……あいつを泣かせちまうことになりそうだな
「一応お前は、クーラの仇ってことになるんだったな。なら、とりあえず潰しておくか」
適当な気持ちで言い放ったのが悪かったんだろうか?
「……一応だと!?…………とりあえずだと!?……貴様ぁぁぁぁっ!どこまでこの僕を愚弄するつもりなんだ!?許さん!絶対に許さんぞ!」
俺との勝負を望んでいたはずのビクト。結果的には望み通りになったはずなのに、何故かますます怒りを募らせて来る。
「そういうわけじゃない。ただ、どうでもいいだけだ。そんな対象を愚弄する必要なんてどこにも無いだろうが」
「どうでも……いいだと!?」
「ああ。勝負の行く先も、俺の生き死にも。何がどうなったって構わない。もちろん、お前が死のうが生きようがどうだっていい」
地面に転がっていた髪飾り――少し前にクーラに贈った物を拾い上げ、クーラが着ていた服と一緒に異世界式収納に入れる。
そんな身体の動きもまた、さっきの言葉と同じで不自然なほどに緩慢に感じられた。
まあ、それもどうでもいいことか。
ともあれ、破損させてしまうのは気が引けると思えるあたり、クーラの形見となってしまった品に対しての思い入れくらいは残っていたのかもしれない。
「さて、さっさと始めてとっとと終わらせるか。どうせ無意味な勝負なんだから」
そうして立ち上がれば、
「……殺してやる」
向けて来るのは、怒りの色に血走った目。
普通に考えたなら、クーラを奪われた俺の方がそんな目をしていそうなところなんだが……
本当に見事なまでに、まるで心が動かない。
まあ、どうでもいいや。
ここで俺があっさり殺されたとしても、その後のことだって知ったことじゃない。むしろ余計なことを考えなくて済む分、その方が好都合なのかもしれないとすら思えるくらい。
そんな俺を余所に、ビクトの方は殺る気に溢れた様子で右手に剣を、背中にはトンボの羽を発現させて飛び上がる。
その動きはこれまたゆっくりで、羽ばたきすらもはっきりと視認できてしまう。
「行くぞ!」
そんな叫びで突っ込んで来る様も、これまた酷く緩慢。
怒り狂った様子からしてわざわざ手を抜くとは思えないんだが……
となると……
まるで、時の流れそのものが遅くなってしまったようにすら思えるこの状況。
だが、その中でも思考だけは普段通りに……いや、逆なのか。
少し考えてみて、思い当たるところがあった。
これもまた、過去にクーラから聞かされたこと。
なるほど。こういう風になるわけだ。
血筋的な意味で、俺には起きやすいかもしれないとは聞いていた。
それでも、まず起きることは無いだろうとも思っていた。
仮に起きたとしてもクーラ――クラウリアであれば対処できるとも聞いていた。
もしも起きてしまったなら、すぐに――恐らくは数日以内に――対処をしなければ、その代償はシャレにならなくなるとも聞いていた。
そして、唯一対処できる存在であるクラウリアは異世界へと呼び付けられている最中で、帰還がいつになるのかは一切未定で不明と来ている。
つまるところ、シャレにならない代償を差し出すことになる公算は極めて高いわけだが……
……あいつを泣かせちまうことになりそうだな。
心に浮かぶのはそれだけ。
クーラのご両親やお爺さんに敵うとは思わない。だがそれでも俺は、今のエルリーゼに存在している人間の中では誰よりも強く、クーラにはいつまでも機嫌よく笑っていてほしいと思ってるつもりなんだが、たまにそれとは真逆のことをやらかしちまうんだよなぁ……
まあ、それはさて置くとして……今はこっちをどうにかするか。
泥沼の中を泳いでいるんじゃないかと思えるくらいにノロノロと向かって来るビクトに意識を向ける。
なにせ、一応はクーラの仇なんだから。
狙いは……首跳ね……
横に構えた剣。一見すればそうも見えるが……
ではなくて心臓を突いて来るのか……
だが、その様はどことなく不自然。本命は別にありそうだが……
いや、そう見せかけて喉笛突き……
じゃないな。重心からすれば……
額を貫きに来るつもりらしいな。
そう結論付ける。
やけにトロくさく見えるが、さっき立ち上がった時の速さと比較するに……おかしくなる前の俺であれば、反応すらできずに切り捨てられていたことだろう。それくらいには速い。
その上で3重のフェイントまで付けて来る。
なるほど、剣の申し子なんて言われていたのは伊達じゃないということか。
だがそれでも、狙いがまるわかりであれば別段怖いとも思わない。
普通であれば瞬きの間に過ぎるような時間の中で、こっちはじっくりと考えて立ち回ることができる。実際に体験してみれば、そのアドバンテージがどれだけ大きいのかが良くわかるというもの。
変なタイミングで狙いを切り替えられたら面倒そうだ。なら、あえてギリギリまで動かずに引きつけるか。
そうやって対応を決めて待つうち、高速飛行の勢いを乗せた突きが額へと迫って来る。
俺が反応できずにいるとでも思っているのか、口元を歪に釣り上げて。
……さて、そろそろか?
