クーラにだって迷惑だろうからさ
朝。部屋を出て鍵をかけたところで後ろから聞こえたのは、ドアが開く音。
「よう、おはようさん」
「おはよう、アズール」
振り返ればそこに居たのは、自室――204号から出てきたところのアピス。
「これから出るところか?」
「ええ。支部に行くところよ。今日はひとりだから、赤か橙の常設依頼を受けるつもり」
どうやら今日のことはすでにネメシアに聞いていたらしい。
「悪いな、付き合えなくて」
「はぁ……」
俺としては適当を言ったつもりは無いんだけど、何故か返されるのは呆れ目とため息で。
「……たしかにあなたと組めばこなせる仕事の範囲も広がるけれど、それだとクーラに悪いでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
なんだかんだ言っても、クーラだって悪友と過ごす休日を楽しみにしてくれているということも、俺は認識しているつもり。
「私としては、心情的にはクーラの味方でいるつもり。だから私に対して気に病む必要は一切無いわ」
「……よくわからんけど、そういうことなら気にしないことにする。けど、手に余る事態になったなら、その時は遠慮なく駆り出してくれよ。お前の危機に知らん顔してたなんてことになった日には、それこそクーラの奴にどやされちまう」
「ええ。その時は頼らせてもらうわ」
「ならいいんだが。ところで、あいつらの具合はどんなだ?」
腐れ縁共のこと。まず心配はいらないだろうと思ってはいるけど、まったく気にならないわけでもない。
「ふたりともまだ辛そうではあるけれど、普通に食欲はあるから大丈夫でしょう」
「それは結構なことだ。早いところ復帰してほしいよ」
単純に人手の問題もあるし、腐れ縁的な意味でもそう思う。
「そうね。私としては、レビダに居た頃を思い出して懐かしかったりもしたのだけれど」
「レビダか……。随分昔のように思えてしまうのはアレだが……」
「そうね。あれから本当に、いろいろあったものね」
ふたり揃ってしみじみ思う。時間的にはまだ半年も過ぎていないんだが。
まさかそのレビダに居る間に腐れ縁共がふたり揃って恋人を見つけちまうなんてのも、夢にも思わなかったことなんだが……
「少し聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
そんなことを思ううち、ふと気にかかったこと。
「私は構わないけれど、あなたの方はいいの?これからクーラと出かけるのでしょう?」
「そっちは問題無い。最近は待ち合わせをしてるんだが、1時間程度は早く着くように動いてるからな。10分やそこら遅れたところで、あいつを待たせちまう心配は無い」
「1時間も!?随分早いのね……」
「イメージトレーニングにはちょうどいいんでな」
以前セオさんに話を聞いてからは時間を見つけては続けていることなんだが、待ち時間というのは意外と都合がいい。なにせ、他にやることが一切無いという状況なんだから。
「そ、そうなの……。それで、聞きたい事というのは?」
「先に言っておくけど、無粋だとは承知してる。だから、ウザいと思ったなら即座に斬り捨てていい。そのことでどうのこうのとは言わないから」
「……そこまで前置きした上であなたが聞いてくるのは珍しいわね。それで、何を聞きたいのかしら?」
「お前とバートは、レビダに居る間に付き合い始めたんだよな?」
「ええ」
「そうなるまでに、きっかけとかってのはあったのか?」
それが聞きたい事だった。俺にしてみたら、再会したらいつの間にかそうなっていたという話だったわけで。
「……ごめんなさい。さすがにそれを話すのは恥ずかしいわ」
「いや、俺の方こそ悪かったな。これっきりにするから。今のは忘れてくれ」
とはいえ、やっぱり聞くのは無粋だったか。というか、アピスがこんな風に頬を赤らめるところなんて初めて見たぞ。
「あ、でも……。これってもしかして……」
