多少はマシ
「それで、何がどうなってるんだ?」
明らかにおかしな様子で俺の手を握るクーラに問いかける。
「……ゴメンね。心配かけちゃって」
「まあ、心配してるのは事実だがな。それでもお前のためであれば俺は、犯罪以外ならばなんだってやるつもりだ。だから、話してくれるか?」
「……うん」
そのうなずきにも普段の明るさは見て取れず。
俺が灼炎紅翼とやり合いに行った時にも落ち着いた様子で、残していったブドウを食い尽くす余裕すらあったクーラ。
オビア・ズビーロに剣を振り下ろされても顔色ひとつ変えることも無く、容易く対処して見せたクーラ。
そんなクーラがここまでの様を見せるというのは、きっとそれだけのことなんだろう。
だから、内心で軽く心の準備をしつつ、言葉を待つ。
「さっき君も言ってたけどさ、心色取得に年齢制限があるのは死んじゃう危険性があるからだっていう話。あれは本当のことなの。1500年前の時点でも言われてたことだし、それよりも昔にいろいろあって、そんな決まりができたんだと思う。けどさ、オビアが言っていたことも、部分的には真実なんだよ」
「どのあたりが真実なんだ?」
今更頭ごなしに否定することはしない。なにせこいつはクーラなんだから。
「この世界では基準が15歳だけど、実際には14歳を過ぎていれば問題は起こらないの。そしてそれ未満で心色を取得して死ななかった場合、高確率で複合型になる。その際、幼ければ幼いほど死の危険は高まるけど、同じように複合の数が多くなる確率も高くなる。このあたりのことは統計的にも証明されてたんだよ。……10歳未満の場合は、ほぼ確実に命を落とすというところまで含めて」
「……命を天秤にかけることで、複合型が手に入る確率も高まるってことか」
複合型の強み自体は俺も否定しない。そこまでして手に入れることが割に合うかどうかは怪しいところだが。
「そのあたりを知ったのは、『虹の卵』を作り出した異世界でのこと。その世界では命色なんて呼ばれてたけど、基本的には心色と同じものだったし、ここでは心色って呼称しておくね」
「……時系列的に考えたら、エルリーゼよりも早い段階で心色が普及してた世界なんだよな?」
俺も『虹孵しの儀』で対峙した『虹の卵』。あれはその世界で大昔に作られたものだったはず。
「うん。まあ、そのあたりはエルリーゼも似たような流れをなぞってるって言えるのかな?けど、14歳未満で心色を取得することには、エルリーゼでは伝えられていない問題点が他にもあったの」
クーラの様子が変わった理由はそこらへんにありそうだが……
「それは……そうやって複合型を手に入れた人は、高い割合で心が歪んでしまうということ」
「……具体的には?」
「……自分は複合型の持ち主なんだから何をやっても許されるんだ、的な感じに。心身が出来上がっていない段階で心色を取得したことの副作用という説が有力、だったかな?それで罪を犯してしまう人が多発した結果、その世界ではより厳しく、心色の取得に年齢制限が課されることになったの」
「なるほど」
そこらへんは俺も初耳。
似ている部分もあれば異なる部分もあるということか。まあ、異なる世界であればそれも道理なんだろうけど。
むしろ気にかかったのは……
「まさかとは思うが、オビア・ズビーロや奴の息子たちがクソ揃いだったのは、それが理由だったのか?」
クーラが口にしたばかりのこと。それは、連中にもぴったりと当てはまる気がするんだが。
「……その公算は高いと思う」
「……そうか」
まあそれでも、連中の所業を許せるかと問われれば答えはノーなんだが。
「それで、呼び付け先の異世界に話を戻すけどさ、私が呼び付けられるってことは、その世界は滅びの危機に瀕していたってことになるよね?」
「だろうな」
なぜクーラなのかは未だに謎だが、そのあたりは間違いないんだろう。
「その原因、何だったと思う?」
「……14歳未満で心色を取得した奴がやらかした、か?」
わざわざこんな話をするくらいなんだ。そういうことなんだろう。
「それも間違いじゃないよ。けど正確には……9歳で心色を取得した人がやらかした、なの」
「いや、今お前が言わなかったか?10歳未満で心色を取得しようとすれば死ぬって」
