腐れ縁共相手ならまだしも、それ以外の人と約したことは違えたくないんだよ
「シエロ!?何があったんだい!?返事をするんだよ!シエロ!シエロ!」
支部長が必死でそう呼びかけるも鏡からの返答は無く。割れるような音からして、壊れてしまったのかもしれない。あの魔具は、強度自体は普通の鏡と同程度だと聞いた覚えがあった。
「何があったんだい……」
そして支部長にも何が何やらだったらしくて。
「ねえ、アズ君」
「ああ」
けれど、所持している情報の差なんだろう。俺とクーラには思い当たるところがあった。シエロが口にした名前。そこから想起されるのは、『色喰らい』を手に入れたビクト・ズビーロ。それだけでも、最悪を想定するには十分すぎる。
できれば起きてほしくなかったことだが、起きてしまった以上、対処しないわけには行かないだろう。
「支部長」
「……何かあったのは間違いないんだろうね。ビクト・ズビーロってのはオビアの息子で、今は行方知れずだったはずだが……。連盟から情報が上がって来てるかもしれない。あたしは支部に向かうよ。アズール、あんたも――」
即座に動揺を抑え込めるあたりはさすが支部長と言うべきか。
「いえ、俺らは今からガナレーメに飛びます」
「大したことは無かったって確認できたならそれが一番ですし」
トキアさんならちょっとやそっとのことは容易く切り抜けられる。俺はそう確信している。
だが、俺らが危惧しているのは『色喰らい』の使い手。それはかつて、世界ひとつを滅びの危機に追いやった存在でもあるんだから。そんなのと対峙してしまったなら、トキアさんだって無事では済まないかもしれない。事実、シエロの叫びにもそんな内容があったくらいだ。
「……正直なところを言えば、トキアがシエロを巻き込んで仕掛けたタチの悪い悪戯であってほしいと理性では思ってる」
それも無理ないことだとは思う。それならば無事に戻って来たところに拳骨のひとつは落ちるだろうけど、その程度で済んでくれる。
けれど、トキアさんはそんなことをする人じゃない。俺もクーラもそのことはよく知っているし、支部長は俺ら以上によく知っているはずだ。
シエロにしてもそんなことをやるとは考えにくいし、むしろそんな時にはトキアさんが止めに入りそうなところ。
「けどね……こういう言い方をすると笑われるかもしれないけど、あたしの勘が告げてるんだよ。実際に何かが……それも、とんでもない事態が起きているんだって」
「笑いませんよ。直感ってやつを軽視するなって師匠の教えもありましたからね」
なんでも、直感を素直に信じたことで命拾いしたことが数回あったんだとか。
「やれやれ、ザグジアの奴は本当に立派に師匠をやれてたんだねぇ。……アズール。思えばあたしは、あんたの休暇が始まって以来、何度もあんたを頼って来た。そのことは本当に済まないと思ってる。だが、その上で……またあんたを危険に晒すことになるかもしれないということも分かった上で頼みたい。ガナレーメの……いや、トキアとシエロの無事をたしかめて来てもらえないだろうか?」
たしかに旅を始めて以来は、割とそんな感じだった気がする。
だがそんなのは、些末なことですらないというもの。なにせ、
「ここ4年以上、俺は支部長の世話になりっぱなしでしたからね。多少なりとも恩を返せる機会なわけですし」
なんだかんだで支部長もいい歳だ。それを思えば返し切れる自信は無い。とはいえ、それでも返せるだけは返しておきたいというもの。
「それにトキアさんは俺が尊敬する先輩で、シエロは俺を慕ってくれる後輩なんです。放ってはおけませんって」
これもまた俺の本心。あのふたりが窮地に立たされているのなら、かなり相当程度の無茶は許容範囲内だ。
「本当にあんたって子は……」
何故か呆れられる。俺は真っ当なことを言っただけのつもりなんだが。
「ありがとうね、アズール。今回も頼りにさせてもらう。トキアとシエロのこと、頼んだよ!」
「心得ました」
「じゃあ、あたしは支部に戻るよ」
駆け出していく支部長を見送り、発現させた飛槌モドキに乗る。
「全開で飛ばして行くからな?」
「承知。……というか、言わないんだね。お前は残れって」
「……正直なところ、ヤバそうな場所にお前を連れて行くことに抵抗が無いわけじゃないんだが」
「ないんだが?」
「約束もしたからな。腐れ縁共相手ならまだしも、それ以外の人と約したことは違えたくないんだよ」
「そうだったね。まあそれ以前の話として、私を置いて行こうとするなら、無理矢理にでも君の考えを変えてやるつもりだったけどさ。……やらずに済んで少しホッとしてたりも」
「……そういえばそんなことも可能なんだよな、お前って」
「君相手には特にやりたくないけど、私にだって譲れない一線ってのはあるから」
「……まあいいや」
クーラがしっかりと捕まったのを確認して浮上し、『みさいる』方式を発動。そのまま一気に王都を後にする。街中で騒音を撒き散らした件は、すべてが片付いてからあらためて釈明に来ればいいと割り切ることにして。
そうして飛槌モドキを飛ばしに飛ばして海を越え、午前中に離れたばかりのテミトス大陸へ引き返し、遠目にガナレーメが見えてきたのは日が傾いてからのことだったんだが、
「なんだよあれ……」
そこには異変が起きていた。
「霧……には見えないな、どう考えても」
城壁に覆われた広大なガナレーメの街を包むようにして、薄気味の悪い靄のようなものが立ち込めていた。灰色をしているが、薪を燃やして出て来るような煙とは明らかに違う。印象としては、クーラと出会った時にやり合った双頭恐鬼が使っていた障壁モドキに近いだろうか。
そして、ガナレーメと目と鼻の先までやって来たあたりでさらに別の違和感に気付く。漂って来る臭いは腐りかけた果物さながらに甘ったるいもので、どう考えたってただの煙じゃない。
「クーラ、あれは?」
俺にはさっぱりだがクーラであれば知っているのかもしれない。だから問いかけてみるも、
「……この臭いってまさか!?飛槌モドキを止めて!」
返答代わりにそんな叫び声が。
疑問が無かったわけじゃないが、それは後に回す。膨大な経験を持つクーラが慌てて言うくらいなんだ。そうするだけの理由があるんだろう。
「わかった」
その通りに、即座に飛槌モドキを制止。
「治癒の力をまとって!今すぐに!」
続けてそんな指示がやって来る。
クーラが姉と慕う異世界のお姫さんから学び、俺へと伝えられた異世界式治癒。これは負傷した時のためにと特に重点的に指導を受けていたものであり、俺としても泥団子の次くらいには扱い慣れていた。だから即座に指示通りに発動。
そうすれば、甘ったるい臭いもすぐに感じなくなる。
「それで、何がどうなってるんだ?」
そしてあらためて問いかける。口ぶりからしてクーラには心当たりがあるらしいが。
「あの灰色、瘴噴巨鳥の瘴気だよ」
ある意味ではクーラらしいと言うべきなのか。サラリと口にしてくれたのは例によって例のごとく、とんでもない単語だった。




