『虹の導き手トキア』
この世界――という言い方が適切なのかは議論の余地もあるところだが――には、運命係数という概念が存在しているらしい。
前にクーラから聞いた話では、この数値が高い人ほど厄介ごとに好かれるとのこと。
それは、波乱の多い生涯を送る羽目になると言い換えても、それほど大きな語弊は無さそうなところ。
そしてクーラの数値はその概念が定義された世界で最高記録だった人の10倍以上は確定だが、正確なところは測定不能とのことで。まあ、クーラが辿って来た旅路の数奇具合を考えれば大いに納得できる話。
参考までにと興味本位に、そんなクーラに魅入られてしまった俺の数値も測ってみたところ、クーラと同じく測定不能で。
どちらが上なのかはさて置くとして、俺の運命係数も桁外れに高かったということなんだろう。
と、それはそれで別にいいんだが……
高い運命係数というのは周囲の人にも影響してしまうのではなかろうかと、俺はそんな風にも考えている。
その根拠となったのはペルーサが俺たちのために残してくれた記録。
例えば、俺が駆け出しだった頃から散々お世話になって来た第七支部のフローラ支部長に関して。
かつて虹天杯のエデルト代表に選ばれたこともあった俺は諸事情によりその役目を放棄。代役を引き受けてくれたのがフローラ支部長だった。
その際には『色無しのザグジア』――俺にとってはひとり目の師匠であり、支部長にとってはかつての恋人――を呼び出し、鍛錬の相手をさせていたこともあったそうで、そんな中でふたりは無事にヨリを戻すことができたんだとか。
それはそれで実に結構なことだとは思うんだが……その結果として闘志に火が付いた支部長はなんと、虹天杯で優勝を果たしてしまったとのことだった。
人の身体というのはある程度の年齢を過ぎれば自然と衰えていくもので、当然ながらそれは戦闘能力にだってモロに影響してしまう。
過去の虹天杯優勝者の中で最高齢は42歳。だから当時すでに70近かったフローラ支部長は初戦突破も難しいだろうと言われていたらしい。
それが予想を覆しての優勝だったということで、それはもう大騒ぎに。そしてその記録は、現在まで破られていないんだとか。
ただ、その快挙は代償を伴うものでもあったようで。無理をし過ぎた結果として腰を痛め、杖無しでは満足に歩けない身体になってしまい、支部長の職を引退することになっていたとのこと。
第七支部のメンバーからは慕われ、連盟や王宮からの信頼も厚かったとはいえ、それ自体は仕方のないことだったんだろう。けれどそうなれば当然、後任をどうするかという話になるわけで。
汚職なんかが原因であった場合には話も違って来るが、支部長の後任は同じ支部から選ばれるというのが通例。
そこでフローラ支部長が指名したのはトキアさんだった。
その理由は名目上とはいえ一応は自分の娘に当たるから――なんてことはもちろん無く、それがもっとも妥当な人選だったからだ。
人望やら経験やらは必須条件。加えて連盟支部の支部長というのは事務職的な側面が強い一方、有事の際には最前線に立つことも必要な役職。
要するに、求められるのはいわゆるところの文武両道というやつなわけで。
となれば、まず経験不足という理由でアピスネメシアに新人たち、当然ながら腐れ縁共も候補から外される。
そしてセルフィナさんとシアンさんも同じく。あのふたりは完全な事務専門で、荒事の経験なんて皆無も同然なんだから。
また、タスクさんとソアムさんは逆に事務仕事はまず無理……もとい、あまり向いている方ではないだろうし、ガドさんもどちらかと言えば同じタイプ。
キオスさんやセオさんなんかは割とどちらも行けそうな印象ではあるんだが、当人たちは割と趣味人なところがあり、その点ではこの手の役職には不向き。
と、そんな流れでトキアさんが選ばれ、反対意見もひとりからしか上がらなかった。
まあ、そのひとりがトキアさん本人というのが問題ではあったんだろうけど。
当然ながらトキアさんのこと、支部長という職の重要性も自分が指名された理由もわかっていたはずだ。その上で断ったのは、どうしてもやりたいことがあったから。
……そのやりたいことに関して俺やクーラが大きく関係しているというのは申し訳ないところだったんだが。
俺がクーラの異世界呼び付けに同行することを選んだのは、決して勢いだけだったわけじゃない。
けれどその一方で、考えが足りていなかったのも事実。
異世界に到着してから気付いたのは、俺とクーラが不在のエルリーゼに星界の邪竜やズビーロクソトカゲのような脅威が現れたら、ということ。
あの時はふたり揃って青ざめて、少しでも早く帰還できるように頑張るしかないという結論になって。
結果的には帰還までも現在に至るまでもそんな事態が起きることは無く、俺たちは胸を撫で下ろしていたりもしたんだが。
ともあれ、そんな俺たちでも気付けるようなことにトキアさんが気付けないはずもなく。
その対策としてトキアさんが行ったのが、エルリーゼに存在する虹追い人全体の質を向上させること。
具体的な方法としては、新人の段階で虹追い人としての基礎を叩き込むというものだった。
何でそんな当たり前のことをわざわざ?
