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長い付き合いになりそうな気がするな

「あ……。君は……」

「お前は……」


 その女性と目が合って、心が跳ねる。


 俺はこいつを知っている。


 感情がそう叫んで、


 俺はこいつを知らない。


 理屈がそう突きつける。


 まったく正反対のそれらがこの上なく悲しくて――


「なあ!俺のことを知ってるのか!」


 気が付けば俺は、そいつに詰め寄っていた。


「ふぇ!?え、えっと……」


 そいつが翡翠色の目に浮かべる戸惑いがもどかしい。


「頼む!教えてくれ!俺は、どこでどんな風に、お前と出会ったんだ!?」

「それは……その……」

「なあ!俺とお前に何があったんだ!」


 心が叫ぶ。


 理由はわからなくとも、俺はこいつを知らなきゃならないのに、と。


「それくらいにしておきなよ」


 不意に、横手から聞こえてきたのは軽い調子の声。


「キオス……さん?」


 その主は先輩のひとりで。


「僕としてはナンパを全否定はしないけど、あまり強引なのはどうかと思うよ」

「けど……って、ナンパ!?」


 そこに含まれていた単語のひとつが、動揺という形で激情を吹き飛ばす。


「なんでそうなるんですか!?」

「だってホラ」


 キオスさんが指をさすのは目の前の女性に対して。


「うおっ!?」


 半ば反射的に、慌てて飛び退く。自分でも気づかないうちに俺は、女性の肩を掴んでいたらしい。見れば女性も、そんな俺に対して向けてくる目は、動揺から不機嫌そうなそれに。顔が赤らんでいるあたり、怒りも抱いているんだろう。


 少しは冷めた頭で現状を分析してみる。


 この女性、どこかで会ったような気はしないでもないんだが、それがどこなのかははっきりしない。だとすればせいぜいが、雑踏の中ですれ違ったとか、そんなところなんだろう。つまりは初対面と変わらないということ。


 そしてそんな相手に俺がやったことといえば……どこかで会った気がする的なことを言いつつ、肩を掴んでいた。しかもお前呼ばわりで。


 うん。これはどうやっても擁護できないな。


 目一杯控えめに言っても、タチの悪いナンパ。下手をすれば暴行一歩手前といったところ。


「すいませんでした!」

「え……?ちょ……!?」


 そこまで認識したところで俺がとっていた行動は土下座だった。


「失礼どころじゃないことしてしまいました!本当に申し訳ないです!」


 本気で俺はどうかしていた。と言っても、もちろんそれが言い訳になるわけはない。


 この女性は怒っていたようだけど、衛兵に突き出されたとしても文句は言わない……というか言えない。そうなったらおとなしく罪を償うつもりだ。


「その潔さは美徳かもしれないけど、とりあえず顔を上げたらどうだい?唐突すぎて彼女も困っているみたいだよ」

「あ……」


 そこまで考えが行っていなかった。本当に、つくづくどこまでも情けないな俺は……


「その……重ね重ね申し訳ないです」


 だから立ち上がり、あらためて頭を下げる。


「そこまで気にしなくてもいいよ。急だったから、びっくりしちゃっただけだし……」

「……ありがとうございます」


 礼の言葉は、許してくれたことに対して。


「ふむ……。そういうことなら、この件は黙っておいた方がいいかな?」

「そうしてください。私のせいでア……彼が処罰とかされるのも嫌だから」

「それなら、僕はこれで失礼させてもらうよ。君もお仕事頑張って。レシピについて気になることがあったらいつでも聞きに来ていいから」

「わかりました。といっても、私は厨房とは無縁なんですけどね」


 どうやらこの女性とキオスさんは知り合いらしいが……


「それからアズール君も、ナンパは節度をわきまえるように」

「だからナンパじゃ……。いえ、肝に銘じます」


 そこは素直に受け入れる。キオスさんが止めてくれたおかげで俺は命拾いしたようなものだろう。あのままエスカレートしていたら、衛兵を呼ばれる案件になっていた恐れすらも。少なくとも、無いと言い切れる自信は無い。


 そうしてキオスさんが行ってしまえば、残されるのは女性と俺。当初の予定は、この店で昼飯を調達だったわけだが、さすがにこの状況でそれをやれるだけの図太さは持ち合わせがない。ここは、逃げの一手だろう。というか今後この店に近づける気もしない。


