足手まといよりは、役立たずの方がはるかにマシというもの
「ここはアズール君のお手並み拝見と行こうか」
「俺の手並み、ですか?」
「まあ、手並みというのは言葉の綾だけど。君は、粘性体とやり合うのは初めてだろう?」
「ええ」
それは当然のこと。昨日読んだ資料では、粘性体というのはレビドア湿原以外には存在しないということらしいんだから。
「だから、君の心色がどの程度有効なのかを知っておきたいのさ」
「そういうことですか」
言ってしまえば、俺の心色は投石に近い。実体型の心色や、通常の武器に対して高い耐性を持つ粘性体相手には不利である公算が高い。
効き目が薄いということを確認しておくというのは、十分に意味のあること。
「そうだね……。まずは、彩技無しで。次に『衝撃強化』だけ。その次は『分裂』も追加して、最後は『爆裂付与』を試してもらえるかな?」
「心得ました」
徐々に威力を上げていく感じか。俺の心色で潰せるとしたら、どれだけの彩技を込めれば有効打になるのか。見極めておくべきということだ。
「……来たよ」
歩みを進めることしばし。虹色の灯りに照らされた視界の端に、蠢くなにかが見える。
「あれが粘性体……」
泥の塊が動いているっぽいというか、バカでかいナメクジみたいだとでも言うべきなのか。少なくとも、好き好んで触れたいと思えるような外見じゃない。その点では、心色が飛び道具でよかったぞ。
「よいしょ!」
近づかずにすむことに感謝しつつ、一投目。
ベチャ!
そんな音で命中した泥団子は、粘性体の身体にめり込み、「ペッ」なんて表現が似合いそうな感じですぐさま吐き出される。
「効いてません?」
「みたいだね」
ともあれ、やはりというべきか、ひるんだ様子もなく、むしろこっちに気付いたようで、ナメクジさながらの速度でにじり寄ってくる。
「じゃあ、次行きます」
次は『衝撃強化』を込めてみるも、結果は変わらず。実体型に分類されるであろう俺の虹色泥団子は、御多分に漏れず、効き目薄ということらしい。
「次の『分裂』は……そうだね、10個くらいでいいかな」
「了解です」
指示通りの泥団子を投げつけて、
「これでもダメ、か」
数が多かった分だけ、衝撃も大きかったんだろう。着弾の弾みで少しだけのけぞったように見えた粘性体は、何事も無かったように向かってくる。なるほど、有効な手段が限られるというのは厄介だ。
「それじゃあ、最後に『爆裂付与』を頼むよ」
「承知。と言っても、『分裂』と併用したら余波が怖いんで、単発になりますけどね」
同じように投げ付けて、
ドウンッ!
轟音が響き、地面を揺らす振動が足元に伝わってくる。
「……倒せた……んでしょうか?」
さっきまで粘性体が居た場所に目をやれば、そこには何も無かった。
「うん。無事に倒せたようだね」
「そうですか」
内心では少しだけホッとしていた。仮に粘性体と正面からやり合うとして、足手まといにはならずに済みそうでひと安心。
「ちなみにだけど……今の『爆裂付与』。威力の調整はできそうかな?」
が、そんな俺の内心をよそにして、キオスさんは難しい顔で問いをかけてくる。
「調整、ですか?」
それは試したこと無かったけど……
「そう。心の中にある心色に意識を向ければ、そのあたりはわかると思うんだけど」
「えーっと……」
言われるままに意識を向けてみる。たしかに、『分裂』なんかはそうすることで数の上限を把握できたものだけど。
「調整は……無理みたいですね」
それが調べた結果。今後どうなるかまではわからないけど。
「そうか……。アズール君。君の『爆裂付与』は、基本使用禁止で頼むよ」
「……どうしてです?」
手持ちの仲では、粘性体相手に有効な唯一の手札なんだけど……
「『分裂』と併用しない理由に君も言っていたように、余波が強すぎるんだ。ラッツ君が居ると思われるのはどこだったかっていうと?」
「……あ」
そう問われて、俺にも理解できた。
「そういうこと。ここでならまだしも、洞窟の中でぶっ放した日には、僕らまで生き埋めになりかねないんだ」
「ですよね……」
そもそもが、ユージュ・ズビーロのやらかしで起きた地面の崩落が発端なんだから。
本気で失念してたぞ。危なかったな。キオスさんが釘を刺してくれなかったら、俺もやらかしてたかもしれないところだった。
「もちろん、使うなと言っても強制はしないさ。そのあたりのリスクを背負ってでも、やるべきと思ったなら、その時は迷うべきじゃない」
「……何かの間違いで上手くいくような奇跡でも起きない限り、100%死ぬって状況ですよね、それ」
「そうだね。とりあえずは、崩落の危険があるということだけでも頭の片隅に入れておけば、いざという時の行動にも差は出てくると思う」
「心得ました」
『爆裂付与』無しでは役立たずになりかねないところだけど、そこは諦めよう。足手まといよりは、役立たずの方がはるかにマシというもの。
「……役に立てないことを気に病んでいたりするのかな?」
「……俺って、そんなにわかりやすいですか?」
実際に思っていたことを、ものの見事に言い当てられた。これでも悪ガキ時代は、息をするように嘘をついていたはずなんだけど。
「まだ数日の付き合いではあるけど、アズール君ならそう考えそうだなとは思ったよ」
「私も同意見です」
「うへぇ……」
セオさんにまでバレていたらしい。
「ですが、あまり自分を卑下するのもどうかと思いますよ。少なくとも、アズールさんのおかげで、視界には困らずに済んでいるわけですし」