最初にそこら辺を読んだ時には首を傾げたりもしたが、そこはトキアさんがやること。無意味なはずもなく。
クゥリアーブで出会う前のトキアさんは世界中を旅していた。となれば、行く先々で多くの虹追い人を目にして来たということにもなる。
そんな中で感じたのは、それなり以上に経験豊富な虹追い人であっても、基礎的な知識や技術が部分的に抜け落ちている人は意外に多いということ。
そしてそんな小さな穴が原因で、今後を期待されていた虹追い人が再起不能レベルの怪我をしたとか、それで済まずに命まで落とすなんていうケースもまた、決して少なくはなかったようで。
ならば早い段階でそんな穴は埋めてしまうべきと、トキアさんはそう考えたわけだ。
ちなみにだが、思い付くきっかけとなったのは、ハディオ村を訪ねた際に俺の師匠から聞いた、俺や腐れ縁共を鍛えていた頃の話だったらしい。
そんな経緯でトキアさんが始めた事業の名前は『旅立つ虹』。
俺とクーラを暗示しているような気がしなくもない名前だが、それはさて置くとして。最初は空き地に建てた即席の小屋で、そこにやって来たのは物好きな新人が4人だけといった有様だったらしい。
まあ、それも理解できなくはないんだが。
無利子無期限催促無しのではあったものの、トキアさんはその時点ですでに授業料を30万ブルグに設定していたんだから。
となれば、
わざわざそんなところで学ぶよりランクを上げを優先したいし、同じ30万ブルグなら心色の取得に使いたい。
なんて風に考える新人が大半だったのは妥当なところなんだろう。
トキアさん自身もそこらへんは気長に考えるつもりだったとのことだが、そんな予想を覆して大きく事態が動いたのは翌年のこと。
トキアさんの元で学び終えた教え子たちがその年の新人戦――俺がクソ次男をぶちのめした大会でもある――で圧倒的な強さを見せ、優勝を果たしていた。
その影響もあってか、数日後には10人以上の新人がトキアさんの元にやって来て。
しかも基礎をきっちりと叩き込まれていたトキアさんの教え子たちは、その後の成長速度や活躍ぶりも抜きん出ていたとのことで、基礎硬めに明け暮れた1年というハンデも軽々と跳ね飛ばしていた。
結果としてトキアさんの元にやって来る新人は年々増え、指導の方もトキアさんひとりの手に負えなくなり、フローラ元支部長を始めとした知り合いの虹追い人に講師役を頼むなんてことに。さらには拠点も段々と手狭になって来ていて。
同じ頃、老朽化により第七支部の建て替えをするなんて話も出ていたようで、立地的に都合がよかったこともあり、その跡地に移転。
そして数年後。それでも雪だるま式に増え続ける入校希望者を受け入れるのが困難になり、そろそろ分校の設立も視野に入れようかとトキアさんが考えていた頃に、またしても事態が激動することに。
順調に成長を重ねていた最初の教え子のひとり――その桁外れの体力から『無尽のトニクス』というふたつ名で呼ばれていたらしい――が虹天杯のエデルト代表に選ばれていた。
それだけでも相当だというのに、さらには準優勝を果たしていたとのことで。
決勝の相手はテミトス代表で、過去には俺もお世話になったことのあったマシュウさん。前評判では優勝候補筆頭と言われていて、実際に準決勝までは圧倒的な強さで勝ち進んでいた。
