透き通った声が聞こえる
カッポカッポカッポカッポ。
2頭の馬が蹄を鳴らす。
今日は程よい曇り空。日差しがまぶしいわけでなければ、雨が降りそうでもない。俺的には最高の空模様。時折吹き抜ける風も心地がいい。
心配事も片が付いての帰り道。素直に考えれば、気分のいい状況であるはずなのに、俺は非常に落ち着かない心境の中に居た。なぜかと言えばそれは――
「風が気持ちいいね」
文字通りの目の前からそう言ってくる、ソアムさんが原因だった。
粘性体関連のあれやこれやが片付いた翌朝。俺はタスクさんソアムさんと共に、王都へと帰るつもりでいたんだけど、レビダまでの道中をこのふたりは、馬で駆けてきていた。なお、この馬は王都で借りてきたものなんだとか。
となれば当然、帰路も馬を使うことになるわけだ。
一方で俺はと言えば、セオさんの愛馬ことエルティレに乗せてもらって来た。セオさんがこの後もレビダに留まる以上、エルティレもその間はレビダに滞在することになるわけで。
つまり、帰り道の顔触れは人が3人と馬2頭。そんなわけだから、俺は歩くつもりでいたんだけど、タスクさんとソアムさんがそれを許してくれるかと言えば、答えは否。
だから、俺も乗せてもらうことになったんだけど……
ここで問題になるのが、ふたりの体格だった。
非常にガタイのいいタスクさんと、小柄なソアムさん。見た目の印象としては、タスクさんひとりの体重と、ソアムさん+俺の体重は同程度。どちらの馬にお荷物を追加するかと言ったら、答えはひとつしかなかったわけだ。
ソアムさんに気にした様子が無い以上、俺が自意識過剰なだけなのかもしれない。それでも、生まれてこの方ずっと、女っ気に乏しい生き方をしてきた身としては、女性に抱き着くというのは中々にハードルが高かった。
しがみつき具合は軽めにしている。それでも匂いとか感触なんかが男のそれとは違っていて、どうにも落ち着かない。
「だな。なんかあの雲見てたら昼飯は焼き魚食いたくなってきたわ」
「それいいね。って言っても、王都に着くのはお昼過ぎになるし、まずは支部に寄って報告をしなきゃ……あ」
「どうしました?」
ソアムさんが上げたのは、何かに気付いたような声。
「いやさ……支部で思い出したんだけど、シアンちゃんからの伝言があったじゃない」
「……そういえば、俺もすっかり忘れてたわ」
シアンさんからの伝言?
というか、これは使えるんじゃないか?
何だろうとは首を傾げつつ、内心ではそんなことを思い付いていた。
「キオスさんたちに言伝があるんでしたら、引き返して伝えてきましょうか?」
それを口実に、ソアムさんにくっ付かなければならない現状から逃げられるかもしれない。
「いや、その必要はねぇよ。伝える相手はお前なんだから」
「俺に、ですか?」
目論見が潰えたのはまあいいとして、俺に――というか俺だけに伝えるようなことなんてあるものか?『あまり無茶はするなよ』とか『勝手な行動はするんじゃないぞ』的なことくらいしか思い付かないんだが。
「そう、アズール君に。戻ってきたら、橙への昇格手続きをするから、ってね」
「……えーと、俺が、なんですよね?」
「それ以外に無いだろ?」
たしかに、話の流れではそうなるんだけど……
「昨日……じゃなかった、一昨日のタマ狩りで集めてきた残渣、お前も全部納品してただろ?」
「ああ、そういうことでしたか」
「そういうことだな。数はちょうど130個、あの依頼13回分相当になる」
数えてはいなかったけど、結構集まってたんだな。
「その分のポイントで、橙への昇格ラインに届いてたってことですね?」
「そういうこと」
「そうですかぁ」
ヤバいなこれは。
気が付けば勝手に頬がニヤケの形に。慌てて手で直すも、すぐにまたニヤケてしまう。
赤昇格を最初の一歩とするならば、これは続く二歩目でしかない。それでも、こみ上げてくる嬉しさは、堪え切れるほどではなくて。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸をひとつ挟んで気持ちを落ち着かせる。
あまりのぼせるなよ俺。手続きが終わるまでは赤なんだし、橙になったとしても、まだお前は半人前にすら届いていないんだぞ。
自分に言い聞かせる。今回の一件で見せつけられた先輩たちの偉大さに比べたら、俺なんてネズミのションベン以下。むしろお前ごときとは、比較することさえ失礼にあたるような御仁たちなんだぞ。
よし!これで少しは落ち着けたはずだ。
「急に黙り込んでどうしたんだ?嬉しくないわけじゃないんだろ?」
「それはもちろん嬉しいですよ」
ああ、そういえば……
ふと気になったこと。
「俺のスコアは130ってことでしたけど、おふたりはいかほどだったんです?」
本当にそれは軽い好奇心。興味本位からの問いかけ。
だけど――
頭が冷えたつもりでいた俺は、それでも浮かれていたのかもしれない。なにせ、
「「168」」
同音異句。けれどその瞬間、くつわを並べるふたりの間で火花が散ったような気がした。
マズい!?これはやっちまったか!?
