ありがとうな、クーラ
「……ゴメン。なんか、変な雰囲気にしちゃったね」
すっくと立ち上がって、
「そろそろ行こうか?」
ウィンク混じりに手を差し伸べてくる。
「あんまりのんびりしてたら、日が暮れちゃうからさ」
ここ数時間で聞き慣れた、気安い声。そこにあったのは、やはりここ数時間で見慣れた、明るく陽気で気さくな自称看板娘の顔だった。
「あいよ」
俺も立ち上がる。まあ、差し伸べられた手を取るのは少し気恥ずかしかったので、遠慮させてもらったが。その際、少しだけクーラが不機嫌そうに見えたのは多分気のせいだ。
正直なところを言えば、クーラが見せたらしくない表情――といっても、俺の勝手なイメージと照らし合わせてそう感じただけなんだが――に関しては、気にかかっていた。
けれど、あからさまに話を変えようとしていることも読み取れてしまったわけで。
誰にだって表沙汰にしたくない過去の100や200はあることだろう。犯罪臭でもあるのならば放置もできないだろうけど、そんな雰囲気は感じ取れず。であるならば、余計な詮索は藪をつつくことにしかなりそうもなかったから。
あの翡翠色の深い瞳を俺は知っているような気もしたんだが、そこも考えない方がいいだろう。どこかで会ったような気がする、でやらかしてしまったのが、俺たちの初対面なんだから。
その後は食料品を扱う区画へ。日持ちのする根菜類に、2日程度で使い切れるくらいの新鮮そうな葉物野菜に鶏肉。そして調味料をいくつか。
俺自身の積載重量に比例するように、さっきまでの微妙な空気はどこかへ流れてしまっていて、
「だからさ、少しくらい手伝ってもいいんだよ?」
「茶葉はお前に持たせてるだろ」
「そりゃそうだけど」
「それに、これだって鍛錬の一環だよ。腕力とバランス感覚を養うためのな」
「はいはい。頑張って意地張ってね」
空の色が変わり始め、帰路に就く頃には、そんな気安くも心地のいいやり取りが戻っていた。
「あ!クーラおねえちゃんだ!」
そんな中で、不意に横手から聞こえてきたのは、幼い声。
「こんにちは、ペルーサちゃん」
クーラが嬉しそうに挨拶を返すのは、俺にとっても見知った顔。先日知り合った魔具職人の娘こと、ペルーサ。
見れば今俺がいる場所は、クーラのバイト先であるパン屋の前であり、ペルーサの家である魔具屋の前でもあった。だから、この子がいるのは当然なわけだ。
「あれ?アズールおにいちゃんもいっしょなの?」
「おう。こんにちは、ペルーサ」
「うん!こんにちは!クーラおねえちゃん、アズールおにいちゃん」
俺にも気付いたので、クーラに倣って挨拶をすれば、ペルーサも満面の笑顔で返してくる。
「というか、お前もこの子と知り合いだったのか」
「まあね。昨日、お客さんとして来てくれた時に。君の方は?」
「少し前に、王都近くの街道で話す機会があってな」
その後にひと騒動があったわけだが、そのあたりまでは説明する必要も無いだろう。
「……ふたりでおでかけしてたの?」
「うん。そうだよ」
そんなペルーサは、何やら興味ありげな風で俺とクーラを交互に見て、そんなことを聞いてくる。大荷物を抱えている俺に代わってか、膝を落としたクーラが目線を合わせて答える……んだけど。
「……………………じゃあ、クーラおねえちゃんとアズールおにいちゃんって、コイビトどうしなんだね!」
「ちょ……!?」
その直後に、とんでもないことをぶっこんでくれやがった。
「おにあい。っていうんだよね!」
いやいやいやいや!
「ふぇ……!?あ、でも……それはそれで……」
多分パニックを起こしかけてるんだろう。耳まで真っ赤になったクーラは、しゃがみこんだままで何やらをブツブツと呟くばかりで。
しょうがねぇな……
内心でため息をひとつ。とんでもなくロクでもない誤解が生じているようだが、ここはしっかりと訂正しておくべきだろう。というか、放置はありえないな。うん。
そして、相方が頼りになりそうもないのなら、俺がやるしかない。
「いいか?ペルーサ。それは間違っているぞ」
だから、ゆっくりと言葉を選びつつ、ペルーサに話しかける。誰かを諭す、なんてのは初めての経験ではあるんだが、野放しにしていたら面倒なことになるという確信もある。
「まちがってるの?」
「ああ」
幸いというべきか、この子は素直に耳を傾けてくれる。
「まず、俺とクーラは恋人同士なんかじゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ。そうなんだ」
「でも、おにいちゃんがいってたよ。なかよしのおとこのひととおんなのひとはコイビトなんだよ。それで、コイビトどうしが出かけるのはデートだって」
お前が原因か……
そう内心でだけ恨み言を向けるのは、ペルーサの実兄であるルカスへと。前置き無しで「おにいちゃん」と言っているあたり、確定だろう。
さて、どう正すべきかな?
