嘘でしょう!?
動け!動け!動け!動け!
強く、強くそう念じるのは、右の手のひらにある泥団子に向けて。
よし!いいぞ!その調子だ。
「お待――した、ア――さん」
じゃあ今度は……
動け!動け!動け!動け!
再び念じる先は、左の手のひらへと移動した泥団子へ。
なるほど。こういうことか……
「あの――ールさん?」
なら、これはどうだ?
浮け!浮け!浮け!浮けぇっ!
さらに念じれば、手のひらにあった泥団子の重さが無くなって。
よし!だんだん掴めてきたぞ。
あとは……
発光!発光!発光!発こ――
「アズールさん!」
「おわっ!?」
「――ひあっ!?」
急に聞こえた強めの声に集中をかき乱されたからなのか、手元にあった泥団子は、ベチャリという音と共に、足元の石畳に落っこちてしまう。
「急に何するんで……って、シアンさん?」
目の前に意識をやれば、そこにあったのは見知った顔。
「何するんですか、はこっちのセリフですよ。呼んでも反応が無いと思っていたら、急に大きな声を出すんですから……」
言われてみれば、強めに名を呼ばれる前にも何かが聞こえたような気はしてたけど、それはシアンさんの声だったわけだ。そして恐らくは、俺のそれに一瞬遅れていた可愛らしい感じの悲鳴も。
それはともかくとして、俺がシアンさんの呼び掛けに気付かなかったのは事実なわけで、
「……すいません」
だからそこは素直に謝るべきだろう。
「いえ、私の方こそ驚かせてしまいましたから」
「そう言ってもらえるとありがたいです。それはそれと……」
俺の現在位置は、西区広場にあるベンチのひとつ。シアンさんとの待ち合わせ場所だった。来たばかりの待ち人を見れば、そのいでだちは見慣れた支部の制服ではなくて、丈夫そうで動きやすそうな、素気の無い軽装。その様はまるで――
「もしかして、シアンさんも本格的に虹追い人を始めるとかですか?」
いかにもな虹追い人然。涼し気かつ整った容貌からして、細剣なんかを握ったら絵になりそうな雰囲気をしていた。
「いえ、そういうわけではありませんよ。これはただ単に楽だからですね。幸いにも、街を歩いていても目立つ格好ではありませんから、私服は大抵これなんですよ」
「それもそうですね」
確かにその通りでもある。基本的にはアピスやネメシアあたりとは大差無い恰好とも言えるわけだし。
「ところで、アズールさんの方こそ何をしていたんですか?私の声が聞こえないくらいに集中していたようですけど」
「ええ。実際に集中していましたからね。実はついさっき、新しく備わった彩技がありまして」
これは本当のこと。例の魔具屋で虹剣モドキを作成中、唐突に起きたことだ。まあ、心色の使用中という点では、『発光』も同じような状況だったわけだし珍しくもないことなんだろうけど。
「それで、試していた、と?」
「そうなります。明日にでも、支部長には報告しますので」
「なるほど。試し打ちが必要でしたら、対応しますね」
「いえ、今のところはそれ以前の話なんですけど……。せっかくですし、見ていただいても?」
「ええ、構いませんよ」
「では、これを持っていてください」
泥団子のひとつを手渡す。
「相変わらず見た目は綺麗ですよね。手触りは泥なのに」
「ですよねぇ。とりあえず、何もせずに手のひらに乗せていてください」
「わかりました」
さて……
おおまかな感覚自体はどうにか掴めていた。だから同じように、動けと念じる。
「……あ」
そうすれば、シアンさんの手にあった泥団子がひとりでに転がる。
「これが、新しい彩技ですか?」
「ええ。その名も『遠隔操作』です。あとは、こんなこともできたりしますね」
次に念じるのは、浮けと。
「……あ!」
そんな意思に従うように、今度は泥団子がわずかばかり浮かび上がって、すぐに落ちる。
「あとは、任意のタイミングで他の彩技を発動させたりもできるみたいなんです。とりあえず、『発光』を使ってみますね」
街中ということを考えたら、それ一択だろう。そしてやることは同じ。発光発光と念じてやる。10秒ほどの後、泥団子が光を放ち始めた。
「とまあ、こんな感じですね。正直、現状では使いどころが見当たらないんですけど……」
