本当に、雲の上の話すぎて困る
「朝、か……って、違うなこりゃ……」
目が覚めた場所はベッドの上。窓から差し込んでくる陽がほのかに赤みがかっていたせいで一瞬勘違いをしてしまったけど、よく見ればその色は朝日ではなく夕焼けによるもの。
「気が抜けたってのもあるんだろうけど……」
粘性体原初との激戦(の観戦)を終えてレビダの宿に戻ると、バートも目を覚ましており、心配事は完全に消えてくれた。軽口を交し合い、変わらない様子にひと安心。また、看病はアピスさんが引き受けてくれるということだった。
そんな事情もあり、ベッドに入る時にはたっぷり眠るぞと決意をしていたとはいえ、
「結局、夕方まで寝ちまってたわけだ……」
さすがにこれは寝すぎだろう。
周りを見る。ここは4人部屋で、キオスさん、タスクさん、ソアムさん、俺の4人が泊まっていたんだけど、他のベッド3つはすでにもぬけの殻。先輩方はとっくに起きていたらしかった。
ちなみにだが、バート、アピスさんが同室(看病する都合からとのこと)。セオさん、ラッツ、ネメシアさんが同室となっている(これも、ラッツとネメシアさんはかなり無理に心色を使いすぎた後だから、経過観察の都合上とのこと)。
男女ごちゃ混ぜではあるんだが、腐れ縁共はそういったことはやりそうもないし、セオさんだってそんなことをやるような人じゃないだろう。そして、ソアムさんに妙なちょっかいをかけるような命知らずなんてのは、極めて稀に違いない。少なくとも俺は、身内の首に刃物を突き付けて脅されでもしない限りは、絶対にやりたくない。まあそれはともかく――
「……俺も起きるか」
馬鹿馬鹿しい方向に向かい始めた思考はさて置いて身を起こす。ぐっすりと眠れた甲斐もあってか、怠さのようなものは全く感じなかった。
「おっ!起きてきたな、アズール」
「おはよー」
ここの宿は食堂や酒場も兼ねているタイプ。俺が客室から向かった先は、その食堂兼酒場で、まだ晩飯時には早いこともあってか、そこにいたのは談笑していたふたりだけ。
「時間的にはこの挨拶でいいのかは自信ないですけど……おはようございます、タスクさん、ソアムさん」
どちらも俺の先輩にあたる方だった。
「こっちこっち」
「失礼しますね」
ソアムさんに手招きされるままに、同じテーブルに着く。
「よく眠れたか?」
「ええ。おかげさまで」
「考えてみれば、タマ狩り競争からぶっ通しだったもんね。お疲れ様」
「はい。ソアムさんとタスクさんも、お疲れ様でした」
「ありがと。とりあえず、遅刻分の埋め合わせくらいはできてホッとしてる」
埋め合わせどころか……ふたりが来てくれなかったらかなりヤバいことになってた気もするんだけど……
「だよなぁ。もっと早くアレを用意できてればよかったんだけどな」
アレ、というのは件の魔具のことだろうか?というか……
今更ながらに気になったこと。それは、
「そういえばおふたりって、どんな流れでこっちに来ることになったんです?」
セオさんと俺が王都を出る時の流れからして、タスクさんもソアムさんも来る感じじゃなかったようだけど……
「そのことね……」
「俺もソアムも、粘性体相手だと相性が悪いからな。最初はおとなしく留守番するつもりだったんだよ」
たしかに、相性云々とはキオスさんも言っていた。
「けど、お前らを送り出してから思い出したんだよ。知り合いが氷魔吠狼の魔具を持ってたことを。んで、頼み込んで貸してもらって……」
「夜通し馬を飛ばしてやってきた、ってわけ」
「そうでしたか……」
そのおかげでこっちは助かったわけだ。けど……
「あの……下世話な話かもしれませんけど、氷魔吠狼の魔具って使い捨てなんですよね?かなり希少でもあるみたいですけど……」
そんな話も聞いていた。つまるところ、借りたはいいが、返そうにも返せないのが現状。
「そのことだったら気にすんな。貸してくれた奴曰く『返せないようなら、今までにお前に作った借りは全部帳消しだからな。……うん、むしろその魔具返さなくていいぞ』ってことだったからよ」
「そうですかぁ」
たしかに、タスクさんの性格を考えたら(無意識無自覚の内に)方々に大量の貸しを作っている様が容易に想像できてしまう。
「そんなことよりもよ、お前に聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
そして、そんなことと言い切る。
まあ、本人がまるで気にした様子が無い以上、俺がどうのこうのを言うのは無粋か。
「ええ。俺で答えられることならば」
「そうか。あの粘性体原初をぶっ潰した時の連携なんだけどよ、お前も離れたところから見てただろ?」
「見てましたね」
「それに関して、ダメ出しをしてもらえないか?」
「……はい?」
この人何言ってるんだ?
