お前の旅路ってのはさ、俺が隣を――
「はぁ……………………」
ようやく至ることのできた事実にクーラが返してくるのは深い深いため息で。
正解、だったらしいな。
そこには「ついに狂ったの?頭大丈夫?」なんて雰囲気は見受けられず。
「……そりゃ、中途半端な対処を選んだのは私だけどさ」
声が帯びる呆れは自身に対するようで。
諦め顔でリボンをほどけば髪が流れ落ち、漆黒が純白へと変わる。それだけの変化で、目の前に居たクーラはあの日のクラウリアとまったく同じ容姿になっていた。
「それでも、私が君に施した記憶の封鎖は並大抵のことで解けるようなシロモノじゃなかったはずだよ。どうして君は思い出せたの?」
「と、言われてもなぁ……」
記憶の封鎖というのは、泥で塗り潰されていたようなアレのことなんだろうけど。本当にいつの間にかそうなっていたとしか……いや、そうでもないのか。
どうして思い出せたのかはわからない。
けれど、
「決勝戦の後、だな。思い出そうとしたら、お前の姿を塗り潰してた泥が剥がれ落ちてたんだ。まるで風化したみたいボロボロと。きっかけはそこだろうと思ってる」
それだけは特定することができた。
「風化、かぁ……。それにそのタイミング……。つまり、それも私のせいってことか……」
俺にはさっぱりだが、クーラには思うところでもあったらしい。
「それはそうと……今更だけどさ。私がクラウリアだってこと、君は納得できてるの?自分で言うのもアレだけどさ、1500年前の人間が当時の姿で生きてるとか、正気を疑われそうな話だよ?なのに君はごく自然に受け入れてるように見えるんだけど」
「たしかにな」
突拍子の無さでは、クーラが30年前も今の姿だった説以上かもしれない。それでも、俺がよく知るクーラとあの日のクラウリアが同一だということは、不思議なほどにすんなりと受け入れることができていた。
「あの日、お前が言ってただろうが。時の流れをどうのこうのと。それを考えれば30年だろうと1500年だろうと、年を取らずにいることだって無理な話とも思えないさ。世間様には、クラウリア不老説なんてのもあるからな」
案外不老説というやつは、事実に基づいていたのかもしれない。
「それに……」
思い返せば、クーラに対しても「あれ?」と思うことはいくつもあった。けれど、そこに『クーラ=クラウリア』という図式を当てはめてやれば、消えていく違和感は少なくない。
むしろ――
「お前、本気で隠す気あったのかよ?」
そんな疑問まで出てくる始末だ。声そのものが特徴的なのは仕方がないとしよう。だが記憶と照らし合わせるに、クーラもクラウリアも口調なんかはまるで変わらない。オマケにところどころでボロを出してもいたわけで。
「それは……その……なんというか……。記憶を封鎖してたから大丈夫だろうってタカをくくってた部分はあったかも……。あと、ずっと演技続けるのも大変そうだったから……素の自分でいいかなぁって……」
「まあ、そのおかげでお前がクラウリアだとすんなり納得できた側面もあるんだろうけど」
「……わかってもらえたのはいいとしてもさ、君がチョロすぎて心配になってきたりもするんだけど。ダメだからね?知らない人にお菓子もらってホイホイ付いて行ったりしたら」
「やかましいわ!」
人を何だと思ってるんだか……
「……ところで今更だが、呼び名はクラウリアの方がいいのか?多分だが、そっちがお前の本名なんだろう?」
クーラの名は俺が適当に付けたあだ名みたいなものだったはず。
「クーラでお願い。私としてはさ、君がくれたこの名前が好きだし、クーラでいることが好きだから。あと、周りにもずっとクーラで通してきたわけだし、今更変えるのもアレでしょ」
「それもそうか……。なら、そうさせてもらうよ。俺としてもクーラの方が呼び慣れてるからな」
「うん!」
そうして頷くのは見慣れた笑顔で。さらに髪を黒に戻し、リボンを結べば、今朝と変わらないクーラの姿になっていた。
「結局のところ、私がこの世の終わりみたいにウダウダ悩んでたことなんてのはさ、君にかかれば取るに足らないことだったわけだ。ここまであっさり受け入れられて、逆に拍子抜けするくらいだよ……っと、そうだった!もう隠す必要も無いし、治してあげるね」
苦笑から思い出したように、俺の右肩に手をかざす。そうすれば痛みだけでなく、上着に染み込んでいた赤黒色までもが消えていって。
