ひとりよりもふたりがいい、か
「やっほう。アズール君」
なぜか俺の部屋の前で、ニコニコ笑顔で待ち構えていたクーラ。
「どしたの?『な、なんでお前がここに!?』って顔に書いてあるけど」
「お前は読心使いか!?」
まるで俺の思考を読み取ったような物言いをしてきやがる。まあ、予想は難しいものでもないってことなのか。
「まさしくお前の言った通りだよ。まさかお前がここにいるとは夢にも思わなかったんでな」
「今日はバイトがお休みの日だったからね」
それはお前がパン屋にいないことの理由であって、ここにいる理由ではないと思うんだが……。
というか……
「タメ口なんだな」
あくまでも、俺が知るのは自称看板娘としてのクーラ。当然ながら、客である俺相手には、口調が違っていたわけで。
「お仕事とプライベートは別でしょ。堅苦しいのって、お互いが疲れると思ったんだけど……もしかして、不快にさせてしまいました?」
ご丁寧にも、最後だけを自称看板娘モードで話してくる。たしかに、どちらかと言えば――
「いや。俺としても気安く話してくれた方が楽だな」
「でしょ?ま、そんなわけだから」
「んで、仕事が休みなのもいいとして……なんでここに?」
「それはもちろん、君に用があったから」
さも当然に言ってくる。まあ、それ自体は別にいい。俺がユアルツ荘を住処とするというのも、予想するのは難しいことじゃないはずだ。
だけど――
「……待ちぼうけになってたかもしれないだろうに」
そう。現時刻の俺がここに居るのだって、タスクさん&ソアムさんがはしゃぎあった結果なんだから。そうでなかったら、2時間やそこらは遅れていたことだろう。場合によっては、帰りが明日以降になっていたかもしれないわけで。
「それは大丈夫。ちゃんと見てたから」
「見てた……?」
第七支部のあたりにいたところを目撃されてたってことか?そこから先回りしたのであれば、待ち時間も少なく済んだのかもしれないけど……。まあ、それはそれでご苦労なことだ。
「それよりさ、パン買って来たから一緒に食べない?」
そう言って差し出してくるのは、手にしていた籠。言われてみれば、ほんのりといい匂いを嗅ぎ取れる。
「この前君が買ってくれたパンなんだけどさ、いよいよ1個30ブルグにまで値下がりしてたから、どっさり買って来たのよ」
「……返す返すも、俺が来なかったらどうするつもりだったんだかな」
見ればどっさりという言葉通りに、結構な量がある。正確なところは10個くらいだろうか?まあ、数回に分ければ、クーラひとりでも食い切れそうではあるんだが。
「あはは。それはともかくとして……もちろん私のオゴりなんだけど……嫌だった?」
「まさか」
「よかった。こういうのってさ、ひとりよりもふたりがいいからね」
ひとりよりもふたりがいい、か。
味が良いことはすでに知っているし、こうして気楽に話せるクーラとならば、たしかにふたりで食った方が飯は美味い。空腹には劣るだろうが、談笑というのも結構な調味料だと俺は思っている。
「なら、上がっていくか?といっても、水くらいしか出してはやれないんだが」
それなりの備え付けはあるとのことだけど、私物は皆無。日持ちに限度がある以上、食い物飲み物の類だって、用意されてるはずは無し。
「うん。君さえよければ是非!」
「わかった」
それでもと頷くクーラとともに、203号室の前に足を運ぶ。そこには俺の名が書かれた札。これはセルフィナさんあたりが用意してくれたんだろうか。
来るのがずいぶん遅れちまったが、ここが今日から俺の住処になるわけか。
そんなことを思うと、柄にもなく少しだけ緊張してくる。
「どしたの?」
「……大したことじゃないんだが、ここに入るのは初めてなんでな」
「そっか。じゃあ、私が最初のお客さんってわけだね」
「ま、そうなるんだろうな」
何はともあれ、ここで足踏みしていても始まらない。さっきから握ったままだった鍵を差し込んで回してやれば、カチャリと子気味のいい音が鳴る。
「へぇ……」
ドアを開けてやれば、広がっていたのは落ち着いた雰囲気の空間。ひとつ目の部屋は台所で、左手にあるのは、流しに調理用の魔具があれこれ。右手にあるふたつのドアは、それぞれが風呂と便所だろう。ドアを隔てない正面にも、もうひとつの部屋が見える。聞いていた話では、この台所の奥にあるのが寝室。そんな、全ふた部屋という構造のはずだ。
「あ、そうだ。私が先に入ってもいいかな?」
「……別に構わないけど。なんでだ?」
クーラはクーラでなにやら考え付いたようだけど、その意図が分からない。
「いいからいいから。それじゃあ、お邪魔しまーす。ほら、アズール君も早く」
「あいよ」
そんなクーラの手招きに従うようにして中に入ると、
「お帰り、アズール君」
