差し当たっての求める先
「「行ってきます」」
「「「「行ってらっしゃい」」」」
ペルーサとトキアさん、アピスとネメシアの4人に見送られた俺とクーラ。次の瞬間に立っていたのはそれなりに見覚えのあるアパートの一室ではなくて、
……なるほど。たしかにこれは異世界だよ。
素直に即座にそんな納得を抱けてしまった理由は、目の前に広がっていた光景。
この場所そのものに関しての見たままを言い表すなら――時折森の中に存在するような広場といったところで、特徴的なのは周囲を取り囲むようにして数本の石柱が立っているということくらい。そこらへんまで含めて過去に訪れた経験に照らし合わせても、『虹の卵』とよく似た雰囲気の場所だった。
だが問題なのは見上げた先。
昼間のように明るくはあるんだが、何故かどこにも太陽が見当たらず。しかも空の色は俺がよく知る薄青ではなくて、赤青黒緑に黄色に白や、他にも様々な色が混ざり合ったような、気持ちの悪い斑模様と来たものだ。
当然ながら見たことがあるわけもなく。
正直な感想としては、あんな空の下で暮らしていたら精神にも悪影響が出るんじゃなかろうかとすら思えてしまう。
「なぁ、クーラ。ここってやっぱり――」
けれど反射的に喉元まで出かかった言葉を飲み込ませたのは、そのクーラが浮かべていた表情。
涙の跡を残したままで静かに目を閉じるその様は、トキアさんたちから向けられた想いを噛みしめているように思えた。
……余韻に浸っているところへ水を差すのも無粋、だな。
目の前に危機が迫っているわけではなさそうだが、今の状況はまったくといっていいほどわからない。それでも、この場にクーラが居る時点で安全は確定している。
なにせこいつは、世界を滅びの危機に追いやるような連中を何度も何度も、それも危なげなく始末して来たという話なんだから。その隣となれば、あらゆる世界の中でもっとも安全な場所とすら言えそうなところ。
多分、この世界の危機とやらを救えばエルリーゼに戻れるんだろうけど……
だからその間にこれからのことを考える。
我ながら薄情だとは思わないでもないが、俺の方は割と落ち着いた心境をしていた。
けれどそれは俺の精神が強いというわけではなく、まだ実感が無いだけということなんだろう。
俺はクーラとは違って、異世界に来たことでこれまでに縁を結んで来た人たちと会えなくなる辛さというのを経験したことが無いんだから。
故郷に帰ったのはこの4年間で一度だけだし、墓参の旅では3か月ほど王都を離れたこともあった。
だがそれはどちらも、その気になればいつでも帰れるという事実が前提。帰りたくても帰れないという話ではなかった。
この先どうなるかはわからないが、帰還までが数日やひと月程度で済むのならばそれはそれで大いに結構なこと。
短期間で帰れるのであれば別れの涙だって笑い話の種で済んでしまうだろうし、俺もクーラも、トキアさんたちにしてもその方が望ましいと思っているはずだ。
けれどそれが数十年や、あるいは100年を超えるとなれば――身内や第七支部の人たちや、エルナさんやペルーサやルカスの寿命が尽きる前に帰ることが叶わずに二度と会えなくなるというのは、きっと今の俺には想像を絶する辛さなんだろう。
となれば俺がやるべきは……
思い付いたことがふたつほど。
ひとつは、心を強く持つということ。
諸々の苦しみにどうしても耐えられないようであれば、その時はクーラに泣き付いて慰めてもらえばいい。場合によっては、『ささやき』をかけてもらってもいい。もちろん情けないとは思うが、潰れてしまうよりははるかにマシというもの。
だがそれでも、可能であればクーラの前では少しくらいは恰好を付けたいとも思えるわけで。
もうひとつは、少しでも帰還を早めること。
クーラが居る状況で俺に何ができるのかとは思わないでもないわけだが、気休め程度にでも事態を好転させられれば上出来だ。
そしてそのためには――
「ねえ、アズ君」
余韻が落ち着いたのか、クーラが俺を呼んで来る。
「この先に何が待ってるのか、すっごく楽しみだね」
その顔にあったのはにこやかな笑みで。
「……そうなのか?」
反射的に返してしまった俺の声には、怪訝そうな色が強かったのではなかろうか。
「そうなのよ」
けれどクーラはそう頷いて、
「もちろん墓参の旅も楽しかったけどさ、ここは私にとってもまったく知らない場所なわけでしょ?」
