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大小様々な変化はあったわけだが

「おはようさん、クーラ」

「おはよ、アズ君」


 ユアルツ荘近くのパン屋が店を開けるのは、毎日朝の9時。アルバイトの自称看板娘ことクーラが開店準備の一環として、店の前を掃除するのは、だいたいその30分ほど前からで、作業が終わるのはそこから20分後。


 今日も今日とていつものように、俺はその頃合いを見計らって足を運ぶ。


 もっとも……


「今日は少し遅かったみたいだけどさ、なにかあったの?」

「ああ。よりによって俺の部屋の前に鳥がクソしてくれやがってたらしくてな。お前と同じで、さっきまでは掃除をしてたんだよ」


 クーラの指摘通りに、今日に限っては出がけにケチが付いてしまったわけだが。


 ともあれ、この10分間に交わす他愛のない会話も、いつの間にか日課のようなものになりつつあった。


「あはは、それは災難だったね」

「まったくだ。それはそれと、お前の方は今日も時間通りだな。さすがは看板娘ってことか」

「だから私は看板娘じゃなくて自称看板娘だって言ってるでしょ……って、アレ?」

「はは、相変わらずノリがいいな、お前は」


 毎朝のように飽きもせず、むしろお互いに楽しみながら繰り返してきたやり取りに、今日はちょっとした変化を仕込んでおいた。


「もしかして……」

「お前がここで働くようになって、そろそろひと月なんだろ?だったら、もう自他共に認めてもいいような気がしたんでな」

「そっか……」


 しばしの瞑目。


 そして――


「ようやく私の偉大さがわかったんだね。うんうん、君も賢くなったね。偉い偉い」


 ドヤ顔でそんなことをほざきやがる。


 少し認めた途端にこの有様かよ。


「これからも励めよ。見習い看板娘」


 だから、俺も揶揄を返してやる。


「……今度は見習いなんだ」


「ああ。さしずめ……看板娘ランクの白ってところだな。白より出でて、白へと至ることを願って!」

「ご丁寧にその祝詞まで付けてくれるんだね……。うわぁ、すっごい嬉しいや。今タマネギ刻んだらきっと泣いちゃうくらいに」

「そうかそうか。それはなにより……っと、時間か」

「残念」


 鳴り響くのは、王都の東区にある大鐘堂から。午前9時を告げる音色だ。


 今日は遅れちまったからな。仕方がないか。


「いらっしゃいませ」


 それはこのパン屋の開店時刻を告げるものでもあり、お仕事モードに切り替わったクーラに招かれて、店内へ。




 俺が虹追い人を始めてから≒クーラが自称看板娘を始めてからすでにひと月。なんだかんだで今の生活には慣れつつあった。


 とはいえ、このひと月……というか、粘性体騒動が終わってからも、俺の周囲だけでも大小さまざまな変化はあったわけだが。


 今しがたの新たな習慣もそうだし、クーラが俺をアズ君呼びするようになったのも、そのひとつだろう。


 元より俺自身、故郷に居た頃は「アズール」と呼ばれることはほとんど無く、腐れ縁共はもちろんのこと、身内や師匠からも「アズ」の愛称で呼ばれていた。初めて第七支部に来た日のこと。ソアムさんのシャウトで気絶させられた件にせよ、アズール呼びに不慣れだったことで、反応が遅れた結果だったわけだし。


 とはいえ、王都で新たに知り合ったばかりの人たちに愛称呼びを頼めるほどに面の皮が厚いわけでもなく、フルネーム呼びにも慣れていかないとなぁ、なんてことも考えてはいた。


 なぜクーラが愛称呼びを始めたのかと言えばそれは、腐れ縁共を見て真似をし始めたというだけのこと。俺としても別に止める理由は無く、好きにさせているわけだが。


 そんなクーラとは、いつぞのようにアルバイトが休みの日には、連れ立って出かけたり……もとい、暇潰しに利用し、利用されていたりという間柄だ。お互いに気を使うこともなく、気ままに気安く。それでいて、ほどほどに穏やかで、ほどほどに刺激のある時間はなかなかに気分のいいもので、俺の中でクーラは腐れ縁共に続く悪友的な存在になっていた。


