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あやふやで頼りない可能性

「まあ、一応は説明しておきましょうか。俺のことは心配無用と言っていたようですが、それに関して思ったことを言わせてもらいますよ?……寝言は寝て言え大馬鹿野郎」


 穏やかなままの口調で告げられた罵倒。


「かれこれ2年以上の付き合いになるわけですが、ここまで情けないアズールさんを見たのは初めてですよ。今のあなたでしたら、川で溺れている仔犬の方がまだ頼りになると思います。さすがに幻滅したとまでは言いませんが、できるならそんな姿は見たくなかったですね」

「……そこまでですか」


 そこから続くのもまた、穏やかな口調での辛辣なお言葉。


 目を覚ましてからは一度も鏡を見ていない。それでも、俺が酷い有様をしているというのは予想の範疇ではあったけれど。


「わたくしとしては、同じ支部の後輩がそんな風になっているのを捨て置くことはできそうもないんですよ。これでも、良き先輩であることへの固執はありますので。ですから、どうにかして……いえ、何としてでもあなたを立ち直らせると決めました」

「いえ、固執するまでもなくトキアさんは良き先輩だとは思いますけど……」

「そしてそのためには――」


 そんな俺の指摘は完全に無視されて。


「――クーラさんと引き合わせるのがもっとも有効だと判断しました。だからそのためにも、クーラさんの所在を知りたいんです。あの時、最も近くに居たのはアズールさんでしたからね。手がかりを握っている可能性もあるでしょう。わたくしが言っていること、何か間違っていますか?」


 それ自体は、何ひとつとして間違ってはいないだろう。もしもクーラが何食わぬ顔でひょっこりと現れて、


『まあ、へしょげちゃうのも仕方ないよ。君ってば、私のことが好きすぎるからさ』


 なんて風に得意げに言われたなら、それだけで即座に立ち直れる自信があるくらいだ。


 だがそれでも反論するなら、


「もうクーラは、どこにも存在していないんですよ」


 その一点になるだろう。


「どうしてそう思うんですか?」


 けれどトキアさんは、なおも食い下がって来る。


「どうしてって……。クーラが消えるところは、トキアさんも見てたんじゃないですか?」


 多少距離があったとはいえ、トキアさんだってあの場に居たはずなのに。


「ええ。はっきりとこの目で」


 俺が知っている限りでは、トキアさんは相当に頭の切れる人。それならば、わからないはずもないだろうに。


「あの時、クーラさんは胸を貫かれていた。あれは命に届き得るものでした。そしてその直後、煙のように消えてしまった。そうですよね?」

「ええ」


 それこそが、あの時に起きた現実。


「ところで……アズールさんは、戦いを題材にした物語はお好きですか?」

「……はい?」


 何やらかみ合わない会話は、さらにおかしな方向に飛んで行く。


「ですから、戦いを描いた物語ですよ。最近流行っているところだと……わたくしのお気に入りでもあるんですが、『星呼びのマリセス』あたりでしょうか?」

「名前くらいは知ってますけど……」


 クーラと出会ってからは色恋関連以外の物語を読む機会も無くなったとはいえ、昔は虹追い人が主人公で戦いをメインにした話を好んで読んでいた。


 そして、今トキアさんが挙げた物語にしても、大雑把には聞いていた。たしか……空から星を降らせるとかいうとんでもない心色を手に入れた女性――マリセスの物語だったはず。第七支部の後輩たちが何度か話題にしていたのを覚えている。


 けど、なんでそんな話が出て来るんだ?


