込められるだけの気持ちを込めた定型句
「……ねえ、クーラおねえちゃん」
俺が異世界呼び付けに同行すると決まったところに、恐る恐るといった風でペルーサが声をかけて来る。
俺たちの会話はトキアさんやアピスにネメシア、そしてペルーサにも聞こえていたわけで、
「また、とおくに行っちゃうの?」
「……うん」
「じゃあ……もう会えないの?」
いくらかは意味も理解できていたんだろう。その問いかけには不安と寂しさがにじんでいると、俺にはそう思えた。
「それはわからない。ひょっとしたら、3日くらいで帰って来れるかもしれない。だけど……もしかしたらもう二度と、ペルーサちゃんとは会えないかもしれない」
取り繕って誤魔化すことだってできたはず。けれどそれをやらずに本当のことを伝えるのは、クーラにとってペルーサは可愛い妹分であると同時に、子供扱いしていい相手ではなかったからなのか。
「やだよ……」
けれど、ペルーサの瞳に浮かぶのは涙で。
「いつも楽しそうで一緒に遊んでくれて、優しくしてくれていろんなことを教えてくれる。わたしはそんなクーラおねえちゃんが大好きなの。だからクーラおねえちゃんがいなくなるのは嫌だよ!」
終わり際が涙でにじむその言葉はクーラの心に刺さっていたんだろう。
「……ごめんなさい」
俺が知る範囲では決して涙腺が強い方ではないクーラ。
「私だって……ペルーサちゃんが大好きだったよ!おねえちゃんって言ってくれて、本当に妹ができたみたいで嬉しかった!叶うならもっとペルーサちゃんと……過ごし……たかったよ……っ!」
だからなのか、涙の堰は容易く破壊されてしまう。
「わたしも、ほんとうのおねえちゃんができたみたいに思ってた。いつかいっしょにお菓子を作ったりとか、お茶のいれ方を教えてもらったりとか、もっといろいろしたかったよ。……けど、もう無理なんだよね?」
「……うん。私はもう、アズ君と離れたくない。そのためにはこれしか方法が見当たらないの」
「そっか」
ペルーサが涙をぬぐい、本心を押し殺しているとひと目でわかるような、ぎこちないにもほどがある笑みを浮かべる……いや、無理矢理に浮かべようとして、
「ねぇ、クーラおねえちゃんとアズールおにいちゃんが旅から帰って来た日のこと、覚えてる?」
そんな問いをかけて来る。
「わたしね、あの日はうれしくてたまらなかったんだよ?だって、またクーラおねえちゃんと居られるんだから。話したいこともたくさんあったし、早く明日になってほしいって思いながらベッドに入ったの」
それは、ビクトの阿呆がガナレーメを襲った日のことでもあった。
そして思えば、あの日がひとつの分岐点でもあったんだろう。
……というか考えれば考えるほどズビーロ一族はロクでもないことしかしてないな。連中のせいで俺とクーラはもちろん、縁のあった人たちがどれだけ迷惑したのやら。
まあ、オビアの奴は現在進行形でその報いを受けているわけだが。
「それで次の朝は早くめがさめちゃったから、おさんぽでもしようと思って外に出たら、おとうさんとエルナおばちゃんがお話ししてたの。ぬすみぎきはいけないことだって言われてたんだけど、クーラおねえちゃんの名前が出て来たから気になっちゃって……。その時にきいたの。もうにどと、クーラおねえちゃんに会えないんだって」
ガナレーメでビクトの手にかかった『クーラ』は、世間的にはあの時に死んでいたんだから。
クーラがエルナさんの店で働いていたのは第七支部の誰もが知っていた。だから、支部長あたりが伝えていたということなんだろう。
そしてその件でペルーサを案じたから、『クーラ』は王都に戻ることを選んだんだ。
「さいしょはいみがわからなかった。だけど、エルナおばちゃんのお店にもクーラおねえちゃんは来なくて、住んでるところへ行ってもだれも居なくて、次の日になってもクーラおねえちゃんは来てくれなくて。寂しくて辛くて苦しくて……だからね、そんな時にちっちゃなクーラおねえちゃんが帰って来てくれて、すごくうれしかったんだよ」
互いに離れることになるのは、俺にとっても『クーラ』にとっても辛いことではあった。それは間違いない。
けれどそれでも、あの判断は正しかったんだろう。悲しんでいるペルーサを捨て置くなんてのは、俺としても気分が悪い。
「……私も、またペルーサちゃんに会えて嬉しかったよ」
「……ほんとうは、ぎゅっとしてほしかった。わたし、クーラおねえちゃんにそうしてもらうのも大好きだったから」
