もう二度と聞くことは叶わないと諦めかけていた声
クーラに関わる話となれば、今の俺でも多少の熱は入るということなんだろう。申し訳程度に前向きになれたらしい気持ちのままに、今からどう動くかを考える。都合が良すぎる奇跡に縋るにしても、少しでも上手く行く可能性は高めておくべきだ。
まずは使える数だが……俺の年齢を考えれば39が上限だろう。40にした場合、どうなってしまうのか想像が付かない。
なら……手持ちにひとつあるわけだから、あと38個用意すればいいんだが……
材料を用意するのは40個分にしておくか。往復1回で確保できるのは10個分までで、8個分も10個分も確保する手間は大して変わらない。なら、余ったふたつは対価としての使い道もあるだろう。
……こんなことになるんだったら、前に確保した10個分を残しておくべきだったんだろうが、そこは今更悔やんでも仕方ない。
さて、それで39個分を使った場合、タイムリミットはどうなるんだ?
雑な計算ではあるが、『超越』が起きなかったなら、俺はあと50年生きられたと仮定。さらに、俺の残り時間は『超越』を起こした瞬間から10日だと仮定する。
50年が10日で潰されるってことは、1日あたりが5年分。
39個分を使った場合は19年と半年の計算になるわけだから……上手く行けば、4日近くはタイムリミットを遅らせることができるわけか。
たかが4日弱とはいえ、そこにクラウリアが滑り込んで来る可能性もある以上、無意味とはならないだろう。
その場合の俺はクーラの手で育て直され、おしめまで代えられるなんてことになるのかもしれないが、それはそれで構うまい。どうせ1600年近くも生きて来たクーラのこと。10年や20年は大して気にしないだろう。
そのせいで愛想を尽かされる心配はまったくしていない。むしろ、嬉々として俺のことを自分好みに育て直そうとする姿が容易に想像できてしまうくらいだ。当然ながら、それもそれでまったく構わない。
さて、そうと決まればまずは……
「その瓶はいったい……。いえ、それ以前にどこから……?」
俺の手に現れたのは、薄紅色に透き通った液体が中で揺れるガラス瓶。
トキアさんが困惑しているのは、異世界式収納から出したせいで唐突に現れたように見えたからだろう。
……そういえば、これで『超越』を起こす前の状態に戻ったりはしないのか?
ふと、そんなことも思う。半年前の時点では、当然ながら俺は『超越』を起こしていなかったんだから。それならばそれで大いに結構なこと。
とりあえずは栓を開け、口を付けて一気に飲み干して、
これはこれでなかなか行けるな。
その中身は意外に美味かった。近いところとしてはリンゴの果実水あたりか。少し薄くて物足りない感はあるが、もとより味を目的としたものでもなし。それを思えば、十分な飲みやすさだ。
むしろ、ガブ飲みする予定の身としては、クソマズじゃなくてよかったと安堵するところ。
そんなことを思ううち、喉から胃を通って何かが全身に広がるような感覚がやって来て、すぐに薄れて消えていく。
「……え?……いったい……何が?」
そして、トキアさんはさらに困惑を深くしていた。
「ひょっとして俺、見た目的に若返ったりとかしました?」
「若返った……?そう!まさにそんな感じです!」
ふむ……
俺も今では19歳。年齢的にはもう背が伸びるのはとっくに止まっているはず。けれど、この半年間でも多少は見た目が変わったということなんだろうか?
