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俺らは絶対に許しませんよ

 瘴噴巨鳥(ロトン・コーザー)


 高位魔獣の一種であるそいつは巨鳥の名が示す通りに、翼を広げれば全長が10メートルに届くほどに大きな鳥の姿をしているらしい。


 そしてこれまた名前通りに、その口からは瘴気を噴き出すとも言われていた。


 では瘴気とはなんぞやという話になるわけだが、おどろおどろしい名で呼ばれることに説得力があるくらいには、タチの悪いシロモノだ。


 具体的なところとしては、


 見た目は薪を燃やした時なんかに生じる煙に近いんだが、腐りかけた果物のように甘ったるい臭いをしている。そして勝手に高いところへ昇っていく煙とは異なり、その場に留まるという性質がある。


 と、ここまではまだいいんだが、


 その最大の特徴として、吸い込んだ者の身体を内側から腐らせていくんだとか。


 じわじわと効いてくる性質をしているらしく、吸い込んでも即座にどうにかなるものではないとのこと。だからこそ、気付いた時には手遅れになっていることも多いとのこと。


 そしてさらに厄介なことに少量でもその効果はある。事実、10年ほど前にテミトスの東部のとある村が襲われた際に瘴気を風の心色で吹き散らしたところ、その遠方10キロ以上の場所にある街でもかすかな臭いが確認され、体調を崩す人が続出したらしい。


 唯一マシなのは、治癒の心色であれば瘴気自体やその影響を打ち消すことができるという点。さっきクーラが出してきた指示から察するに、異世界式の治癒でも同様の効果が期待できるということなんだろう。




 クーラが言うには、ガナレーメに立ち込めているのはそんなものらしいわけだが……


「つまり、ガナレーメが瘴噴巨鳥に襲われたってことなのか?いや、けど……」


 それはそれで妙な話になってしまう。そもそもが、変な子供――ビクト・ズビーロがどうのこうのという話だったはず。いくらなんでも、それを瘴噴巨鳥と混同してしまうというのは考えにくい。


 ビクトがやらかした後に瘴噴巨鳥が襲って来たという線も無いわけではないだろうけど。


 だとしても、広大な王都を覆い尽すように瘴気が立ち込めているという点も気にかかる。


 瘴噴巨鳥に関しては伝聞と本でしか知らないとはいえ、1匹や2匹ではあそこまではならないはず。もちろん、瘴噴巨鳥の群れが生息域から出て来ることが絶対に無いとは言えない。だがその場合は、空に瘴噴巨鳥の姿がまったく見えないというのが引っかかる。すでに1匹残さず始末したというのであればそれでいいんだが、ただでさえ騒動に見舞われている最中にそこまで手早くやれるものなのか?


「……私にもわからないよ。ただ、あの灰色が瘴噴巨鳥の瘴気だっていうことだけは、確信をもって断言できる」

「だとしたら、ガナレーメにいる人たちもヤバいんじゃないのか?」


 俺は今更クーラの言葉を疑ったりはしない。


「……うん。あれだけ瘴気が濃い中に居たら、体力のある人だって半日で動けなくなっちゃうよ」


 事態はすさまじく深刻だったらしい。だがそれでも、


「……このままコロシアムに向かう。それでいいか?」

「トキアさんとシエロ君のことがあるからね」


 そんな場所にあのふたりがいるのであればなおさらだ。ここで引き返すというのはあり得ない。


 今は明らかな非常事態。だからそのまま外壁を越え、空から直接コロシアムに降りたって、




「なんだよ、これ……」


 この場所にも瘴気が立ち込めている様子だったとはいえ、異世界式治癒のおかげで俺に影響は無かった。それはいい。


 この場でビクトが暴れている風ではなかった。それもいい。


 壁のあちこち派手に壊されていたとか、ところどころが焼け焦げていたりとか、凍り付いていたりもしたんだが、それもまだいい。


 衝撃だったのはそれらではなくて、


「死にたくねぇよぉ……」

「誰か……誰か助けて……」

「寒い……。寒いよ……」

「お願いだから目を開けてよ!私たち、ずっと一緒だって約束したのに……」

「血が止まらねぇ……」

「痛いよぉ……」


 そこかしこから聞こえてくるのは、苦しみと悲しみに満ちた声。


 それだけではなくて、すでにピクりとも動かない姿も見て取れて。


「う……」


 俺自身も死にかけた……というか、実質的に死んでいた経験がある。けれど他者のそれは意味合いが違っていたということなんだろうか。


 そして俺自身、これまでに人の死に触れたことはほとんど無かった。


「あぁ……」


 だからなのかもしれない。思考が吹き飛ばされたように頭は真っ白。唯一理解できたのは、自分がガタガタと震えていることくらい。


 そんな俺をクーラが後ろから抱きすくめて、


「……大丈夫だよ」


 涼やかに透き通った声がトーンを落として、耳元でささやくように響く。


「……私の声を聴いて。……私の声に耳を傾けて。……私の声に意識を傾けて。……私の声を受け入れて。……私の声に心を委ねて。……私の声にすべてを預けて。……私の声に囚われてしまおうね?」