それ自体は間違いなく事実だろう。
「そんな未知の世界を君とふたりで巡るってのは、きっとワクワクすると思うの。どうせ私にとって脅威になるモノなんて存在しないんだしさ」
その考え自体にも一定の理解は抱けるし、いつまでもエルリーゼのことをウダウダと引きずるよりも前向きに考えた方が精神的衛生上もいいだろう。
そこらへんも理解できないことはない。
そして基本的にクーラは明るい性分をしているのも事実。
だがその一方で、決して割り切りが速い方ではないということも俺は知っている。
だから、
「……あまり無理はするなよ?」
無理して明るく振る舞っていると、俺にはそんな風にしか思えなかった。
「あはは、さすがにバレバレだったか。けどね……」
肩をすくめる仕草はどことなくおどけた風であっても、
「私は無理するよ」
自分が無理をしているということにではなく、無理をするなという俺の言葉に向けられた否定。その声色は真剣そのもので、
「君ってさ、『誰かさんの再来』だとか『史上最年少の紫』だとかってことに誇りを抱いてたりする?」
唐突に、そんな問いをかけて来る。
「いや全然まったくちっともこれっぽっちも」
問いかけの意図はよくわからないが、それが正直なところ。結果的にそうなってしまったとはいえ、割とどうでもいい。むしろ要らないというのが俺の本心だ。
「じゃあ、トキアさんたちの後輩だとか師匠さんの弟子だとか、第七支部の所属だってことは?」
「そこらへんは誇りに思ってるけど……」
もしも踏みにじろうとする阿呆が現れたなら、全力で喧嘩を売りに行くだろうと思えるくらいには。
「それと同じことでさ、ペルーサちゃんのお姉ちゃん分であることと、エルナさんのお店で看板娘だったことは私の誇りなの。……ペルーサちゃんの中にだって、私を引き留めたいっていう気持ちがあったことは間違いないと思ってる。それは私の思い上がりじゃないとも思ってる。それでもあの子はそんな気持ちを抑えて気持ち良く送り出してくれたわけでしょ?それなのにいつまでもベソベソってのは、お姉ちゃん分としてはさすがに恥ずかしいよ」
「だから無理してでも笑うと?」
「うん。あの子と再会する時は堂々と胸を張りたいの。だからさ、君的にはいい気分はしないかもしれないけど、私が無理することを許してもらえないかな?」
「……そういうことなら、俺からはウダウダ言わないさ」
その言葉にはしっかりとした意思が宿っていた。それは、クーラなりの決意でもって決めたということなんだろう。
「けど、お前が辛そうだと判断したら、勝手に支えさせてもらうぞ。そもそもが、俺が同行した主な理由はそれなんだから」
まあ、この点だけは絶対に譲るつもりもないんだが。
「……ありがとね。その時には遠慮なく縋らせてもらうからさ」
「是非ともそうしてくれ。苦しんでるお前に知らんぷりしてたなんてことになったらトキアさんから説教されちまうだろうし、アピスとネメシアには半殺しにされかねない。それに、ペルーサに幻滅されるのも嫌だからな」
「そりゃそうだ。けど、そう考えるとさ……私って本当に幸せ者だよね。ペルーサちゃんもトキアさんも、アピスちゃんもネメシアちゃんも。みんなが私を大切に思ってくれてたんだから。そして君がこうして一緒に来て、私の心を守ることを選んでくれた。何よりも大好きな君が、エルリーゼのすべてよりも私を選んでくれたんだから」
「だからお前はそういうことを……」
そこまではっきりと面と向かって、さも当然のように言われるのはさすがに恥ずかしい。
「というか、いつまでもベソベソしてるのは恥ずかしくても、そういうのは平気なのかよ?」
だからそのあたりを問うてみれば、
「全然平気。さすがに時と場合によりにけりではあるだろうけどさ、好きな人に好きって言って何が悪いの?」
まあ、こいつがそういう奴だとは知ってたけどさ。
「と、私の方はそんな感じなんだけど……」
そんなクーラだからなのか、恥ずかし気な様を欠片も見せずに触れ合う程の間近から俺の目をのぞき込んで来る。
「君の方は平気そう?」
「……今のところはな。けどそれは多分、まだ実感が追い付いてないからなんじゃないかと思ってる」
「それはそれでありそうな話だね。君の方こそ、辛い時は素直に私を頼ってよ?」
「ああ。ここ数年で俺にだって多少の矜持くらいは備わったつもりだが、そこらへんの優先順位は理解できてるからな」
