あっさりとすんなりと心地よくホイホイと
「鏡の魔具が無いなら『念話』を使えば良かったんだよ」
得意満面な笑みで、クーラがそんなことをほざきやがる。
「あの、クーラさん。まさかとは思いますが……『念話』にアテがあるとか言いませんよね?」
トキアさんの問いかけがそんな、半信半疑色の濃いものだったのは道理なんだろう。
流れからして――自分なら『念話』が使えると、クーラはそう言っていると解釈するのが妥当なところなんだから。
けれど『念話』というのは、エルリーゼにおいては物語の中にしか存在しない芸当。
だから、今しがたのセリフを分別が付く年齢の人間が冗談以外で口にしたなら、
『お前馬鹿だろ。現実と物語の区別くらいは付けろよな』
なんて風に言われても当然なところ。
むしろ、トキアさんの反応は有情なんじゃないかとすら思えるくらいだ。
そして、散々クーラに慣らされて来た俺としても、クーラだから仕方ないで自分を納得させられない理由があった。
なぜならば、これまでに俺はクーラが知っている異世界技術をひとつ残さず教わって来ており、その中には『念話』の『ね』の字すら出て来なかったから。
まあ、余さず教えたというのがクーラの自己申告である以上、ひた隠しにしていたものが絶対に無いとは言い切れない。そして、明かしていない――何かしらの事情により明かせないような手の内が100や200あったところでクーラを責めようとも思わない。
けれど今回に関しては、実は『念話』について知っていたクーラが隠していたという線は極めて薄いと言える根拠もあった。
そもそもが、俺がクーラから異世界技術を学ぶ決意をしたのがクソ鯨騒動の時。そしてそれが起きたのは、クラウリアが異世界へと呼び付けられ、『転移』で好き放題に会うことができなくなった直後で、俺もクーラもかなり参っていた。
しかもそんな中で、頼みの綱であった鏡の魔具を手放さなければならなくなるかもしれないなんて事態になっていたわけで。
そこらへんを踏まえたなら、クーラは『念話』についても知っていたけどあえて教えなかった、なんてのは考えにくい。むしろ、かなり高い優先順位で教えて来そうなところだ。
まあ当然ながら、俺に習得できたかどうかという問題もあるわけだが。
「……なあ、クーラ。『念話』の心得があるんだったら、なんでこれまでに一度もそのことを言わなかったんだ?」
だからそんな疑問を口にしてみれば、
「別に妙な意図があったわけじゃないよ。……君ってさ、まだ『分け身』は使えなかったでしょ?」
返されたのは、付加疑問的な問いかけ。
たしかに、俺がクーラから教わった知識の中には『分け身』に関するものもあった。
本来は闇の心色で作るもので、『分け身』が代名詞になっている大昔の英雄――『闇塗りのシザ』なんかもそうだったはず。
けれどクーラが知る異世界技術の中には闇の心色に近いことができるものがあり、そちらは俺も習得済み。そして、それを使えば俺でも『分け身』を作れるというのがクーラの弁。
まあ残念なことに、『転移』なんかと同じで『分け身』までは習得できておらず、その理由は言わずもがなで俺の力不足だったわけだが。
「『念話』っていうのは、『分け身』の応用なの」
「……なるほど」
そういうことであれば、『念話』が初耳だったということにも納得できる。そもそもが、それ以前の問題だったということなんだから。
「……私としては、追々は教えるつもりだったんだけどね」
「そこは疑ってないさ。けど……なんで『分け身』が『念話』に発展するんだ?」
そして、今度はそんな疑問が湧いて出る。
「あれはたしか……サクア姉様の世界でのことだったと思うんだけど、『分け身』を偵察とかに使ってたことがあったの。『分け身』が見たものとか聞いたことを私自身も共有するような感じで」
『分け身』が代名詞的な存在になっている『闇塗りのシザ』だが、彼女(と言っても、世間的には男性と思われているらしいけど)に『分け身』を教えたのがクーラだというのは、俺とクーラだけが知る真実。
