心の中で何かが跳ねていた
「ところでよ、今って時間はあるか?少し付き合ってほしいところがあるんだが」
「えっとですね……」
「何の用なのか、聞いてからでもいいんじゃない?」
どう答えようかと悩んでいたところに助け船を出してくれたのは、意外にもソアムさん。
「だよな。大事な話かもしれないだろ?」
そして、タスクさんまでもが同意する。
さっきまではあれだけいがみ合っていたふたりの物言いに戸惑いはするんだけど、たしかにガドさんの用事というのも気にはかかるところなわけで。
「そうですね。用向きを聞かせていただいても?」
「ああ。と言っても、急を要するわけじゃないんだけどよ……。アズール、お前がノックスの近くで出会った魔具職人一家のこと、覚えてるか?」
「もちろんですよ」
その後に起きたあれやこれやが強烈ではあったけど、忘れてはいない。
「そこの職人が店を構える場所が、ユアルツ荘のすぐ近くだったんだよ」
「あ、それってさ、パン屋さんの隣だったりする?」
「まさしくそこだな」
「そういや……なんか新しい店ができる感じだったよな」
「それだったら場所は……俺もなんとなくわかりますね」
アパートの場所を確認に行った際、近くのパン屋からいい匂いがしていた記憶がある。
「なら話は早いな。それで、そこの兄妹とも会ってきたんだが……お前のことを心配してたんだよ」
「ああ……。そういうことですか……」
それはそうだろう。別れ際の状況は、俺が危険に飛び込むような形だったはず。
「たしか……兄の方はルカスって名前でしたよね?妹の方は聞いてませんでしたけど」
「ああ。それでよ、今度アズールを連れてくるって約束しちまってな……」
そういうことであれば、俺としても拒む理由なんてあるわけがない。問題があるとすれば、今は先約があるってことくらいなんだけど……
「行ってやれよ」
どうしたものかと悩んでいると、タスクさんがそう言ってくれる。
「どうせタマ共は逃げないもんね。だったらそっちの方が大事でしょ?」
ソアムさんまで。さっきまでとはえらい違いだが……
ああ。そういうことなのか。
その理由に思い至る。
このふたり、お互いに対してだけはどこまでも意地を張り合うような関係であることは疑いようもなんだろうけど、それ以外に対しては話のわかる人たちなんだ。
今後の対応には参考にさせてもらうか。今回はシアンさんのおかげで命拾いしたとはいえ、巻き込まれから逃げる算段は確保しておかないと。
「俺もソアムも今日は暇だったしな。タマ狩りは昼からでもいいだろ」
「だね。午後イチに西門に集合ってところでどう?」
「そうですね。じゃあ、それでお願いします」
話に出てきた魔具屋の位置を考えれば、その辺で早めの昼飯を済ませても十分に余裕をもって間に合うだろう。
「と、いうわけです。早速向かいます?」
「ああ。手間取らせて悪いな」
「お気になさらず」
「あ、そういえば……」
そう話がまとまったのはいいんだけど、傍で聞いていたシアンさんが何かに気付いた様子。
「ガドさんは今日はセラと過ごすのではなかったんですか?セラは随分浮かれた様子でしたけど」
「そのことか……。困ったことになぁ……」
ガドさんはガシガシと頭を掻きながら言うんだけど、言葉とは裏腹で、表情にはまるで困った様子が無い。
「今日の昼飯はセラが作ってくれるんだけどな、すげぇ気合い入っててよ。それに、驚かせたいから出来上がるまでの間に昼からはどうするのか考えててくれなんて言って追い出すもんだからよ」
そうして最後は、困った困ったと締めくくる。繰り返しになるが、困ったようには全く見えない。というか、むしろニヤケ気味。いわゆるところのノロケというやつなんじゃなかろうか?