「ついでだから、服も綺麗にしておいたよ」
「……どこまでも器用なやつめ」
さすがはクラウリアというべきか。『治癒』ひとつを見ても、ネメシアやセルフィナさんの技量を大きく上回っていた。まあ、ガドさんの深手も瞬時に治してたわけだし、これくらいは造作もないんだろう。
「1584年も生きてれば、これくらいはね」
サラリと言ってのける。
「……俺の100倍かよ」
記録と照らし合わせればそうなるとはいえ、あらためて言われるとすごい数字だ。
それはそれとして……
「今朝、お前が落ち込んでたのはそれが理由だったわけか……」
やや小柄な方ではあるものの、クーラの外見はだいたい15歳くらいという印象。
30年前にも今の姿だったことを考えるに、実際には15歳前後――1570年ほど前から変わっていないと考えるのは、決して無理な発想ではないはずだ。
「……うん。慣れてはいるつもりなんだけどさ……。それでも、私だけは変われないんだってことを思い知らされちゃうと、置いて行かれてるみたいでね……」
「……知らなかったとはいえ、無神経だったか」
そこへ俺は「お前だって背は伸びてるんじゃないのか?」などと言ってしまったわけだ。
「君に悪気が無かったことは疑ってないよ。まあそれでも、自分で思う以上に揺らいでたんだろうね。だから、あのクソ露天商相手にも大ポカをやらかしちゃった」
「たしかにな。いつものお前なら、平然とすっとぼけてそうなところか」
「そういうこと。……ねえ、アズ君。私はさ、あと何年かしたら、王都を離れるつもりなの」
「なんで……。いや……」
その理由はすぐに見えた。
「歳を取らないから、か」
「うん。君は受け入れてくれた。でも、普通に考えたら私って不自然極まりない存在なんだよね。だから、ひとつところには留まれない」
まあ、おかしいと考える人が多いとは、俺にだって予想できる。
「私の素性まで含めて明かしちゃえば話は違ってくるだろうけど、それはそれで面倒なことになる未来しか見えないし」
「だろうな。クラウリアの功績なんてのは、今でも語り継がれてるからな」
そんな英雄が今も存命だった。大騒ぎになることは確定だろう。
「……私としてはさ、あの頃だって今だって、称賛されたいなんて思ったことは無い。ただ、たまたま力があって、困ってる人を放っておけないからっていうだけの理由であれこれと首を突っ込んだ。それだけのことだったのに、どうしてこうなったんだか……。経緯は多少違うけどさ、このあたりは君ならわかってくれるよね?」
「……痛いほどにな」
『クラウリアの再来』ですら、少なからず騒ぎになっていたわけで。
「お前が例のふたつ名を耳にするたびに微妙な顔をしていた理由も理解できたよ」
「……うん。本気で勘弁してほしかった。というか、拷問だったね」
「そこまでかよ!」
「そこまでだよ。……じゃあさ、想像してみて?バート君が『アズールの再来』なんて言われてもてはやされてるところを」
「……うげ」
ごく自然に、そんな声が口をついていた。
「その上でさらにバート君が『俺こそがアズールの再来だ!』なんてことを天下の往来で叫んでたら、君はどうする?」
「助走付けてぶん殴る」
これまた、ごくごく自然に言葉が浮かんできた。
「そういうことだね。拷問じゃないって言い切れる?」
「……返す言葉もございません」
「まあ、ふたつ名はともかくとしてもさ。いつか私が王都を離れる日が来るまでは、今までみたいに仲良くしてほしい。こういう言い方は君に失礼かもしれないけどさ、未来まで持っていける思い出がたくさん欲しいの」
「……頼まれるまでもないだろ、そんなこと。多少風変わりな事情を抱えているらしいが、それだけでお前を毛嫌いなんてするかよ。見くびるんじゃねぇよって話だ」
真相は衝撃的だったが、それでもクーラが俺の悪友だという認識は揺らいでいなかったんだから。
「うん。君がそう言ってくれるってのはわかってた。それと、私の素性に関してなんだけど――」
「バレたら大騒ぎになりかねないからな。当然黙っておく。まあ、口を滑らせても俺が正気を疑われるだけで済みそうな気もしなくはないけど」
「あはは、それもそうか。けどさ……もしもの話だけどさ……隠し続けるのが辛いって思うようなら、その時は遠慮なく言ってね。そのあたりの記憶を封鎖するから」
