どちらかと言えば俺は、身勝手な性分だと思ってます
「セオ!右手前方だ!……左前方に3!…………正面10メートル先に2!」
矢継ぎ早にキオスさんが叫ぶのは、兆候を捉えた産み粘性体の出現に対して。
「了解……です!」
走りながらで対処を続けるセオさんの息も上がってきていて。
行きはよいよいなんとやらか。来る時には散発的にしか出てこなかった粘性体が、帰り道の今はひっきりなしに湧いてくる。
しかも――
「すぐ目の前だ!足を止めて!」
「っと!」
基本的には、発見からほぼノータイムでセオさんが瞬殺しているとはいえ、ちょこちょこと足止めに加えて、急なストップ&ゴーを強要されるのも勘弁願いたい。膝もガク付き始めてきたぞ。
おまけに、背後からは蠢く湖水がジワジワと押し寄せる。まあ、すでに水としてはいろいろとおかしいんだろうけど……
ともあれ、そんな状況で、緩やかではあるとはいえ上り坂を、比較的軽い女性であるとはいえ人ひとりを背負って走るというのは本当に堪える。なんだか腰も痛くなってきた。そういえば、セオさんにもらった湿布薬はあの魔具職人さんに渡したきりだったか。残った分だけでも返してもらえばよかったかもな。
そんな阿呆な思考をするのも、気を紛らわすため。同じような……というか、俺以上にしんどい条件で索敵までこなしているキオスさんの手前声には出さないけど、師匠のシゴキでも、ここまでキツいのは両手の指に収まるくらいしか無かったぞ。
頼むから早く終わってくれ!
かなり切実に思いつつも、ひたすら駆けることどれくらいになった頃か、
「ゴールは近いよ!頑張れ!」
念願だったその報せ。程なくして目に付くのは、やたらと派手な衣服の成れの果て。服そのものに罪はないとはいえ、まさかあのクソ共が残したものに歓喜を感じることになるなんて、夢にも思わなかった。
「上に昇ります。じっとしていてくださいよ!」
降りてきた時と同じような注意を受けつつ、セオさんのそばへ。吹き上がる風がゆっくりと全員を上に運んでいく。
「すげぇ……」
「こんなことができる風使いなんて初めて見た……」
同じ風の心色持ちということで思うところがあるのか、ラッツやネメシアさんは感嘆の声を漏らす。まあ、今は驚いて暴れさえしなければそれでいいか。
「……出口だ!」
上に昇ってしまえば、外までは目と鼻の先。数時間ぶりになるであろう外の空気がやけに清々しい。
「アズールさん。『爆裂付与』で洞窟を塞いでください!」
「了解です。降ろしますよ、ネメシアさん」
俺としても、あんなモノを野放しにはしたくない。問題の先送りなだけのような気はしないでもないけど、今はそうも言ってられない。
ともあれ、ネメシアさんを降ろして、『爆裂付与』入り泥団子を投げる。5発ほどで入り口が崩落を起こし、洞窟は完全に閉ざされてくれた。
「ふぅ……」
これでひと段落と思いたい。ここは湿原。湿り気の強い草地ではあるんだろうけど、お構いなしに座り込む。見れば、この場に居る全員がへたり込んでいた。
「それでセオ。アレがなんなのか、見当が付いているんだろう?」
そう問いかけるのはキオスさん。たしかにあの時、セオさんはそう取れるようなことを言っていたか。
「ええ、ある程度は。もっとも、皆さんも薄々は気付いているのでは?」
「……アレが粘性体の一種なんじゃないか、ってことですか?」
というか、この状況で他の魔獣なんて出てくるんじゃねぇよと思う。まあ、粘性体だったら許せるかといえば、その辺も微妙ではあるんだが。
「それは間違っていないと思います」
「……その口ぶりだと、それ以外にもあるってことだよね?」
「ええ。まず、このレビドア湿原に粘性体が湧くようになったのがいつからなのか、キオスは知っていますか?」
「いや、それは知らないね」
「えっと……たしか80年くらい前からでしたよね?」
退屈相手に苦戦している俺を見かねてセルフィナさんが用意してくれた資料にはそんな記述があったはず。
「アズールさんはご存じでしたか。その通りです。そして、魔獣というのは時間と共に成長していくんです。異常種とは別で、長く生きている魔獣の中には、同じ種類をはるかに凌ぐ強さを備えたものも現れる」
それは初耳だった。……ってことは!?