「……まあ、クーラだからな」
そして『闇塗のシザ』でさえ、そんなことができたという記録は残されていないわけだが、そこはいつものあれで納得できてしまうというのが微妙に複雑な気分。
「それで納得されるのは複雑なんだけど……まあいいや。それとさ、『分け身』を介して遠くに居る姉様と会話する、なんてこともやってたの」
遠くに居る人との会話。ようやく『念話』につながりそうな内容が出て来たわけだが……
「けどそれは、クラウリアとその『分け身』の間でならばって話だろ?お前が俺の『分け身』だったなら話は違って来るんだろうけど……いや、そういうことなのか?」
さらなる疑問を口にしていて、その途中ではたと思い至る。
「気付いた?」
「……思い付きみたいなものだけどな」
「それでもいいから聞かせて」
「……今のお前は俺の色源で身体が作られてる。これは間違いないな?」
「間違いないね」
「なら、今のお前は俺の『分け身』的な存在だとも言えるのか?」
それが俺の気付きで、
「正解」
そう肯定するクーラは、どことなく嬉しそうに見えた。
「まさか君の『分け身』になれる日が来るなんて夢にも思わなかったよ。ホント、長生きしてるといろんなことがあるよねぇ……」
しみじみとそんなことを言い、
「さっきまでみたいに、身も心も君とひとつになってるっていう状況も悪くなかったけど、これはこれでいいものだよね。なんていうかさ、完全に君のモノになれたみたいだとでも言えばいいのかな?」
嬉しそうだった理由は、そんなアホな思考にあったらしい。
「……そう言われても半信半疑ではあるんだがな。当時のお前にできたとしても、今の俺は比較にならないくらいに未熟なわけだろ?」
せめてもの情けとして、たわ言への指摘はしないでおいてやろう。トキアさんの目線が生暖かいような気がしないでもないが、そこも今は気にしないでおこう。
「そこは君に頑張ってもらう必要があるんだけど……」
「まあ、やれるだけのことはやるさ」
「うん。こっちでもサポートはするから。私としては、十分に行けると見てる」
「なら、案外なんとかなりそうなのか」
桁外れの経験を持つクーラがそう言うくらいなんだ。上手く行く可能性はそれなりと見てもよさそうなところ。
「ってわけだからさ……よいしょ!」
掛け声をひとつ。肩から飛び降りたクーラは器用に俺の腕をつたい、テーブルの上へと奇麗に着地を決める。
「っと、その前に……」
クーラが向き直る先はトキアさん。
またしても置き去りにしてしまった感はあるが、この場にはトキアさんも居たわけで。
「聞いての通りなんですけど、今から『念話』をやれるか試してみようと思いまして」
だからクーラがそう断りを入れてみれば、
「ええ。わたくしにはお構いなく。お邪魔でしたら外しますけど?」
逆にそんな気遣いまでされてしまう。クーラに慣らされている俺はともかくとして、なんとも適応性の高いお方だった。
「いえいえ、それには及びませんって。だってトキアさんって、今は自称酔っ払いじゃないですか。だから、私たちに都合の悪いことは全部奇麗さっぱりと忘れてくれるわけですし」
「……そうでしたね」
「そういうことです。それに、トキアさんに立ち会ってもらえた方が好都合っていうのもありますから」
「……おふたりの間で『念話』を交わすのであれば、それはわたくしには聞こえない。そのことを確認するためということですね」
「はい」
そしていつものように、話も速いお方だった。
ならばこっちも早速始めるとしよう。
「それで、俺とお前が『念話』をするには、具体的にはどうすればいいんだ?そもそもが、『念話』と言われても俺には何が何やらなんだが」
「なら、そこからだね。大まかなイメージとしては……物語でたまに見かけるのとほぼ同じ感じかな。君と私の心と心で手をつないで、さっき――私が君の心の中に居た時みたいな感じで話すの」
「そこらへんもイメージはできる」
たしかにクーラが言う通りに、物語に出て来るのもそんな感じだ。