「その……本当にすいませんでした。俺もこれで――」

「待って!」


 失礼しますと、そう言いかけた矢先に、女性が俺の腕をつかむ。


「せっかくだし、なにか買っていかない?……じゃなくて、買っていきませんか?」


 そんな申し出。厨房とは無縁と言っていたあたり、多分この女性は接客担当なんだろう。丁寧口調に言い直したのもそのあたりに理由があるとは予想できるんだけど……


 さっきの今で接客してもらうってのも、どうかとは思うわけで。


「じゃあさ、迷惑かけたお詫びってことで。そうしたら君の罪悪感も薄まるだろうし……。とにかく!悪かったと思うんだったら誠意は形で示してよ!」

「……わかりました」


 負い目もある手前、そこまで言われて逆らおうとは思えなかった。




「いらっしゃいませ!」


 そんなこんなで店内に入ると、女性――店員さんは笑顔でそう言ってくる。あらためて聞くと、透き通った声色が耳に心地いい。


 俺とは年も変わらなそうに見えるけど、さっきの件を感じさせないあたりには素直に感心する。


 さて、昼飯はどれにするかだが……


 気を取り直して店内を見回せば、結構な種類のパンが並べられていて、いい匂いが空き始めた腹に響いてくる。


 まず……素っ気ない丸パンは無しだな。


 それはそれで美味いし、懐に優しいという部分もプラスなんだが……おかずを用意できるかが怪しい以上、単品で味気ないものは避けたいところ。


 チーズを使ってるのはあるのかね……


 次に基準とするのは、多々ある俺の好物の中でも、パンと合わせられることが多いもの。香ばしく焼けたものも好きだけど、トロトロに溶けている方がさらに好みなんだが……


「あの……お客さんって、タマネギは苦手だったりしません?」


 そんな風に頭を悩ませていると、店員さんが声をかけてきた。


「いや、割と好きな方ですけど」


 俺自身は、これと言って嫌いな食い物は無い。まあそれでも挙げるとしたら、クソマズい携帯食料くらいのものか。


 ともあれ、生タマネギの辛さと触感はいいアクセントになると思うし、火を通して甘さを引き出されたタマネギも好きな方だ。


「でしたら、こちらなんてどうです?」


 示す先には、どっさりと積み上げられたパンの山が4つ。


「タマネギの炒め物を入れたパンで、右から順に、トマト味、チーズ入り、ジャガイモと合わせたもの、香辛料を効かせたものです。今ならセール中で、どれでも3つで200ブルグですよ」

「安っ!」


 思わず声を上げる。よく見れば、店員さんが言った通りのことが張り紙にも書かれていた。


 3つで200。ひとつあたりが67弱。これは本当に安い。この手の店に並んでいる調理済みのパンとしては、だいたいが安くても120といったところ。周りを見れば、実際にそんな感じだ。


 ともあれ、これを選ぶことは俺の中では確定した。


 そうなると、問題は組み合わせか……


 4種類から3つを選ぶ。どうせなら、いろいろと食べてみたい以上、同じものを複数というのは却下。好物であるチーズは当然外せない。


 あとは……トマト、ジャガイモ、香辛料の中からふたつを選ぶ。あるいは、この中からひとつを切るって話なんだが……


 悩ましいな。


 この3つ。どれもそれぞれに好奇心をくすぐってくる。


 トマトもジャガイモも、この前屋台で食べたものが美味かったということで俺の中では好印象なんだけど、香辛料を効かせたタマネギというのも、それはそれでそそられる。


 困った。実に困ったなこれは……


「でしたら、ひとつサービスしましょうか?」

「いや、さすがにそれはマズいでしょ」


 またしても店員さんの申し出。感情で言えば、飛び付きたいほどに嬉しいんだけど、その場合は、実質ひとつ50ブルグという計算になってしまうわけで。さすがにそれは安くしすぎというものだ。