「あの粘性体は、80年物ってことかい?」
キオスさんも同じ結論を出したらしい。アレは、大きさだけを見ても粘性体として普通じゃない。
「……その程度であればまだよかったのですが」
けれど、セオさんは首を横に振ってため息。それ以上にロクでもない事態が起きていることを言外で語る。
「通常、魔獣という存在が発生するのは生息域の中で、発生する種類も決まっています。時折例外もあるわけですが」
「この前の双頭恐鬼、あたりは例外なんですよね?」
思い出すのは数日前のこと。ノックスの森にあんなものが現れるなんてことは、俺もガドさんも予想できたはずがない。
「そうですね。そちらは、本来であれば発生しないような種が現れるという現象です。そして、生息域ではない土地に魔獣が発生するという現象も、過去には確認されています」
「今回の粘性体がソレに当たるとでも?だが、このレビドア湿原には、そこそこの頻度で粘性体が発生しているだろう?」
この点でも、俺はキオスさんに同意見なんだけど……
「違います」
セオさんはきっぱりと否定。
「今現在に至るまで、この土地に生息している魔獣は、ただ一体だけだったんです」
そして断言。
「とりあえず……粘性体原初とでも呼びましょうか」
やけに仰々しい呼び名。まあ、サイズだけを見ても尋常ではなかったか。
「けど、俺たちだってかなりの数の産み粘性体を倒しましたよ。……だよな?」
「うん。数は数えてないですけど、20は超えてたと思います、けど……」
そう意見するのは、ラッツとネメシアさん。俺たちの方にしても結構な数の粘性体を目にしてきたわけで。むしろそのほとんどを撃破していたのが、他ならぬセオさんだったはずだけど。
「いいえ」
けれどセオさんはそれも否定。
「根拠のひとつは、粘性体が残渣を残さないことです。他の魔獣は例外無しに、倒せば残渣に変わるというのに」
「粘性体が例外だったんじゃないのかい?」
「一般的にはそう言われていますね。私も、先ほどまではそう考えてました」
「今は違う、ってことですか?」
「はい。粘性体が残渣にならないのは、倒せていなかったからです」
「あの……よくわからないんですけど……」
首をかしげるのはネメシアさん。俺だって似たようなものなんだけど。
なんだ?なにかが引っかかり始めているような気がするんだが……
一方でそんなことも思う。まあ、今は続きを聞くことが優先か。
「どの魔獣にも言えることですが……そうですね、緑小鬼あたりをイメージしてください。仮に手首を切り落としたとして、落とされた手首が残渣に変わるわけではありませんよね?」
「……そうか!」
声を上げてしまったのは、思い当たるところがあったから。
俺はそんな例を知っていた。先日にやり合ったニヤケ野郎こと大陸喰らいは、周りの草をいくら潰しても、それが残渣に変わることは無かった。同じことが粘性体にも言えるとしたら?
