クーラの正体バレはなんとしてでも避けなきゃならないことだってのに……
「お知り合いなんですか?」
空から落ちてきた男性。マシュウさんのことは門兵さんもご存じだったらしくて、
「ああ。家が近所なんだよ。昔はどうしようもない悪ガキだったんだが、とある虹追い人に叩きのめされてからはすっかり改心したみたいでな」
なんというか、やけに聞き覚えのある話だった。
「それが今では紫が目前なんだ。この街では知らない奴なんて――」
マシュウさんはマシュウさんで過去にいろいろあったわけか。
だが、優先すべきはそこじゃない。
「今はそれよりも、早いところ医者に連れて行かないと!」
「わかった!すぐに案内する!」
そうしてマシュウさんを医者の所へ運び込み、命に別状はないと聞かされてひと安心。紫が目前だというマシュウさんがあれだけの深手を負わされるというのは気にならないでもなかったが、興味本位で首を突っ込んでいいものでもないんだろう。
その後は話を聞きつけ、この街にある連盟の支部長さんとマシュウさんの恋人だという女性がやって来て、
ちょうど昼飯時だし話したいこともある。礼も兼ねておごりたいからと、支部長さんに飯屋へと連れて行かれたわけだが――
『なあ、ここって滅茶苦茶高そうな店じゃないか?椅子の座り心地もすげぇいいし』
『うん。さっきちらっとメニューが見えたんだけど、1品で5000ブルグなんてのもあったよ』
『しかも個室貸し切りだぞ』
『おまけに調度品の質も高い感じだし。あの花瓶、捨て値でも10万は下らないやつだよ』
そんなアイコンタクトを交わし合う俺らの心情を知ってか知らずか、
「あらためて礼を言わせてくれ。マシュウの奴が世話になったな」
向かいに座る支部長さんが深々と頭を下げて来る。
「いえ、当然のことをやっただけですし」
この御仁、名はディウスさんとのことで、年齢的には初老を通り越して老齢といったところ。
けれどがっしりとした身体は衰えを感じさせず、深いしわが刻まれた顔からにじむのは威厳とか貫禄だとかといったもの。
体格の違いはあれど、師匠に近い雰囲気の持ち主でもあった。
「当然のこと、か」
真っ直ぐに見つめて来る強面。その口元に笑みが浮かぶ。
「さすがはザグジアの弟子ってことか」
そしてしみじみと口にしたのは、まさかここで出て来るとは夢にも思わなかった名前で。
「師匠を知ってるんですか?」
「ああ。ザグジアだけじゃねぇ。お前さんのところの支部長。フローラの奴とも顔馴染みさ。若い頃は3人で組んでたことがあってな」
フローラ――第七支部の支部長の名前まで出て来る。
「あの、ひょっとして俺の素性に気付いてたりは……」
隠しようもないことではあるんだが、『誰かさんの再来』が第七支部――フローラ支部長のところに所属しているというのは広く知られていることだろう。
そして師匠――ザグジアの弟子だというの事実もいつの間にやら広まっていたらしいとは、聞いたことがあった。
けれど俺は名乗りこそしたものの、それ以上のことは話していない。そしてアズールという名は決して珍しいものではないはずなんだが……
流れからして、ディウス支部長は俺が『誰かさんの再来』だと確信しているように思えてしまうわけで。
「面構えを見れば多少のことはわかる。お前さんからは、見た目の年齢には不相応な『格』のようなものを見て取れたのさ」
「そうですかぁ……」
今回ばかりは俺のポカでバレたわけではなかったらしい。安心していいのかは疑問だが。
いや、そうじゃないだろ!?