そんなマシュウさん相手にトニクスは必死で食い下がり、5時間にも渡る激戦の末にあと一歩のところまで追い詰めて。
マシュウさん曰く、
『俺が勝てたのは、最後の最後で幸運が手を握ってくれたからだ。最後の瞬間、余波でヒビが入っていた地面が陥没したおかげで偶然にもトニクスの一撃が外れてくれた。あれが無ければ、間違いなく俺は負けていたよ。……強かったぞ、トニクス。お前に勝てたことじゃなく……お前と全身全霊でやり合えたことを俺は誇りに思うよ。……けど、次にやり合う時には、実力で勝たせてもらうからな。覚悟しとけよ』
とのこと。
虹天杯史上屈指とも言われる名勝負だったということもあって現在でも特に人気が高い逸話で、芝居の題材としてもたびたび使われているんだとか。
そんな逸話のもうひとりの主役であるトニクスだが、彼は彼で常々、
『僕の原点は『旅立つ虹』だ。今の僕があるのは、トキアさんの教えがあればこそだ』
と口にしていたそうで。
その後もふたりは何度も名勝負を繰り広げ、最終的には4勝3敗でマシュウさんが勝ち越したというのは余談だが。
ともあれ、分校の設立を考えていたところにそんな話が来ればどうなるのか?
その答えは――各地どころか各国からの、分校を誘致したいという声。
本来の目的を考えたならそれはトキアさん的にも望むところだったわけで。
その後のトキアさんは『旅立つ虹』の普及に生涯を捧げたとのこと。
また、そんなトキアさんの志に共感する人は多かったそうで、ウィジャスさん――墓参の旅の最中で俺がお世話になったウィジャス騎士団長――もそのひとり。
旅の途中でエデルトに立ち寄ったウィジャスさんはトキアさんへの協力を決め、元騎士団長兼虹天杯優勝者の経験を活かして様々な難題を解決へと導いていた。
そんな頼もしさにトキアさんは惹かれ、独り身だったウィジャスさんはウィジャスさんでトキアさんのひた向きさに惹かれて行って。
互いの年齢差に悩んだりもしたらしいが、セルフィナさんのアシストもあって、ふたりは晴れて結ばれたとのことだった。
なお、これは余談だが……
いつかトキアさんが言っていた夢というのは、
『ガドやアズールさんに負けないくらい素敵な人と恋をしたい』
というものだったそうで。
俺なんか……もとい、俺とガドさんを同列視するのはどうかとも思うが、トキアさんの夢は無事に叶ったということなんだろう。俺としてもそのことは素直に嬉しかった。
また、俺がトキアさんに全権を託していた資金は『旅立つ虹』の運営に使われたらしい。
もちろん俺としては文句なんてあるわけもなく、むしろ有効活用してくれてありがとうございますと言いたいところ。
と、あれこれいろいろあったそうだが、『旅立つ虹』の普及が進むにつれて虹追い人全体の力量が上がり、それに伴って残渣の流通量は増加し、逆に魔獣による被害は減少。
さらには、虹追い人としての本業が上手く行けば野盗落ちするような輩が減っていくのも道理で治安にまで影響が現れて。
結果として、エルリーゼ全体で人々の暮らし向きは明らかに良くなっていたとのことで。
黄泉路に旅立った後もその功績は語り継がれ、数百年の時を経て現在まで続く『旅立つ虹』の偉大なる創始者として、『銀翼のカシオン』や『闇塗りシザ』といった英雄たちと並んでエルリーゼの歴史に刻み込まれていた。
『虹の導き手トキア』
そんなふたつ名と共に。




