後悔してるに決まってるだろ
おかえりなさい。
再会は叶わないと諦めていたペルーサが向けてくれたのは聞くことが叶わないと諦めていた言葉で、ペルーサとはそれなりに親しい仲だった俺ですら視界がにじんでいたくらい。
ならば、ペルーサを妹のように可愛がっていたクーラにはどれだけ効いていたのか。
ペルーサに抱き着いて大泣きし、当のペルーサはもとより、傍で見ていた店員さんがもらい泣きをしてしまうくらいで。
しばらくしてふたりがいくらか落ち着いてから、俺とクーラは奥の部屋へと案内されていた。
ベッドや机なんかががあるあたり、ここはペルーサの私室兼寝室といったところか。
ごゆっくりどうぞと店員さんが淹れてくれた茶をひとすすり。
「あらためて……おかえりなさい。やっぱり、異世界は大変だったのでしょう?」
目元を腫らしたままで微笑み、労いの言葉をかけてくれる。
「ええ。割と無茶をしましたから……」
シレっとそんな返答をするクーラだが、俺としては大いにツッコミたいところ。まあ、噓を言っているわけでもないんだろうけど。
なぜならば――
呼び付けから帰還までに90年を要したわけだが、星の巡りを待たなければならないということで、本来ならば200年はかかってしまうところだった。
だがそんなのは冗談じゃないとクーラが言い出したのは、
「星の巡りを待てないなら、星を動かせばいいんだよ」
などという、あまりにもぶっ飛んだ案。
いやまあ、理屈の上では間違っていなかったんだが……
普通の奴は星を動かせればいいということを考え付くことはできても、それを実践になんて移せるわけがない。
けれどその話には続きがあってさらに驚くべきは、そのアイディアは前回の呼び付け先で思い付いたシロモノで、すでに実践済みとのことで。
クーラだから仕方ないで納得するには少しばかり抵抗のある話でもあったわけだが、その甲斐あって帰還を数日ほど早めることができていたとのことだった。
あと数秒遅れていたら俺はすでにこの世には居なかったくらいに、前回の帰還は本当にギリギリのタイミングだったわけで。
つまり俺が助かったのはそんな『割と』どころではなく、『かなり相当な』無茶のおかげでもあったんだが。
ちなみにだが、潮の満ち引きには月が関係しているなんていう話もあるくらいだし、ホイホイと星を動かしてしまったらいろいろと悪影響が出てしまうところらしいんだが、そこは超重力子とかいうモノを配置することで対処していたんだそうな。
そしてその超重力子というのがまたとんでもないシロモノで、使い方次第ではエルリーゼをあっさり壊滅させることもできるとのことらしい。
と、呼び付け先ではあれこれいろいろあったわけだが……
「……クーラおねえちゃんに敬語を使われるのは変な感じね。姿も昔と変わっていないのだし、できればあの頃のように話してほしいのだけれど」
ペルーサにとってはそっちの方が重要だったらしく。
俺の実年齢はすでに100を過ぎ、クーラに至っては1600超え。
けれど基本的には、見た目年齢に合わせた立ち振る舞いを心掛けてもいる。なぜなら、他者と接する際にはその方が何かと都合がいいからだ。
となれば、真っ当な年長者であるペルーサに敬語を使うのは妥当なところだし、呼び捨てるのもどうかという話になるわけだが……
「……じゃあ、昔みたいに話させてもらうね、ペルーサちゃん」
クーラは即座に受諾。
「ええ。アズールおにいちゃんもそうしてもらえないかしら」
「わかったよ、ペルーサ」
こちらの事情を知るペルーサが望むのであれば、それでも構わないか。
だからクーラに倣い、俺も口調を崩させてもらう。
「ありがとう。やっぱり私としては、その方が落ち着くわね。さて、それじゃあ本題に入らせてもらおうかしら。ねえ、クーラおねえちゃん。あそこにクロゼットがあるでしょう?」