動かすにしても、動きはナメクジのように遅く、浮かせるのも同じくだ。この程度では、移動する標的に当てるのは夢のまた夢だろうし、そもそもが当てるだけならば『追尾』を使えばいいだけのこと。彩技の発動にしても、10秒もかかっては使いにくいことこの上なしだろう。しかも『遠隔操作』の最中は目の前で名を呼ばれてもすぐに反応できないほどの無防備状態と来たものだ。
今の段階では、冗談抜きに待ち時間の暇潰しくらいしか役どころが浮かばない。まあ、磨き続けることで発動をスムーズにできれば話は違ってくるのかもしれないけど。
「そんなわけなので、気の利いた使い道は現在募集中です」
「わかりました。何か思いついたら、伝えますね」
「お願いします」
「さて、場所を変えましょうか」
そんな話もひと段落。シアンさんの相談事は何なのかと考え始めた矢先に、そう提案された。
「お茶くらいはご馳走させてください」
「いいんですか?」
「ええ。お礼代わりのようなものです。アズールさんは、お茶はお好きですか?」
「好きですよ」
そう断言できたのもひとつの変化なのか。
随分前のように感じるけど、初めて第七支部に来た日にセルフィナさんが淹れてくれた茶は美味かったし、クーラと出かけた日の最後はクーラが用意してくれた茶と菓子で締めくくるのが定番になっていたから。
毎回別の茶葉を用意してくれるものの、どうにも違いはわからない。それでも、密かに楽しみと思う程度には茶が好きになっていたんだと思う。
「それはよかったです。ここからはすぐ近くなので」
「ここでしたか」
「あら、アズールさんも知っていたんですね」
「いえ、知っていたというかなんというか……」
シアンさんが言った通りに、目的地までは徒歩で数分程度。西区大通りに面したその店は、クーラとの散策中に何度か前を通り、茶と菓子を専門に出す食堂のようなものだとは知っていたが、実際に入るのは初めてとなる場所だった。
その理由としては、
「美味しいお茶なら私が淹れてあげるからさ。かぶっちゃうのもアレだし」
「だよなぁ。わざわざ金出してまで、とも思えないか」
というもの。俺としてもそこまで興味があったわけでもなく、その結果が素通りになっていたというわけだ。クーラの淹れる茶が美味かったというのも一因ではあるのか。付け加えるなら、クーラの自作だという焼き菓子も実に美味かったわけだが。
もっとも、俺自身はクソマズな携帯食料や昨日の強烈な薬湯以外なら、何を飲み食いしても美味いと感じるような舌の持ち主でもあるのも事実。あまり偉そうなことも言えないんだけど。
「入ったことは無いんですけどね」
「そうでしたか。でも、お茶が好きならきっと気に入ると思いますよ。評判もいいお店ですし」
と、そんなこんなで店に入り、シアンさんが注文した茶と菓子が運ばれてくる。ちなみに、茶葉と菓子のチョイスはシアンさん任せだった。なにせ俺には、良し悪しはさっぱりわからないんだし。
「では、ご馳走になります」
「ええ」
まずは茶に口を付ける。
「……美味いですね」
「気に入ってもらえたみたいですね」
「ええ」
これは世辞でもなんでもなく、クーラの茶と同じくらいには美味いと感じていた。
というか、アイツの茶は金取れるレベルなのか?なんてことも思うわけだが。
「お菓子もどうぞ」
「はい」
続けて、皿に盛られた焼き菓子を手に取る。まだ焼き立てなんだろう。貝のような形をしたそれは、ほんのりと温かく、バターのいい香りが漂ってくる。
嚙り付いてやれば、柔らかさと歯ごたえが両立しているような感じで、優しい香りが口から鼻へと抜けていく。
「こっちも美味いです」
「でしょう?」
本当に、焼き菓子の方もクーラのそれと比べて引けを取ら……そうじゃないな。
そもそも基準が逆なんだ。
本職並みのシロモノを出してくるクーラの方が普通じゃないってことなのか?考えてみれば、アイツは朝のうちに菓子焼いていて、食べるのはいつも夕方。一度冷めたものを温め直すこともあるんだが、それでも十分以上に美味いってのは……
つまりクーラは、そのあたりまでを織り込み済みで菓子作りをやっているということにもなりそうな話。
博識とは知っていた。茶にこだわりがあるとも知っていた。それに加えて、菓子作りの腕も高いってことなのかよアイツは。
そんなことも考えつつ、茶と焼き菓子を楽しむ。やはり美味いものは無くなるのも速いということなのか、ほどなくして皿もカップも空になっていた。
「ご馳走様でした。美味かったです」
「それはよかったです」
「さて、そろそろ本題でしょうか?」