何かに気付いたような、そんな反応を見せるアピス。
「ねえ、アズール。そんなことを聞いてくるということは、誰か気になる相手がいるのよね?例えば……その……クーラ、とか?」
何故かはわからないけど、そこには期待とか喜色らしきものが見て取れた。
「そんなわけがあるかよ」
だが、アピスのためにもクーラのためにも、そんな誤解はさっさと解いておいた方がいいだろう。
「昨日、ネメシアと話しててな。その中で思ったんだ。腐れ縁共に置いて行かれちまったような気がするって。それだけのこと。つまらんやっかみだよ。だからクーラの奴は一切関係ない。そこだけははき違えないでくれ。そんなのはあいつにだって迷惑だろうからさ」
「えぇ……」
だというのにアピスが見せるのはそんな、あからさまなドン引きで。
「嘘でしょ……」
信じられない、といった風でつぶやき、
「まさかここまでだなんて……」
呆れ目を向けてくる。
というか、昨日もネメシア相手で似たようなことがあったような気がするんだが……
「はぁ……。なんだか朝から疲れたわ……。私はもう行くから、アズールも今日はクーラと楽しんできなさい。じゃあね」
どこか投げやりで会話を打ち切るようにスタスタと行ってしまうアピス。流れからして俺が不快にさせてしまった線が濃厚なんだろうけど、それでも意味が分からなかった。
初手は泥コーティングの左拳を腹に叩きこんで、『爆裂付与』を……やる前に『衝撃強化』も入れておくか。角度を付けておけば、『衝撃強化』だけなら、全開でかましても浮きはしないだろうから……そこで『爆裂付与』のダメ押し、と。威力の加減はこっちの手が無事で済む程度にしなきゃならんわけだが……。まあ、そこはこれから考えるとして。
追撃で握った右手に……いや、ここは開いておくべきか。こっちも手のひらには泥をまとわせて、鼻っ面を掴むと同時に……外側だけに『爆裂付与』。同じく加減は必要、と。
ネメシアはここから膝蹴りにつなげてたけど、俺の場合は――
「アズール様、ですわね?」
……はい?
アピスと別れ、クーラとの待ち合わせ場所にやって来て、昨日ネメシアが見せた動きを俺なりに流用できないものかとイメージをしていたところで名を呼ばれた……んだよな?
たしかに『アズール』というのが俺の名だけど、その後ろにありえない何かがくっ付いていたような気もしたんだが……
「うおあっ!?」
内心で首を傾げつつ顔をあげて、そんな間抜けな声を上げさせられてしまう。
そこに居たのはひとりの女性。年の頃は俺よりも少し上くらいか。色白な肌に気の強そうな目。派手な印象のある長い金色の髪……はまだいいとしても。
これ、ドレスってやつだろ……
赤を基調とし、ヒラヒラが多数ある細やかな作りをして、ところどころに装飾があり、ぱっと見にもド派手な感じの衣服。存在自体は知っていたし、目にするのも初めてではなかったが、ここまで間近で見たことは無かったシロモノだ。
「初めまして。わたくし、ミューキ・ジアドゥと申します。どうぞお見知りおきを」
「は、はぁ……」
そしてカーテシー。装いには似合っているはずなのに、時折クーラが冗談めかして見せてくるソレの方が様になっているように思えてしまうんだが。まあ、そこら辺は多分見慣れ具合の差だろう。
「たしかに俺はアズールですけど、同名の誰かと人違いでは?」
ともあれ、真っ先に思うのはそんなこと。初めまして、なんて言ってきたくらいだ。面識が無いのはまだいいとしても、『アズール様』なんて呼ばれる覚えは一切無いわけで。
「いいえ。『クラウリアの再来』を間違えるはずはありませんわ」
そういうことかよ……
そのフレーズだけでゲンナリするとともに、理解もできた。できてしまった。
本当にやらなきゃよかったぞ。あんなことは。
これだけは揺らがないだろうけど、クソ次男にやったことに対しては一片の悔いも無い。無いんだが……