 ちなみにだが、悪友の1号2号ことラッツとバートがレビダから戻ってきたのは10日ほど前のこと。もちろん、キオスさんとセオさんも一緒だったし、第一支部からの移籍組――ネメシア、アピスも同じくだった。


 バートの傷は完治していたし、ラッツとネメシアにしても、色脈が傷ついた後遺症で、多少は心色の使用に苦労もしているようだが(以前と比べると疲れやすくなっているらしい)、そちらも完全に復調するのは時間の問題とのこと。


 移籍してきたネメシアたちもすっかり第七に馴染んでいる様子で、俺としてもひと安心していた。もとより、第七支部に居るのは――濃い部分がある人もいるけど――気のいい人ばかり。であれば、真っ当な人間であるあのふたりとは、険悪になる方が難しいというもの。危惧していた第一支部やズビーロ家からのちょっかいも、セオさんや支部長のおかげで問題にはなっていないんだとか。


 俺個人としてはそこはかとなく腹立たしいとある事情で、腐れ縁共がチームを解消したなんて一件もあったんだが、先輩たちや移籍組を交えた臨時のチームを組んだりすることもあり、よろしくやれていた。ちなみにだが、その際に受けた要望もあり、アピスたちに対して呼び捨てタメ口を使うようになったのも変化のひとつだろう。


 あとは、無事に俺のランクが橙になったのも変化のひとつか。だんだんと次の昇格ラインまでが遠くなっていて、黄までの道のりはまだ半分といったところなんだが。


 そして、クーラとのやり取りを楽しむついで、というわけでもないんだが、開店早々にやってきて、昼飯を調達していくというのも、最近では日課と化していた。


 ソアムさんも前に言っていたが、なにせこの店、種類が豊富で値段も良心的、新作も結構な頻度で現れる上に、好みの問題を除けばハズレが無い上に住処から近いということで、クーラの有無に関係無く、通い詰めたいと思えてしまうんだから。


 さて、今日の昼飯はどれにするかな……


 そのあたりもさて置くとして、当面の目的に思考を向ける。


「あら?もうお客さんが来ていたのね」

「あ、エルナさん」


 店内を物色していると、クーラではない女性の声。見ればそこに居たのは、クーラと同じくエプロン姿をした、年配――30以上50以下といったところだろうか――の女性。


「いらっしゃい」


 クーラの口から「店長」のことは何度か聞いている。察するに、エルナと呼ばれたこの女性は、店長の妻あたりなんだろう。


「ちょうど焼きあがったばかりなの。よかったら買っていってね」


 俺にかけてくるその言葉通りに、エルナさんの手にあるのは、丸型をしたパンがいくつも乗ったお盆。


「クーラちゃん。張り紙は用意してあったわよね?」

「はい。ここに」


 そうしてエルナさんがお盆を置き、クーラがペタンコと紙を張り付ける。そこに書かれていたのは、


『新商品。ビーフシチューパン。300ブルグ』


 前にクーラが言ってたのはコレのことか。食わせてもらった(と言っても試食だろうけど)試作品が美味かったとは、何度も何度も自慢されていたっけか。少なくとも、軽いやっかみを覚える程度には。


 なら、今日の昼飯はこれで決まりだな。


 少しばかり割高なのはアレだけど、好奇心を満たすという目的もあるし、話のタネにもなりそうだからということで割り切ることにする。


「会計お願いします」


 そんなわけで、並んだばかりのパンひとつだけを盆に乗せてクーラのところへ。


「……これだけでいいの?」

「……ああ。今日はちょっとな」


 一瞬だけ怪訝そうな顔をしたクーラが声を潜めて問うてくるので、同じく声を落として雑に説明。


「ありがとうございました」


 そうすればクーラにも否は無く、支払いを済ませて店を出――


「ねえ、ちょっといいかしら?」


 ――ようとしたところで呼び止められて、


「どうかしましたか?」


 声の主はエルナさんと呼ばれていた女性。


 声は潜めたつもりだが、さっきのを聞かれてたか?


