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面倒事に対する究極の対処は未然に防ぐこと、か

 まだ『決闘』は始まっていない。相手である俺が何もやっていない。


 そんな状況で額を抑えたビクトが膝を付く。


 けれど俺としては、そのことには何の驚きも感じなかった。


 なにせ――


 相変わらずの効き目だな。さすがはクラウリアってところか。


 それは、俺とクーラが目論んでいた騙し討ち――今のクーラに残された唯一の異世界技術である『ささやき』が決まった結果だったんだから。




 正体を明かす前からも、度々クーラが使っていた『ささやき』。


 聞いたところでは子守歌のようなものらしく、口調と声色と語りかけのみで相手の心身に干渉するものなんだとか。


 そして声だけによるものであるがゆえに、今のクーラにも使用可能。


 また、その効果は使い手の声質に依存する部分が大きいとのことで、一応は俺も教わってみたんだが、俺の声ではまったく効果が無いらしかった。


 ちなみにだが、クーラの声質は『ささやき』との親和性が桁外れ……というか異常なまでに高かったとのこと。この技術が生み出された世界においても、声を少し聴かせただけで意識を奪い、心理にまで容易に干渉し、その気になれば操り人形にすらできてしまうというのは非常識だったらしい。


 雪解け水さながらに透き通ったクーラの声はかなり特徴的なもので、普通に聞いているだけでも心地がいい。だからそこらへんに理由があるんじゃないかと、俺は勝手に思っているわけだが。




 そんなすさまじい効果があるクーラの『ささやき』。例の1200年間で耐性が付いていて、来るとわかっていてもなお、月でやり合った時の俺はロクに抗えなかったシロモノ。


 耳を塞ぐだけで防げるという弱点があり、耳栓をしている今の俺には無効。けれどビクトがそんなことを知っていたはずもなし。完全な初見殺しで聴かされたとなれば、抵抗なんて不可能だったということなんだろう。


 ほどなくして、ビクトはうつ伏せで地面へと倒れ込んでいた。


 抵抗された場合に備えてということで地中に潜ませておいた泥団子もあったわけだが、そっちは使う必要すら無かったらしい。


 決闘という行為に中指をおっ立てるようなやり口でもあったわけだが、そこは今更だろう。


「その様子だと、上手く行ったんだな?」


 そうしてクーラが大きくうなずいたのを確認後、耳栓を消して声をかける。


「もちろん。もう、私の声以外は届かないよ。そして私が許可を出さない限り、耳元で大声上げたって目を覚まさないだろうね」


 さすがに客席までは『ささやき』は届いていない。だから恐らくは、トキアさん含めた他の人からは、何故か急にビクトが倒れたと思われているんだろう。


 同じく『ささやき』を受けたオビアも倒れていたが、こっちは放置でいい。どうせ近いうちに処刑されるわけだし。


 それにしても……


 ふと思うこと。


 前に聞いたところでは、ズビーロ一族で残っているのはこのふたりだけ。


 つまりは、この一族とのあれこれも今度こそこれで本当に終わりということになるわけで。


 そのことに妙な感慨深さを覚えるのは、不本意ながらやたらと長い付き合いになってしまったからなのか。


 初めて連中と関わる羽目になったのは、もう4年以上も前のこと。


 クソ三男のせいでネメシアとアピスが、ついでに腐れ縁共が死にかけたんだったか。


 その後もクソ次男やクソ長男には面倒で不快な思いをさせられた。


 とはいえ……


 もしもの話ではあるが、連中が居なかったなら、俺とクーラは今の関係にはなっていなかったのかもしれないわけだが。


 クソ次男がアホな真似をしなかったなら、例の1200年間は無かったことだろう。その場合、クーラが俺にかけた記憶の封鎖が解けることは無かったのかもしれない。


 そうなれば、俺が暴言を吐いてクーラを泣かせてしまうことは無かったのかもしれない。寄生体(ウィル・スローター)関連の騒動でも難なくクーラが助けてくれたことだろうし、死にかけた俺を見たクーラがトチ狂って別れを決意することも無く、月でのあれこれも起きることは無かったんだろう。