なんというか、似合わなさがすさまじい。ガドさんの外見は、シンプルに言い表すならば精悍。そんな御仁がデレデレとまなじりを下げる様は、本当にまったくもって似合っていない。
「「チッ」」
苛立たし気な舌打ちの主はタスクさんとソアムさん。ガドさんが上機嫌であること自体は、俺としては悪いことではないんだろうけど……
まあ、イラっとする気持ちはわかる気もするけど。もしもラッツあたりに同じものを見せられたなら、助走をつけて笑顔で殴り掛かる自信がある。
そんなわけで心情的には、俺もタスクさんソアムさん寄りだった。
「はぁ……。そういうことでしたら、アズールさんの用事をさっさと済ませてください。遅くなりすぎて料理が冷めてしまったら、後でセラに愚痴を聞かされるのは、多分私になるでしょうし」
シアンさんでさえも、口調が多少は投げやりになっていた。向ける目線も冷ややかに見えるんだが、それは俺の気のせいなのか。
「それもそうだな。じゃあ、行くか!」
「了解です」
それでもガドさんはご機嫌なまま。まあ、目の前で険悪をされるよりはマシか。
「――ましいな……」
去り際に聞こえたシアンさんのつぶやきは、はっきりとは聞き取れず。それでも、なぜか印象に残った。
「へぇ……。図書院なんてのも王都にはあるんですね」
「ああ。魔獣関連の資料も充実してるからな。やり合ったことのない奴らがいる土地に行く前には、事前に調べとくと役に立つぞ。西区と中央区の境目あたりにあるから、支部とはそんなに離れてないってのもいい……っと、着いたな」
そんなこんなと話しつつ、ガドさんと連れ立って歩くことしばらく。パンの焼けるいい匂いが漂い始めてほどなく、目的の店が見えてくる。
「まだ……開店はしてない感じです?」
「だな。まだ越してきたばかりだろうし、今はその準備中とのことだ。とりあえず入ろうぜ。話は付いてるからよ。邪魔するぜ」
「悪いな。店を開けるのは明日から……ってガドの旦那じゃねーか!それに……」
よく響く声を返してきたのはひとりの男性。その顔には見覚えがあった。ノックスの近くで出会った一家の父親だ。
「どうも」
「やっぱりあの時の坊主か!」
あちらも俺のことは覚えてくれていたらしい。
「無事とは聞いてたけど、元気そうでなによりだ。ウチのガキどもがずっと心配しててよ」
「ええ。それは聞いてます。だから顔を見せに来たんですよ」
「そうか。わざわざすまねぇな。おーい!ルカス!ペルーサ!ちょっと来てくれ!」
「なにー?」「どうしたのー?」
無邪気そうな声とにぎやかな足音。そうしてやってくるのは、これまた覚えのある顔ぶれ。
「あ!あの時のおにいちゃん!」
「よう」
「よかったぁ。すごく怖い声のする方に行っちゃったから、危ないと思ってたんだよ」
「あぶないことはしちゃだめなんだよ!」
兄の方はルカスで、妹の方がペルーサなんだろう。そんな兄妹は俺のところにやってくるや、説教めいたことを言い出す。
俺はお前さんたちに助けを求められたような気がするんだが……。まあ、そのあたりはどうでもいいか。
「そうだな。これからは気を付けるよ」
まあ、俺が分不相応な無茶をしたのは事実なんだけど。そのことについては、昨日支部長からもたっぷりのお説教をいただいた。というか……俺としては、基本的には無理も無茶もやりたくはない。やらずに済めば万々歳とすら思うんだけどなぁ。なぜかそのあたりは中々信じてもらえなかった。
「わかってくれればいいよ」
「はい。二度とやらないようにします」
偉そうにすら思える口ぶりだが、腹立たしいとは思わない。むしろ微笑ましい。本当に、昔の俺とは大違いだ。
「そうだ!せっかく来たんだし、ぼくが魔具のことを教えてあげるよ!」
「わたしも!」
その申し出自体には、興味が無いわけでもない。
けれど、
「……店を開ける準備の邪魔したら悪いだろ」
そう思って店長さんを見れば、
「迷惑じゃなければ付き合ってもらえるか?残りの作業は俺じゃなきゃできないものばかりだしよ……」
むしろ子供たちの相手をしてくれるならありがたい。言外に、そう聞き取ることができた。