「ならいいんだけど。……ねぇ、アズ君。私さ、君のことは絶対に護るから。心も身体も、君のすべてを。どんなことがあっても、何としてでも護り抜いてみせるから」
「護る、か……」
クーラが呼び付けられたのはこの世界を滅びの危機から救うためという公算が高い。となれば、平穏な先行きが待っているとは考えにくい。
クーラがどれだけ俺を大事に思っているのかくらいは理解できているつもりだし、数ある異世界すべての中でクーラが最強の存在であるという可能性が極めて高いということも理解しているつもり。
俺とクーラの間には、天と地ほどになんて言ったら見栄を張り過ぎだろうというくらいに実力差があるということだってわかっている。
クーラにとって俺が庇護の対象であるということだって事実と受け入れている。
「もちろんそこは素直に頼るつもりだよ。けど……」
「けど?」
だがそれでも、譲りたくないこともあった。
「ひとつ、頼みたいことがあるんだ」
だからそう切り出すんだが、
「任せてよ!」
「いや、内容を聞く前に即答するなよ……」
まるで目玉焼きの焼き加減をリクエストされた時のようなノリで嬉しそうに返事をしてくれやがり、
「だって、君の望みを叶えるのは私にとって最高の喜びなんだから」
当たり前のようにそう断言。
たしかにそれはそれで、日頃の言動からは大きく外れていないわけだが。
けど、だからといってこれはあまりにアレ過ぎるだろう。
「それにさ、どうせ君のことだからね。私が本気で嫌がるようなお願いをして来るわけないし、無茶な頼み事をするとも思えないよ」
「……そうかよ」
一応、クーラの中では根拠あってのことらしかった。
本当に、俺はこいつには敵わないんだよなぁ……
そんなため息は腹の中だけに留め、
「けど、今回の頼み事はお前にとっても結構な負担にはなると思うんだ。だから、筋は通させてもらう」
軽く言葉を切ってひと呼吸。ずっとつないだままだった手を放す。
クーラが残念そうな顔をしたようにも見えたが、そこは仕方がない。向き合って頭を下げるのであれば、手をつないだままというわけにも行かないんだから。
「お前の本気で、俺を鍛えて欲しいんだ」
そしてそれこそが、俺がクーラに頼みたかったこと。
「それって、ズビーロクソトカゲ相手に不覚を取ったから?」
「まあ、お前ならそれくらいは気付くよな。あの時、お前の帰還があと10秒でも遅かったなら、俺の存在はこの世から消えていたことだろう」
そうならずに済んだのはただの幸運。
「その場合、お前がどれだけ苦しむことになるのかなんて想像も付かないよ」
「……だろうね。そうなってたら、正気でいられた自信なんて無いよ」
「タマネギとか感涙であれば別に構わないけどさ、俺としては――俺を失ったからって理由でお前が泣くのは嫌なんだよ」
「……そのためには自分が強くなればいい、と?」
「ああ。実を言えば、お前が前回の異世界に呼び付けられる前にも考えたことはあったんだが……」
当時の俺が廃案にした理由はたしか……俺だけがそんな形で力を得るのは狡いから、だったか。
クソ鯨騒動の時にいろいろあって考えを改めたわけだが、それでも遅すぎたということなんだろう。
口頭だけだと限界があるとは、当の『クーラ』も言っていたことだ。
あり得なかったもしもの話だが、
俺がもっと早い段階でクーラに鍛えてもらい始めていたなら、クソ鯨は難なく始末でき、ガナレーメで『クーラ』がビクトの手にかかることもなく、寄生体の能力を介してオビアが『魔獣喰らい』も受け継ぐこともなければ、昨夜の星界の邪竜だってすんなりと始末完了。
そんな形で事態を推移させることができていた……かもしれないんだから。
けれど現実に迎えた結果はあのザマ。
一応はこの4年間で成長できた自覚はあるが、それでも俺はまだまだだということを、嫌というほどに思い知らされていたんだ。
「もう二度とそんなことにはさせないつもりだけど……」
クーラの庇護があればヤバいことになんて滅多にならないことだろう。それくらいはわかっている。
「それでも念のために、可能な限りリスクは減らしておきたいんだよ。それに、俺が簡単にどうにかならないと確信できる方が、お前だってより安心できるだろ?」
「……狡い言い方だね」
「自覚してる」
「けど、本気で言ってるんだね?」
「ああ」
「そういうことなら、喜んで引き受けさせてもらうよ」