得意げな笑顔でそんな言葉をかけられる。
ああ、そういうことか。どうやらクーラがやりたかったのはこれらしい。ここで応じないのも無粋だろう。
「ああ。ただいま、クーラ」
だから俺も素直に応じることにする。
師匠などは『50年ぶりの故郷だが、昔馴染みにお帰りと言われた時は、不覚にも泣きそうになったものだぞ』などと言っていた。
さすがに今はまだそこまでの郷愁は感じないものの、たしかに帰ってきたところに『お帰り』を言われるというのは、案外悪くない。
「とりあえず、適当に座っててくれ。水くらいは出すからさ」
「はーい」
流しの脇にある食器棚から取り出したグラスに、どこの家庭にもあるであろう魔具から流れ出た水を汲んで奥の部屋に。
ベッドとテーブルに椅子。あとはクロゼットがあるだけの寝室で待っていたクーラに水を渡す。
「じゃあ、さっそくお昼にしよっか。ちょうどいい時間みたいだし」
「ああ。いい具合に腹も減ってきた」
「ってわけで……」
「「いただきます」」
そう手を合わせて、籠にどっさりと詰め込まれたパンに手を伸ばす。
「これは……チーズか」
見た目からは中身がわからない。だから適当にと、最初に選んだものは俺の好物。柔らかすぎない程度に柔らかいパン生地と、硬めのシャキシャキ食感を残したほの辛いタマネギ、チーズの塩気が繰り出してくる連携は、先日と変わらずに俺の舌をぶちのめしてくれる。タスクさんとソアムさんのそれに匹敵するんじゃなかろうか、なんてことまで思う程度には。
そんなひとつ目はあっという間に腹に吸い込まれて、次に手を伸ばす。見れば、俺よりもわずかに早いタイミングでクーラも手を伸ばしていた。
「あ、ふぉういえばは……」
「……飲み込んでから喋れ」
口をもぐもぐしながらなにやらを言ってくるクーラにため息。仕事の合間に詰め込む飯であれば行儀がどうのとは言えないだろうけど、落ち着いて食える状況であるのなら、わきまえてやるのが食い物への礼儀というものだ。
「……んぐっ。それもそうだね。ところでさ、ちょっと気になったんだけど……」
「なんだ?」
「昨日って何かあったの?」
「何か、というのは?」
「いやさ、私としては……また君が来てくれるんじゃないかなぁ、なんて思ってたのよ」
「ああ。そのことか」
たしかに一昨日の時点では、明日も来ようか、なんてことを俺も考えていたっけか。それをやらなかった……というかできなかった理由は明確なんだけど。
「ひと騒動あって、一昨日の夕方から立て込んでいたんでな。俺も少し王都を離れてたんだよ。実際、戻ってきたのはついさっきなんだ」
「……もしかして、連盟関連だったりする?」
「ああ」
「だったら、根掘り葉掘りはしない方がよさそうな感じかな?」
「そうしてもらえると助かる」
結構な騒動になっているらしい今回の一件。お偉方がどう判断するかはさて置くとしても、現状で俺がベラベラ喋るのは止めといた方が無難だろう。
「うん。だったら無理には聞かないよ。表沙汰にできないこともあるだろうし、それで君の立場を悪くしちゃうのも嫌だからね」
妙に達観した物言いだ。理解があるってことなのか?まあ、こっちとしてはありがたいんだが。
「そんなわけで細かい内容は聞かないけどさ、アズール君も関わったわけだよね?」
「一応はな」
「じゃあさ……どんな活躍したのかって話してもよさそう?」
「……難しいところだな」
随分と答えにくい問いをかけてくる。
「話したらマズいことなんだね?」
「いや、マズいわけではないんだが……」
なにせ……あらためて振り返るも、俺はほとんど何もやっていないんだから。最深部まで到達してラッツとネメシアさんを助け出せたのは、99%以上セオさんとキオスさんの力。粘性体原初の始末に至っては、疑いようもなく100%がタスクさんとソアムさんによるもの。それでも無理矢理に俺が役に立てたことを探すならば……
「たいまつの代わり。それ以外には一切思いつかないんだわ、これが」
「そっか。まあ、場所を考えたらあまり派手なことはできないよね」
「そういうことだ。まあ、足手まといにならなかっただけでも、俺にしては上出来がすぎるんだろうがな」
「あのさぁ……」
なぜだろう?不意に、上機嫌だったクーラの表情に、不機嫌そうな色が混じる。
「足手まといよりは役立たずの方がマシ、ってのはよーくわかる。けど、あまり自分を卑下するのもどうかと思うよ?たいまつの代わり、なんて君は言うけどさ。夜闇からの奇襲が怖いのなんて、今も昔も変わらないでしょ?」
「……それはそうだが」
というか、これまた妙に知った風の口。
「それにさ、君はまだ駆け出しなわけだよね?私が看板娘として駆け出しなのと同じで」
「前半は否定しないが、お前の看板娘は自称だろう?」