もちろん自覚なんて無い。
だが、聞く機会は無かったが、それこそクーラであればそこらへんも正確に把握していたことだろう。
「海呑み鯨の魔具を飲んだからでしょうね」
ともあれ、理由はそれで間違いないだろう。
そして残念ながら『超越』が収まることは無かったらしい。すべてがゆっくりに思えてしまう感覚はそのままだったから。
「海呑み鯨の……?ああ、そういえばアズールさんは所持していたんですよね」
「ええ。それで、急な話で申し訳ないんですけど、トキアさんにお願いしたいことがあるんです」
最長で3日後とはいえ、タイムリミットがどこにあるのかすらわからない。であれば、今は文字通りの意味で1分1秒を争う事態。少しでも短縮するために、トキアさんの力も借りたいところ。
「まずは話を聞かせてもらえますか?重犯罪以外であればわたくしにできることはなんだってしますから」
唐突だったにも関わらず、そう言ってくれる。
「無茶を承知でいいますけど……トキアさんには、腕のいい魔具職人を確保してほしいんです。できるだけ多く、一刻も早く」
だから、今は素直に頼らせてもらう。
「……腕がいいという部分に関して、具体的な基準はありますか?」
疑問よりも詳細を優先してくれる。そのことも今はありがたい。
「やってもらいたいのは海呑み鯨の残渣を魔具に加工することなので、それができるくらいには」
俺が飲んだのは、ペルーサの親父さんに加工してもらった物。あの店に残渣を持ち込んだのは、普段からちょくちょく利用していて顔見知りだからという安易な理由で、貴重な経験ができたとは感謝もされた。だが後で聞いた話では、かなり神経を使う作業だったとのこと。
そしてこれも後から聞いたことなんだが、ペルーサの親父さんは王都でも五指に入るくらいには腕のいい魔具職人だったとのことで。
「それと……欲を言えば38人は確保してほしいです」
また、その際には加工に要した時間も半日近かったんだとか。
俺のタイムリミットを考えたなら、ひとりにひとつ担当してもらいたいところ。
「……本当に無茶を言ってくれますね」
「承知しています」
ガナレーメの規模は、俺やクーラが暮らして来た王都とそれほど変わらない感じだった。その上で腕利きを38人となれば、近隣からもかき集める必要が出て来るだろう。
だから、こっちも使えるものはすべて使う。
「もちろんロハでとは言いません。連盟に預けてある俺の金。その使い道は、すべてトキアさんに任せます。使い切ってしまっても構いません」
クソ鯨の討伐報酬は手つかずのままで残っているし、旅の最中にもいろいろあってその額はさらに激増していた。なんとなく怖い気がしたので確認はしていないが、数億か、下手をすれば10億を超えているとすら思うところ。
経費に交渉材料に謝礼に賠償にその他諸々。使い道はいくらでもあるだろうし、多すぎて困ることはないだろう。
金に物を言わせるようなやり方はどうかとも思わないではないが、優先順位の問題ということで今は無視しておく。
とはいえ……
自分で言っていてあらためて思う。本気で無茶も大概にしろという話だと。
「わかりました。その頼み事、引き受けましょう」
「……いいんですか!?」
けれどトキアさんはすんなりと受諾してくれて、逆にこっちが戸惑うくらい。
「ええ。それに――」
がっしりと俺の肩を掴んだトキアさんは、吐息がかかるほどの距離から目を合わせて来る。
「ちょ……トキアさん!?」
ただでさえ奇麗な顔をしているトキアさん。その青い目を至近で見せられると、いくらクーラひと筋の俺でも妙な気分にもなって来るんだが……
「あなたの中でどんな心境の変化があったのかまではわかりません。ですが、少しだけ目がマシになりましたから」
「……そうなんですか?」
さすがに自分の目なんてのは、鏡でしか見れないからよくわからない。
「ええ、間違いなく」
けれどトキアさんはきっぱりと断言。
「先ほどまでは死んだ魚のような目をしていましたが――」
否定する気が起きないとはいえ、えらく辛辣だった。
「――今は、死にかけた魚のような目をしていますから」
「……違うんですか、それ?」
その間にどれだけの差があるか、よくわからないんだが……
「全然違いますよ。ともあれ、あのアズールさんが無茶を承知で頼みごとをして来たわけですからね。燃えないわけには行きませんよ」
「……どんな理屈ですかそれは」
「前にガドたちと飲んでいた時に出た話題なんですけどね、アズールさんは滅多に頼ってくれないから先輩甲斐が無いというのが、わたくしたちの総意なんですよ」
「…………どんな理屈なんですかそれは」
たしかに俺自身、なるべく先輩方に迷惑をかけないように心がけて来たつもりではあるけど。
「そんなわけですからね。いい自慢話のタネになりそうです」
「……そうですか」