「……そうですね」
落ち込むのは、ラッツとネメシアさんを助けて、街に帰ってからでいい。ウジウジしてる暇があるなら、その分の意識を周囲への警戒にでも向けた方がよっぽど有意義だ。
軽く顔を叩いて気を取り直す。
「というわけだ。セオ、この先で出くわす粘性体は任せたよ」
「ええ。お任せください」
その先は、危なげというものが皆無の道のりだった。
「右手から2匹、こっちに向かってくるね」
キオスさんにかかればそこいらにいる粘性体の位置はまるわかりで、
「アレですね」
セオさんが軽く手を振れば、狙われた粘性体は一瞬で消し飛ぶ。風そのものは目視できないが、たぶん小型の竜巻的なものを発生させたんだろう。
そんなこんなで進むうち、切り立った崖と、そこにぽっかりと口を開けたほら穴らしきものが見えてくる、あれが問題の洞窟か。
「「……ふむ」」
その入り口を前に、セオさんとキオスさんが足を止める。
「ここからだと、ラッツ君たちの存在は確認できないね。セオ、君の方は?」
「私もです。風を感じ取ることはできません」
入る前の確認をしていたわけか。
それはそれと……
「あの……もしかしてセオさんって、自分以外が使った風の心色もわかるんですか?」
今の口ぶりでは、そんな風にも取れるんだけど。
「そういえば、言っていませんでしたね。答えはイエスです。幸い……と言えるかは疑問ですが、ラッツさんもネメシアさんも風を扱えるので」
「……そうですかぁ」
サラっと言ってのけるけど、それってかなりの高等技術なんじゃなかろうか?
心色使いの常識に疎いところもあったらしいけど、師匠は相当数の心色使いを知っていたはず。そんな師匠からも、一度も聞かされたことの無かった使い方だ。
「……さて、行こうか」
「粘性体は天井に張り付いていることもあります。この先は頭上にも注意してください」
いよいよ洞窟の中へ。やはりというべきか、鼓動が早まっているのが自分でもよくわかる。
バートたちは産み粘性体の包囲を突破したとのことだが、複数居たはずの産み粘性体すべてを撃破できていたとは考えにくい。なら、この先でやり合うことになる公算が高い。
なんてことを思っていたんだけど……
「……出ませんでしたね」
入り口から行き止まりまでは、時間にしても1分くらい。ぽっかりと地面に開いた穴にたどり着くまでに、予想されていた接敵は皆無だった。
「だね。そのあたりは少し気持ちが悪くもあるけど……」
キオスさんがカカトを鳴らし、セオさんは意識を集中するように目を閉じる。
「とりあえず、確定で即死するような状況ではなさそうだ。底までは8メートルといったところかな?」
「いや、8メートルってかなりヤバいんじゃ……」
8メートルという数字。実際にこの高さから落ちれば、致命傷になってしまう公算はかなり高いんじゃないだろうか?たしか……3年くらい前にはハディオ村でも、2メートルからの転落で亡くなった人がいたはずだ。
「それも正しい知識だよ。けれど、この下は傾斜が急であるとはいえ、下り坂になっているんだ。上手く転げることができればあるいは」
「そういうことですか」
安否がはっきりとしない、というのは本当に落ち着かない。まあ、最悪が確定してしまうよりははるかにマシなんだろうけど。
その一方で、ロープか何かを垂らしてやれば、引き上げることもできそうな気はするんだが。なんてことも思う。とはいえ、あの時のバートやアピスさんがそこまで把握できていたはずもなく、ロープを持っていたかすら怪しいところ。状況を考えれば、離脱を優先するのも間違った判断とも言えないんだろうけど。
「ただ……」
難しい顔でキオスさんがつぶやく。
「ただ?」
「この真下には誰の存在も感じ取れない。洞窟は奥に続いているようだから、その先に進んだ可能性はあるけど」
「私の方でも風は感じ取れませんね」
プラス要因とマイナス要因が混在しているような状況ってことか。
ラッツもネメシアさんも、頼むから無事でいてくれよ……
「下に降りるよ、セオ。アズール君もいいかい?」
「了解です」
「では、行きますよ。じっとしていてくださいね」
「……うおっ!?」
セルフィナさんが用意してくれた荷物の中にロープはあったはずだけど……。そんなことを思っていると、風が周囲で渦を巻き始める。
「これもセオさんの心色ですか?」
「ええ。ロープを使うよりもこちらの方が早いので」
その言葉通りに、風に包まれた俺の身体は浮き上がると、ゆっくりと穴の方へと運ばれていく。
「風の心色って、こんなこともできるんですね」
あれ?だったら……
ふと思ったこと。
「ラッツやネメシアさんも風の使い手ですよね?この要領で登ってきた可能性って……」
「難しいと思います。勢いに任せて吹き飛ばすならまだしも、こういった調整は、長い時間をかけて心色の練度を高める必要があるんです。ラッツさんやネメシアさんの経験を考えれば、かなり厳しいかと」
「そうですか」
そうそう上手くは行かないか。
と、そんな会話と思考をするうちに、俺の身体はそっと、穴の底に降ろされていた。後ろには壁で前には通路。頭上の穴が無かったら、行き止まりになるような場所だった。そして、上へと続く坂は、壁と言った方が違和感を感じないほどに急。よじ登るのは、まず無理だと思えた。
「……雰囲気自体は上と変わらないですね」
「そうだね。足元の感覚が微妙に違うくらいかな。この下は粘土層になってるみたいだ」
そんなことまでわかるものなのか……って!?