「ただ、心と心が手をつなぐっていうのがな……」
どうにも漠然としていてピンと来ない。
「まあ、そこさえクリアできれば『念話』は成功したも同然なんだけどね。まずはそのための下準備から始めようか。目を閉じてもらえる?」
「あいよ」
意図はよくわからないが、とりあえずは言われるままに。
「その上で、私の存在を感じ取ることはできるかな?声ではなくて、心で私を認識するの」
「……これか」
少し意識しただけで把握できた。
「『遠隔操作』してる時の泥団子みたいなのがあるな」
「まあ、今の私は君の心色みたいなものでもあるからね。それじゃあ少し動いてみるからさ、10数えたら私を捕まえてみて」
「あいよ」
言葉通りにテーブルの上を歩き回っているんだろう。泥団子のような存在が移動するのも把握できた。
腹の中で10数えてから、感覚を頼りにそんなクーラへと手を伸ばして、
「……おい」
俺が発した声がどこか憮然としたものだったのは、その手が虚しく空を切るだけだったから。
といってもそれは、俺がクーラの位置を誤認したからではなくて、直前でクーラがバックステップをかましてくれやがったからだ。その動きも把握自体はできていた。
「ゴメンゴメン。けど、その様子だとバッチリみたいだね」
「……おかげさまでな」
まあ、クーラの存在を感じ取るという目的は果たせたということでよしとしようか。
「それじゃあ次のステップ。今度は私へと、身体じゃなくて心の腕を伸ばしてほしいんだけど……」
「……スマン、そう言われてもピンと来ない」
「まあこればっかりはいくら君でも、普通なら一朝一夕でどうにかするのは難しいと思う」
「……普通なら、か」
「そう。普通なら」
つまりは、普通じゃない手段を使うということなんだろう。
「まあそんなわけですので、トキアさんにはしばらく耳を塞いでてほしいんです」
「……そういうことか」
「そういうこと」
それだけで、クーラの目論見がいくらか見えた気がした。
今のトキアさんが自称酔っ払いだとは、さっきクーラが言ったばかり。
そしてトキアさんにであれば、クーラがやろうとしている行為の詳細を知られても問題は無いだろう。
それでも耳を塞いでくれと言うのは、聴かれてしまっては困るから理由があるから。
「それと、後ろを向いててもらえますか?多分、この後でアズ君はだらしない顔を晒しちゃうんですけど、トキアさんには……というか、そんなところは私以外の誰にも見せたくないんで」
「なるほど、そんな姿は独り占めにしたいということですね?」
「ええ」
「ふふ、わかりました」
苦笑気味にではあったが、トキアさんがすんなりと了承してくれれば、それで準備は完了というわけだ。
「それじゃあ、早速始めるね」
「……お手柔らかにな」
「もちろん優しくするよ。……さあ、目を閉じて。……身体を楽にして力を抜いて。……気持ちを落ち着かせて」
言葉通りに聴こえて来るのは、いつもよりも少しだけトーンを落としたささやくような優しい声で。
最初から抵抗を放棄していた、というかむしろ、俺の方から積極的にかかりに行っていたからというのもあるんだろう。
「……耳から流し込まれる私の声が君を染めていく。……君は、私の声で染められていく。……私の声は私自身。……だから、君は私に染まっていく。……私に染め上げられていく。……ほら、君はもう完全に私で染まってしまった。……私に染まった君は、私に逆らえない。……ううん、私に逆らいたくない。……だって、君はもう私の虜。……私のモノなんだから。……私のモノになった君は、私に従いたくてたまらない。……その気持ちが抑えられないよね?……いいよ、君の望みを叶えてあげる。……君は私の言うがままに、私の言葉を素直に受け入れる。……無条件に受け入れる。……無抵抗に、従順に受け入れてしまう」
あっさりとすんなりと心地よくホイホイと、
「……さあ、今から君は――」
俺のすべては、クーラの言葉で絡め捕られていった。