反射的にそんなことを思う。
だってそうだろう?圧巻というか神業めいているというか、そんなすさまじい連携だった。俺が少しは持っていたはずの自信を粉微塵に粉砕する程度には。
となると……俺の聞き間違いだな。『ダメ出し』と聞き取ってしまった部分は別の意味だったに違いない。
「そんなに難しく考えなくてもいいからさ。『あのタイミングは無いだろヘタクソ!』とか、『なんであそこで押し込まなかったんだよこのヘタレ!』とかさ、気になったことがあったら教えてくれない?第三者の意見も聞きたいのよ」
残念なことに聞き間違いではなかったらしい。
そして、そんな問いに対する俺の答えはひとつ。『無茶言わんでください!』と、これだけだ。さすがに口に出そうとは思わないけど。
ともあれ、俺から見れば神業でも、本人たちにしてみたら、まだ改善の余地があるってことなのか。本当に、雲の上の話すぎて困る。
「……すいません。ちょっと思いつかないです」
だから、そんな無難な返答を選ぶしかないわけで。
「そっか……。俺としては、途中で何度か挟んでた、斬り上げ跳びの高さが気になってたんだよ。アレ、高すぎただろ?ただでさえ魔具に制限時間があったのに、無駄な時間を作ってたと思うんだよな」
「あとさ、あたしは凍った部分を集中的に狙ってたんだけど、それ以外の部分にも叩きつけてのけぞらせてやれば、もっとタスクが攻め切ることに専念できてたんじゃないかなって思うわけよ」
「それを言ったら、俺の避け方も甘かったよな。もうちょいギリギリでやってれば、攻め手のロスも減らせてただろうし……」
「あたしの方も遠心力を乗せることに固執しすぎてた部分はあったかも。そのせいで所々狙いが甘くなってたし……」
俺を余所にするのは別にいいとして、ふたりは反省会らしきものを始める。言っていること自体は理解もできるんだけど、よくもまあここまで細かく分析できるものだと感心する。今はまだ付いていけない話だけど、きっと学べることは多いはずだ。
そう考えて聞くことに意識を集中しようとした矢先――
ぐぅ~
そんな間の抜けた音を、俺の腹がぶっ放してくれやがった。
「……スイマセン」
会話を中断して目を向けてくるおふたりへ、それ以外の言葉を発することなどできるわけもなく。
「なんだ、腹減ってるのか?」
「……面目次第もございません」
考えてみれば当然の生理現象ではある。時刻は晩飯の少し前。けれど、今日は朝も昼も何も食べていないんだから。
「はは、コレやるよ」
と、タスクさんが自身の背負い袋から取り出すのは小さな布袋。さらにそこから出てきたのは、15センチほどの細長く茶色い何か。
「何です、コレ?」
「キオス製の携帯食料だよ。見るのは初めてか?」
「……ああ!」
どことなく覚えのある話のような気がして、思い返すこと少し。草むしり依頼に行く前にもらったものを思い出した。
「もらったのはいいんですけど、食う前に双頭恐鬼とやり合ってぶっ倒れちまってたんですわ」
いつの間にか背負い袋からは消えていたが、賞味期限切れになる前にキオスさんが処理(といっても誰かの腹に入ったんだろうけど)してくれたとのことだった。
「いただきます」
好奇心はあったし、少しくらいは腹に入れてもいいだろうということで嚙り付く。硬い手触りだったそれは、歯を立ててやれば軽い触感で砕ける。味の方はほんのりと塩気がある程度だが、ところどころに隠れている細かく刻まれたナッツがいい仕事をしている。とりあえず言えることは、俺が良く知るあのクッソマズい携帯食料とは雲泥の差だということ。
「美味いですねこれ」
「だろ?近いうちに、ユアルツ荘の近くにあるパン屋で売り出すらしいからな。そうなったら常にストックしとくつもりなんだわ」
「ですね」
その気持ちはよくわかる。懐具合との相談にはなるだろうけど、俺だってそうしたいところ。
「チラッと聞いたけどさ、あそこのお店に新しくバイトの子が入ったんだよね?多分、そこら辺を見越してたんじゃないかな?」
「なるほど」
昨日知り合ったばかりの自称看板娘ことクーラ。あいつが雇われたのは、そんな経緯もあったわけか。
クーラは今頃元気にしてるか……いや、元気でいるに決まってるだろうな。あいつと話をしたのは昨日の昼前。まだそれから1日と数時間しか経過していないわけだし。というか、あいつがへしょげてる姿なんて想像できん。
そんなことを思ってしまうのも全部、昨夜がいろんな意味で長すぎたからだ。