そうして居住まいを正したペルーサが指差す先には、言葉通りに比較的小ぶりなクロゼットがひとつ。
「うん」
「悪いのだけれど、開けてもらえるかしら?」
「オーケイ」
言われるままにクーラはそちらに向かい、俺は反対側に顔を向ける。
同性のクーラならばともかく、女性の衣類が収められているクロゼットの中を男である俺が見るのはいろいろとアレだろうから。
「ふふ」
けれどそんな俺を見て、ペルーサはおかしそうに笑う。
「もう私はそういうのを気にする歳でもないのだけれど……やっぱりアズールおにいちゃんはそんな反応をしてしまうのね。ネメシアさんから聞いていた通りだわ」
出て来たのは懐かしくもある友人の名前。とはいえ……
「最低限の礼儀だと思うんだがな」
俺としてはそんな認識。親しき仲にも何とやらというやつだ。
「あはは、まあアズ君はどこまで行ってもアズ君だからねぇ。それでクロゼットを開けたけど、私はここから何をすればいいのかな?」
「下の方に箱が置いてあるでしょう?それを持って来てほしいの」
「これだね。……はい、どうぞ」
「ありがとう」
そうしてテーブルの上に置かれたのは、ひと抱えほどの大きさをした木箱。
ペルーサが蓋を開けて中から取り出した布包みをほどけば、そこから出て来たのは手のひらよりもひと回り大きいくらいの板らしき物が2枚。
どちらも同じ物に見えるが、片方は新品に近く、もう片方は使い込まれているといった印象。
色合いは白一色で表面には光沢がある。けれど金属のそれとは違うし、ガラスや水晶といった風でもない。
「何だこれ?」
だから俺が感じたのはそんな――何に使うのかもよくわからないといったもの。
「これってひょっとして……深凍藍翼の魔具なんじゃ……」
けれどクーラには心当たりがあったようで。
「……本当にクーラおねえちゃんは何でも知っているのね」
ペルーサの口ぶりからして、その通りだったんだろう。
「まあ、長生きしてるからねぇ」
「それで、この深凍藍翼の魔具ってのはどんなシロモノなんだ?」
思えば今回の呼び付け前に話題に出たことはあったが、その際には微妙だとしか知らされておらず、それっきりになっていたんだったか。
「口で説明するのはちょっと難しいけど……イメージとしては、この小さな板の中に100億ページのノートが入ってるような感じかな?それくらい、すさまじい量の内容を書き記しておくことができるの」
「なるほど」
それはそれですごいとは思う。けれど前にクーラが言っていたように微妙だと思えてしまうのも事実。
少なくとも、寄生体や大陸喰らいの魔具と比べたら数段は見劣りする印象だ。
「って、何でそんなものがふたつもあるんだ?」
そこで思い至ったのは、深凍藍翼の残渣自体が相当に希少なものだということ。
何せ、それを手に入れるためには深凍藍翼を討伐しなければならず、その強さは最高位。
しかも生息域はルデニオン山の山頂付近限定ということもあり、90年前の時点では――表向きという但し書きは付くが――討伐成功例は無かったくらい。
深凍藍翼というのは、世間的にはそんな魔獣だったはず。
「それはもちろん……」
ペルーサはふたつあるうちの片方――奇麗な印象がある方を手に取り、
「アズールおにいちゃんに受け取ってもらうためよ」
俺の方へと差し出して来る。
「いや、そういうわけにも行かないだろ」
材料となる残渣の希少性に加え、残渣の大きさと加工難度はおおむね比例するものだ。
であれば――下世話な話ではあるが――この魔具は相当に高価なシロモノ。
ホイホイ受け取っていい物でもないと俺は思うわけだが。
「……その反応はアピスさんが予想していた通りね」
「アピスが?」
またしても出て来た懐かしい名前は、俺やクーラにとっても友人だった奴のそれで。