「記憶の封鎖、か」
その効果は身をもって知っている。たしかに、思い出すことができなければバラしてしまう心配もなく、隠しごとをする必要すらなくなるわけだが……
「なるべくなら遠慮したいところだがな」
「そう?私としては大した労力でもないんだけど。むしろ、君が気分よく暮らせることの方がずっと大事」
「今お前が言っただろ?主に俺の気分的な問題だよ。仮に、今こうして話したことを俺が思い出せなくなったとして、お前の記憶には残るんだろう?」
「それはねぇ……。残念ながら、自分の記憶をどうのこうのはできないから」
「……さっきのバートの例えじゃないけど、立場が逆だったらどうだろうかって話だよ。たしかに交わした会話で、俺だけが覚えていて、お前は思い出すことができない。なんてのは、寂しいだろうが。そんなのは、俺が嫌なんだよ」
クーラは自分だけが歳を取らないことを、置いて行かれるようだと言っていた。それを思えば、多少辛いからって程度の理由でそんなことを頼めるわけがない。悪友としてはあまりにもみっともないだろうから。
「……アズ君のお人好し」
「……お前には負けるがな」
そこまでわかった上で、俺の記憶を封鎖すると申し出てきたのはどこのどいつなのやら。
「まあ何にせよ……。君といる今をまだしばらくは続けられそうでひと安心、かな?私の旅路がいつまで続くのかはわからないけど、旅立つ日までは、この愛おしい日常に浸っていたいからさ」
1500年という旅路。クーラがどんな思いで歩いてきたものなのか、俺には想像もつかない。そして、安易に『理解できる』なんて考えていいことでもないだろう。
「お前の旅路ってのはさ、俺が隣を――」
それでも、クーラにとって寂しいものだったんじゃないかと考えるに足るだけの根拠はチラホラと見受けられて、
「――それ以上は口にしたらダメだよ?」
意図せず自然に浮かびかけた言葉は、やんわりと止められる。
「まあ、身の程知らずな考えではあるか」
俺ごときがクラウリアに並ぼうとか、思い上がりも甚だしいか。
「そういうわけじゃないよ。けど、それでも……そこから先はたとえ冗談でも、二度と、決して、絶対に言わないで」
穏やかに、けれどはっきりとした拒絶。
「君が私を気にかけてくれてることを疑ったりしない。その気持ちは本当に嬉しい。でも、これは私の経験だけどさ、たったひとつの何気ない選択の結果が、1500年以上の先までも付きまとうことだってあるんだからね?」
その透き通った優しい、諭すような声には明確な重さがあった。
一見すれば俺と同年代に見えるはずのその穏やかな表情には、底をうかがい知ることすら叶わないほどの深さがあるようで。
けれど――
また、あの目だ……
翡翠色の澄んだ瞳に浮かぶ悲しみの色には見覚えがあった。あれは封鎖されていた記憶の中。ノックスの森でのこと。俺が届き得るかどうかと口にした時と同じもので。
目の前に居るはずのクーラが遠い。
さっきクーラが言ったものとは意味が違うだろうけど……。置いて行かれるってのは、こんな心境なんだろうかな……
どうにかしてやりたいというのは、心底の偽りなしだ。それでも、実際には何ひとつできない。自分がどれだけガキなのかということを、痛いほどに思い知らされた気がした。
「誰だろ?」
そんな思考を打ち切るようにクーラがドアを見て、
コンコン!
その直後にノックする音。
「どちら様です?」
「私、アピスよ」
クーラがかけた定型句に返ってきたのは、覚えのある声とよく知る名前で。
「……場所は前に教えてたけど、アピスちゃんがここに来るのって初めてだっけ?」
「ええ。ごめんなさいね。アズールを探していたところなの。この時間なら、ここが一番可能性が……」
「よう」
「よかった。やっぱりここに居たのね」
どうやらアピスの目的は俺だったらしく、ホッとしたように胸を撫で下ろす。
「急な依頼でも入ったか?」
思いつくのはそんなところ。
「ええ。それで、クーラには悪いのだけど……」
「私には聞かせられない話なんでしょ?」
当然のように察したクーラは気にした風もなく、奥の寝室へと引っ込んでいって。
「何があったんだ?」
「カイナ村の近くにある廃村に、豚鬼の群れが住み着いているのが確認されたわ」
声を潜めてアピスが告げてきたのは、たしかに急を要する事態だった。




