黒焼きトカゲになりやがれ!
「フン!これで清々したわ!まるで役に立たぬ出来損ないだったが、最期に見せた吠え面だけは野良犬のようで少しは愉快だったぞ。生まれて初めて我の役に立てたこと、地獄で誇るがいい」
心底愉快そうにオビアが嗤う。
その言葉通りに、ビクトの意識は完全に消えて無くなったということなんだろう。
それ自体は俺にとっても好都合。対峙する分にはビクトも頭数のひとつではあったんだから。労せずにそいつが消えてくれたのは大いに結構なこと。
そして俺の近しい人に限ったとしても、ビクトのせいでクーラやトキアさんが死ぬかもしれないところだったのも事実。
だから俺にとって、ビクトは間違いなく敵だった。
けれど、
胸糞悪いな、これは……
腹の底から湧き上がるのは不快感。
幼い頃からロクでもない親によって心の在り方を歪められ、本来であればあり得ない年齢で心色を取得させられたことでその歪みはさらに肥大化させられて。
どうしようもないほどに歪んでいたとはいえ、ビクトが父親としてオビアを慕っていたことだけは事実だったはず。
それなのに最期はその父親に役立たずと断じられて嘲笑の中で消され、野良犬などと言われて。
他人の幸不幸を勝手に決め付けるのは傲慢なこと。それくらいは俺だって認識しているつもり。
それでも、
子は産まれて来る時に親を選べないというのはたまに聞く話。そしてあれの子に産まれ、振り回されるままに終わりを迎えたのは、きっとビクトにとっても不幸なことだったに違いない。それこそ、野良犬の子にでも産まれた方がマシだったんじゃないかと……待てよ!?
我ながらくだらないと思えるような感傷だったが、その中で犬という単語が意識に引っかかり、そこから枝葉が伸びるようにしてあれこれが結び付き、頭の中でひとつの案が形を成していく。
……これならあるいは。
それは、現状を多少はマシなものにできるかもしれないと思えるような案。
さっきまでの時点で俺の手にあった手立ては、障壁と泥壁の併用で破壊の光を防ぎ切るというものだけ。
奴がグラバスク島を消し飛ばした際に試しに受けてみたところ、全力で展開した障壁と泥壁はどちらも一瞬でぶち抜かれていた。
それは言い換えるなら、全力で展開したものであれば一瞬だけは防げるということ。あとはそれを幾重にも連続で展開し続けてやれば――机上論的には――破壊の光を完全に防ぎ切れるという計算。
一瞬を積み重ねれば、それは1秒になり、1分になるんだから。
ただ今回の場合は、俺の色原量という問題もあった。
その際の必要発動ペースは秒間で60枚以上という計算。それを全力やるというのは、相応に消耗も大きい。
そして今の色源残量から計算するに、継続的に破壊の光を放たれ続けたなら、長く見ても3分というのが俺の見立て。
俺よりも先に奴の方が先に息切れをしてくれるという可能性も無いわけではないだろう。
だが、へばる前にクーラが到着しなければ俺は破壊の光に呑まれて消滅してしまう。
付け加えるならば、クーラが間に合ったとしても、その時点で俺の色源が枯渇していれば、どうにもできない公算もある。
……まあ、クーラであればそこからでもどうにかしてしまえるような気はしないでもないんだが、あまり楽観的に考えすぎるのも危険だろう。
一方で今思い付いたばかりの新案だが――上手く行ったならという但し書きは付くが――俺の色源が尽きるまでに稼げる時間の長さでは大きく勝る。短く見ても5分は行けるだろう。
また、防戦一方の旧案と比較すると、多少なりとも奴を痛めつけることもできそうなところ。上手く行けば、その後もしばらくは動きを止めることもできる……かもしれない。
難点は不確定要素が大きいという点。
メインとなるのは使い慣れた障壁と泥壁で、ある程度の目安もあるのが旧案。対する新案は完全なぶっつけ本番。しかも、これまでには一度も、実践どころか想定すらしたことが無いような立ち回りをすることになる。
参考になりそうなものがあるとしたら、それなりには見慣れているソアムさんの立ち回りくらい。
加えて、クーラが強化してくれた白リボンが耐えられるかという疑問も出て来る。いくら桁外れの強度を備えていると言っても、絶対に千切れないというわけではないだろう。そしてこの新案では、すさまじい負荷がかかることになる。
あとは、俺の身体が耐え切れるかというのも不安要素か。
まとめるなら、
良くも悪くも安定しているのが旧案。不安定な部分が大きいものの、上手く行けば見返りも大きいのが新案。