一瞬だけ気が緩みかけはしたが、すぐにマズいことに思い至る。
俺に『格』とかいうのがあるのかはさて置くとしても、俺以上に見た目と経歴が釣り合わない奴がすぐ隣に居るんだから。
『どうしよう……』
『そう言われてもな……』
そしてクーラもそのことに思い至っていたんだろう。返される表情は芳しくない。
俺は別にいいとしても、クーラの正体バレはなんとしてでも避けなきゃならないことだってのに……
『……最後の手段を使うしかないかな?』
『……不本意ではあるが、仕方ないか』
そんな結論に到達。さて、どうやってそれを実行するかだが……
「……ってのは冗談だがな」
「「……はい?」」
その矢先に、ニヤリと笑って見せるディウス支部長。
「悪かったな。脅かすつもりはなかったんだが。まさかそこまで警戒されるとは思わなかった」
「……どういうことです?」
「タネを明かしちまうけどな、フローラの奴からメッセージが届いてたのさ。『アズール、クーラって名前のふたり連れが旅の途中でサーパスに立ち寄る。人柄は保証するが、やけにトラブルに好かれてるみたいだし、とんでもないことをやらかすかもしれない。だから、何かあったら力を貸してやってくれ』とな」
「……そして早速トラブルに巻き込まれたアズールとクーラのふたり連れがいた、と?」
「ああ。あいつの知り合いで名はアズール。となれば、そう考えるのが妥当だろう?」
そういうことかよ……
胸を撫で下ろす。要するに、支部長があらかじめ入れてくれたフォローが妙な形で功奏したというわけだ。
「まあそんなわけでだ。マシュウの件で礼をしたかったのも事実だが、少しばかり話をしてみたくてな。この店は密談するにも好都合なのさ」
「……そういうことでしたら。けど、これ以上脅かすのは勘弁願いますよ?」
「ああ。そこは悪かったよ」
見た目の割には悪戯好きなところもあるんだろうか?まあ、支部長が俺らのことを頼むくらいなんだ。信用できる人ではあるんだろう。
「それでだ、フローラに関してはたまに噂を聞くんだが、ザグジアの奴はどうしてる?」
「故郷でのんびりやってますよ」
クーラに押し切られる形で里帰りをしたのは1年くらい前のこと。その時には自ら開墾した畑を耕したりもしていたんだったか。
その際には両親と兄弟姉妹に(表向きにしている範囲で)クーラのことを紹介し、無事に受け入れられていた。お袋とは妙に意気投合していたりもしたんだが、それはそれで結構なことだろう。
……まあ、色恋的な意味ではクーラとお袋の所業が微妙に似ていると気付いて複雑な気分になったりもしたんだが。
そして「男は母親と似た女性に惹かれる傾向がある」なんていう、割と一般的に言われていることを思い出してへこんだりもした。
「……ちなみに、フローラとはヨリを戻したのか?」
「……微妙なところですね」
聞いた話では、手紙でのやり取りはしているとのこと。けれど師匠が王都に来たことがなければ、支部長がハディオを訪れたという話も聞かない。
「やれやれ、あれから何十年も過ぎたってのに……。あいつらはいつまで意地を張ってるんだか……」
心底呆れたように肩をすくめる。察するに、過去に組んでいたという頃にもいろいろとあったんだろう。
「まあ、あいつらの近況を聞けてよかったぞ」
「お役に立てたなら幸いですよ」
「さて、俺はこれで失礼させてもらおうか」
「って、ディウス支部長は飯はどうするんです?」
「女房が持たせてくれた弁当があるんでな。ここの支払いは俺のツケにしておくから、安心して頼んでくれ。……ああ、そういえば」
そうして立ち上がりかけたディウス支部長が、何かを思い出したように座り直して、
「先に言っておくが、根掘り葉掘りするつもりはない。だから手の内を明かしたくないならそれでもいい。もちろん、気になるのであれば可能な範囲で答えてやる。的外れだと思ったなら、即座に忘れても構わん」
そんな前置きをして、
「お前さんの手札に関しても風の噂でいろいろと聞いてるが、馬鹿トンボには気を付けろよ」
「……馬鹿トンボ、ですか?」
珍妙な名前が出てきた。
「まあ、馬鹿トンボってのは通称。正式名称は自滅ゴミ虫っていうんだが」
「……ヤバい奴じゃないですかそれ。ひょっとして、この近くに生息域があるんですか?」
俺には初耳だったが、クーラは知っていたらしい。生息域なんて表現を使うあたり、魔獣の一種なんだとは予想できるが。
「近くと言えるかは怪しいがな。……それよりも、お嬢ちゃんは知ってたのか?あれはテミトスの一部にしか存在しない魔獣なんだが」
「昔、知り合いの虹追い人さんに聞いたことがありまして」
もちろん嘘だ。これはクーラが知識の出どころとして多用している架空の人物。