「ごちそうさまでした。美味かったです」
そうこうするうちに、もらった携帯食料はすべて腹の中へ。少し物を入れた甲斐あってか、虫もおとなしくなったらしい。
「にしても、キオスさんって料理好きなんですか?」
思えば、俺が1日の療養という苦行を命じられていた時も、三度の飯はキオスさんが用意してくれていた。そして、どれも食べやすく美味かった。
「料理が好きっていうか、キオスの趣味みたいなものなんだろうね。試作品なんかもよく食べさせてくれるし」
「ああ。この前の……豚の骨から作ったとかいうスープは美味かったな。どんな具材を合わせるかはこれから相談して決めるらしいけどよ」
「あれかぁ……。ちょうどその日は出払っててあたしは食べられなかったんだよね……。不覚だった」
「……豚の骨、ですか。想像つかないですね」
「まあ、そのうち完成したら振る舞ってくれるだろ」
「じゃあ、その時を楽しみに待ちますか」
食い物の話を聞かされたせいで、腹の虫が蠢き始めたような気もするんだけど、そこはおとなしくしていてもらおう。どうせ、もうすぐ晩飯なんだし。それはそれと……
「相談して、ってことですけど、他にも同じ趣味の人がいるんですか?」
懐事情や腹具合を対象とすることもないわけではないけど、相談と言ったら、普通は相手がいるわけで。
「趣味というか、本職だな。王都で飯屋やってる連中の間では、キオスって有名らしいぞ」
本職――いわゆるところの料理人。思った以上にガチな人たちだった。クーラの雇い主なんかも含まれているんだろう。
「そういえばさ、アズール君たちの歓迎会も楽しみだよね。キオスは何作ってくれるんだろ?」
「バートたちの怪我もあるからしばらく先にはなるだろうけどな」
「歓迎会ですか。少しこそばゆくもありますけど……」
「気にしなくていいってば。キオスは料理を振る舞えて嬉しい。あたしらは美味しいもの食べられて幸せ。ウィンウィンの関係ってやつよ」
「だな。一気に5人も増えるのは久しぶり……っていうか俺らが第七に来てから初めてだよな。相当気合い入れて来るんじゃないのか?」
「……5人?」
なんだかおかしな数字が出てきたような気が……
俺、ラッツ、バート。全部合わせても3人にしかならないんだけど。
「アズール君はまだ聞いてなかったんだっけ?話が決まったのは今朝のことだけどさ、アピスちゃんとネメシアちゃんもウチに移籍することになったのよ。まあ、一時的な避難とも言うけど」
「……そういうことですか」
避難、という部分で話が繋がった。
いろいろあって、俺としては第一支部そのものに悪印象すら抱いてるんだけど(もちろん今名前が出てきたふたりは除く)、このあとネメシアさんたちが第一支部に戻ればどうなるのか?
今回やらかしたクソ共が幅を利かせている(というか、幅を利かせていた)らしいことを踏まえたなら――宰相の息子が死んだ責任を押し付けられ、吊し上げられる未来が容易に想像できてしまう。
となれば、安全のためにもその方がよさそうか。どれだけ役に立てるかという疑問こそあるが、俺だってそんな事情であれば、できる助力はしたいと思う。
「それには俺も賛成です。……それで、第一支部からのちょっかいってありそうですかね?例えば、『俺らの許可もなく移籍しやがって。ただで済むと思うなよ』的なやつは。あと、下手すりゃズビーロ家の連中も」
そのあたりは大いに心配なんだけど……
「第一支部の連中については大丈夫だろ。ウチには『魔除け』が居るからな」
「『魔除け』が……居る?」
今ここでタスクさんが言った具体的なところはわからずとも、『魔除け』自体の意味はわかる。だが、普通は『居る』ではなくて『ある』と表現するんじゃなかろうか?
「ああ。セオって名前の魔除けがな」
「えーと……セオさんは第一支部の連中に恐れられてる、とか?」
「まあそれも無いとは思わないけど……。あいつらってなまじランク至上主義でやってるからさ、藍のセオがぶっ刺さるわけよ」
「なるほど……って藍!?」
とんでもないフレーズがサラリと出てきた。藍と言ったら、虹追い人としてもごくごくひと握り。超一流、なんて評される部類に入る。
まあ、昨夜見せられたセオさんのあれやこれやを思えば、それもおかしいとは思えないけど……
「ただいま」
「おや、なんだか賑やかですね」
噂をすればなんとやら。入り口のドアが開き、やって来たのは、さっきまで話題になっていたキオスさんと、今話題になっているセオさんだった。