さらに言うなら、ローリスクローリターンの旧案とハイリスクハイリターンの新案からどちらを選ぶのかという話。
どちらにも長所短所はあり、どちらを選んだとしても現時点では勝ち筋も負け筋も明確には見えて来ない。
「さて、次は貴様の番だな?」
そしてシンキングタイムも終了らしい。『超越』のおかげでそれなりに思考を巡らせることができたのは幸いだったが。
「くくく……。地獄でビクトが待っているぞ」
……よし、決めた。
その物言いが俺に決断させていた。
何故か誰にも信じてもらえないんだが、基本的に俺は戦いにおいては安定を重視する方だと、自分ではそう思っている。その意味では初期案寄りの思考をしているとも言えるだろう。
そして、最終的に勝つための布石であれば守勢一方でも我慢できる。それを屈辱と思うような考えなんてのは、虹追い人としての第一歩を踏み出す前に投げ捨ててやった。
だがそれでも、このド外道には一発食らわせてやらないと腹の虫が治まらない。
どうせどちらが正解なのかは、手がかりのひとつも無いんだ。だったら、少しでも俺の気が晴れる方を選んでもいいだろう。
「……一応聞くけど、今更命乞いをしても無理そうか?」
そうと決めたら即行動。さっさと下準備を始めることにする。
「無駄だな。貴様の罪はどうあっても許されるものではないのだよ」
「そういうことなら、俺も覚悟を決める。……いろいろとあったが、悪い人生ではなかったさ」
「ほう、最期まで見苦しく足掻くと思っていたが、ようやく観念したようだな?」
「ああ。さすがにここまで追い詰められちまうとな。ただ、唯一の心残りは……」
白リボンを伸ばす先は、下方でほったらかしになっていた泥人形。その首に巻き付け、引き上げてやれば、
「……何のつもりだ?」
オビアが見せるのは怪訝そうで、不審そうな表情。
「ただの心残りだよ。犬を飼って、こんな風に首輪を付けて散歩させるってのが、ガキの頃からの夢だったんだ」
といってもこれは、今この場で考えた出まかせなんだが。
「フン!単独型の貴様など、野良犬にも劣るわ!それが犬を飼おうなどと、下賤の上に傲慢な奴め」
「そりゃどうも。まあ、俺が傲慢なのは否定しないさ」
クラウリアの高みに少しでも近付きたいと、本気でそう思っているくらいなんだから。
「けど……やっぱり未練はあるんでな。ここで殺される前に、犬の散歩をするくらいの猶予が欲しいんだが」
「駄目だな。貴様は今から神罰を受けて地獄に落ちる。それこそが神意なのだよ」
「そういうことなら仕方ない。……代用品で――」
立場が逆だったなら、俺は遠慮なく不意打ちを仕掛けるところ。けれどなんだかんだでホイホイと無駄話に乗って来る自称カミサマの迂闊さがありがたい。おかげで、その間に20セットほどのイメージトレーニングをこなすことができた。
「――妥協してやるよ!」
だからここで仕掛ける。
「何を……ぎゃああああああっ!?」
左手に出した泥団子に最大光量での『発光』を発動。無防備にそれを見てしまったオビアは目を潰されて悲鳴を上げる。
何度同じ手に引っかかるんだかな、この間抜けは。実は知能もトカゲレベルだったりするんだろうか?まあ、トカゲの知能がどれくらいかなんて俺は知らないけど。
頭の片隅でそんなことを思いつつ、意識は右手の白リボンへ。
想起するのはソアムさんの姿。
柄から伸びた光の帯で繋いだ大玉を豪快に勢いよくぶん回すあの姿を。
先端に縛り付けた泥人形を大玉の代用品として『遠隔操作』でオビア首を含めた7本の首を縛り上げると同時に飛槌モドキを全力で急上昇させてやれば、
「ぐぇあっ!?」
ズビーロクソトカゲが上げる悲鳴の質が、息苦しそうなものへと変わる。
なるほど、あの姿でも首を絞められれば苦しいというわけか。
「貴様……。このような真似をしてただで済むと――」
「知ったことかよ!それよりも……楽しい楽しい散歩に付き合ってもらうぞバカ犬……もとい、バカズビーロクソトカゲ!」
素の腕力だけであの巨体を振り回すのは到底不可能だろうが、全身に薄くまとわせた泥による疑似的な『身体強化』と白リボンの表面で発動させる『爆裂付与』。クーラ直伝の異世界技術で起こす突風と、奴の身体に張り付かせた泥団子による『みさいる』方式に、飛槌モドキを上昇させる勢い。
今の俺が扱える中で使えそうなすべてを総動員すれば、
「うおあぁっ!?」
山のような巨体だろうと、俺の頭上まで跳ね上げてやることができるんだ。
そのまま泥人形を操作して白リボンを奴の全身に巻き付け、足場である飛槌モドキを回転。そうすれば、白リボンの先に縛り付けたズビーロクソトカゲも振り回される形に。
