明日以降はこれといった騒動なんて起こらないはずだ。そうに違いない
「ラルスが……チーズを食べてしまったんです!」
悲鳴に近い叫びを上げるセオさん。
……なんでそんなに慌ててるんだ?
チーズというのは俺の好物であり、そのことを知っているクーラは毎日のように何かしらの形で食わせてくれているくらい。けれど俺はこうしてピンピンしているわけで。それをラルスが食べたからとどんな問題があるのやら?
だから俺は内心ではてなと首を傾げるんだけど……
「それってひょっとして……」
クーラには何か心当たりがある様子で。
「乾燥させたクアホーグ草が必要って話ですか?」
その口から、これまた妙なフレーズが出てきた。
クアホーグ草というのは広く使われているハーブのひとつで、すりつぶして傷口に塗ることで治りを早めるというもの。今だって、俺の心の中にもいくらかは確保している。
だが、熱を加えたり乾燥させたりすると効能が失われるとのことだったはず。
となれば、乾燥させたクアホーグ草なんてのは、まず出回らないような物。俺だって、セオさんが所持していたのを一度見せてもらったきり。当然ながら、異世界式収納の中にだってストックは無い。
「ご存じでしたか」
けれどセオさんは肯定。
「はい。それで、アズ君の助けが必要っていうのは……確実に手に入るアテがあるけど距離がありすぎるってことですよね?……察するにユアルツ荘にあるセオさんのお部屋ですか?」
「はい」
「じゃあ、ラルス君は今どこに?自宅ですか?それともお医者さんのところ?」
「家です」
「わかりました。……アズ君」
クーラが俺に向き直る。その表情は落ち着きつつも真剣そのもの。
なにやら深刻な状況らしいという以外はさっぱり。けれど様子からして、クーラの中では状況把握が完了したということなんだろう。
「すぐに全速力で王都に飛んで」
唐突な頼み事。けれど今更どうしてとは問わない。そうするに足るだけの理由があるんだろうとは見て取れたから。
「ユアルツ荘――セオさんの部屋に向かえばいいのか?」
代わりに問うのは、具体的にどう動くのかを。
「うん。支部長さんにも協力してもらうから鏡は置いて行って」
「わかった」
「それと……途中の街道で目印が見えたらそっちに。乾燥クアホーグ草を手に入れた後は急いで戻って来て」
「届け先はセオさんの家でいいんだな?」
「お願い。今は1分1秒が惜しいの」
「承知!」
鏡をテーブルに置き、窓から直接外に。形成した飛槌モドキに抱き着くようにして乗り、上昇。前方には風圧を防ぐために、錘状の異世界式障壁を展開する。これまでに試行錯誤を重ねた結果としてわかったこと。単純な速度であればこれが一番だった。
『みさいる』式はやかましいから街の上ではやりたくなかったが、今は非常事態らしいということで勘弁願おう。必要ならば、事態が落ち着いた後で謝罪するつもり。
飛槌モドキの後方で『爆裂付与』を発動。そうすれば爆音を置き去りにして、ミグフィスの灯りは瞬く間に遠ざかっていった。
その後は飛ばしに飛ばして。
そんな中でふと、街道に動く光が見えた。大きさや光量からしてランプとかではなく、心色のように見えるが……
ひょっとして、あれが目印か?
クーラの言葉を思い出す。だからその近くに降りてみれば、
「アズールさん!」
「速すぎるだろお前!?」
そこに居たのは、飛槌に乗ったトキアさんとラッツ。なるほど、あの光はラッツの心色だったわけだ。
「こちらをお持ちください」
トキアさんが差し出してくるのは大きめの瓶。見ればその中には、乾いた葉っぱのようなものが。
「乾燥クアホーグ草ですね?」
「ええ。それとクーラさんからの伝言です。話は全て後回し。今は一刻も速くそれを届けることだけを考えて、と」
「了解」
だからそれだけを返し、再び飛槌モドキを上昇。そのままミグフィスに向けて『みさいる』式で飛ばして、
セオさんの家に到着。持ってきた瓶を渡す。
ラルスが危険な状況を脱したと聞かされたのは、それからほどなくしてのことだった。
その後、セオさんの家族には泣いて感謝されたりもしたんだが、もう夜も遅いということで解放してもらい、クーラと共に再び宿へ。
支部長からは、急を要する事態でないなら詳しい話は明日でいいと言われていたとのこと。いつもであればとっくに寝ている時間ということもあり、ベッドに入ったはいいんだが、すぐには寝付けそうもなかった。王都までの往復そのものは大した負担ではなかったとはいえ、深刻な状況らしいと気を張っていたのも事実なわけで、意識はすっかりと覚めていたからだ。
「何がどうなってたのか、気になってるよね?」
そう話を振って来るあたり、クーラも察していたんだろう。
「ああ。聞かせてもらえるか?」
だから俺も応じることにする。
「聞いた限りでは、チーズを食べたせいでラルスがヤバいことになったって風だったが、なんでそうなるんだ?」
チーズに毒を盛られたのであれば理解もできるが、そういう話でもなかったように思う。
「じゃあ、まずはそこからだね。世の中には特定の物を口にしただけで体調を崩しちゃう体質の人がいるってこと、君はご存じかな?」
「……好き嫌いとは違うんだよな?嫌いなものを無理に食って『おえっ!?』てなるのは想像できるけど」
従来の携帯食料あたりは例外としても、基本的には何を食っても美味いと感じる俺には無縁な話だが、まず思うのはそんなところ。
「違う」
けれどクーラは否定。
「例を挙げてみようか。君ってさ、私の次くらいにチーズが好きだよね?」
「……お前とチーズを同列に語るのは抵抗があるんだがな」
どちらも好きであることは否定しないけど。