「『アズールのことだもの。あまりにも高価なものは受け取りを拒否されるでしょうね』と、そう言っていたわ。まあ実際に、捨て値でも500万はくだらないらしいけれど」
「そこまで読み切られるのは複雑ではあるんだが、まあそういうことだな」
「それでも受け取ってもらえないかしら?兄さんが交わした約束を果たさせてあげたいの」
「兄さんってのは、ルカスのことか?」
当時はお兄ちゃんと呼んでいた記憶があるが、ペルーサにはそんな名前の兄がいたはずだった。
「ええ」
「約束ってのは……」
記憶を辿り、思い至る。
「俺が手に入れて来た残渣でルカスが魔具を作るってやつか?」
「ええ」
かつて俺とルカスは、そんな約束をしたことがあった。
「なら、その魔具の材料になった深凍藍翼の残渣ってのは……」
ならば話の流れからして、それは俺が手に入れて来た物。
そしてそれにも心当たりがあった。
「アズールおにいちゃんの拠点にあった物を、トキアさんが持って来てくれたの」
「そういうことか……」
当初の予定では、折を見て剛鬼の残渣を確保して来るはずだったが、その前に俺はこの世界を離れていた。
だからその代わりとして、拠点の物置きに放置されていた深凍藍翼の残渣が使われたんだろう。
「なら、これはルカスが作ったものってことか」
「ええ」
「……頑張ったんだね、ルカス君。深凍藍翼の残渣を加工するのって、要求される技量はかなり高いはずなのに」
高位の魔獣ほど残渣は大きく、大きな残渣ほど加工の難度は高い。
そして俺が確保していた残渣のサイズは1メートル以上。
つまりルカスは、それを加工できるくらいにまで技量を高めていたという話になるわけで。
「兄さんは意外と素質もあったみたいなのよ。……そんなわけだから、受け取ってもらえないかしら?」
再びそう言われて、
「ありがとうな。大事にするよ」
今度は素直に受け取ることができた。
「……兄さん。託されたことは、しっかり果たしたわよ」
その言葉は、多分黄泉路へと向けられたもの。
あの頃に縁を結んだ中でも最年少だったペルーサですら、今では存命であることがちょっとした奇跡と言えてしまうような年齢。
であれば、その兄であるルカスはもうこの世に居ないということなんだろう。
叶うなら、直接に約束を果たさせてやりたいところだったが……
いや、ルカスだけじゃないか。
身内に師匠に支部長に先輩方。エルナさんにアピスやネメシアや、第七支部の後輩たち。ついでに一応腐れ縁共も。
俺も、同じ時を生きたかった。
その生き様を心に刻み、旅路の果てまで持って行きたかった。
「……兄さんだけじゃなくて、仲良くなった人たちのことは気になるわよね?」
そんな感傷を見透かしたように付加疑問を向けられる。
「当然だろう」
「もちろん私の口から話すこともできるのだけれど、すべてを話していたら日が暮れてしまうわ。だから……代わりにこれを受け取ってほしいの」
そう差し出して来るのはもうひとつの――使い込まれた印象がある方の魔具。
「いや、さっきのアズ君じゃないけどさ……この魔具って貴重なものなんでしょ?それに、アズ君が用意した残渣はひとつだけだったはずだし」
「それでも受け取ってほしいのよ。だってこれは、ふたりのために用意したものなんだから」
難色を示すクーラにペルーサが微笑む。そこには悪戯を仕掛けようとする子供のような色が混じっていて、
「これにはね、ふたりが知り合った人たちのことを、可能な限り書き留めてあるの」
どこか得意気に告げられた言葉に、俺もクーラも大きく息を呑んでいた。
何せそれは、たった今感傷を抱いたばかりの内容だったんだから。
「あれから――ふたりが異世界に旅立ってから私なりに考えてみたの。大好きなふたりのために、私に何ができるんだろう、って」