恋人同士が出かけるのは多分デートなんだろう。仲良しの男女が恋人というのも、必ずしも間違っているわけではないんだろうけど……
俺とクーラの仲自体は良好だと思ってるけど……まあ、訂正するならこっちだろうな。
「たしかに、ペルーサの言った通り、俺とクーラは仲がいいと思う」
「じゃあやっぱりコイビトなんでしょ?」
「それは違う」
「でもなかよしなんでしょ?」
仲良しイコール恋人って図式ができちまってるわけだ。
「じゃあ聞くけど、ペルーサと俺は仲良しなのか?」
「うん!」
「だったら、ペルーサと俺は恋人なのか?」
「……ちがうとおもう」
その返しに、腹の内で安堵の息を吐き出す。ここが伝わらなかったらどうしようかと思っていたが、理屈なのか感覚なのかはともかくとして、一定の理解は得られたらしい。
「そうだろ?だからさ、仲良しでも、恋人じゃないことはあるんだ」
「じゃあ……アズールおにいちゃんとクーラおねえちゃんはコイビトじゃないの?」
「ああ。俺とクーラは恋人じゃない」
そこははっきりと断言する。
「ホントに?」
「ホントに、だ」
「ホントのホントに?」
「ホントのホントに、だ」
「ぜったいに?」
「絶対に、だ」
「ぜったいのぜったいに?」
「ああ。絶対の絶対にな」
というか、現時点のみならず、未来永劫にそんなことはあり得ないだろう。それはもう断じて。
「でもなかよしなんだよね?」
「ああ。仲良しだよ。俺とペルーサが仲良しなのと同じくらいな」
「でも、コイビトじゃないの?」
「ああ。恋人じゃない」
「……むずかしいよ」
「そうだな……」
俺だって色恋の経験なんてゼロだけど、その意見には同意できる。
「俺も詳しくないからな。そのへんは、ペルーサのおとうさんかおかあさんに聞いてくれ」
だから丸投げしてしまおう。
「わかった!じゃあ、きいてくるね!ばいばーい!」
そうすれば、今から早速と言わんばかりに、そのまま魔具屋の中へと駆けていく。きっとこの後でご両親が突撃されるんだろうけど。そこらへんは親の務めということで頑張っていただきたい。
「やれやれ……」
なにはともあれひと段落。
「さて、戻るか」
そして、いまだにしゃがみこんだままのクーラに声をかけてみるも返事は無くて、
「なぁ、クーラ?」
名を呼ぶと、立ち上がって向き直ってくるんだけど、
「……何よ?」
ふくれっ面に、わかりやすく不機嫌な声。
「そりゃ、怒るよな」
「別に怒ってないけど?」
「怒ってない奴がそんな顔するか」
「だから別に怒ってないよ。――未来永劫なん――すぎない?」
なにやらブツブツと言っている部分は聞き取れなくもあったんだが、
「まあ、お前が腹を立てるのも当然ではあるんだろうけど……」
そのあたりも一応は織り込み済みではあった。まあ、クーラの気性からして、気にしていないだろうとも思っていたんだが、そこは的を外していたらしい。それほどに、許せないことだったんだろうかな。まあ、無理もないのか。
「当然……?まさか君!?私の気持ちに気付いてたの!?」
なにやら酷く驚いた様子。だが、俺だってその程度がわからないほどの阿呆ではないつもりだ。
「わからいでか」
「嘘……。なんで……」
そこまで驚かれるようなことなのか?