「もう少ししたら俺は行かなきゃならないんだけど、それまで頼めるか?」
「うん!それじゃあ、おにいちゃんもおじちゃんも付いてきてよ!」
「はいよ」
「俺もか?っていうか、俺がおじちゃんなのにアズールはおにいちゃんなのかよ……」
自然な流れで巻き込まれたガドさんが肩を落とす。
俺の見たところでは、ガドさんは20代半ばといったところ。まあ、俺なんかとは比べ物にならないくらいの貫禄や威厳があるということを子供なりに感じ取ったからであって、ガドさんが老けて見えるわけではないはずだ。……多分。
「なあアズール。そろそろ時間じゃないのか?」
「ありゃ、そうですね」
そうしてルカス&ペルーサによる魔具の説明を受けることしばらく。ガドさんに言われて、そんな時間になっていたことに気付く。
まだ子供とはいえ、魔具職人である父の背中を見てきたことは伊達じゃなかったのかもしれない。俺の知らない知識もところどころにあり、意外と楽しいひと時でもあった。
少なくとも、ガドさんが言ってくれなかったら時間に気付かなかっただろうなと思える程度には。ガドさんの存在に感謝。
「もう行っちゃうの?まだ教えることたくさんあるのに……」
「悪いな。これから仕事に行くところなんだよ」
「俺も、大事な用事があってな」
「……しょうがないか」
「うん……」
不満はある様子で、それでも聞き分けてくれる兄妹。
「じゃあさ、代わりに約束してよ」
「……何を約束するんだ?」
それ以前に、どこがどうなって代わりに約束なのかも謎なんだけど、そこは黙っておく。
「ぼくがいちにんまえのしょくにんになったら、おにいちゃんの魔具を作るって」
「そうか。ルカスは親父さんの跡を継ぐんだな」
許可の上だったとはいえ、退屈な故郷を飛び出してきた身としては耳が痛い。
「うん!それで、クラウリアみたいな虹追い人の魔具を作るのが夢なんだ!」
「そうか……。よし、だったら約束だ。その時は、俺が残渣を用意するから頼んだぞ」
と言っても、その頃に俺がどうなっているかはまだわからないけれど。可能な限りの守る努力はするつもりでいるが、予定は未定であって決定ではない、なんて名言もあるくらいなんだから。
「まかせてよ!」
「お前って案外子供好きなんだな」
店を出るなり、ガドさんがそんなことを言ってくる。
「……まあ、性格のいい子供に限りますけどね」
少なくとも、過去の俺を思わせるようなクソガキ相手なら、容赦の無い拳骨を落としていたかもしれない。
「はは、それもそうか。さて、俺はユアルツ荘に帰るか。ありがとうな、付き合ってくれてよ」
「いえ。俺としても楽しかったですし」
「ならいいんだけどな。午後は、タスク、ソアムとタマ狩りに行くんだったか?」
「ええ。なにかしらを学べたらって思ってます」
「そうか。たしかに、タスクの立ち回り方なんかは参考になると思うぞ。それとソアムは……そうだな……」
言葉を探すように口ごもる。
「ソアムは、一度は見ておけ。アレは絶対、いい経験になる」
「えーと……」
なんとも意味深な言い方。
「まあ、あのふたりは腕は立つし、頼りになる。それだけは間違いないからよ」
「でしょうね」
理由もないのにわざわざ聞くのも失礼かしれないということで、俺はあのふたりのランクも心色も知らない。けれど、双頭恐鬼とやり合う(予定の)メンツに含まれていたあたり、腕利きだということは俺も疑っていない。
「じゃあ、頑張れよ」
「はい」
「さて、その前に腹ごしらえだが……」
出てきたばかりの魔具屋の隣を見れば、いい匂いを漂わせてくるパン屋。
ここで何か買って、西門の前ででも食べながら待つか。
そんな思い付きで足を向けたところで、パン屋のドアが開き、中から出てきた人と目が合う。
エプロンを付けているあたり、この店の店員さんなんだろう。まっすぐに下ろした長い髪は、俺と同じ黒。年の頃は俺と同じか少し下くらいに見える女性。
「あ……。君は……」
俺を見た女性が大きく目を見開く。
そして――
「お前は……」
そんなそいつを見て、心の中で何かが跳ねていた。




