俺としては、自分がそこまで御大層な存在だとはこれっぽっちも思っていない
「師匠に性根を叩き直されてからは、なるべく人様に迷惑をかけないようにと心がけて来たつもりなんだがなぁ……」
不甲斐ない現状に対して、どんより色のため息が漏れ出てしまったわけだが、
「まあ、今はさて置くことにするか」
もちろん、反省や改善は必要だ。そこから目を逸らすつもりはない。
だがそれでも、そろそろお楽しみの時間なんだ。それなのに、自分で自分のテンションを下げていても仕方がないという話。
お楽しみと言うのは言うまでもなく、クーラとの『念話』。
……それだけで気分が高揚して来るんだから、つくづく俺も単純だ。
そんな事実にも内心では呆れのため息が出て来るわけだが、こっちは割と明るい色をしていたのではなかろうか?
ただ、一応は離れていても言葉を交わせる手段を確保できていたとはいえ、まったく問題が無かったわけでもない。
突き詰めれば俺の力不足が原因なんだが、ここから王都のクーラに『念話』を送るというのは――より正確には、クーラの存在を感じ取るというのは、相当に骨が折れるものだった。
一度『念話』をつないでしまえば、その状態の維持は難しくない。
けれどこの距離で『念話』をつなぐ際にはクーラを認識することに全神経を集中させる必要があり、安全な状況でなければ怖くてできたものではないというのが現状。
まあその意味でも、俺と海鳥くらいしか居ないこの場所は拠点に適していたんだろうけど。
「さて……やるか」
鏡の魔具を使っていた時とは異なり、『念話』は俺の方からしか使えない。そして、クーラにはクーラの事情もある以上、基本的には朝と夜の1日2回と決めていた。
目を閉じて深呼吸。心を落ち着かせ、まぶたで閉ざされた闇の中で意識を向けるのは王都の方角。
今のクーラを構成しているのは俺の色源。だから、泥団子と同じような感覚でクーラを認識することができる。
そんなクーラの存在を察知するために意識を集中。
距離が遠すぎるということもあり、すぐにはクーラの存在はつかめない。
だから、より強くクーラを感じ取るために想起。
機嫌よく鼻歌を歌いながら台所で鍋をかき混ぜていたクーラを。
ノックスの森で初めて出会った時の、どこか得体の知れなかったクーラを。
アピスやネメシアと他愛のないことで楽しそうに笑い合っていたクーラを。
誕生日の贈り物を交換するという名目で初めての口づけを交わした時の、俺が一瞬で見惚れさせられたクーラを。
同じベッドで先に目を覚ましていて、俺が起きると同時におはようを言って来るクーラを。
トチ狂った挙句に勝手に俺の前から消えようとしていた超絶特盛り大馬鹿野郎なクーラを。
昨日の『念話』で、明後日には会えると言っていた時の嬉しくてたまらない様子のクーラを。
最近だろうが数年前だろうが、印象深かった件だろうが日常の一部だろうが、なんだって構わない。
少し意識しただけでいくらでも勝手にクーラのことが浮かんで来る。
俺にとっては、こうするのがもっとも効率がいいやり方。
そして、実績があるがゆえに効果も確実。ほどなくして、クーラの存在を知覚できた。
イメージ的には、果ての無い暗闇の中でか細く光る砂粒が見えたような感じだろうか?
そんな光へと、これまたクーラによって半ば強制的に習得させられたように、心の腕を伸ばす。
すぐに握り返されるような感覚があり、
『やっほうアズ君。待ってたよ』
そんなお気楽でご機嫌な声が、俺の心へと響いていた。
取り込み中ではなかったらしいことにひと安心。
俺にはクーラの現状まではわからない。だから、アピスたちと盛り上がっているところに『念話』をつないだ時には、困ったようなリアクションをされたこともあった。
まあその時はその時で、後であらためて『念話』をすればいいだけなんだが。
『今は大丈夫なのか?』
『うん。晩御飯が終わったばっかり。今はアピスちゃんたちが3人で仲良く後片付けをしてるところ』
『……やけにゆっくりだな』
すでに陽が落ちてから結構な時間が過ぎている。だから、晩飯が終わるにしてはかなり遅い時間になるわけだが。
『おしゃべりしながらの晩御飯だったからさ』
『……なるほど』
今日はお泊まり会で、参加者は女性が4人。
飯と風呂と話と着替えと便所は男の方が速い、なんていうのはたまに聞く話。であれば、そういうこともあるんだろう。
『けどさ……食事の支度をしなくていいっていうのもそれはそれで楽でいいんだけど、私としては作って食べてもらう方が好きなんだよね』
『……お前にとって料理は趣味みたいなものだからな』
