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心の色は泥団子 虹を捕まえ連れ立って  作者: 追粉
7章 実質白
238/255

お帰り、クーラ

「ただいま、アズ君」


 雪解け水のように涼やかに透き通った聞き慣れた声が、頭や心ではなく耳に直接響く。


 飛槌モドキを維持することができなくなって落下する俺を抱き留める感覚に馴染みがあったのも当然だろう。何せそれは、ガナレーメでの一件が起きたあの日までは……いや、正確には2年以上前――クソ鯨騒動の数日前までは、毎日のように体験していたものだったんだから。


 そして、目の前まで迫っていた破壊の光が時間ごと停止したように思えたのも当然のことなんだろう。実際に俺は時間の流れから隔てられていたんだから。


時隔て(ときへだて)』という名の技術によって。


 いつになるのかはまるでわからず、けれどいつか訪れるとは確定していたこと。


 異世界へと呼び付けられたクラウリアが、今この時に帰還を果たしていた。


「お……かえ……り……。クラ……」


 だからかけられた言葉に返事を――その時が来たらかけるつもりだった言葉を声に出そうとするも、色源枯渇で思うように動かないのは身体だけではなくて舌先も同じだったらしく、


「……随分お疲れみたいだね。ちょっと待ってて」


 そんな俺をクラウリアは支え直して、


「……ん」

「……むがっ!?」


 柔らかいものが口を塞いでくれやがった。


 あまりにも唐突過ぎたせいでそれがいわゆるところの口づけというやつだと認識するのに少しばかりの時間を要し、その間にいいようにされてしまって、


「……ふぅ」

「……いきなりすぎるだろうが!」


 程なくして――やけに満足げな表情で――口を離したクラウリアに対してそんな風に声を上げてしまった俺は悪くないと思いたい……って待て!?


 異変に気が付く。


 ほんの10秒前までは、マトモに言葉も発せないほどに疲弊していたはずなのに、抗議の声をすんなりと上げることができていた。


 しかもそれだけではなくて、


 足場があるのはクラウリアが作ったからで納得できるとしても、さっきまでは身体を満足に動かせなかったはずなのに、今は両足でしっかりと立つことができていた。


 おまけに自分の内側に意識を向けてみれば、空っぽになっていたはずの色源が完全に回復している。


 まあその理由として思い当たるのは、かまされたばかりの口づけくらいしか無いわけなんだが……


「ゴメンゴメン。けど、その様子だと楽になった感じかな?」

「……つまり、お前が何かやったわけだな?」

「うん」


 当然のようにうなずき、


「薄々は気付いてるかもしれないけど、口移しで色源を補充したの」


 サラリととんでもないことを言ってくれやがる。


 他者への色源譲渡というのは、現在まで名を語り継がれる英雄のひとりである『救い手エルベルート』が目指す先のひとつに掲げながらも成し得なかったこと。


 そして、今までに成功例のひとつも無い行為だとも言われているはずだった。


 まあ、ある意味では()()()と言うべきなのか。


 何せこいつはクラウリアなんだから。


 この程度であれば、それだけで許容できるというもの。


「……おかげで助かった。ありがとうな」

「いえいえ、どういたしまして」

「けど、お前の方は平気なのか?」


 とはいえ、俺に色源を渡したということは、その分だけクラウリアの方は色源を消耗しているという話になるわけだが……


「うん。全然大丈夫」


 そう答える顔は涼しいもので。


 そういえば、俺とこいつの色源量には124倍以上の差があるんだったか。


 それならば、クラウリア的には大したことでもないんだろう。


「ならいいんだが。っと、そうだった」


 今更ながらに思い出したのは、ついさっき言いそびれたこと。


 クラウリアが帰って来たなら、真っ先に言おうと考えていたこと。


「遅くなっちまったけどさ……お帰り。クラウリア」


 そしてそれは、クラウリアが望む言葉であるとも俺は思っていた。


「……え?」


 けれどクラウリアが発したのはそんな呆け声で、


「今、私のことをクラウリアって言ったの?」


 何故かそんな問いをかけて来る。


「ああ。けど、それがどうかしたのか?」

「嘘……そんなのって……」


 だから答えてやれば見せて来るのは信じられないといった表情。


 しかもそれだけに留まらず、みるみる青ざめていく顔が辛そうに歪み、目の端からは透き通った雫までもが流れ出す。


 涙は涙でも、感極まった風で流すのであれば――大げさではあるにせよ――納得もできる。


 けれど今のクラウリアは明らかに苦しそうな様子。


「ひょっとして、さっき色源を渡したのがキツかったのか?」

「違うよ……」


 思い付いた可能性を問いかけてみるも返される否定は涙声で。


「ねえ、アズ君。私はさ、君に嫌われちゃったの?」

「……はい?」


 完全に意味不明な問いを重ねて来る。


「どこをどうやったらそんな話になるんだよ?」

「……そりゃ、2年以上もずっと、君をほったらかしにしてたのは事実だよ。そのことを責められたって言い訳なんてできないよね」

「いや、だからまるで意味が分からないんだが……」

「けどそれでも……お願いだから君の傍に居させてよぉ……。私を好きでいて欲しいなんてワガママ言わないからさ……。どんな扱いでもいいから……。君の言うことにはなんだって従うから……。君が望むならなんだってするから……。だから……お願いだから……私を捨てないでよ……」


 本気でどうしたんだこいつは?