あ、けど……
そこまで考えて、アレ?と思うことも出てくる。
「産み粘性体がそうだとして、通常の粘性体はどうなるんです?アレって、別個に行動してましたよね?」
「通常の粘性体は、人間で言うところの汗のような存在だったとしたら?」
「……そういうことですか」
ようやくすべてが繋がった。だから、セオさんは粘性体原初と呼称したんだ。
「それこそクラウリアの時代にまで遡るかもしれないほどに遠い昔に……」
仮説ですがと、そう前置いて話し始める。
「あの地下洞窟に1匹の粘性体が発生した。その粘性体は長い歳月をかけてゆっくりと成長していった。やがて、指先のようなもの、私たちの言う産み粘性体を地上部分に突き出し、そこから汗に相当する通常の粘性体を振りまくようになった。それがどのような意図なのか、あるいは本能なのかまではわかりませんが」
80年物というキオスさんの考えを否定したのは、下手をすれば1500年物かもしれないと考えたからで。
「それが、私たちの知る産み粘性体。そんなことが80年ほど続いたというわけです。あの地下で、地面の下は粘土のような層だとキオスが言っていましたが……」
「おいおい……。まさかとは思うが……」
キオスさんが頬を引きつらせる。気付いてしまった俺も、きっと頬は引きつっていただろう。
「岩盤の下には、粘性体原初の身体がぎっしりと詰まっていたんでしょう。だから、その隙間から無造作に指先相当の産み粘性体を出現させることができた」
「……洞窟自体があのバケモノの腹の中だったってことか。ゾッとするよ……」
本当に、今更ながらに肝が冷えてくる。同じことを思ったのか、ネメシアさんに至っては、顔を青ざめさせていた。
「けど、今まで……80年間は何も起きなかったんだろう?なんで今になって急に?」
「恐らくですが……」
その理由も見えていたのか、セオさんは即座に答える。
「記録によれば、初めて産み粘性体が現れた時には、青ランクの炎使いがあっという間に撃破し、その時すでに、残渣に変わらないことは確認されています。次に現れた時に対処したのは橙ランクの氷使いと雷使いで、その時には産み粘性体との交戦を避け、吐き出される粘性体のみを撃破するという形でした。それ以降は新人の訓練依頼になったとのことです。つまり、過去に産み粘性体が倒されたのは一度きり。その時に痛みを学習したのでしょう。ラッツさんたちを閉じ込めていた壁から察するに、多少の知能はあるようですから」
「……そこで今回、ユージュ・ズビーロが要らんことをした、と」
再び痛みを感じた粘性体原初による応戦。それが、大量に現れた産み粘性体の正体だったというわけだ。
「そういうことです。そして、今後あの粘性体原初は、積極的に人を襲うかもしれません」
よくもまあここまで理路整然と……。そんな畏怖にも近いことを思っていたら、さらにセオさんはとんでもないことを言い出す。
「……セオがそう言うくらいだ。当然、根拠はあるんだろうね?」
「残念ですが。恐らくはアレが本体なのでしょうけれど、それが這い出してくるあたり、激怒しているかもしれません」
「景気よく蹴散らしまくったからねぇ……」
汗相当の粘性体はまだしも、今回の一件でいったいどれだけの指先相当を倒してきたのかは、俺も数えていない。まあ、やったのはほとんどセオさんなわけだが。
「通常の粘性体が湿原の外にまで出てくるというのも怖い点です。本体が違うとは言い切れない。洞窟を塞いだことで閉じ込められれば。あるいは、そのまま諦めてくれればいいんですけ……」
ゴトリ!
不意に、そんな音が聞こえる。発信源は洞窟の方向で、慌てて目をやれば、入り口を塞ぐ岩のひとつが転がり落ちるところだった。
ズゥン!ズゥン!