台所に立つクーラが楽しそうだった姿は数えるのも馬鹿らしいくらいの回数を見て来た。だからそれくらいは断言できる。
『それが無いとは言わないよ。けどさ、君のために作れるっていうのが幸せなんだよ。君は何食べても美味しい美味しいって言ってくれるから、なおさらそう思うんだろうけど』
『……お前が美味い飯しか作らないからだろ』
長生きしていることもあってか、クーラの料理スキルは相当に高い。しかも俺の好みを的確に見抜き、それに合わせた味付けをして来るんだから。
そんな奴と暮らしていたなら、誰だって餌付け……もとい、胃袋を掴まれてしまうことだろう。
『あはは、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。……また、君にいろいろ作ってあげたいんだけどね』
『それは俺も同じだが……』
クーラの飯が恋しくなっていたのは間違いなく事実。
『今のサイズだと、包丁も握れないだろ』
『そうなんだよねぇ……』
ため息はどんよりとした色で。
今のクーラは手のひらに乗るサイズ。となれば、包丁が身の丈を上回るという話。
『124倍、だったよな?』
『……うん』
以前と同じサイズの『分け身』を作るには、俺の色源がそれくらい不足していたわけで。
そこまで色源を増やすには、果たしてどれだけの歳月が必要になるのやら。
『となると、クラウリアの帰還待ちが一番現実的なわけか』
『だろうね』
もしかしたら、それは数時間後にやって来るのかもしれない。けれどその一方で、この先数十年は待たされるのかもしれない。
俺もクーラも、そして間違いなくクラウリアもその日を心待ちにしていることだろうが、困ったことにそれがいつの日になるのかはまるで見当が付かないというのが現実なわけで。
『クラウリアはクラウリアでアズ君欠乏症が深刻なことになってるのは確定だろうし、戻って来たらすぐにでも還らなきゃって思うんだけどさ』
『……そうだな』
『……ひょっとして、私が消えるのを寂しいって思ってくれてるの?』
『……ああ』
そんな自分を情けないとは思う。それでも俺の中にそんな気持ちがあることは事実だった。
『クーラ』と過ごして来た時間がそれだけ濃密だったという話でもあるんだろうけど。
『まあそれでも、クラウリアのことを思うとねぇ……。あ、そうだ!』
不意にクーラが上げるのは、何かを思い付いたような声で、
『ちょっと思い付いたことがあるんだけどさ……』
実際にその通りだったらしいわけだが、
『明日私がそっちに行ったらさ、声に出して叫んでもらえない?『クーラ!愛してる!』って』
続けてやって来たのは、何とも理解に苦しむ内容。
今でも声に出すことに気恥ずかしさはあるものの、それ自体は間違いなく俺の真実だろう。
だが、どんな理屈があってそうなるのかという話にもなるわけで。
『……何でそうなるんだ?』
だからその疑問を素直に投げかけてみれば、
『都合が良すぎる奇跡が起きて、世界の隔たりを越えてその声がクラウリアに届くかもしれないでしょ?クラウリアだって君の声が聞けたら嬉しいだろうから』
『まあ、それ自体は全否定しないけど……』
だが、同時にこうも思えてしまう。
お前がそれを聞きたいだけだろう?
『……明日にはお前は王都を離れるわけだが、エルナさんとペルーサはどんな様子だった?』
だから、「バレバレなんだよ」という指摘の代わりにそんな話題逸らしをかけてやったのはせめてもの情けからで、
『知り合った虹追い人が遠くに行っちゃう経験は何度もして来たみたいだからさ、エルナさんは割と達観してる風だったよ』
すぐに乗ってくるあたり、妙なことを叫べと言うのは冗談半分でもあったんだろう。クーラのことだから、半分は本気でもあったことだろうけど。
『……考えてみれば、トキアさんもそのひとりだったか』
ともあれ、第七支部の近くと言う立地を考えれば十分にありそうな話でもあった。
『そういうこと。明日は王都を発つ前に、焼きたてのパンを用意してくれるとも言ってたよ。君が大好きな、チーズたっぷりのやつを』
『それはありがたい』
俺がもっとも食べ慣れているのはクーラの飯で、そこに次ぐのがあの店のパン。こっちもそろそろ恋しくなっていたところだ。
『なら、ペルーサの方は?』
クーラを王都に帰還させようという話になった最大の理由がペルーサだった。もっとも、聞いた限りでは心配はなさそうだが。
『今生の別れってわけじゃないからってのもあるんだろうけどさ、ペルーサちゃんも自分なりに現実を受け入れようとしてるみたいなの。……私が思ってるよりも、ずっと強い子だったよ』
その口調にほんの少しの寂しさがにじんだように思えたのは、果たして俺の気のせいなのか?