奴の狙いは額に巻かれた白リボンの上。クーラの手による超強化が施されたこのリボンを貫けるのかは怪しいところだが、一応は対処しておいた方が無難だろう。
切っ先と額との距離がブドウひと粒程度になったところで、そこに指先大の泥団子を発現。
これは俺が多用する防御手段で、それなりに成功例も多い。
けれど向こうの貫通力も相当なものだったらしい。
少なくとも、少し前にやり合ったサユーキなんぞとは比較にならない。
接触の瞬間に2000『分裂』を1000回ほど発動させて、ようやく防ぎきれるくらいには威力があった。
「何だと!?」
決め切れたつもりでいたんだろう。大きく目を見開いたビクトだが、
「ならば!」
直後には次の行動に移っていた。
……大した反応だよ。
地面に降ろした足でバックステップすると同時に、左手が形を変える。
あれは……炎熱獅子の頭か?
燃えるような赤色をした獅子には見覚えがある。前に討伐の機会があった魔獣のそれだ。
なるほど。『魔獣喰らい』というのはこういったことも可能なわけだ。そして、背中の羽は馬鹿トンボこと自滅ゴミ虫あたりか。たしか、ガナレーメの近くにはその生息域があったはず。
それに、さっきの氷塊も由来は同じくなんだろう。
この大陸にあるルデニオン山には、氷魔吠狼の生息域があったはずだ。あるいは、深凍藍翼あたりだったのかもしれないか。
そんなどうでもいいことを考えるうち、獅子の口が大きく開き、そこから咆哮と共に炎を噴き出して来る。殺傷力を備えた目くらましをかけつつ距離を取り直すというのは、無難ながら悪くない判断。
そして多分、トキアさんが負わされた火傷の原因でもあるんだろう。
まあせっかくだ。利用させてもらおうか。
炎を防ぐための盾として発現させる泥団子は椀状に。そして、受けると同時に椀の内側に『爆裂付与』を発動させ、炎を絡めとり、爆炎の槍に変え、ビクトの額へと飛ばしてやる。
貫通させたら反対側の客席にまで被害が出そうだな。
なら……爆ぜろ。
突き刺さったところで爆発させてやる。そうすれば、首から上が奇麗に消失したビクトは仰向けで地面へと落下。
これで終われば楽でいいんだが……
俺はそんなことを思っていたんだが、どうやら横着はできなかったらしい。
まあ、希望的観測というのは、基本的には実現しないものなんだろうけど。
人間に限らず、生き物というやつは首から上が大きく損傷すれば死ぬようにできている。けれど、ビクトは普通ではなかったということなんだろう。
赤黒い断面を晒していた首から何かが盛り上がり、それはみるみるうちに、消し飛んだばかりの頭部を形成していく。
再生能力というのは剛鬼の代名詞だが、それを殺しまくっていればああいうことにもなるんだろう。それに、過去に俺がやり合った双頭恐鬼の異常種なんかもあんな感じだったか。
「……世界最強であるこの僕と戦う資格はあるようだな。ならば、世界国王である僕の真の力を見せてやろう」
元通りになった口から出て来るのはそんな言葉。
どうやら今のは小手調べのつもりだったらしく、
物語の中ではたまに見かけるようなセリフだが、まさか現実で聞くことになるとはなぁ……
俺の中にはそんな、どこか他人事めいた感想だけが浮かんでいた。