本来の目的は茶と菓子を堪能することではなかった。相談があるからと、そうシアンさんに言われて俺はこの場に居るんだから。
「ええ」
「了解です。これだけの礼を前払いでもらったからってのもありますけど、シアンさんには日頃からお世話になってますからね。心して、相談に乗らせてもらいますよ。俺で役に立てるかは怪しいですけど、それでも全力を尽くしますので」
シアンさんが何かで困っているなら、力を惜しむつもりなんて元より無い。けれど――俺なんかよりも100倍は頼りになりそうでなおかつ、シアンさんと親しそうなセルフィナさんやキオスさんの存在がある。もちろん得手不得手はあるだろうけど、このふたりがカバーできない範囲に俺ができることなんてあるのかとも思っている。
まあ、昨日もそのあたりは伝えたし、その上で俺にしか相談できないことがあると言われたわけだが。
「……そういうところもアズールさんらしい。そんな風に思えてしまうあたり、私も慣れてきたんでしょうね」
はて?
なぜここで苦笑されるのかはよくわからないんだけど。
「ですが、そこまで気を張らなくてもいいですよ。相談、と言いましたけど、実際には愚痴を聞いてほしかったんです」
「なるほど。それなら、俺が適任ってことになりますね」
「どういうことです?」
「俺自身、元はどうしようもない悪ガキでしたからね。怒声罵声の類は浴び慣れしてるんですよ」
そんな目的であればセルフィナさんやキオスさんの手を煩わせるまでもない、というわけだ。
「……いえ、そういう意図でアズールさんに頼んだわけではないんですけど」
「そうなんですか?」
「ええ。……というか、なんでそこで怒るでもなく納得するんですか」
支部の皆さんからはしょっちゅうのことではあるんだけど――なぜか呆れられた。適材適所というやつだと思うんだけどなぁ。
「はぁ……。セラが言っていたのはこういうことなのね。私もアズールさんのことが心配になってきたわ……」
「こっちはよくわからないんですけど……」
なんでこの流れで心配されるのやら。
「そうでしょうね。……なんだか愚痴る気分でもなくなってきたみたい」
「そう言われましても……」
俺としては何が何だかさっぱりなんだけど……
「シアンさんには、何かしらの悩み事があるのは間違いないんですよね?だったら、話すだけでも話してみるのもいいと思いますよ。それだけで気が楽になるってのは、割と聞く話ですし。あとは、何かの間違いで俺が解決策を持ってたら儲けもの、くらいで。もちろん、口外しないことは約束します」
俺にできることがあるのなら、なんて但し書きは付くけれど、少しでも役に立てれば。そんな風に考えていることは事実なわけで。
「はぁ……」
また、ため息を吐かれた。
「そういうことなら、少し甘えさせてもらいますね。それと、口調も崩させてもらうわ。いいかしら?」
「ええ」
「……………………私には、好きな人がいるの」
たっぷりの間はためらいがあったからなのか。シアンさんが告げてきたのはそんなことで。
よりによって色恋絡みとは……。特に俺が苦手な分野なんだが……
いや、早合点かもしれないか。
「あの、つかぬ事を伺いますけど、その『好き』というのは、セルフィナさんで例えた場合、ガドさんへの『好き』とシアンさんへの『好き』のどちらなんでしょうか?」
後者であれば、まだ俺が役に立てる可能性も残るんだが……
「ガドさんへの『好き』ね」
返ってきた答えは前者の方。
「いろいろあって諦めて……友人としては上手くやれていたんだと思うわ。けれど最近ね……セラだけじゃなくて、アピスさんやネメシアさんを見ていたら、押し込めたはずの想いがざわめく感じがして……」
「それはまた……」
あの3人。というか3組を見ていたら、なんて部分だけは、共感もできる気がする。俺だって、ラッツやバートに対してはやっかみを抱いたくらいだし。
「キオスとの出会いは10年も前のことだったわ。片思い歴は……9年くらいかしら?」
ほう……
綺麗、という印象の強いシアンさんだけど、どこか夢見るように頬を赤らめたその様は可愛らしくもあって。見ていて俺の中に沸き起こるのは怒りの感情だった。
こんな美人に。まして、俺が常々散々世話になってるシアンさんに9年も片思いさせてやがったのはどこのトンチキだ!?ぶん殴ってやろうか。そんな気持ちが――
んん!?