続くのは、地響きめいた音。
「諦めるつもり、無さそうだね……」
キオスさんがため息混じりに言う。セオさんの希望的観測は、言い終える前に砕かれたらしい。こうしている間にも岩が崩れているあたり、アレが這い出してくるのも時間の問題だ。
「セオ。念のために聞くけど……」
「無理です」
多分、アレをどうにかできるか聞きたかったんだけど、セオさんは聞き終える前に即答。
「正確な質量はわかりませんけど、万全だったとしても私ひとりでは足りません。まして、撤退の際にかなり消耗しましたから」
「となると……。アズール君、ラッツ君、ネメシアさん。何か妙案はあるかな?」
「心色全部乗せの泥団子なら……」
考え付くのはそれくらいなんだけど……
「だけど、それをやったら君自身も巻き添えを喰らうだろう?あの図体を考えたら、間違いなく君の方が先に倒れる」
「そうですよねぇ……」
それはそれで、問題多すぎの案。
「……しょうがないね。セオ、君は先にレビダに戻るんだ。こうなった以上、各支部に連絡して、相性のいい心色使いの数で対抗するしかないだろう。支部の職員を叩き起こしてでも急ぐ必要がある。場合によってはレビダの住民の避難も考えなきゃならない。その場合、僕では役者不足だ」
「……やはりそれしかありませんか」
キオスさんが役者不足というのも、それを否定しないセオさんも理解できない。ここまでのあれこれを考えるに、キオスさんならば問題無いと思えるんだが。数で対抗というのは多分正しいだろうけど。
「……くれぐれも気を付けて」
まあそのあたりは、俺が知らない事情があるんだろう。苦渋、といった表情で。それでもセオさんはこの場を走り去っていった。
「さて、ラッツ君とネメシアさんもレビダに向かうんだ。アズール君はふたりの護衛を。そんなわけだから、ラッツ君とネメシアさんは、ここからは歩いてもらえるかな?疲れているところで済まないとは思うけど」
「わかりました。少しは疲れも抜けたと思いますし」
「私も大丈夫です」
「アズール君もいいね?」
「俺は構いませんけど……」
どの道、あのバケモノ相手には無力だろう。だけど、
「キオスさんはどうするんです?」
「僕は近くでアレを観察しながら下がるよ。可能なら、適当にちょっかいをかけて、人里の無い方向に誘導もしたいところだけど」
「無茶ですって!」
本人も言っていたが、相性の悪さという意味では俺以上。いくらなんでも、近接戦をアレに仕掛けるなんて自殺行為だ。
「大丈夫だよ。それに――」
またひとつ、岩が崩れ落ちて――
「問答している時間も無さそうだ」
その隙間からヌルリと、蠢く粘液が姿を現す。次から次と流れ出す粘性体原初の身体はひとところに集まり、塊となってみるみる膨れ上がる。
「心配いらないさ。これでも、逃げ回るのは得意なんだ」
いつもの軽い口調。それでも、奥には覚悟のようなものが見て取れる。
「なら、ラッツとネメシアさんを送り届けたら俺も戻ってきます」
「アズール君。それは……」
示すのは難色。
やっぱりか……
危険な役どころを自分ひとりで引き受けようという意図もあったんだろう。
「問答をしている時間は無さそうですよ?」
だが、俺も引き下がるつもりは無い。だから先ほど言われた言葉をオウム返しにすれば、
「……やれやれ。君はもっと聞き分けがいいと思ってたんだけどねぇ」
そう言って肩をすくめる。それは降参の意思表示。
「尊敬する相手には態度をわきまえているだけですよ。どちらかと言えば俺は、身勝手な性分だと思ってます」
「やれやれ……。しかたないね。そこは譲歩しよう……これは?」
「どうしました?」
そんなキオスさんが不思議そうな声を上げる。
「誰かがこっちに向かってきている」
「……セオさんですか?」
「いや、数は2。仮に片方がセオだとしても――」
「あっ!あそこだよ!」
「おーい!」
遮るように響くのは、ふたつの大声。
「これって……」
「やっぱアズもそう思うよな」
「あのふたりだね」
「え?え?」
ネメシアさんだけは顔に疑問符を浮かべているけれど――
それは、俺とキオスさんとラッツには覚えのある声。
「アズール!キオス!ラッツ!まだ無事だな?」
「加勢するよ!」
野太い男性の声と、可愛らしい女性の声。いつの間にか昇り始めていた朝日を後光に駆けてくるシルエットは、大柄な男性と小柄な女性。
キオスさんやセオさんと同じく、俺が尊敬している先輩たち。タスクさんとソアムさんだった。