「私も好きだったよ。ホント、ゴメンね」
クーラもまた、ペルーサを抱きしめるのは嫌いではなかった……いや、好きだったんだろう。ふたりを見ていれば、それくらいは俺にだって理解できる。
ペルーサ相手となれば、さすがにやっかみも起こらない。
「いいの。でもそうしてクーラおねえちゃんとすごすうちに気付いちゃったの。……ねえ、クーラおねえちゃん。わたしがいちばん好きなのは、どんなクーラおねえちゃんだと思う?」
「……ふぇ?」
その問いかけはクーラの想外にあったんだろう。間の抜けた声がこぼれ出る。
「それはね、アズールおにいちゃんといっしょにいる時のクーラおねえちゃんなの。その時のクーラおねえちゃんがいちばんすてきなんだよ?それって、クーラおねえちゃんはアズールおにいちゃんといっしょの時がいちばん楽しいからなんだよね?」
「……うん」
「だからわたしもがまんするよ。だって、わたしはクーラおねえちゃんが大好きだから。大好きなクーラおねえちゃんを困らせたくないから。わたしがいつまでもメソメソしてたら、クーラおねえちゃんも嫌だと思うから。大好きなクーラおねえちゃんには、いつだっていちばん……すてきで……いて……ほしいから」
限界だったのか、一度はぬぐった涙がさっきよりも勢いを増してペルーサの瞳から流れ出す。
あの子だって、姉と慕うクーラと離れ離れになることが辛くないはずがない。
それでもクーラのことを思って背中を押そうとする。
本当にどこをどうすれば、9歳にしてそんな風に考えることができるのやら。
その心根には敬意以外を抱けそうもなかった。
「ペルーサちゃん……」
当然ながら、俺が気付ける程度のことにクーラが気付けないはずもなく。
叶うならすぐにでも、泣いている可愛い妹分を抱きしめてやりたい。けれどそんなことをしたなら、ペルーサまで異世界呼び付けに巻き込んでしまいかねない以上、それはできない。
多分、今のクーラはそう思っている。
痛いほどに強く、つないだ手に力がこもっていたのはそういうことなんだろう。
「……これをどうぞ」
そんなペルーサにハンカチを差し出すのはトキアさんで、
「大好きなクーラおねえちゃんを見送る顔がぐしゃぐしゃではサマにならないでしょう?」
「……うん」
それでも、止めどなく流れる涙はぬぐってもぬぐってもキリがなさそうではあったんだが。
「言いたかったこと、ペルーサさんに全部言われてしまいましたね」
トキアさんが見せる穏やかな微笑みは、俺が第七支部で見慣れていたのと同じもの……だったんだろう。
……何故か微妙にぼやけて見えるせいで自信は無いんだが。
「この門出から始まるおふたりの旅路。その先行きが良きものであることを願っていますよ」
トキアさんは最後まで、俺たちを案じてくれる。
「ふたりとも仲良くね?正直、喧嘩をしているところは想像も付かないけれど、その時は半殺しまでにしておきなさいよ?」
アピスがかけてくるのはそんな揶揄で、
「そこは9割殺しでもいいんじゃない?どうせその時はアズールが悪いに決まってるんだから。一応言っとくけど、もしもクーラを泣かせでもしたら帰って来た時にぶん殴るよ?」
ネメシアはネメシアで俺へと拳を向けて来る。
本当にお前らは俺を何だと思って……いや、それだけでもないのか。
にじむ視界の中でも、トキアさんやアピスネメシアの瞳が潤んでいるように見えたのは、多分そういうことなんだろう。
「……そろそろだよ」
そして、ついにその時――今生の別れになるのかもしれない瞬間がやって来る。
クーラの顔はペルーサをどうのとは言えないような有様だったが、そこを指摘するのは無粋だろう。
トキアさんの言葉を借りるなら、今が門出の時。虹追い人の旅立ちに湿っぽさは似合わない。
そうとなれば、ここでやることなんて決まっている。
だからクーラと見つめ合い、頷き合って、
「「行ってきます」」
ペルーサに、トキアさんに、アピスに、ネメシアに告げるのは、込められるだけの気持ちを込めた定型句。
「「「「行ってらっしゃい」」」」
返されたのは、同じくらいに気持ちが込められているであろう定型句で。
聞き終えるまでこの場に居られたのは運が良かったのか。
まるで『転移』さながらの唐突さで、
見送ってくれる4人の姿も、かつての住処と同じ間取りをしたアピスの部屋も、テーブルの上にあった緋晶ブドウの鮮やかな色も、
そして恐らくはこの世界のすべてが、
一瞬にして完全に、俺の認識できる範囲から消え去っていた。