いや待て!
あまりにもサラッと話す上に腹立ちの方が先に来たから俺も流してしまっていたけど、なんだか覚えのある名前が出てきたような気がしたんだが……
「あの、もしかしてシアンさんの思い人って……」
この流れで出てきた以上、9割9分は確定とも思えるんだけど、念のためということで問えば、
「ええ。キオスなの」
さらに顔を赤くして頷く。
うん。前言撤回だ。心情的にも実力的にも、あの人を殴れる気がしない。
そして、同時に腑に落ちる気もした。シアンさんと親しい印象のある男性は第七支部の中でも見かけるけれど、特にキオスさんとはその距離が近いように思えたから。
「……驚かないのね?」
「そうですね」
不思議と、なのかはともかく、驚きは感じなかった。
なにせ――
「俺が知る範囲では、一番すんなり納得できる人でしたし」
仮にだが、ここでタスクさんあたりの名前が出ていたなら、それなりには驚いたんじゃなかろうかと思う。
「お似合いなんじゃないかなぁ。なんて風にも思いますけどね」
これもまた世辞でもなんでもない。歓迎会の時に見たふたりが並んで歩く姿。今あらためて考えるに、その様はガドさんとセルフィナさんのそれに近いものがあったように思える。
「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。でも……」
さっきまでは幸せそうに上気した顔だったのに、
「私には、そんな資格は無いから……」
資格が無い……?
シアンさんが悲し気に口にした言葉。その意味はすぐには理解できなかった。
だってそうだろう?よほどの下種であれば同感はできるかもしれないけど、シアンさんはそんな人じゃない。
それでも挙げるならば――
「ひょっとして、キオスさんには決まった相手が居る、とかですか?」
資格という言い回しはともかく、それならば納得もできるんだけど……
「そうであればまだよかったわ。友人として祝福して、受け入れることもできたのかもしれない」
間接的にとはいえ、否定が返ってくる。
「じゃあ、なんで資格が無いなんて言い方をするんですか!?……っと、すいません」
つい口調が強くなってしまったのは、腹が立ったからだ。それじゃあまるで、シアンさんに非があるみたいじゃないか。
「……アズールさんは、キオスのランクを知っているかしら?」
そんな俺に怒るわけでもなく、静かで唐突な問いかけ。
「えっと……聞いたことは無いですけど……」
それでも、レビドア湿原での一件から、見当は付いていた。
「青、ですよね」
「いいえ」
けれどシアンさんは首を横に振る。
「じゃあ、緑ってことですか」
消去法ではそうなるんだけど……
「それも違うわ。今のキオスは、黄なのよ」
「嘘でしょう!?」
正直、まるで信じられなかった。黄といったら今の俺よりもひとつ上でしかない。世間的には半人前と言われる部類。どう考えても低すぎる。
「残念だけれど、本当のことよ」
けれど、そう念押しをするシアンさんは真剣な表情で。
「そしてそれは、私のせいだから」
淡々としたその口調には、悲痛な色が乗っていた。




