苦笑交じりの定型句と共に
「すぅ……」
穏やかに寝息を立てるペルーサ。その寝顔はどことなく満ち足りた風でもあり。
「行こうか?」
「……いいのか?」
「うん。起こしちゃうのも気が引けるからさ」
「……そうだな」
「いろいろとありがとうね、ペルーサちゃん。この魔具、大事にするよ」
「お疲れ様。今はゆっくり休んでくれよ」
コンコン!
けれど部屋を後にしようとした矢先にドアがノックされて、
「お婆ちゃん、開けてもいい?」
聞こえて来た声は、さっきの店員さんのもの。
けれどタイミング悪く、ペルーサは眠りについたばかり。
「すいません。ペルーサさんは少し疲れたみたいで、眠ったところなんです」
だからドア越しに事実を伝えれば、
「まあ、無理もないですね」
苦笑気味でありながらも驚いてはいないといった風の声が返される。
「最近では、1日の大半をベッドで過ごしてる感じですし」
やはり、年齢相応に身体は弱っていたらしい。
「とりあえず、入りますね」
そうしてドアが開けば、店員さんの手には大きめの籠。
「……満足そうな顔してますね。それに……」
ペルーサの寝顔を見て、次に目をやるのはテーブルの上にあった空の木箱。
「……あれは受け取れたんですね?」
問いをかけて来る店員さんの表情は真剣なものへと切り替わっていた。
「あれ、というのは……深凍藍翼の魔具のことですか?」
「はい。それを知ってるってことは……」
「ええ。私たちにとっては最高の贈り物でした」
「それなら良かったです」
そのことに店員さんは安堵を見せるわけだが、
「あの、聞いてもいいでしょうか?」
俺としては引っかかるところもあった。
「構いませんよ」
「深凍藍翼の魔具ってのは、かなり高価な物なんですよね?」
「らしいですね」
「なら、そんなシロモノをホイホイと渡してしまうってのは……」
俺たちの素性や事情を知っているペルーサはともかく、彼女のお孫さんと思しきこの人が不審に感じても仕方がない……というかむしろ、不審感を抱かない方がおかしいとも思えるわけで。
けれどこの店員さんからは、そう言った雰囲気はまるで見て取れない。
「……おふたりが適当なことを言って高価な魔具を騙し取ろうとしているんじゃないか、ってことですよね?」
「まあ、かみ砕いて言えば」
「本当にそういうことを考えてる人は、わざわざそんな質問しないと思いますけど?」
「それはそうでしょうけど……」
「実を言うとですね……私、おふたりの――クーラさんとアズールさんのことはお婆ちゃんから聞かされていたんです」
「そうなんですか?」
90年前の時点で俺たちの事情を知っていたのは、トキアさんとアピスにネメシア、エルナさんとペルーサの5人だけ。
仮にその5人が誰かに話したとしても、そのことを責めるつもりは無かった。とはいえ、口外するとしてもせいぜいが第七支部の古株と俺の身内、あとは師匠くらいだとも思っていた。
だから、この店員さんが知っていたというのは予想外。
「ええ。どうにかして自分の手で渡したい。だけどもしもの時は自分の代わりに、って」
「そう、だったんですね……」
年齢を考えたなら、いつ黄泉路に旅立ってもおかしくないのが今のペルーサ。本人もその自覚はあったんだろう。
もしも帰還があと1年遅かったなら、再会が叶わなかった公算は跳ね上がっていたはずだ。
「ひと月くらい前のことなんですけど、どうにかしてお婆ちゃんの願いを叶えてあげたくて、話に聞いていた背格好の近い人にクーラさんとアズールさんのフリをしてもらったこともあったんです。けど、その時には即バレしちゃって……」
それはいわゆるところの騙すという行為だが、黄泉路へ旅立つ前に心残りは片付けさせてやりたいという心情も理解できないことはない。
「話してて感じたと思うんですけど、お婆ちゃんってボケちゃってる印象はまるで無かったでしょう?」
「ええ」
それは俺も感じたこと。口調やら受け答えやらはしっかりとしている風だった。
「そんなお婆ちゃんがおふたりに魔具を託した。なら、私はその判断を信じますよ。むしろ感謝してます。……ありがとうございました。お婆ちゃんの願いを叶えてくれて」
深々と頭を下げて来る様子に芝居をしている様子は無く。彼女は本当にペルーサを慕っているということなんだろう。
「それとですね……これも持って行ってください」
そう差し出して来るのは、手に持っていた大きめの籠。
「これは?」
布がかけられていて中身はわからないが、ほんのりと漂って来るのはチーズの香り。
「私は面識無いんですけど、エルナさんっていう人との約束があったんですよね?」
「それって……」
「……あのこと、だろうな」
そのことも記憶の片隅に残っていた。
90年前のあの日。もしも何事も無く翌朝を迎えられていたなら、エルナさんが焼き立てのパンを用意してくれるという話になっていたんだ。
「そういうことでしたら、ありがたくいただきます」
「ええ。気に入ったなら、また来てくださいね。もちろんその際にはお代はいただきますけど。それと……もし迷惑でなければ、お婆ちゃんにも会いに来てもらえませんか?話したいことはまだたくさんあると思うんです」
「迷惑なんてことは無いですよ」
「むしろ、そうさせてほしいくらいです」
ペルーサと話したいことが山積みなのは、俺たちだって同じなんだから。
「基本的にはいつでもOKなんで、お願いしますね。お婆ちゃんも喜ぶと思います」
「じゃあ、早速明日にでも……って、嘘でしょ!?」
「どうかしたのか?」
そんな中で不意に、クーラが上げたのは驚きの声。
「……ごめんなさい。多分、しばらくは来れなくなると思います」
「……どういうことです?」
言っていることが突然真逆になったことに店員さんは首を傾げるが、
「まさか……また、なのか?」
俺には外れてほしい心当たりがあり、
「……うん。いくらなんでもさすがにこれはねぇ……。いつもいつも気軽にホイホイ呼び付けやがってからに……。いい加減にしろよふざけんな馬鹿野郎って言いたいよ……」
残念なことに、的中してくれやがっていたらしい。
「ひょっとして……異世界への呼び付けってやつですか?」
そして、ペルーサから事情を聞かされていたという店員さんもそこに思い至ったようで。
「はい」
店員さんから距離を取って互いの手を握る。
「……お婆ちゃんには私から伝えておきますけど、なるべく早く戻って来てくださいね」
「努力はしますよ。私だって、ペルーサちゃんとはまだ話したいことがたくさんあるんだから」
クーラが目を向ける先には、満足そうな顔で穏やかな寝息を立てるペルーサの姿。
「せめて、お婆ちゃんが眠る前だったらよかったんですけどね」
「ええ」
呼び付けなんて起こらないのが一番いい。けれど起きたなら起きたで見送りをしたかったことだろうし、俺らだって見送ってほしかった。
「……お婆ちゃんの代わりと言うには役者不足がすぎるでしょうけど……行ってらっしゃい。クーラおねえちゃん、アズールおにいちゃん」
こちらの内心を知ってか知らずかはさて置くとしても、そんな風に言ってくれるあたり、この店員さんは意外とノリがいい人だったらしい。
そのおかげでと言うべきなんだろう。
「「行ってきます」」
苦笑交じりの定型句と共に、
俺たちは新たな旅立ちを迎えることになっていた。
これにて間章終了となります。