 そこがまるでわからない。


「その中で、主人公のマリセスが腹部を刺されて崖から転落、下を流れる川に落ちてしまう場面があるんです」

「えーと……」


 いわゆるところのネタバレというやつなのかもしれないが、急にそんな話をされても、こっちとしてはどう反応していいのか困る。


「その時に、こんなセリフがあるんですよ。『あの傷だけでも十分に致命傷。まして、この激流に呑み込まれたんだ。いくらマリセスだろうと、万にひとつも助かるまい』と」

「……たまに見かける展開ですよね」

「ええ。物語の中では定番とすら言えるでしょうね。その後、奇跡的に助かるというところまで含めて」

「まあ、主人公が死んだら物語はお終いになるわけですし……って」


 妙な話の流れにつながりが見えた気がした。それは……


「まさかとは思いますけど……だからクーラも助かったのかもしれない。なんてことを言うつもりなんじゃ……」


 いくらなんでもそれは無茶苦茶が過ぎる。俺はそう思うんだけど、


「話が速くて助かります」


 トキアさんはにっこりと微笑んでそんな無茶苦茶を肯定。


「いや、現実は物語じゃないんですから……」

「ですが、クーラさんの人生はクーラさんを主人公とした物語だと言えるのでは?」

「それは否定しませんけど……」

「物語の中だけでしかあり得ないレベルで幸運の神様が手を握ってくれる。そんなことが現実に起きてはいけないなんて決まりはありませんから」

「……トキアさんって、神の存在を信じてるんですか?」


 あまりそういう印象は無いんだが。


「普段は見向きもせず、困った時にだけ自分の都合で一方的に助けを求め、結果的に上手く行ったとしても感謝のひとつもしないくらいには」


 身勝手とも取れる言い分だが、それはこの世界に生きる多くの人が抱く神様観でもあるんだろう。俺も昔はそうだった。


 もっとも、今は少々違うわけだが。それは、実際に神()とやり()合った奴()を知っているから。少なくとも、最後の悪あがきとして自分を倒した相手に呪いをかけるような小物臭い邪神は、どこぞの異世界には実在していたはずだ。


「まあ実際に、過去にわたくしを救ってくれたのは神とかいう曖昧でアテにならない存在ではなく、ふたりの人間。そしてそのひとりは目の前に居るわけですが」

「……ゼルフィク島での一件ですか」


 そこまで持ち上げられるのは面映ゆい話ではあるが、あの件でトキアさんが俺とクーラに深い恩義を感じているということは知っていた。というか、トキアさん本人から何度も聞かされてきたことだ。


「ええ。あまりにも都合が良すぎる奇跡は現実にも起こり得る。少なくとも、わたくしは身をもってそのことを知っているんです」


 あまりにも都合が良すぎる奇跡。


 わざわざそんな言い回しをするくらいだ。トキアさんだって、クーラがどうなったのかは、理性ではわかっているんだろう。


「そもそもが、あんな風に突然消えてしまうこと自体、普通ではあり得ないんですよ」


 だが、心が言うことを聞いてくれるかは別問題ということなんだろう。


「それでも説明を付けようとするのなら、例えばですけど……あの時クーラさんは、何者かによって『転移』をさせられた、といった話になるんじゃないでしょうか?……まあ、突拍子が無いにも程があるとは思っていますけど」


 たしかにそれは、トキアさん自身も言っているように、あまりにも突拍子もない話だ。


「『転移』は物語の中だけにしか存在しない、なんてことは証明されていませんからね。だから今頃……クーラさんはどことも知れぬところで、あなたの元へ帰るために必死になっている可能性だってあるはずなんです。……そうとでも考えないと、やってられないんですよ」


 やってられない。そこに本心が見えた気がした。


 そして本人も認めているように、トキアさんが口にしたのはあまりにも都合が良すぎる奇跡。


 俺もそのことは否定しない。


「ははは……」


 けれど、俺の口から出て来るのは笑い声。


「……笑わなくてもいいじゃないですか」


 向けられるのは憮然とした表情。


「すいません」


 たしかに失礼な行為ではあった。だからそこは素直に謝る。


「けど、トキアさんのことを馬鹿にしようとか、そういうつもりだったわけじゃないんです」


 むしろその逆で、感嘆すら抱いていた。


 どことも知れない異世界に呼び付けられたクラウリア(クーラ)はこうしている今も俺のところへ戻ろうと必死で頑張っている。


 それは、確信を持って事実だと断言できる。


 あの呼び付けは俺やクーラがトキアさんと知り合う前のこと。


 だから、トキアさんがそのことを知り得たはずは無いというのに。


 偶然……いや、奇跡的にトキアさんは真実を言い当てていたんだから。


 奇跡というのは俺が思ってるよりも起こりやすいものなのかもしれないと、そんな風にも思えて来る。


 だったら俺もトキアさんのように、都合が良すぎる奇跡に縋ってみるか。そうでもしないとやってられない。


 感化というやつなのか、そんな気持ちが俺の中にも湧き出していた。


 なら、俺にとっての都合が良すぎる奇跡とは何なのか?