それでも深い後悔と共に思うのは、新人戦決勝戦のこと。せめて『発光』だけでもやめておくべきだったのか。察するにこの女性も、虹色に光る剣を振るう『クラウリアの再来』に興味があって来たんだろう。
あの日以来、俺の素性に気付き、近づいてくる人がちょくちょくいるのは悩みのタネだった。
タイプは様々。長年王都で商売を営んできたような人もいれば、各地を巡っているという行商人や、最近虹追い人になったばかりだという人に子供まで。俺ひとりの時はまだいいとしても、クーラと居る時にまでやって来るのは本気で勘弁願いたい。そのたびに複雑そうな顔をさせてしまうのは、俺としても気分のいいものじゃない。
「ずっと、お会いしたかったですわ」
「ちょ……!?」
そんなことを言いつつ、身体を密着させるように隣に座って来る。
「わたくし、アズール様をお慕いしておりますの」
……この人もそういう手合いか。
内心でため息。
『クラウリアの再来』に用があって来る人の中には、俺なんかと恋仲になりたいと言ってくる女性が居たりもした。何故かクーラと居る時には現れないんだが。
俺としてもそういったことには興味が無いわけではない。とはいえ、そんな理由で応じるのは失礼以外の何物でもないだろう。
「不相応なふたつ名がひとり歩きしてるだけですよ。そういった相手はよく考えて選んだ方がいいでしょう」
だから返すのは、俺なりに考えて用意した定型文。
「そんなことはありませんわ。きっとアズール様は、クラウリアごときが及ばないほどの偉業を成し遂げるお方ですもの」
考え方は人それぞれ。例えクラウリアを毛嫌いする人がいたとしても、それを否定するつもりはない。
「いや、さすがにそれはない」
それでも俺を……この人の言い回しを使うなら、俺ごときをダシにしてクラウリアを貶すのは、聞いていて気分が悪くなる。
というか……
くっ付かれたことでか、強く嗅覚を刺激してくるものがあった。
漂ってくるのは甘い匂い。
「うふふ。甘くていい匂いがするでしょう?もっと、思い切り吸い込んでくださいまし」
いや、そう言われましてもね……
甘いことは甘いんだが、この匂いはどちらかと言うと甘ったるいという印象。香水とかいうやつなんだろうけど、俺としてはあまり好きになれそうもない。
クーラが作る焼き菓子なんかは、甘くていい匂いだと素直に思えるんだけど。
そういえば、今頃はクーラも焼き菓子を作り終えてこっちに向かってる頃なんだろうかな。
「さあ、わたくしと共に来なさい」
「いえ、無理ですけど」
俺がそんなことを考えていると、何故か急に命令形になってきた。だが、当然ながら返答はノーに決まっている。多分この人は例のふたつ名に惑わされているだけだろうし、何よりも今の俺には先約があるんだから。
いくらクーラが理解のある奴だからといって、そんな理由で約束を反故にしていいはずはなく。
「……え?」
けれど女性は心底不思議そうな反応を示す。
「そんな……。きいていないの……!?」
「いや、聞いていましたけど……」
さすがにそう思われるのは心外。
「わ、わたくしと共に来れば、富も名声も思うままですわよ?」
「当面の暮らしには困ってませんから」
俺にだって物欲はあるし、最近では欲しい魔具のために貯金をしていたりもするが、そこまで執着があるわけでもなし。ついでに言うなら、名声なんてのは頼まれても欲しくない。叶うことなら例のふたつ名だって誰かに二束三文で……いや、ロハでもいい……むしろ金払ってでも押し付けたいとすら思っている。
というか、いい加減面倒になってきたぞ……
どうにもこの人にはあまりよくない印象ばかりが湧いてしまう。
「申し訳ないんですけど、これから大事な用事がありますので」
嘘は言っていない。俺的には、クーラとの約束の方が大事なんだから。
「ま、待ちなさい!」
だから立ち上がる。この人は止めようとしてくるけど、それは無視して。
「俺なんかを再来呼ばわりとか、クラウリアに失礼ですから」
最後に言い慣れた定型文を言い残して、俺はその場からとんずらをこいていた。