 と、そんなことを思いながらも振り返る。


 怒ってるようには見えないけど、油断はするなよ俺。迂闊なことでクーラの立場を悪くさせちまうわけにはいかないからな。


「あなた、もしかしてアズール君?」

「ええ。そうですけど」

「やっぱりそうだったのね。ふふ、キオスさんから()聞いていたから、一度話してみたかったのよ」

「そうでしたか」


 危惧が杞憂で済んだことにはひと安心。このパン屋で働く人なら、キオスさんと面識があるのはむしろ当然だろう。


「耳汚しになってしまいましたかね」

「あら、本当にキオスさんの言っていた通りなのね」

「……どういう意味です?」

「ふふ、どういう意味かしらね?」


 はぐらかされた。と言っても、あの人が意味もなく誰かを悪しざまに言うとも思えないけど。


「将来が楽しみな新人。そう()言っていたわ」

「そう()、ですか」


 意味深な部分はあれど、当たり障りのない内容ではある。


「それから……」


 傍らにいたクーラへと目を向けて、


「クーラちゃんとも仲がいいのよね?いろいろ話してくれるのよ。一緒に王都を散策したとか、屋台で食べたお昼を半分こしたとか、大鐘堂からふたりで見た夕日が綺麗だったとか、それはもう幸せそうにね」


 心底楽し気に言ってくる。たしかに、クーラの休日ごとに出かけた中ではそんなこともあったけど。


「ちょ……エルナさん!?それは……」


 一方で、暴露されたクーラはわかりやすく泡を食う。


 別に口止めもしてなかったし、俺としては知られて困ることでもないんだが。


「そうですね。彼女とは、友達付き合いのようなことをさせてもらってます」

「友達、ねぇ……」


 俺とクーラを交互に見るエルナさん。クーラに向ける目が妙に生暖かいのは気のせいなのか?


「あの、エルナさん。アズ君もそろそろ行かなきゃだし……」

「そ、そうですね……」


 これ以上関わると、面倒なことになりそうだと勘が告げてくる。それなら、ここは逃げが上策だろう。支部に行くという用事もあるわけだし。


「あら?今朝はゆっくり話せなかったのに?」

「はあっ!?」


 そんな算段もどこへやら。エルナさんのぶっこみに声を上げさせられてしまう。


「見てたんですか!?」

「ええ。アズール君のことは時々見かけるけれど、毎朝クーラちゃんに会いに来ているのよね?」


 そこまで見抜かれていたとは……


 いやまあたしかに、俺には支部長やキオスさんみたいな芸当はできない以上、気取られずにというのも難しくはないんだろうけど……


「それに、今日なんかはなかなかアズール君が来なくてソワソワしてた子も居たわね」

「ふえっ!?っていうか、そこまでバレてました!?」


 続く発言でクーラまでもが声を上げる。


「ええ。まるで――」


 不意に、思い出したように言葉を切ったエルナさんは、


「ごめんなさいね。少し意地悪がすぎたかしら」


 これまた唐突に謝ってくる。


 よくわからん部分もあるけど……


「俺の方こそすいませんでした。彼女の仕事を邪魔するつもりは無かったんですけど……」


 それでも、複数回見られていて、そのことを指摘される。褒められたことではないだろう。つもりが無かったで許されるなら、衛兵は要らないって話だ。


 腐れ縁共があんなことになってしまい、その代わりをクーラに求めてた部分もあったんだろうか。とはいえ、それでクーラに迷惑かけちまうのは論外だ。


「今後は二度と彼女の仕事中に付きまとうようなことはしません」


 日々の楽しみではあったんだが、それは今日でお終いにしよう。


「……ねぇ、クーラちゃん。この子、本気で言ってるのかしら?」

「……残念ながら」

「そうなの……。クーラちゃん、私は応援するわ。頑張ってね」

「ありがとうございます……」


 はて?