 縋り付いて泣きじゃくるその様には、ふざけた色は皆無。


 かといって、本気でこんな奇行に出る理由なんてどこにも見当たらない。


 それこそ、腐ったニンジンでも食って頭がおかしく……いや、そういうことなのか?


『……狂ってなきゃいいんだけど』


 クーラがクラウリアに対して、大真面目にそんな危惧を抱いていたことを思い出した。


 たしかその理由は『深刻なアズ君不足』とかいうアホくさい症状が起きるかもしれないから、だったか。


 とはいえ……


 今ならば、痛いほどにも理解できてしまう。


 クーラを失った時の俺は多分狂っていた。今のクラウリアもまた、それに近い状態なのかもしれない。


 そしてその対処法も、誰よりもクラウリアを理解しているであろうクーラから聞かされていた。


「なあ、クラウリア。落ち着いて聞いてくれ」


 それは、俺が抱き締めて名を呼ぶというもの。


「また、クラウリアって言った……」


 けれどその声からは、悲しみの色が消えることはなくて。


「そうは言うけどな……お前がクラウリアなのは間違いないだろ?」


 ……考えてみれば、こいつの様子がおかしくなったのは俺がクラウリアと口に出してからだったか?


 けれどクラウリアというのはこいつの本名であり、ご両親がこいつのために考えた名前でもあったはずで、その名を嫌っている様子なんてこれまでに一度だって見たことが無い。ならばそれを呼んだとして、どんな問題があるのやら。


 と、俺はそう考えるわけだが、


「それはそうだけど……君にその名前で呼ばれるのは、距離を感じるの」


 ……なるほど。


 それが、こいつの様子がおかしくなった理由だったのわけか。


 思えば、異世界に呼び付けられたあの日までずっと、俺はこいつをクーラの愛称で呼んでいた。


 ところが2年以上ぶりに再会してみれば、それがクラウリアに変わっていた。


 だから距離を置かれたと感じ、嫌われたと思い、捨てないでと縋り付いて来たと、そういう話だったわけだ。


 当然ながらそれは早合点。的外れにもほどがある誤解でしかない。


 なら、さっさと解いてやらないと。


「たしかに俺はお前のことをクラウリアって呼んだけどさ、それはお前を嫌いになったからだとか、そういう話じゃないんだよ」

「……そうなの?」

「ああ。そのことは……そうさな……エルナさんに誓ってもいい」

「……君がそこまで言うなら嘘じゃないんだろうけど。……だったら何でクラウリアって呼んだの?」


 勝手に使ってすいませんとは思うが、エルナさんの名を出したのは正解だったらしい。おかげで、こっちの話に耳を傾けてくれる。


「深い意味があったわけじゃない。単に便宜上の問題だ」

「便宜上?」

「ああ。あれはお前が異世界に呼び付けられた直後のことだったか。クーラ――お前の『分け身』と話してて、どっちの呼称もクーラだと紛らわしいって話になってな。それで便宜上、お前のことをクラウリア。『分け身』の方をクーラって呼び分けてた。ただそれだけのことだよ」

「……じゃあ、『クーラ』が居れば、もう私は要らないなんて言わない?」

「言うわけあるか!俺も『クーラ』もずっとお前のことを心配して、ずっと帰還を待ってたんだぞ」


 もっとも、俺と『クーラ』では心配の方向性が違っていたりもしたんだが。


「……じゃあ、これからも君の隣に居ていいの?」

「居ていいってのは少し違うな。俺はずっと、お前に隣に居て欲しい。ずっとお前の隣を歩いて行きたいんだ」


 ご両親の墓前でそう誓いを立てたのはそれほど昔のことでもない。


「……じゃあ、私のことを嫌いになったわけじゃないんだよね?」

「当たり前だろうが!むしろそんな風に思われたこと自体が腹立たしいくらいだぞ」


 こいつが異世界に呼び付けられる前の時点で、俺は完全に堕とされていたようなものだってのに。


「……じゃあ、今もこれからも、私を好きでいてくれるの?」

「……それを口に出すのは少しばかり気恥ずかしくはあるけどな」

「……恥ずかしがり屋さんなところは変わってないみたいだね」

「……悪かったな」

「そんな素直じゃないところも好きだからいいけどさ」


 泣いたカラスが何とやら。すっかりいつもの調子が戻って来たらしい。


 まあ、この世の終わりみたいな絶望顔をされるくらいなら、少しくらい調子に乗っている方がいいというもの。


 というか、この2年間が相当に堪えてたってことなんだろうかな?


 いくらなんでも、普通ならあの誤解はあり得ないだろう。それこそ、かなり精神面が不安定になっていたとかでもなければ。


 『クーラ』とひとつになれば安定して来るのかもしれないが、しばらくは俺の方でも気にかけておいた方が良さそうか。


 ともあれ今は、


「お帰り、クーラ」


 あらためてその言葉を――さっき言った時には俺の予想から大きく外れた苦しげなリアクションを返された、クーラが望むであろう言葉を伝える。


 けれど今回も、クーラの反応は予想を外したもの。


「うん!」


 その顔に浮かぶのは俺の予想を大きく上回る、まぶしく輝くような笑みで。


「ただいま、アズ君!」


 またさらに、深く堕とされたような気分だった。

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