 流し込まれる声が身体の……心身のすべてに染み込み、染め上げていくような感覚。


「……君の中にある苦しい気持ちが薄れていく。……溶けていく。……流れていく。……零れ落ちていく。……ほら、もう大丈夫。……もう、何も怖くない。どう?これで平気そう?」


 そして最後にトーンを戻して問いかけて来て、


「……ああ。助かった」


 俺の方は実際にその通りに、マトモな思考を取り戻せていた。


「どういたしまして」


 腕を離し、気にした様子も無い定型句を返される。取り乱しかけた俺に、強制的に落ち着きを取り戻させたのはクーラに残された唯一の異世界技術で。


「悪い。みっともないところ見せちまったな」

「こういうのって経験量の差が大きいからね。無理もないよ。それにさ、君には人が死ぬことには慣れてほしくないとも思ってる。まあ、過保護だって言われるかもしれないけどさ」


 肩をすくめてそんなフォローまでされてしまう始末。


 自分が情けなくはあるが、自責は余裕がある時にゆっくりやればいいか。


「それと、あくまでもこれは急場しのぎだから。できるなら、余裕がある時にもっとゆっくりとかけたかったんだけど」

「わかったよ。まあそれはさて置くとして、まずはトキアさんとシエロを探す――」


 落ち着かされた頭で今やるべきことを考えて、


「アズールさん!?」


 その矢先に俺を呼ぶ声があった。


「シエロ!?無事だったのか?」


 駆け寄って来るのは見知った顔。あちこちに傷を負った様子ではあったが、どれも深手ではなかったんだろう。その足取りはしっかりとしたもので。


「俺はなんとか……。けど、トキアさんが……」

「トキアさんに何があった?」


 たしかに、トキアさんがやられたともシエロは言っていたはずだが……


「酷い怪我をしてて……。とにかく来てください!」

「わかった!」




 シエロの後を付いて向かった先はコロシアムの片隅で、


 そこで仰向けに横たわっていたのは腹部を中心に酷い火傷を負い、顔の半分ほどが焼け爛れ、元は長く奇麗だったであろう金色の髪も焼け焦げた女性。


「「トキアさん!?」」


 記憶にある――半日ほど前に別れた時とはまるで別人のような姿で、それでも誰なのかひと目でわかるくらいには親しくしていた女性。


 血の気が失せた顔を苦し気に歪め、ぐったりと目を閉じたトキアさん。


 一見しただけでも、負わされた火傷は相当に深刻。かなり危険な状態ということはすぐに理解できた。


「その声……クーラさんですか?」


 そんなトキアさんがゆっくりと目を開ける。見慣れていたはずの青い瞳もどことなく虚ろなもので。


「アズールさんまで……。ふふ、最期に……もう一度……おふたりに会いたいと思っていましたが……これは、幻覚というもの……なんでしょうか……?」

「違いますから!俺もクーラもここにいますから!」

「そうですよ!最期なんて言わないでください!」

「そのよう……ですね……。おふたりの手、暖かい……」


 その言葉にも力は無く、手を握ればそこからは体温も失われつつあった。


「大丈夫ですよ!アズールさんならきっと何とかしてくれますから!そうですよね?」


 俺に期待の目を向けて来るシエロ。


 たしかに異世界式治癒であればこれくらいは治せる。だが、この状況でそれをやってしまえば隠し通すことは……


「無理を言ってはいけませんよ?」


 それをやんわりとたしなめるトキアさん。その口調は、第七支部で日常的に聞いてきたそれと同じように穏やかなもので。


「いくらアズールさんでも……治癒は使えませんよ。それに、この状況……ですからね。治癒の使い手も医者も……余裕がある人なんているはずがありません。自分のことはわかる……つもりです……。わたくしは……ここまででしょう……」

「そんな!?」

「これでも……虹追い人としてはそれなりに長い……ですからね……。死ぬことには……多少の達観はできているつもりです……」


 なんでだろうか?クーラによって俺の精神は強制的に安定させられていたはずなのに、それでも心が揺らぎそうになるのは。


「それに……」


 こんな状況。それなのにトキアさんが見せるのは、幸せそうですらある微笑みで、


「第七支部に戻って……からの2年間……本当に楽しかった。また、ガドやセラや支部長と笑い合う……ことができました。シエロさんのように……慕ってくれる後輩がたくさんできたのも……嬉しかった……。長い長い暗闇から……わたくしをそんな……幸せで暖かな陽だまりへと救い上げてくれたのは……アズールさんとクーラさんでした……。おふたりと出会えたことは……生涯で最大の幸運だったんでしょうね……」


 なんでだろうか?視界がボヤけるのは。


「そんなおふたりに看取られて……逝けるのであれば……結末としては悪くありません……。ありがとう、わたくしと出会ってくれて……。わたくしを……救ってくれて……。わたくしは……あなた方のことが大好きでした……。その未来が幸せなものであることを……黄泉路より祈らせてください……」