「ありがとうな。……手間をかけて済まないとは思うが」
「いいってことよ。私にとっても君の安全は最優先事項なんだから。つまり、君と私の利害は一致してるってこと」
「そう言ってもらえると助かる。それで、当面の話なんだが……クソ鯨騒動の時にお前が押し付けてくれやがった目標を覚えてるか?」
「エルリーゼで準最強、だったよね?」
しっかりと覚えていたらしく、即座の返答。
「より正確には、エルリーゼではお前以外の誰にも負けないくらいに強くなるってことだったがな。今回のズビーロクソトカゲには不覚を取ったけど、そこそこ近いところには来ているんだと思う」
それもすべては、虹色泥団子という名前の割には強力だった心色と、初めて出会った日にクーラがやった色脈の調整に、例の1200年間。『クーラ』から学んだ異世界技術と、師匠や支部長や先輩方からの教えが結実した結果だったんだろう。
「だろうね」
クーラもそのことは否定しなかった。
「だから、その目標を一段階引き上げようと思う。具体的には、「エルリーゼの中で」って部分を「すべての異世界において」ってな」
「……君にしては珍しく随分大きく出たね」
それはもっともな指摘だろう。
言い換えるならば、クーラのみを例外として、幾多の世界に存在する誰よりも強くなるという話なんだから。
「それも自覚してる。ズビーロクソトカゲ程度に苦戦する俺には、まだまだ遥か彼方なんだろうさ。けど、ある意味では都合もいいだろう?」
「どういうこと?」
「『時剥がし』だよ」
「……なるほど」
『時剥がし』を施されたことで、俺もクーラと同じく寿命から解放された存在になったんだ。
ならばむしろ、それくらいの目標が手頃なんじゃないかとすら思う。
山より大きな獅子はいない。
これは師匠が座右の銘としていた言葉。
そして俺には膨大な時間がある。であれば、どれほど大きな獅子であろうとも、いつかは届き、やがては超えることだってできるはずなんだから。
「そういうことなら、私も君の成長を楽しみにさせてもらおうかな」
「ああ。時間はかかるかもしれないが、その期待には応えてみせるさ。俺がそれくらいまで強くなれば、万一もそうそうは起こらないはずだろう?」
「ごもっともで」
「ただまあ、あくまでも状況と相談しつつ、だからな?」
俺を鍛えることにかまけすぎたせいで云々。なんてのは勘弁願いたいところ。
「わかってるってば。この世界をきっちり救わなきゃエルリーゼに帰れないかもしれないわけだしさ」
「それもそうだな。ところで、異世界の空ってのはあれが普通なのか?」
そうして問うのは、ここへ来て俺が最初に思ったこと。
「いや、あんなのは私も始めて。まあそこらへんも含めて説明があると思うから」
「説明って、誰からだよ?」
辺りを見回すも、この場には俺とクーラ以外の姿は見当たらず。
「こっちに向かってる人の気配があるの。数は6人。このペースだと……あと1時間くらいで接触できそうな感じかな?」
「その人たちから聞くわけか」
1時間もかかる距離に居る存在の気配を感じ取ることができると言うのは、クーラだからで済ませてもいい話だ。
「なら、こっちから出向いた方がいいんじゃないか?」
「そうしようか。いろいろと積もる話もあるし、ふたりであれば1時間くらいは簡単に潰せるだろうけど、お話だったら歩きながらでもできるわけだし。短縮できるならその方がいいよね」
そう話はまとまり、離した手をつなぎ直し、
「あらためて、これからよろしくね、アズ君」
「ああ。こっちこそよろしく頼むぞ、クーラ」
互いの名を呼びあって。
すべての世界を含めての準最強。
クーラのみを例外として、あらゆる存在を圧倒できる境地。
それが俺の見つけた、差し当たっての求める先。
俺なりの決意を胸に、この先のどこまで続くかもわからない旅路を共に歩むクーラと連れ立って、
俺は、俺にとって初めてとなる異世界での第一歩を踏み出していた。
これにて7章終了となります。ここまでのお付き合いに心からの感謝を。
更新はここで一時休止として、次の区切りまで書き終えたところで再開という形にしようと思っています。
再開時期は未定ですが、木曜日の20時にすることだけは確定しています。
再開後に見かけて気が向いたなら、またお付き合いいただければ幸いです。
あらためて、ここまでのお付き合い、本当にありがとうございました。