「違う」
けれどクーラはそれを否定。
「一件だけ例外があったんだよ。その世界でも複合至上主義的な思想はあったらしくてさ。親の勝手な理屈で9歳の時に無理矢理心色を取得させられて、生き残った子がいたの」
「……世界を危機にしちまうくらいなんだ。さぞやとんでもない心色だったんだろうな」
「……最終的にはね」
また意味深な言い回しがやって来る。
「取得時点では、その子の心色は単独型の剣だった。そのことに腹を立てた親は、その子を殺そうとしたの」
「……オビア以上のクズに思えて来るんだが」
オビアの話に出て来た四男と妙に重なるあたりも引っかかる。
「私もそう思う。そうして殺されそうになった時に、その子は恐ろしい彩技に目覚めてしまったの。それが、『色喰らい』」
「……色を喰らうっていうのは?」
「この場合、色というのは心色のこと。その剣で傷のひとつでも付けられた人は、心色を根こそぎ奪われてしまう」
「まさかとは思うが……」
思い浮かぶのは、本気でシャレにならない展開。
「多分その考えで合ってると思うよ。嫌な例えをするけどさ、その剣でトキアさんとネメシアちゃんが斬られたなら、ふたりは二度と心色を使えなくなってしまう。そして斬った方は、飛槌と風と治癒を使えるようになる。その上でセオさんがやられたなら、その分だけ風も強化される。イメージ的には、寄生体に近いかな」
「……タチの悪さはそれ以上だがな」
あれはあれで厄介極まりない魔獣だった。宿主を変えるたびに、際限なく力を増していくんだから。けれど『色喰らい』というのは、寄生体が可愛く見えてくるレベルで始末に負えない。
なにせ寄生する必要すら無く、斬るだけで事足りるんだから。
「だろうね。そしてさらに恐ろしいことに、14歳に満たないうちに心色を取得することによる心の歪みはその子にも生じてしまっていたの。……支配欲という形で」
「……そんな奴が、斬るだけで相手を無力化し、自身は強くなれる力を備えてしまったわけか」
「その子をどうにかしようとしても、逆に心色を奪われて強くさせてしまうだけで。結果としてその子は誰も手が付けられないほどに強大な存在になり、その世界は個人の力で支配されてしまった。最終的には、面白半分で大陸ひとつを一撃で吹き飛ばせるくらいになってたみたい」
「んで、そこにお前が呼び付けられたわけだ」
「私にとっては大したことのない相手だったけど……それでもいい気分はしなかったかな」
「……だろうな」
聞く限りでは、その子供には被害者としての側面もある。そしてクーラ的には個人的な恨みがあるわけでもなし。となれば、このお人好しにはやり辛い相手だったとは、容易に想像できる。
「……もう気付いてるよね?」
「ここまで言われればさすがにな」
9歳で心色を取得させられて生き残り、それが単独型の剣だった。同じことは、オビアの四男。ビクト・ズビーロにも当てはまっていたんだから。
「ビクト・ズビーロが今どこでどうしているのかはわからない。あるいは、オビアが言ったようにどこかで野垂れ死んでいるのかもしれない。『色喰らい』に目覚めることは無いのかもしれない。けど……」
それらはすべて希望的観測だ。平穏に終わってくれるに越したことは無いと思う。だがそれでも、
「もしも異世界での一件と同じようなことになっていたなら、か……」
「……うん」
クーラの様子が普通じゃなかったのは、そこまで危惧していたからだったわけだ。
「……その時は俺がどうにかする」
そうなったなら、少しでも早くケリを付けるしかないんだろう。寄生体と同じで、遅れれば遅れるほどに力を増していくんだから。
幸いにも、なんて風には全然思えないが、心色を奪い去るような奴が現れたなら、間違いなくその情報は連盟にも上がって来るはずだ。
そして恐らくだが、俺はこの世界ではかなり強い部類に入る。
「たぶん、それが一番確実だとは思う。君の実力は私が一番よくわかってるつもり。けど……」
クーラが難色を示す理由もわかるつもり。
懸念はふたつある。
ひとつは、俺が『色喰らい』の餌食になってしまう危険性。