「っていうかさ、最後の1匹。アレってあたしの方が先だったよね?それを自分のスコアにしてたでしょあんた」
「おいおい、言いがかりは止めろよな。アレはどう見ても俺の方がコンマ1秒は早かっただろ。ったく、これだから器も背丈も小さい奴は」
「だぁれがチンチクリンか!無駄に図体がデカいだけの木偶の坊がえらっそうに」
「てめぇ……やろうってのか!」
「上等!ぶちのめしてやろうじゃないの!」
うああああああっ!やっちまったあああああっ!
これはあれだ。このふたりに火を付けてしまったらしい。あの時の反省はどこに行ったんだよ俺!
みるみるうちにヒートアップしていくふたりは、今にも殴り掛からんばかりの形相で睨み合う。
前回はシアンさんに救われたんだったか……。けど、今この場にはシアンさんが居るはずもないし……
どうする?どうしたらいい?
必死で頭を回してみるも、妙案は浮かんでくれない。浮かんでくることと言えば、こんなことならレビダに残るんだった、なんていう後ろ向きな後悔だけ。
「あ、あの……こんなところでやり合ったら周りの迷惑になると思いますので……」
苦し紛れに出てきたのは、そんな当たり障りの無さそうな言葉だけ。前にも後ろにも人影ひとつ見えない現状では無意味な気もするんだけど……
「たしかにな。ソアムはともかく!俺は!真っ当に虹追い人やってるからな」
「だよね。タスクと違って!あたしは!良識ある虹追い人だし」
そうは言いつつも、強調具合で言葉の殴り合いを続けるふたり。それでも、矛を収めてくれたのはありがたい。命拾い命拾い、と。
「けど、このままってのも収まらねぇんだよなぁ。だったら……」
「ケリは付けなきゃスッキリしないよね。だったら……」
んん?なにやら雲行きが怪しくなってきたような……
「「どっちが先に王都に着くかで勝負!」」
「ちょ……!?」
またしても異口同音に、とんでもないことを言い出す。というかこのふたり、やっぱり滅茶苦茶仲いいだろ!
「じゃあ、行くぜ?」
そうこうするうちに準備は万端。並ぶ2頭の馬は脚を止めていて、あとは開始を待つだけに。
「オーケイ。アズール君もしっかりつかまっててよ!」
「うぇ……!?いや、その……」
ただでさえ女性のソアムさん相手。こっちは軽くつかまることでどうにか自分を落ち着かせてたんですけど!?
「早く!」
「は、はいっ!」
それでも、そんな命令には逆らえずに……
「「いち!にの!」」
無慈悲なカウントダウンが始まってしまう。
「「さん!」」
俺にとって唯一幸いだったのは、行きのエルティレばりの大揺れのおかげで、ソアムさんの匂いや感触を意識せずに済んでいたことだった。
「なーんか、スッキリしないよね」
「まったくだぜ。報告が済んだらタマ狩りにでも行くか?」
「そうしよっか。今度こそ白黒付けてやるから」
そんなこんなで、当初の予定よりもだいぶ早く――昼飯時の少し前に王都に到着し、支部への道を歩く。
なお、レースの結果は引き分け。多少の差はあったのかもしれないけど、審判が居なかったこともあり、明確な勝敗は不明というわけだ。つまり俺は、完全な付き合わされ損。
「アズール、お前もどうだ?」
余力に溢れるふたりは第二ラウンドの算段を立て、俺にもお誘いの言葉をかけてくるんだけど――
もちろんまっぴらごめんです!