これこそが、ついさっき思い付いたばかりの時間稼ぎ新案。
俺も模擬戦でソアムさんにやられたことがあるからよくわかる。こうやってぶん回されている状態では全身に強烈な遠心力がかかるせいで、満足に身動きが取れなくされちまうんだ。
当然ながらそれは、無駄に図体のデカいズビーロクソトカゲであっても例外じゃない。むしろその図体の分だけ、かかる重圧も大きくなっていることだろう。
そして念のために奴の態勢については、7つの首すべてが上を向くように力のかけ方を調整してある。
口から吐き出すという性質上、破壊の光は顔が向いている方向にしか放てないんだから。これならば、奴が苦し紛れで破壊の光を放っても、人様に迷惑は掛からない。
つまり、こうしている間は安全に時間を稼げるということ。
もちろんのこと、あれだけ無駄にデカい物を振り回すとなれば、身体にかかる負荷も相応。異世界式治癒の継続発動で壊れる端から治してはいるが、筋肉痛をエグくしたような痛みがひっきりなしにやって来る。
まあ、これくらいの身体的な苦痛なら、寄生体に乗っ取られたこいつのクソ長男とやり合った時と大差は無く、経験済みの俺に我慢できない道理も無いわけだが。
「きさ……神に……このよう……をして……許され……思っ……るのか!」
「やめ……今すぐ……めるなら……命だけは……助けて……いのだぞ!」
「我の……腹心と……てやっても……だか……めてくれ」
「たの……たす……」
オビアは断続的に何やら叫んでいるようだが、そこは気にする価値も無い。どうせ大したことは言っていないに決まっている。
「……」
まあ予想通りにくだらない内容だったんだろう。ほどなくして、その声もぱったりと止んでいたくらいなんだから。本当に重要な案件ならば、もっとしつこく声を上げているはずだ。
そうして振り回し続けること、体感で6分ほど。
……どうやら新案で正解だったらしいな。
ここまで馬鹿デカい物体を振り回すためにはあれこれを総動員する必要があり、消耗も決して小さなものではなかった。
おかげで色源残量はすでに2割を切っている感じ。
それでも初期案の想定よりも長く時間を稼げた以上、結果は上々と言ってもよさそうだが。
さて、仕上げと行くか!
このまま投げ捨てて終わりにしてやるつもりはない。どうせなら、少しでも長く時間を稼げる方がいいに決まっているし、変なところに飛んで行ったら余所様にも迷惑。それに俺としては、少しでも痛めつけてやりたいところだし、何かの間違いで仕留め切れれば最高だ。
頃合いを見て振り回す腕の力を一瞬だけ緩めてやれば、張っていた白リボンにたわみが生じる。
その瞬間に飛槌モドキの全速上昇をかけて引き上げることで、ズビーロクソバカトカゲにかかっていた遠心力を真上への勢いへと無理矢理に変換。
さらに『爆裂付与』と『みさいる』方式と突風を併用した後押しも加えてやれば、無駄にデカい図体が遥か上方――空との境目を突き抜けて星の世界まで飛んで行く。
「さあズビーロクソバカ犬トカゲ、楽しい散歩はこれで終わり」
そこで今度は飛槌モドキに急降下をかける。縛り上げられたままで急激に逆向きの力をかけられたことで、奴の身体にも相応の衝撃が行っていることだろう。
「ぎあっ……!?」
こっちはこっちで全身がバラバラになりやしないかというレベルの激痛がやって来たりもしているんだが、そこは歯を食いしばって耐えればいい。
トキアさん曰く。100メートルの高さから落下したなら、海面も石畳も変わらないとのこと。
ならば、自由落下ではなく勢いを付けて引っ張り落とす形で、数千メートルを優に超える高度から勢いを付けて海面に叩きつけたなら、その衝撃はさぞや大きなことになるだろう。
「似ても焼いても食えなさそうだが、そこは我慢してやるよ。どうせお前は食い物じゃないんだ。なら、粗末にしても心は痛まないさ。けどまあとりあえずは……」
そしてクーラ曰く。星の世界から空との境目に突入する際には、大気との摩擦とかいう現象ですさまじい熱を帯びてしまうらしい。事実、最初に空から落ちて来たクソトカゲは真っ赤に燃えていたくらい。
「黒焼きトカゲになりやがれ!」
そうして赤熱しながらで叩き付けられたズビーロクソトカゲは盛大な水柱を吹き上げ、海面を突き抜けて海底へとぶっ刺さっていたらしい。
下半身が海面から突き出すその姿は酷く間抜けで無様で滑稽で情けないもので、
「少しは気が晴れたか」
それなり程度には、俺の腹の虫も満足できていたらしかった。




