里での仕事であり、食事付きというもの。けれど、場合によっては数日以上人里を離れることもあるわけで。食い物を現地調達できるとも限らない。であれば、日持ちする携帯食料は必需品と言ってもいい、のだが……
師匠に連れられての旅路では幾度と口にしたのだが、その最大の特徴はといえば……とにかく不味いということ。ボソボソしていて一瞬で口の中から水分を持って行かれるようなパンやら、塩辛さだけを前面に押し出したような干し肉やら。長いこと虹追い人を続けてきたであろう師匠をして「街に着くたびに思うんだよな。コレはもう二度と食いたくないってよ……」と、言わしめるほどのシロモノ。
「クッソ不味いモノ寄越しやがって……ぶん殴るぞこのクソ野郎。とでも思っているのかな?」
「い、いえ!そういうわけでは……」
顔に出ていたのかもしれない。キオスさんが言ってくるのは、俺が思ったことから大きく外れたものではなかった。もちろん、キオスさんに対してクソ野郎などとは思っていない。ぶん殴るぞ、などとも。それはもう断じてだ。
「まあ、保存食糧の不味さについては僕も否定しないけどね。それで思ったのさ。不味いのならば美味くすればいい、ってね」
「は、はあ……?」
言っていること自体には、ひとつもおかしなところは見て取れないんだけど、話が妙な方向へと行き始めたような……
「だから、最近趣味で作ってるんだよ。ある程度の日持ちを意識しつつ、それなりに食えないこともない食糧ってのをね。ソレは、その試作品さ」
「なるほど」
話がつながった。
「食べるのは小腹が空いた時にでもいいからさ。一応は、少なく見ても3日は保つように仕上げてあるし、その期間内であれば安全面も保証する。お代は要らないから、感想を聞かせてもらえないかな?」
「わかりました」
そういうことであれば、俺に否があるはずもなく。
「参考にしたいからね。正直なところを頼むよ。それこそ、『クソ不味いモノ寄越しやがってこの野郎!殴られてぇのか?あぁん?』でもいいからさ」
「いや、さすがにそれは……」
とはいえ、不味かったならなるべく穏便な表現を探さなきゃならんか。
「くれぐれも腰には気を付けるんだよ」と、そう言い残すキオスさんと別れ、王都の外へと向かう西門へ。そこで門番さんと軽い挨拶を交わし、少し歩いてから後ろを振り返る。
ここが、ふたつ目の故郷になるんだろうかな……
王都ストゥリオン。そびえ立つ壁に囲まれていることもあってか、ここからでは一部の高い建物くらいしか見えない。その中でもひと際目立っているのは、やはりというべきか王城。地理的にも、それ以外の様々な意味でも、このエデルト大陸の中心に位置し、この国――ストゥーラ王国を統べる王、ルクード陛下の居城。
俺にとっては、遠目に見上げるだけの存在であり続けるであろう建造物は、それでも偉容を放っていた。
さて……
目の前の現実に意識を切り替える。当面の目的地であるカイナ村までは、ここから徒歩でおよそ1時間。街道沿いに行けば迷うこともなく、分かれ道には看板もあるとのことで、支部を出る前には地図にも目を通しておいた。であれば、これといったトラブルでもなければ、到着まではすんなりと行くことだろう。もちろん、油断は禁物だろうけど。
行くとするか。
そうして踏み出す。いつか引退を迎える日には、あの一歩が始まりだったと思い返すことになるんだろう。この時の俺はそんなことを考えていた。