 そしてその後も悪友としての付き合いが続いて、何年かが過ぎた頃にクーラは俺の前から姿を消していたのかもしれない。


 クーラの手で完全に堕とされた今となっては、そんな未来は想像もできない。というか想像したくもない。クーラが消えてしまったなら、正気でいられるかすら怪しい。それくらいには溺れさせられている自覚がある。


 まあそれでも、連中に対して感謝しようとはまったく思えないのも事実なのか。


「どうかしたの?」

「いや、大したことじゃない。こいつら一族とはいろいろあったと思ってな」

「……たしかにね。けど、こいつらが居なかったなら、私たちが結ばれることはなかったのかもしれないんだよね。まあ、感謝しようとは全然思わないけど」

「……そうだな」


 クーラもまた、同じようなことを思っていたらしい。


「さて……やるか」


 まあ、そんな感傷に浸るのは後でいい。だから、今やるべきことをやろうとするんだが、


「あ、そうだ!ちょっとだけ待ってもらえないかな?」


 クーラが待ったをかけて来る。


「どうかしたのか?」


 『ささやき』で無力化してあるとはいえ、早いところ仕留めてしまうべきだと思うんだが。


「その前に君の精神を調整しておこうと思って」

「たしかに、これまでにそれをやるタイミングは無かったわけだが……」

「もちろん、のんびりしてる場合じゃないのはわかってる。10分も20分もかけてたら、こいつが目を覚ましちゃうかもしれないし。だから、さっきと同じように応急処置的な感じで軽めに『ささやき』をかけるだけ。1分もかからないからさ。それでも君の精神的な負荷は減らせるわけだし、結果として後々のケアも楽になるって話」

「面倒事に対する究極の対処は未然に防ぐこと、か」

「そういうこと」

「……手間かけて悪いな」


 そのあたりには思うところも無いわけではないんだが。


「いいってことよ。君の役に立てるのは、私にとって最高の喜びなんだから」

「だからそういうことをサラリと言うんじゃねぇよと……」

「だってホントのことだし」

「まあいいけど……」


 このあたりは言うだけ無駄。それくらいはわかっている。


「それじゃあ始めるよ?……さあ、目を閉じて」


 後ろに回ったクーラが慣れた動きで抱きすくめる。流し込むようにして耳元で発せられるトーンを落とした声――『ささやき』は抵抗をしなければスッと心地よく入り込んで来て、


「……まずは身体の力を抜いていくよ。……もう自分の足で立っていられない。……そのまま私にすべてを委ねてしまおうね?……ほら、君は完全に私に囚われてしまった。……私に囚われているはとても心地が――」


 けれど唐突に『ささやき』が途切れて、


「嘘っ!?」

「……づあっ!?」


 慌てた声が耳元から聞こえると同時に、ぐったりと弛緩していた俺の身体が地面へと叩きつけられていて、


 ドッ!


 一瞬遅れて、そんな鈍い音が耳に届く。


「急に何を……」


 かかり具合が中途半端だったことに加え、衝撃で『ささやき』の効果は吹き飛んでいたんだろう。身体を起こして目を開けて、


 大きく見開かれたクーラの瞳に浮かぶのは、信じられないといった表情。


「かはっ……」


 クーラの口からこぼれるのは、呼気とも声とも取れないもの。


 そして――


 何かがクーラの胸を貫いていた。


 その身体が傾ぎ、背中から倒れていく。


「クーラ!」


 慌てて立ち上がり、駆け寄って、


 俺が間に合わなかったわけじゃない。


 けれど――


「クーラ……?」


 その重さを受け止めることは叶わなかった。


 乾いた音を立てて地面に転がるのは、少し前に俺が贈った髪飾り。それ以来、風呂とベッドに入る時以外は外されることが無かった物で。


 腕に残るのは、丈夫さと動きやすさを重視した素っ気ない軽装――クーラが愛用していた普段着だけで。


 触れる寸前に一瞬だけ見えた翡翠色の瞳からはすでに光が失われていて。


 今の私は『分け身』なんだけどね。


 時折冗談めかしていたことが頭をよぎる。


 だからなんだろう。


 クーラの身体が闇色をした霧のようになって、空気に溶けるように消えていったこと。


 それが意味するところを、俺は理解できてしまっていた。


 そして――


 頭の中で何かが壊れたような、そんな気がした。

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