本気で理解不能だが、今はそう言うものだということにしておこう。
トキアさんが引き受けてくれたのは好都合なんだから。
「大陸喰らいの件もありますからね。アズールさんの望みとあらば、マイス王だって無下にはできないでしょう。もうこの際です、巻き込めるだけ巻き込んでやりましょう」
「いや、さすがにそれは……」
多分ここはガナレーメにある王宮の一室。そんな場所に寝かされていたくらいなんだ。ここに居るのがトキアさんだけで監視が付いている様子も無さそうだということを考えれば、俺の扱いは決して悪いものではなく、むしろ厚遇されていると見るのが妥当。であれば、多少の要望は通ってくれそうだとは思う。
大陸喰らいの件で、マイス王やウィジャス騎士団長が俺に恩を感じているというのもわからなくはない。
恩に着せるようなやり方も好みではないんだが……
「……正直、わたくしひとりの手には余ると思います。ですが、それでもアズールさんにとっては必要なことなんでしょう?」
「それはまあ」
「だから、これもそのために必要と割り切ってください。迷惑をかけたと謝る時には、わたくしもご一緒しますから」
本当にこの人は……
もしも生き残れた場合、一生足を向けて寝れない気がして来た。
だが……
「お願いします。どうか頼らせてください」
今は素直に頼らせてもらう。どの道、俺ひとりではどうにもできない話なんだから。
「ふふ、お任せあれ。さて、海吞み鯨の残渣を加工してもらうためには現物が必要になるわけですが……それを手に入れて来るのは、これからですね?」
「ええ」
残念なことに、手元にはひとつも無い。だから、話が付き次第取りに行くつもりでいた。
「一刻も早くと先ほど言っていたようですし、時間には余裕が無いんでしょう?ならば、すぐにでも行ってください。7日前のことも含めて、詳しい話も後で構いません。後事は万事、わたくしが引き受けましょう」
そしてトキアさんはそこまで察してくれる。
「それじゃあ、行ってきます」
時間が無いのは事実。だから今は甘えさせてもらうことにして、向かう先は窓。
「……そうでした!少しだけ待ってください!」
そうして直接外に出ようとしたところで呼び止められ、
「これを持って行ってください」
手渡されたのは1枚のメモ。
「これは?」
「この7日間に起きたことを簡単にまとめたものです。余裕があったらで構わないので、目を通していただければ」
「わかりました」
たしかにありがたいところだ。俺が寝こけている間に何があったのか、俺はまるで知らないんだから。
「詳しくはそこに書いておきましたが、ひとつだけ気になることがありまして。……アズールさんに恨みを持つ何者かが暗躍しているのかもしれないんです」
やけに物騒な内容が出て来る。
「……穏やかじゃないですね」
「ええ。杞憂という可能性もあるとは思いますが、くれぐれも気を付けてください」
「心得ました。それでは」
そうして今度こそ出発しようとあらためて窓を開けようとして、
『……んぅ』
何だ?
不意に、何かが聞こえた。
何だろうかと周りを見回すも、これといったものは無く、
「アズールさん?」
トキアさんはそんな俺を不思議そうに見つめて来る。
「今、何か聞こえましたよね?」
「……いえ、わたくしには何も聞こえませんでしたが」
どういうことだ?
トキアさんが嘘を言っているようには見えない。
なら、俺の気のせい……
『……ふぁ』
そう思った矢先、またしても何かが聞こえる。
寝ぼけた様子の声にも思えるが……
そしてトキアさんを見るも、怪訝そうに俺を見るだけ。やはり、何かを聞き取った風には見えなかった。
つまり、俺にしか聞こえていないのか?
それに考えてみれば、耳から聞こえているというよりも、頭だか心だかに直接響いているような感じもする。
聞こえて来る何か――声らしきものに意識を向けて、
『……あれ?私……消えたんじゃ……?それにここって……。どうなってるの……?』
今度は、意味を持った言葉を聞き取ることができた。
そこにあったのは困惑の色。
けれど俺にとっては、別の意味もあった。
いや……むしろそっちの方が遥かに大きかったに違いない。
「嘘……だろ……!?」
声が震える。
「お前……」
耳に聞こえているわけではないらしく、記憶にあるそれと完全に同じというわけじゃない。
だがそれでも、
それは、俺が聞き間違えるなんて絶対にありえないと胸を張って言い切れる声。
雪解け水のように透き通った、いつまでだって心地よく聞いていられる声。
おはようと、おやすみと、大好きだよと。毎日のように、当然のように向けられていた声。
好きで好きでたまらなかったんだと、今ならば素直に認められる声。
もう二度と聞くことは叶わないと諦めかけていた声。
「クーラなんだな?」
俺は確信を持って、そう認識できていた。