 それは、別れの言葉だった。トキアさんなりに俺らを想って、最後の力で必死に紡いでいるんだということは痛いほどに伝わって来る。


 それなのに、


 なんでだろうか?はらわたが煮えくり返りそうになるのは。


 ……ああ、そういうことか。


 クーラと目が合って、その理由がわかった。


 タマネギを始めとした一部の例外以外には、絶対に許されないことが起きていたからだ。


 1600年近い時を生きて来たクーラ。人の死に触れる機会だって少なくなかったんだろう。程度はともかくとしても、いくらかは慣れてもいるはず。


 だがそれでも、クーラだって心を持ったひとりの人間だ。


 ならば、親しくしていた人を失うことに平然としていられるわけがない。


 そしてそれは、俺が一番に求めること――クーラとふたりで機嫌よく生きていきたいという望みに反する。


 だったら……


「「アズールさん?」」


 握っていた手を離して立ち上がれば、トキアさんとシエロは怪訝そうな声を向けて来る。


「そっか……」


 けれどクーラが発したのは、静かなつぶやき。


「クーラ、俺は――」

「何も言わなくていい」


 穏やかに続きを遮る。


「……すべては君の思うがままに。君が決めたなら、それが何であろうと受け入れて、信じて支える。それが私の望みなんだから」


 さすがと言うべきなのか。クーラはすでに俺の考えを正確に読み取っていたらしい。


「……ありがとうな」


 だから、それだけを返す。


「いいってことよ」


 そして立ち上がり、支えるようにして後ろから抱きしめてくる。その感覚が心地よくも心強い。


「俺らは絶対に許しませんよ。ここでトキアさんとお別れなんてのは」


 俺もいずれは『時剥がし』を受け、寿命とは無縁の存在になる。そうなれば、何らかの形でトキアさんとの永遠の別れだってやって来るはず。


 今はまだ無理でも、いつかは必ず受け入れなければならないこと。


 だがそれでも、こんな形でなんてのは絶対にお断りだ。


 ガキのわがままと笑わば笑え。俺の手には、そんな結末をひっくり返す手段があるんだから。


 そもそもが、最初からためらうべきじゃなかったんだ。


 俺にとっては尊敬する先輩。クーラにとっては大切な友人であり、アルバイト先のお得意様。


 そんな人が危険な状態だってのに隠し事を通すことと天秤にかけるとか、お前はアホなのか?


 少し前の自分に対してそう言ってやりたいくらいだ。叶うならぶん殴ってやりたいとすら思う。


 だから助ける。そう決めた。


 それに――


 この3か月は最高の思い出として旅路の果てまで持って行けるはずだったのに、最後の最後でとんでもないケチがついてしまった。トキアさんを失うのは論外だが、それを阻止するだけでも足りない。少しでもマシな結末を俺は望む。


 そのためにやるべきは――今から助けられるすべての人を助けることだ。


 頭に巻かれた白リボンをほどき、泥団子を食わせて真っ直ぐに伸ばして頭上に掲げる。


 これから使うのは異世界式の治癒。


 試行錯誤を続ける中でわかったこと。俺にとっては、こうしてリボンを起点とするのが一番やりやすかった。


 範囲は……ガナレーメ全域。


 効果は……加減無しの全力で。


 発動の形を思い描く。


 治癒に限った話じゃない。クーラ直伝の異世界技術。そのほとんどは心色と同じように、色脈を通して色源を解き放つことで発現する。


 だから、クーラの手で色脈を整えられたことで発動効率が跳ね上がり、例の1200年間で色源の量がアホみたいに増えた俺には、途方も無い規模での発動が可能。


 俺の治癒はクラウリアとは比較にならないほどに拙いことだろう。だがそれでも、力任せの発動でも、範囲内にいるすべてを対象とし、今のトキアさんが負っている程度の傷であれば即座に完治させることくらいはできる。ついでに、この街を覆う瘴気も消し飛ばしてやる。


「やるぞ!」

「大丈夫。君ならやれるよ」


 信じて支えるという言葉通りに、こんな時でもクーラはフォローを忘れない。


 だったら、そんな最高の相棒に応える意味でも、成し遂げてみせるまで!


 色源を異世界式治癒に変換。掲げた虹剣モドキへと注ぎ込んで、


「ぐ、うぁ……」


 強烈な虚脱感。急速に……いや、急激に俺の中から何かが枯渇していくような感覚。


 これは、限界近くまで心色を使うことで起きるものだ。感じるのはクーラと出会った(すべての)あの日(はじまり)双頭恐鬼(エティン)とやり合った時以来か。


 まあそれだけ、俺の色源は非常識な量になっていたということなんだろう。


 だが今は、それを手加減無しで絞り出す。出し惜しみは一切しない。


 膨大な治癒の力が宿った虹剣モドキは強烈な光を放ち、握る手元が見えないほど。


 それを思い描いた通りに解き放つ。


 次の瞬間、視界のすべてが虹光で埋め尽くされていた。

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