怒りで赤くなっていたであろう顔が、今度は青ざめていく。それこそ、この世の終わりがやってきたみたいに。
「だから当然のことだと言ってるだろうが……」
ため息をひとつ。頭の悪い奴ではないと思っていたんだが、この件ではやけに察しが悪いな。
「そりゃ、俺みたいなロクでなしと恋人だなんて見なされたら、いい気分はしないだろうさ」
あらためてクーラのことを考えるに――
器量よしで気立てがいい上に博識。性格は明るく気さく。少しばかり変わったところもあるとはいえ、その程度ならば個性の範疇。
控えめに言って、相当に魅力のある女性だと思う。
当然ながら、俺なんぞとは釣り合うわけもない。
だから、必死で知恵を絞ってペルーサの誤解を解いたわけだ。あんな勘違いが拡散してしまったなら、今後のクーラがどれだけの迷惑を被るのか、わかったもんじゃない。
「……ふぇ?」
「けどさ、ペルーサに悪気があったわけじゃないんだ」
その部分だけは、本気で断言できる。
「だから、俺に免じて、ってのもアレだけどさ、あの子のことだけは、許してやってほしいんだ」
これもまた俺の身勝手ではあるのかもしれないけど、クーラがあの子を嫌うなんて未来は、訪れてほしくない。
「…………ぷっ!」
数秒の沈黙の後でクーラが起こしたリアクションは吹き出すというもので、
「あっはははははっ!」
耐えきれないといった風で、腹を抱えて笑い出す。
「……俺は真面目に話してるんだが」
だというのに、なぜ馬鹿笑いするのか。ふくれっ面をされ続けるよりはマシなのかもしれないけど、そこはかとない理不尽さも感じるんだが。
「うん。それは知ってる。君はそういう人なんだよね」
目元の涙を拭いつつ、まだ笑いが治まりきらない風で言ってくる。
「ふぅ。笑った笑った。それはそうとさ、ペルーサちゃんのことは最初から怒ってないから安心していいよ。君のことも……もう怒ってないから」
「ならいいんだが」
つまり、怒られるようなことをしたのは俺の方ということか?だがなんでだ?
「ホントに君って人はさ……。アズール君のお馬鹿さん」
「悪かったな馬鹿で」
「うん。すっごく悪い。そこは大いに反省するように」
「へいへい」
訳が分からないことに変わりはないものの、クーラの機嫌が直ったのは結構なことか。そういえば、師匠も言っていたっけか。たしか……意味不明っぷりでは、未知の魔獣よりも女心とかいうやつの方が100倍は上だとか。
そう聞かされた時は理解できなかったが、今ならば理解はできずとも、共感はできそうな気がする。
「さて、そろそろ行こうか?」
「そうだな」
現在位置は、クーラのバイト先のすぐ近く。目をやれば、アルバイトが休みの今日も店自体は営業中。
「何か買っていくの?」
さすがに目線の先はクーラも気付いたらしい。
「いや、さすがにこれ以上荷物は増やしたくない。ただ……」
「ただ?」
俺が抱くのは、ちょっとした感傷。クーラは急かすでもなく、静かに続きを待ってくれる。
「ここでお前と出会ったのは、ほんの2日前だったんだよな……」
「あはは、あの時は本気でびっくりしたよ」
「そりゃそうだ。やらかしちまったことは、今でも反省してる」
「もういいって。気にしてないからさ」
「だろうな」
あの時から今に至るまで、クーラは常に俺なんかに好意的に接してくれていた。
「実を言うとな、あの時は思ってたんだ。もう、この店には近づけないだろうなって」
「うん」
「もしそうなってたら、街中でお前と出くわしても、気まずくなるか逃げ出すかしていたことだろうな」
「そうかもしれないね」
それは、あり得たかもしれない未来。
「だけど現実には、こうしてお前とよろしくやれてる」
それはあの時、クーラが俺の腕を掴んでくれたから。
「だからさ、礼を言わせてほしい。ありがとうな、クーラ。あの時、俺を引き留めてくれて」
そう伝えたかった。
「本当に、君って人はお馬鹿さんなんだから……」
大きく目を見開いたクーラがしばらく固まった後、そんなことを言ってきて。
「どういたしまして。そう言って……ううん、そう思ってくれるなら、私もすごく嬉しい。あの時に君を引き留めた甲斐があったよ」
「そうか」
「うん」
「……さて、今度こそ行くか」
「そうだね」
そうしてふたりで歩きだす。
前を見れば、背中から差し込む夕日に照らされて伸びた影が寄り添うように重なっている。
ペルーサの勘違いを聞かされたばかりだったからなのかもしれないけれど、
その様がなんだか気恥ずかしかった。
これにて2章終了です。ここまでのお付き合いに心からの感謝を。