それが俺の偽らざる気持ち。当然口には出さないが。
「せっかくのお誘いなんですけど……。実は、まだ一度もユアルツ荘の部屋には入ったことも無いんですよ、俺。なので、この後は買い出し兼王都の散策でもしようかな、と」
代わりに使う言い訳もまた事実ではあるんだけど。
なんだかんだで先送りにしていたけど、王都に関しても極々一部の道しか通ったこともないんだから。
「そうか。だったら無理強いはできないな」
「そだね」
「……あれ?」
そんなこんなで歩き続けることしばらく。どことなく見覚えのある通りに出て、見慣れ始めていた第七支部が見えてきたはいいんだけど……
「閉まってますね」
ドアにぶら下がっていたのは『close』の札。その隣には「誠に申し訳ありませんが、本日は休業とさせていただきます」と書かれた張り紙も。
「今回の一件の後始末かな?」
「多分な。となれば……。アズール、こっちだ」
「あ、はい」
そうして向かう先は裏口。こっちにも鍵がかかってそうな気はするんだけど……
「たしかここらへんに……」
けれどタスクさんが腕を伸ばすのは、その近くにあった窓のひとつ。
「お!これだな!」
そこから引っ張り出されたのは、茶色い封筒。
「これは?」
「ウチのメンバーだけが知ってる緊急連絡の隠し場所だな。さて――やっぱりか……」
「なんて書いてあったの?」
「ほれ」
向けられた紙をソアムさんと一緒に覗き込む。
そこに書かれていたのは、レビドア湿原での一件の説明を各支部にしなければならないので、今日は第七支部を閉めるという旨。そして、急を要するのであれば、第五支部に来るように、とも。
「そりゃ、あれだけのバケモノがレビドア湿原の地下に潜んでたんだもんね。大騒ぎにもなるわ。残渣の大きさからしても、こないだの双頭恐鬼に近いくらいなんだし」
「……ですね」
まあ、そのバケモノをぶちのめしたのが、今ここに居るふたりなんだけど。ちなみにだが、残渣はタスクさんの背負い袋に入っている。
「あと、ユージュ・ズビーロの件もあるだろうしな。腐っても宰相の息子なんだしよ」
腐っても、というか性根の方は腐りきってたような気もするが、たしかにそっちも騒ぎの種にはなりそうか。
「まあ、そういうことなら報告は明日でいいよね。ってわけで、さっそく行く?」
「おうよ!今度こそケリ付けてやるからな!」
「付けられる、の間違いでしょ?」
「今のうちにほざいてろ。ってわけでだ、俺たちはキセナ平原に行ってくるわ」
「じゃあね」
「はい。おふたりとも気を付け……というか、熱くなりすぎないでくださいよ」
「俺は大丈夫なんだけどソアムがなぁ……」
「あたしは大丈夫なんだけどタスクがねぇ……」
どこまでも息がぴったりなふたりのセリフはまたしても綺麗に重なり、
「「あぁ!?」」
即座のにらみ合いへ。
まあいいや。このふたりなら、そうそう大事には至らないだろうし。
そう判断した俺は、また巻き込まれる前にそそくさと逃げるように、その場を後にした。俺にだって申し訳程度の学習能力はあるんだ。
さて、結果的に昼よりも少し早くに王都に着けたわけだが、昼飯はクーラのところで買うとして……その前に部屋でひと息入れたいところだな。
というわけで足を向ける先はユアルツ荘。ここに来るのは2度目ということもあり、迷うこともなく到着。
俺の部屋は203号。2階だったな。
まだ一度も使ったことが無い鍵を眺めつつ、階段を上がり――
「……あ!」
「んん?」
透き通った声が聞こえる。大きめの籠を手にして、長い黒髪を風になびかせる姿があった。
「おーい!」
目が合うなり、上機嫌に手を振って駆けてくるのは見知った顔。記憶との違いはエプロンの有無くらいであり、すぐに誰なのかを識別はできたんだけど……
なんでここに!?
そんな疑問が先に立つ。
「やっほう。アズール君」
なぜか俺の部屋の前にいたのは、パン屋の自称看板娘ことクーラだった。