『……まだ9歳なのにと言うべきなのか、もう9歳なんだと言うべきなのか、どっちなんだろうな?』
『そこは悩ましいところだね。……私が9歳の頃なんてさ、父さん母さんの件からようやく立ち直れて、それでも爺ちゃんに頼り切りだったのに。正直、少し自分が情けなかったりも』
『……それを言ったら俺はどうなるんだよ?』
7歳の時に剛鬼の群れに故郷を滅ぼされ、両親を失ったというのがクーラの過去。それならば、ようやく立ち直れたのが9歳の時だったとしても責められる言われはないだろう。
一方で9歳の俺はと言えば、師匠に出会う少し前。しょうもない悪事を働いてばかりだったわけで。
クーラやペルーサと比べてしまうと……いや、誰と比較するまでもなく、情けなくて涙が出そうになるところだ。
『……まあ、そこは人それぞれってことで。ところでさ、ついさっきペルーサちゃんと話してて出て来たことなんだけど……今の君って、手元に手頃な残渣ってないかな?』
唐突にやって来たのはそんな問いかけ。
『……何を基準に手頃と言うのかはわからんが、深凍藍翼の残渣だったら住処の物置に転がってるぞ』
『……って、何でそんなのがあるの?』
『ここ最近はルデニオン山頂との往復が日課になってたんでな。今日も襲われたから返り討ちにしたんだが、その時にふと気になったんだよ。こいつからはどんな魔具が作れるんだろうか?ってな』
深凍藍翼という魔獣は、世間的には未だに討伐報告ゼロということになっている。つまり当然ながら、その残渣からどんな魔具が作れるのかも謎。
『なるほど』
『んで、お前なら知ってるかもしれないと思ってな』
海呑み鯨に関しても、過去にそんなことがあったわけで。
『もし有用なら、どうにかして加工してもらう手段を考えようとも思ってたんだよ』
確保しておいたのはそんな理由から。
『期待に水を差すようで申し訳ないけどさ、深凍藍翼の魔具って結構微妙な感じだよ?』
そしてやはりというべきか、クーラは知っていたらしい。
『そうなのか?』
『うん。少なくとも、私としては大した価値を感じてない』
『なるほど。まあそれはそれとして、深凍藍翼の残渣ってのは、お前が言う手頃なところなのか?』
『いや、全然手頃じゃないね。私としては、剛鬼あたりが手頃だと思ってる』
『残念ながら手元には無いな』
剛鬼の残渣から作られる魔具は布。それは丈夫で軽量な上に修復能力もあるということで、虹追い人の間では重宝されている。
『まあ必要であれば取って来るのは大した手間でもないだが。けど、なんでそれとペルーサが関係してくるんだ?』
剛鬼自体がかなり高位の魔獣ということもあり、その残渣はそれなりに希少で高価。
性格を考えたなら、ペルーサがそんなものをねだるとは考えにくい。
『正確には、ペルーサちゃんじゃなくてルカス君絡みなんだけどね』
『……ルカス?』
ルカスと言うのはペルーサの実兄であり、俺とも知り合い。現在は親父さんの跡を継ごうと修行中の、魔具職人の卵でもあった。
一時期は割と親しくもしていたんだが、クソ鯨騒動が終わって王都に帰ってからは疎遠気味になっていたんだったか。
『うん。君ってさ、ルカス君が修行に打ち込んでたのは知ってるよね?』
『ああ』
それは本人から聞かされていた。ならば水を差すのも無粋ということで、俺も余計な真似は控えていたわけだが。
『じゃあ、修行に打ち込もうと決めた理由はご存じ?』
『いや、それは知らないが』
『君との約束のため、だったらしいよ』
『約束っていうと……』
少し考えて、
『俺が手に入れて来た残渣でルカスが魔具を作るとかいうやつか?』
そう思い至る。俺が第七支部に来てすぐの頃にそんなことがあったわけだが。
『そう。その後もさ、木剣作りが上手く行かなくて悩んでたルカス君を励ましたことがあったでしょ?』
『あったな』
あれは……木剣作りが上手く行かなくてルカスが落ち込んでいた時だったか。
どうにか元気付けようと、木剣に『発光』泥団子を塗りたくって作った虹剣モドキを見せたことがあった。
今となっては懐かしくすらある話だが、そのこともしっかりと記憶に残っている。
『それ以来、ルカス君は君のことをすごく慕ってたみたいなの。けど、クソ鯨騒動があったでしょ?』
『……ああ』
思えばあれが、俺にとって世間的な意味での大きな分岐点だったわけだが。
『それで、『英雄』である君に魔具を作るなら、それだけの実力が必要だって考えたみたいでさ……』
『だから修行に打ち込むようになったわけか……』
『そういうこと。……まあ、君がそのことで責任を感じる必要は無いと思う。ルカス君が自分の意思で決めたことなんだから。むしろそのことを申し訳ないなんて思うのは、あの子への侮辱だからね』
『俺としても、ルカスが積み重ねて来たものを否定するつもりは無いけど……ああ、そういうことか』
話のつながりが理解できた。
高位の魔獣ほどその残渣は大きく、大きな残渣ほど加工が難しい。
このあたりは割と一般的に言われていること。
そして、剛鬼の残渣を加工できるなら魔具職人としては一人前というのも、たまに聞く話だった。
『つまりは……いつかルカスが一人前になった日のために剛鬼の残渣を回してやれないか、と』
『そういうこと。……ルカス君的にはさ、君が居なくなって急に目標が霞んじゃったような心境らしくてね』
『なるほど』
俺としては、自分がそこまで御大層な存在だとはこれっぽっちも思っていない。
だがそれでも、俺のやらかしがもたらした影響というやつは俺が思うよりも広がっているんだと、あらためてそう思い知らされた気分だった。