「それで思い付いたのが、記録を残すことだったの?」
「ええ。きっと知りたがるだろうと思って。最初はノートに書いていたのだけど、書き溜めるうちに量がすごいことになってしまってね。そんな私に、アピスさんとネメシアさんがこの魔具を用意してくれたの」
「あいつらが?」
「ええ。ちなみにだけれど、これまでにもあのふたりは深凍藍翼の残渣をいくつも持ち帰っていたのよ」
「それって、この世界の基準だとかなりすごいことだよね?」
「そうみたいね。実際、今ではアピスさんたちの名前も世界中に知れ渡っているみたい。まあ、そのあたりもこれに書き留めてあるわ。だから……この魔具をふたりに渡すのは私だけではなくて、アピスさんとネメシアさんの望みでもあるの。受け取ってもらえないかしら?」
そこまで言われてしまえばクーラに断れるはずもなく……いや、記された内容を聞かされた時点でほぼ天秤は傾き切っていたんだろう。
「ありがとう。最高の贈り物だよ」
だからクーラが満面の笑みで魔具を受け取れば、
「よかった。こうして渡すことができて」
ペルーサも満足そうに微笑み、
「これでもう、思い残すことは無くなった……わ……ね……」
力尽きたようにテーブルに突っ伏す。
直前の言葉も相まって、その様は最悪を想像させるもの。
「ペルーサ!?」「ペルーサちゃん!?」
だから慌てて駆け寄るも、
「……驚かせてしまったみたいね。大丈夫、少し疲れただけだから。多分、張り詰めていたものが緩んでしまったのよ」
自己申告通りに濃い疲労の色を浮かべながらも、言葉を返してくれたことにひと安心。
「まだまだ話したいことはたくさんあるのだけれど……」
恐らくは、年齢相応に体力も落ちているんだろう。
「ううん、今は休んだ方がいいよ」
「そうみたいね。悪いのだけど、ベッドまで連れて行ってもらえないかしら?」
であれば、これ以上無理をさせるわけにも行かなかった。
「ひとつ、お願いをしてもいいかしら?」
「うん。ひとつと言わず、いくつでも何でも言ってよ」
「ありがとう。……私が眠るまで、手を握っていてほしいの」
そうしてベッドへと運んだペルーサがして来たのは、そんな頼み事。
「お安い御用だよ。……これでいいかな?」
「ええ。それと、アズールおにいちゃんも」
「俺もか?」
「……ダメかしら?」
「そんなわけがあるか」
ペルーサが望むなら、何だって叶えてやりたい。そう思っているのは俺もクーラと同じなんだから。
だからクーラに重ねるようにしてその手を握る。
過去には俺もペルーサと手をつなぐ機会があった。その頃には小さく柔らかかった手は、今ではしわがれたもので。
90年。
言葉にすればそれだけでしかない時間が、酷く重く感じられた。
「ふたりの手、温かい。こうしていると、あの頃に戻ったみたい」
ペルーサのまぶたはすでに半分以上が落ちていて、
「また、会えてよかった……」
すでに焦点も合っていないのかもしれない。
「ねぇ……クーラおねえちゃん。あの日のお泊まり会……楽し……かった……ね……」
そこが限界だったんだろう。
その言葉は途中で、寝息へと変わっていく。
「……あの日、私の手を取ったこと、後悔してるよね?」
ペルーサの寝息だけが静かに響く中でクーラが向けて来るのは、この90年で散々繰り返して来た問いかけで、
「後悔してるに決まってるだろ」
俺の答えもまた、同じ数だけ繰り返して来たもの。
ここで「後悔なんてまったくしていない」と言い切れるほど、俺は割り切りがいい方じゃない。
「まあそれでも、お前を独りきりにさせちまうよりは、多少はマシだったんだろうけどな」
けれど続ける言葉もやはり同じ数だけ繰り返して来た――90年前のあの日から変わらない、俺の本心だった。