感心しつつ、周囲に灯りを向けていて、岩盤色オンリーだった風景の中に目立つ色があった。
「……まさか!?」
最悪が脳裏をよぎる。
そこにあったのは、ふたり分の衣服で、
粘性体に飲み込まれたら、骨まで残らずに溶かされてしまう。資料にはそう書いてあったけど……
「……これは、ラッツさんの服ではありませんね」
「ああ。それにどちらも男物。ネメシアさんでもなさそうだ」
「……言われてみれば」
セオさんとキオスさんの言葉に、少しだけ頭が冷える。粘性体にやられた名残なんだろう。ヌラヌラとした粘液にまみれた服は、どちらも派手な――俺的には悪趣味と思えるような――色合いをしていた。森での戦いを得意としていたこともあってか、ラッツは緑基調のシンプルな服装を好んでいたし、送り出した時もそんな感じだったはず。
となると……
「消去法だと、ユージュ・ズビーロにマヌイのふたりですかね?」
「……確定だね。これを」
そう言ってキオスさんが探し当てたのは、ふたつの連盟員証。ランクを現す色は、黄と青。
たしか……ラッツが赤で、ネメシアさんは橙だったはず。
「はぁ……」
漏れるのは安堵のため息。まだ安否自体は不明だけど、最悪の確定にはならずに済んだわけだ。上げて落としてまた上げて。そんな流れの繰り返しは本当に堪える。いい加減、無事である方の確証に出会いたいんだけど。
「それはそうと……ラッツ君たちはこの先に向かったんだろうね。方向的には、湿原を引き返す感じみたいだけど……セオ!そこだ!」
急に声を荒げたキオスさんが指差す先。そこには一匹の粘性体。それほど大きくなかったはずのソレは、目に見える勢いで体積を増していて、
ヒュッ、という風音。
俺の身の丈を上回るほどに大きな粘性体――バートたちが取り囲まれたという産み粘性体の一匹だろうか――は、これまでに出くわした粘性体と同じようにして、瞬く間に切り刻まれ、消えていった。
「キオス。今のは……?」
「……地面の隙間から這い出してきたんだろう。厄介だね。顔を出すまでは、僕の心色でも把握できないよ」
粘性体が現れた場所を調べたキオスさんがそう結論付ける。
だから、キオスさんも慌てた様子になっていたわけか。不意打ちが生み出すアドバンテージは絶大。足元から急にこんにちは、なんてのは本当に始末に負えないし、心臓にも悪い。
「もしかして……こいつらをやったのも今の粘性体なんでしょうか?それに、バートがやられたのも」
「……アピスさんの話では、急に粘性体が現れたとのことだけど、地面の隙間から出てきたと考えることもできるね。もっとも、その時には複数が確認されていたそうだし、同じ個体かどうかまではわからないけどね」
「そうでしたっけ……。複数ってことは、まだ居るって考えるべきですよね」
「まあ、僕らのやることは変わらないさ。ラッツ君たちの捜索を続けよう。セオ、仮に今の粘性体が複数現れたとして、対処は可能かい?」
「ええ。この程度であれば、同時に10体程度現れても問題ありません」
涼しい顔で言ってのけるセオさん。本当に心強い。
「じゃあ、行こうか」
そして地下空洞を進んでいく。途中で何度か、同じような粘性体と遭遇はしたものの、地面から顔を出した時点でキオスさんが気付き、セオさんが瞬殺。そんな流れであっさりと片付いていた。
ラッツたちは対処できているのか?まだ無事なのか?不安は時間を追うごとに膨れ上がっていく。
小休止を挟みつつ進むうち、道は緩やかな下りになっていく。1本道である以上、行き違ってしまう心配は無いんだろうけど。
どれくらい歩いたのか、時間の感覚もおかしくなってきた頃、
「アレ?」
「これは……?」
キオスさんとセオさんが同時に足を止めた。
「……アズール君。落ち着いて聞いてほしい」
そしてキオスさんが告げてくるのは、ロクでもないことに前置かれることの多い言葉だった。