ただでさえビクト・ズビーロには、相当な剣の資質があるんだ。遠巻きに仕留めるならともかくとして、対峙して一撃でももらったなら、その時点で負け確と見ていいだろう。それに、泥団子以外の異世界技術がどうなるのかもわからないと来ている。そっちまで奪われるとか、悪い冗談でしかないというもの。
そしてもうひとつ。
「君ってさ、まだ人を殺めたことはなかったよね?」
「ああ」
そう。なんだかんだで俺は、これまでに人殺しを経験する機会が無かったんだ。昔は命のやり取りになるような対人戦をすることが無く、最近では無力化で済ませることが可能になっていたから。
唯一の例外はジマワ・ズビーロになるんだが、寄生体に精神を食い尽されていたあれを人と解釈するかは微妙なところだろう。
人を殺めた経験が無い。それ自体の善し悪しはさておくとしても、ビクト・ズビーロが『色喰らい』を手に入れていたのなら、生かしておくのはあまりにも危険すぎる。
初めての殺人が年端も行かない子供になるなんてのは気分がいいはずもないし、そこで躊躇ってしまい、隙を晒してしまうことがないとは言い切れない。
「それでもやるしかないだろ。……その後のケアは頼む」
「……わかったよ。けど、それだけじゃなくてさ……その時は、事前のフォローも入れさせてほしい。……ビクト・ズビーロとの戦いに向かう際には、一時的に君の中から殺人に対する忌避感を消させてほしいの」
たしかに、唯一クーラに残された異世界技術を使えばそれは可能だろう。
だがそれでも、
「……お前はそれでいいのか?」
それは――一時的にであれ、強制的に俺の心の在り方を変えようなんてのは、クーラにとっては、もう二度とやりたくないことでもあるはずだ。
「……気乗りしないのは事実だよ。けど、躊躇いが原因で君の身に最悪が起きるよりは、多少はマシだから」
「多少はマシ、か……。妙に懐かしいフレーズだな」
「そうだね。あの時も、私は君の在り方を歪めようとしたんだっけ」
月での一件。あの時はクーラの思う「少しはマシ」と俺の思う「多少はマシ」を賭して意地を張り合ったんだったか。
「まあ、あの時とは違って合意の上での話になるわけだからな。そういうことなら、その時はアテにさせてもらう」
「うん。もちろん、その後のケアも引き受けるから」
「ああ。そっちも頼む。……と言っても、杞憂で終わる可能性もあるわけなんだが」
「そうだね。何事も起きなければそれが一番なん……あ!」
「どうした?」
不意にクーラが発したのは、何かに気付いた、あるいは何かに思い至ったような声。
「その時なんだけどさ、私も連れて行ってくれない?」
「……ビクト・ズビーロとの交戦にか?」
「そう。その方がより確実だし」
「……無茶言うな」
たしかに、クーラが扱う護身体術は侮れないものがある。だがそれでも相手が悪すぎる。
と、俺はそんな風に思うわけだが……
「今の私は弱いよ。豚鬼あたりが相手でも1対1なら多分勝てないってくらいには。そのことはわかってる。けどさ……対峙できる状況での対人戦でなら、ある意味では君よりもずっと強いってこと、忘れてない?」
「……そういうことか」
「そういうこと」
考えてみれば、それもまた事実だった。
「その時は君っていう最強の護衛も付くわけだしさ、一番確実だとも思うんだよね」
返す言葉が無いのは悔しくもある。クーラを危険に晒すのは不本意でもある。
それでも、言っていること自体はまったく否定できなかった。
「……わかったよ」
となれば、受け入れるのが最善ではあるんだろう。
「けど、無茶だけはしてくれるなよ?クラウリアじゃないけど、お前にもしものことがあれば、俺は狂わずにいられる自信無いからな」
「もちろん。私だって、君の隣に居られなくなるのは嫌だからね」
やれやれ……。結局俺は、どこまで行ってもこいつには敵わな――
ぐぅ……
内心のため息を遮って不意に響いたのは、そんな間の抜けた音。
「……いつの間にやらこんな時間か」
窓に目をやれば、空は茜色に染まっていた。
「この宿はどんな晩御飯を出してくれるんだろ?楽しみだね」
「そうだな」
腹の虫というやつもたまには役に立つらしい。一応は話がまとまったからというのもあるんだろう。
俺とクーラの間に流れる雰囲気は、多少はマシになっていたような気がした。