 そんなのは考えるまでも無い。クーラが俺のところへ帰って来てくれること……いや、クーラが消失してしまったのは事実なんだ。だったら、クーラがよみがえることになるんだろう。


 そのためにはどうすればいいのか。残念ながら俺にはまるで見当が付かない。


 けど……


 例えば……俺の異世界式収納には、クーラが常に――と言っても、風呂とベッドに入る時はさすがに例外だが――肌身離さずにいたお守りが入っている。


 となれば、それにはクーラの想いやら何やらが染み込んでいたって不思議ではないだろう。


 クラウリアであれば、そこからクーラの記憶やらを復元することだってできるかもしれない。


 そしてそれは、クラウリアの中にクーラがよみがえると言い換えることだってできるのかもしれない。


 あいつがそれを成し遂げたとしても、クーラだから仕方がないと済ませてしまうことができる自信はある。


 クーラとクラウリアは別の存在なんじゃないかと戸惑うこともあるのかもしれない。目の前でむざむざとクーラを失わせてしまった後悔に苛まれることがあるのかもしれない。


 だが、そんなものは時間が解決してくれるはず。なんだったらあいつに泣きついて慰めてもらってもいいし、『ささやき』でどうにかしてもらってもいい。


 つまりは、クラウリアが帰還してくれたならあとはどうにかなるという話。


 都合が良すぎる奇跡として縋るのであれば、それくらいは許されるだろう。


 とはいえ……


 ひとつだけ残る問題。


 それは3日以内に確実にやって来る、俺のタイムリミット。


 少し前まではどうでもいいと考えていたことが、今になって重くのしかかって来る。


 失われた命を呼び戻すというのは、クーラにも不可能な数少ないことのひとつだった。


 俺が生きているうちにクラウリアが戻って来るという可能性には期待しておく。今回の呼び付けられ先で死んだ人間を生き返らせる技術を習得してくるという都合が良すぎる奇跡にも期待はしておこう。


 だが、奇跡に縋る以外で俺にやれることは何かないのか?


 ……そういえばここはどこなんだ?


 妙案のきっかけにでもなればと、周囲に目を向ける。


 テーブルに椅子やクロゼットにカーテン。目に留まる調度品はどれも一見すればシンプルだが、よく見れば細かな意匠が見て取れる。


 こういうのは、矜持と高い技術を備えた職人が仕上げた品によくある特徴なんだと聞かされた記憶がある。つまりは、どれもアホみたいに値が張るシロモノなんだろう。


 それに俺が寝かされていたベッドもふかふかに柔らかく、シーツの手触りもいい。少なくとも、旅の最中に泊った宿で使った物よりも遥かに上質。


 ……ここは、ガナジアの王宮なのかもしれないな。


 そのあたりから、そう結論付ける。3か月ほど前と7日前に俺がやったことを考えれば、それもありそうな話。


 そしてさらに部屋を見回せば、飾り棚の上に並んでいたいくつものガラス細工が目に留まる。


 ウサギにネズミに犬や虎。鳥に鯨に牛や羊など、色とりどりのそれらはどれもこれも、夕陽を受けてキラキラと輝いていた。


 案外、ミグフィスで作られたのも混じってるのかもしれない。


 思うのはそんな、旅の初日に訪れた場所。


 セオさんの甥っ子であるラルスが『誰かさんの再来』に目を輝かせたなんてこともあったが、それでもあの頃は本当に楽し……って待てよ!?


 ふと思い出したのは、そこでせがまれた話。そしてあらためてガラス細工を見るうち、その中のひとつから想起されたこと。


 これは……ひょっとしたらひょっとするんじゃないか?


 それは、もしかしたらタイムリミットをほんの少しだけ先に延ばせるかもしれないと思えないこともないような、あやふやで頼りない可能性。


 だからと言うべきなのか、それでも心が波を打つことは無く、


 けれど少しだけ、心が熱を帯びた気がした。

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