 だから、宣言と共に深く頭を下げるんだけど、なぜか目の前のふたりが交わすのはそんなやり取り。しかも、そこはかとなく沈痛な雰囲気すら見え隠れするんだけど……


「アズール君。あなたは毎朝クーラちゃんに会いに来ていたのよね?」

「はい。繰り返しになりますが、今日で終わりにします」

「そうじゃなくて……。明日からも続けて構わないわ」

「……いいんですか?」


 俺としては願ったり叶ったりではあるものの、なんでそうなるのかがよくわからないんだが。


 そんなことを思いつつ目線をクーラにやれば、何故か冷たい眼差しを向けてくる。


「もちろん、それにかまけてクーラちゃんが仕事をおろそかにするようなら、考えなければいけないわ。けれど、今まで通りに働いてくれるなら、問題は無いでしょう。それにね……」


 真剣だったエルナさんの表情が柔らかくなる。


「あなたが来なくなったら、クーラちゃんが落ち込みそうだもの。ウチの可愛い看板娘がそんなことになったら困るのよ」

「エルナさん……」

「……ありがとうござ――」

「おっはよー!」


 今度は感謝から。もう一度頭を下げようとした矢先に、やけに明るく元気な声が。


 というかよく知ってる声な気がするんだが……


「あれ?アズール君?」

「ソアムさん?」


 直感通りに、ドアを開いてやって来たのは見知った顔で。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃい、ソアムちゃん」


 クーラとエルナさんも挨拶を返す。


「ところでさ、エルナさん。例の新作ってもう出てる?」

「ええ。ついさっき焼きあがったところよ」


 そんな唐突な問いかけにもエルナさんは動じることもなく、


 さて、いつまでもここにいても邪魔だろうし、そろそろ行くか。


「せっかくだし、クーラちゃんはアズール君を送ってあげて」

「……いいんですか?」


 背中から聞こえてくるのはそんなやり取り。


「言ったでしょ?応援するって」

「あはは……。じゃあ、お言葉に甘えて」




「……なんでこうなったのかが俺にはさっぱりなんだが」

「うん。君ならそう言うって思って……。ううん、信じてた」


 そんなこんなでクーラと並んで歩く。本当に返す返すも、よくわからない。


「まあ、君がお馬鹿さんなのはいいとして。本当にそれだけで足りるの?」


 それだけ、というのは俺が購入したのがパンひとつだけというのを受けてだろう。


「誰がお馬鹿さんか……。それはそれと、今夜は支部で新人の歓迎会を開いてくれる予定でな。昼は軽めにしておけってアドバイスされてたんだよ」


 ちなみに、そう助言してくれたのはガドさんだ。なんでも、王都に戻ってからというもの、キオスさんはそのために日々奔走しているとのこと。


「ふぅん。第七支部の人はよく来てくれるから私も全員知ってるけどさ、みんないい人だよね。ラッツ君たちも、ネメシアちゃんたちもさ」

「ああ」


 その点には心底同意する。なお、ネメシアたちもまたユアルツ荘に移り住むことにしたということもあり、クーラのバイト先には何度か足を運んでいるんだとか。そして、先日の()()()では、街中で出くわして、第七の新人5人&クーラで飯を食いに行く、なんてこともあった。そしてクーラの気性もあってか、食い終わる頃には女子3人はすっかり意気投合していて。


 そういえば、なぜかアピスとネメシアはクーラに対して「頑張ってね、応援するから」などと言っていたけど、あれはなんだったのやら……


 と、そうこうするうちに、第七支部に到着。支部とユアルツ荘は近く、ユアルツ荘とクーラのバイト先も近い。そんなわけで、クーラのバイト先から支部までも大した距離ではないというわけだ。


「じゃあ、私は戻るね」

「あいよ。ここまでありがとうな」

「どういたしまして。君も今夜は楽しんでさ、明日私に話すネタ用意しておいてね」

「前向きに善処させてもらうよ」

「はいはい。それと、お仕事も頑張ってね、アズ君」

「ああ。お前もな、クーラ」


 さて、今日は早めに戻りたいし、近場の依頼を探すか。


 そうして支部の扉を開ける。その重さが手に馴染むと思えるあたり、この行為もすっかり俺の日常と化していたということなんだろう。

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