「……ここだけの話なんですけどね」


 昼飯前の時間には珍しく、俺以外には客の見当たらない店内を見回して声を忍ばせる。


「店長がタマネギの在庫管理をミスっちゃったんですよ。それで、無駄に腐らせるくらいならってことで……」

「……なるほど」


 だから、こんなお値打ち価格になったというわけだ。


 廃棄するにも経費はかかるが、たとえ二束三文であっても買ってもらえれば――大赤字であろうとも――まだマシという話だろう。


「さすがにタダで配るのはアレですけど、売れ行き次第では、さらに値引きする予定なんです。それに……」


 店員さんの見せていた笑顔が当たり障りのないものから、愉快そうなものに変わる。


「こうやってオマケしたら、アズール君はまた来てくれるんじゃないかな、って。いわゆるところの先行投資ですね」

「それを口に出してしまうのはどうかと思いますけど……」


 まあそれでも……


 とりあえず、そんな疑問は棚上げしておこう。


「……俺もそんな気がしてますよ」


 地理的な利点もある。これで味が良ければ、通い詰めることになる可能性は高いだろう。


 というか、それ以前の問題として……


「俺、名乗りましたっけ?」


 そこが気になった。


 はて……?


 同時に疑問符が湧いてくる。


 少し前にも似たようなことがあったような気もするんだが。


「ふぇ……?あ……えっと……ホラ!さっきの人……えーと……キオスさんが名前呼んでたじゃないですか!」

「それもそうですね」

「あと、私には敬語使わなくてもいいですよ。アズール君はお客さんですし、その……年も同じくらいですよね?」

「まあ、年齢に関しては」


 見たところではそんな感じ。もちろん、見た目と年齢が釣り合わないって例はいくらでもあるわけだが……。この店員さん、10歳以下には絶対に見えないし、20を超えているとも考えにくい。


「それに私、ひとりで王都に来たばっかりで……。年の近い人と仲良くなれたら嬉しいな、って。たしかアズール君もこの近くに住んでるんだよね?私もだから。あ!もちろん、お店に居る時はお客さん相手の節度は守るよ。……じゃない、守るつもりですから」

「……わかりました」


 初対面での負い目は簡単には消えてくれないことだろう。それでも、俺は彼女の申し出に惹かれていた。


 なにせ、同い年のバートたちとは腐れ縁。支部の先輩たちは皆年長者なんだから。ソアムさんあたりは比較的近そうな気もするけど。


 それに俺自身、彼女に対して好意を抱き始めていたところ。割と踏み込んで来るところのある人だけど、それを不快だとは感じない。むしろ、話しやすい人という印象。これも人柄なのか。


 さらに付け加えるなら、異性の友人なんて俺には居ない。だから、好奇心めいたものもある。


「それにしても、チラッと聞いただけの俺の名前をよく拾ってたな」


 だからさっそく、普通の口調で話題を投げる。


「これでも看板娘ですから」


 そう胸を張るんだが、


「まだ王都に来たばかりじゃなかったか?」


 さっきそんなことを言っていたはず。


「そうですね。まだここのアルバイトも2日目です」

「おい看板娘」

「はい、なんでしょうか?」


 悪びれた様子もなく、返事を返してくる。


 看板娘の基準は知らんが、2日で名乗るのもどうだろうかという話。まあ、自称看板娘なら、それでもいいのか。


「……とりあえず、会計を頼む」

「かしこまりました」


 いろいろと思うところはあるんだけど、そろそろ腹も減ってきた。それに、あまり悠長にしていて待ち合わせに遅れるのもアレだろうから。




「ありがとうございました」


 そうして、自称看板娘に見送られて店を出る。やらかしから始まったとはいえ、結果的にはここに来てよかった。


「また来るよ」

「はい。お待ちしています。あ、それと……」


 西門に向かおうとする俺を呼び止めて、


「クーラ」


 唐突に、そんな単語を口にする。


「私の名前。私だけが君の名前を知ってるのは不公平かな、って」


 また、不思議な感覚がやってくる。


 こんなやり取りも知っている気がするんだがな。それに、『クーラ』の名も、どこか心に引っかかるような……


「……呼んでくれないの?」


 そんなことを思っていると、自称看板娘改め、クーラが上目遣いを向けてくる。


「そうだな。じゃあ……行ってくるよ、クーラ」

「うん!行ってらっしゃい、アズール君」


 だから望むであろう言葉をかけてやれば、返してくるのは満面の笑顔。


 なんかいいよな、こういうのも。


 そんなことを思いつつ、俺は店を後にする。


 クーラ、か。長い付き合いになりそうな気がするな。まあ、美味かったら明日も来るつもりではいるけど。


 なんとなく、だけを根拠にして。この時の俺はそんなことを思っていた。

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