「とにかく!ありきたりな一般論かもしれないけどさ、最初から上手くやれる人なんて滅多にいないと思うのよ。それこそ、クラウリアだってさ、初仕事の時はウサタマ相手にピーピー泣いてたんだから」
「んん?」
まるでその現場を知っているような口ぶりなんだが……
「えっと……そう!そうなんじゃないかなぁって、私は思うの!」
「まあ、思うのは自由ではあるわな」
これでも俺はクラウリアを尊敬している身。あまりにも悪しざまに罵るようならば腹も立てるけど、多分クーラはそうじゃない。
おおかた、俺を励まそうとしてクラウリアを引き合いに出したんだろう。俺なんぞと比較されてしまうクラウリアには申し訳ないとも思うんだが。
「はぁ……。もういいや」
なぜか深々とため息をついたクーラは、
「はい。これ」
これまたなぜか籠から取り出したパンを押し付けてくる。
「とりあえずさ、しっかり食べるのはどんな稼業でも大事だからね。まして、虹追い人は体力勝負なところもあるんだし」
「違いない」
受け取ったパンに嚙り付けば、タマネギとジャガイモによる味と食感の複合攻撃が口の中で炸裂。相変わらず、こちらも美味かった。
「――へぇ。ジャガイモのトマトスープか。今度食べに行ってみようかな」
「ああ。アレは一度は食っておくべきだぞ」
「――ってわけ。まだ試作段階だし、食べにくい感じはしたんだけどね、それでも美味しかったのよ」
「煮詰めたシチューをパンの具材に、か。かなりそそられるものがあるな。売り出されたら買いに行くか」
その後も、互いの近況らしきものを話のタネにしつつの食事は続き、
「ふぅ、お腹いっぱい」
「こなれるまでひと休みだな」
ふたり揃って腹をさする。さすがにひとり5個は多かった。腹具合的には、九分を少し超えたくらいだろうか?まあ、それはさておき――
「「ごちそうさま」」
手を合わせる。オゴリで食う飯は基本的に美味いものだけど、付け合わせに興じる歓談も心地のいいもので、実に充実したひと時だった。
「ついでにお茶も持ってくればよかったかも」
そんな余韻の中で、グラスの水をチビチビと舐めるように飲みながらクーラがつぶやく。
「お前、茶を飲むのか?」
「うん。これでも結構こだわりがあってね。たださぁ……」
ため息をひとつ。
「さすがはこの国の中心だけあって、よさげな茶葉もたくさんあるし、欲しいティーセットも見つけたんだけど、肝心の先立つものが無くてねぇ……」
「それはそうだろうな」
クーラの身の上を俺は知らないし、無暗に詮索しようとも思わない。けれど、聞いた限りでは、クーラも俺と同じで故郷から王都に繰り出してきたとのこと。であれば、今はまだ懐具合に余裕なんてあるとは思えない。
「君は飲まないの?」
「そうさな……」
セルフィナさんのおかげで茶の美味さを知ったのはつい先日のこと。それを差し引いたとしても現状では――
「出されれば飲むけど、自分から飲もうとは思わない。そんなところだな」
「そっか。残念」
「まあそれでも、興味自体は無いわけでもないんでな。そのうち、故郷の身内に茶のひとつも送ろうかなんてことも思ってる」
これも先日、セルフィナさんと話していて思ったこと。その時は、話が流れてしまったわけだが。
「どんな茶葉がいいとかって、やっぱりあるものなのか?」
「そうだねぇ……。どっちかっていうと、大事なのは淹れ方なんだけど……。あとさ、種類ごとに香りも結構違いがあるわけだし」
「なるほど」
たしかに、好みに合わない茶を送られても対処に困りそうな話ではあるな。
「まあ、そこらへんは癖の小さい種類を選べば問題無さそうかな?君のご家族って、お茶の淹れ方とかはご存じなの?」
「辺鄙な農村暮らしだからな。知ってるわけないと思うぞ」
「だったら……わかりやすく簡単に美味しく淹れられるのがいいかな。農村ってことは力仕事が多いだろうし、疲労回復に効果がありそうなものがよさそうだよね?そうすると……」
あれこれ言いつつ考え始めるクーラ。こだわりがあるとは言っていたが、随分詳しいらしい。
「メトージア地方……。いや、今の季節だったらハリエス大陸のヴェイワーナ産がいいと思うよ。大陸の外からだけど、大量に仕入れてるし、ちょうど旬のものだからね。お手頃価格になってるはず」
「あ、ああ」
前言撤回だ。大陸の外にまで思考が及んでいるあたり、こいつは随分どころじゃなく詳しい。
まあ、それはさて置くとしても――
「買い出しのついでに、そのヴェイワーナ産の茶葉とやらも探してみるか」
この前の草むしり依頼の報酬に加えて、まだ受け取ってはいないけどタマ狩り13回分の収入も確定している。それだけでも、今月分の家賃は払い切れる。なら、それくらいの出費は問題無いことだろうから。