「だから、その特徴も怖い理由もクソな理由も知ってます。ただ、生息域の場所までは知りませんでしたけど」
「なら、もしも近くに行く機会があるようなら、お嬢ちゃんの方から話してもらえるか?生息域はヤーザム山脈を挟んだ南側。ここからは遠いんだが、念のためにと思ってな。なにせ、マシュウの奴も過去に下手打って死にかけたことがあったくらいだ」
山脈の南側。たしかにそこは、直線距離では近いが、実質的には遠い場所。まあ、飛槌モドキであれば山脈を超えることもできそうなんだが、そのあたりに行くのは相当先――旅の終わり頃になる予定。
「わかりました。アズ君にもしものことがあったら困りますから」
「頼んだぜ」
ディウス支部長が出て行くと、今更のように腹の虫が叫び出す。たしかに飯時で、せっかくの厚意。あちらにもメンツはあるだろうし、ここはありがたくごちそうになるべきだ。馬鹿トンボとやらに関しては後でもいいだろう。
と、そこまではよかったんだが……
「ねえアズ君。なんかこれ、一番安いのでも1品4000ブルグって書いてあるんですけど……」
昼飯をどうするかに思考を向け、メニューを眺めるクーラの頬は引きつっていた。
俺もクーラも、飯を食いに行く時には多少の奮発くらいはする。けれどそれでも、せいぜいがひとり1食で1000ブルグ前後。クーラが用意してくれる普段の食事に至っては、ふたり分を合わせても、1食あたりの材料費が400~500くらい。
そんな俺らとしては、いくらおごりでも……いや、むしろおごりだからこそと言うべきか。4000オーバーというのは少し……いや、かなり相当気が引ける。
一応は俺にだって、それくらい軽く出せる程度には稼ぎがあるし、クーラに至っては1500万ブルグをポンと出したこともあったらしい。
だがまあ、それはそれということで……
「……とりあえず、一番安いのにするか」
「……そうだね。君も私も苦手な物は特に無いわけだし」
半ば思考放棄気味に、俺らの思考はそんな無難なところへ落ち着いてしまっていた。
世の中には美味い割に安い店だってあるし、値段相応に美味い店だってあるだろう。残念ながら、不味い割に高い店というのも。そしてこの店は幸いにも、その中で最後のひとつではなかったらしい。
ディウス支部長がここを選んだのは密談をしたいからというだけではなかったようで、しっかりと考えて決めればよかったと悔やむくらいには、出された飯は美味いものだった。
ともあれ、飯を食い終えて、
「ふぅ、お腹いっぱい満足満足っと」
「まったくだ。それに……」
腹が膨れた後に特有の現象ではあるんだが、
「くぁ……」
あくびがこぼれ出て、かなり強めの眠気がやって来る。
「朝も早かったからねぇ……」
夜逃げさながらにミグフィスを発ったのは日の出前のこと。当然ながら、睡眠時間は少なめだったわけで。
「とはいえ、さすがにここで寝ちまうわけにも行かないだろうし……」
ここは個室。その使用料はディウス支部長の懐から出ているわけだし、店側としても食後の昼寝に使われるのはさすがに不本意だろう。
だったら……
「少し早いが、このまま宿を探すか?」
「賛成。晩御飯までひと眠りしたいよ」
そうして手近なところで宿を確保。同じベッドに入るなり、俺もクーラも早々に寝落ちして、
キンキン!キンキン!
「……んぁ」
「……ほぇ?」
不意に響いた甲高い音に意識を引き上げられる。
キンキン!キンキン!
「……鏡が鳴ってるんじゃない?」
「ああ、そういえば……」
再度響く音は覚えがあるもの。窓から見える陽光の具合からして、寝ていた時間はそう長く無さそうだが――
「って待て!?」
鏡が鳴っていたことの意味に気付く。
この鏡。片割れは支部長が持っているわけだが、基本的には向こうからは連絡しないことになっていた。支部長には俺の現状はわからない。そして、もしも交戦中に音が聞こえて来たら、そのせいで不覚を取るかもしれないからだ。
けれどその一方で、有事の際にはためらわずに連絡を入れるということで話がまとまっていた。
「アズールです」
嫌な予感を感じつつも無視するわけにはいかない。だから鏡を起動。
『済まないね。取り込み中だったかい?』
「いえ、少し昼寝してたところですから」
そうすれば聞こえてくるのは支部長の声。
「それで、何かあったんですか?」
『ああ。少し前に、世界中の支部に連絡が行ったらしい』
世界中の支部!?
それはつまり、事態の深刻さではいつぞのクソ鯨と同等だということ。
『ヤーザム山脈で大陸喰らいが確認されたんだよ。それも、相当に成長した個体が』
続く言葉は実際に深刻なもので。すでにトラブルに見舞われていた今日という日は、すんなりとは終わってくれそうもなかった。