「あはは、それもそうか。ともあれ、そんな君であっても、ラルス君と同じ体質だったなら、チーズを食べたら同じようになってしまう。どういう理屈で調子がおかしくなるのかまで話すと長くなるから省かせてもらうけどさ、その体質を抱えてしまった人は、きっかけとなる特定の物を口にしたら無条件でそうなってしまうの」
「なるほど。師匠からも聞いたことはなかったが」
「まあ、発現しちゃう人そのものがかなり少ないからね」
「ところで、今お前は特定の物を口にしたらと言ったわけだが、チーズだけとは限らないのか?」
「そうだね。ラルス君の場合にしても、チーズというよりはミルク関連全般だったみたいだけど、卵だとか、中には小麦が一切ダメなんてケースもあったかな」
「……それはそれで食えるものが恐ろしく限られそうな話だが」
「まあ、そういう人でも食べられる代替品ってのもいろいろあるんだけどね。前に豆からミルクっぽいものを作ったことあったでしょ?あれなんかは、ミルクがダメな人でも行けるの」
「なるほど」
まあ、クーラが頭おかしいレベルで博識な理由はいつものあれでいいとして……
「その症状を抑えるのが、乾燥させたクアホーグ草ってわけか」
「そういうこと。症状もピンからキリまであるんだけど、ラルス君の場合はその中でも特に重い部類だったみたい」
「……まあ、そうだろうな」
これはさっきセオさんから聞いた話だが、飲ませるのがあと1時間遅かったなら、間違いなく助からなかったとのこと。そしてそれは、セオさんの愛馬であるエルティレを全力で飛ばしたとしても間に合わないということだったらしい。
「けど……」
ここまでは一応は理解できたと思う。だが、そうなったらそうなったで気になるところも湧いてくる。
「駆け込んできた時の様子からして、セオさんはこの症状について知ってたんだよな?」
「だろうね」
あの時点で、チーズが原因だと特定していたんだから。
「君を待つ間にご家族から聞いた……というか、聞こえてきた話だと、2年くらい前に初めて発症したらしいの。あの体質って、いつの間にか備わっちゃうこともあるらしいから。その時は近くのお医者さんがあの症状を知ってて、乾燥させたクアホーグ草を持ってたそうなんだけど」
「じゃあ、何で今回はわざわざ王都まで取りに行かなきゃならなかったんだ?」
その人が持ってれば、より確実により迅速に助けられただろうに。そして、そんな体質を抱えた子供がいるなら、常備くらいはしていそうなものなんだが。
「一昨日も同じ症状を起こした人がいたみたいでさ、その時に使い切っちゃったんだって。新しいのを用意しようとしてたみたいだけど、あれって3日かけてじっくりと乾燥させる必要があるから」
「だから間に合わなかったと」
不幸な偶然と言べきか。そしてセオさんがユアルツ荘の部屋に所持していたのは、そのあたりの事情からだったのかもしれないか。だが……
「それなら、セオさんだけじゃなくてご家族もラルスの体質は当然知ってたはずだよな?それにラルス本人だって」
物心のつかないような歳ではなかったし、なんだかんだで素直な子供だったという印象。であれば、わざわざ危険な物を口にするとも思えないんだが。
「さすがアズ君。いいところに目を付けたね」
「世辞はいいから」
「いや、ここは素直に褒めてるんだけど……。ともあれ、その疑問はもっともだと思う。そして、そのあたりがこの体質のもっとも怖いところだって、私は思ってる」
「……一番怖いのは症状の重さじゃないのか?」
薬を飲ませなければ数時間で死が確定するとか、どぎついにも程があるだろうに。
「まあ、私の個人的な意見でもあるからね。じゃあそのあたりを説明する意味でも、どんな経緯でラルス君がチーズを口にしたのかを話そうか。そこらへんも聞こえてたからさ」
「ああ」
「私たちと別れた後は普通に晩御飯を食べてお風呂に入って、お風呂上りにリンゴをかじってたそうなの」
そのあたりは俺らもたまにやること。風呂上がりで喉が渇いたところに甘酸っぱい果物というのは実にオツなものだと思う。
「……まさかとは思うがそのリンゴが原因とか言わないだろうな?」
「……ある意味ではその通りなんだよねぇ」
「いや、それはおかしいだろ!?」
シチューとか焼き菓子ならばまだわかる。それなら、ミルクが使われていてもおかしくはない。リンゴの果汁とミルクを混ぜた物は意外と美味いとは思うが、そう言う話ではないんだろうし。
「普通に考えたらね。ちなみにそのリンゴは今日の昼過ぎにラルス君のお母さんが市場で買ってきたもので、その隣にはチーズが並んでたらしいの」
「……そのチーズが?」
「……並べる時にぶつかって、擦り付けられたみたいになってたんじゃないかって話」
「たしかにそれをかじったなら、チーズを口にしたと言えるのかも……って、それだけの量でか!?」
少量どころですらないだろうに……
「そう。それだけの量でも命にかかわるの」
けれどクーラは静かに肯定。
「……たしかにそれは怖いな」
「共感が得られて嬉しいよ。前に聞いた話だけどさ、大鍋で煮込んでるスープにひとしずくのミルクを入れただけでも、発症しちゃうらしいからね」
なるほど、そういうことであれば、一番怖いというのもうなずける話か。そんなの防ぎようが無いだろうがと言いたくもなってくる。
「とまあ、ラルス君の身に起きたのはこんなところ。……ご理解頂けたかな?」
「ああ、おかげさまで」
「まあなんにしても、ラルス君が助かってよかったよ。……自分勝手な物言いだけどさ、最悪の事態になってたなら、今頃は私たちも陰鬱な気分になってただろうし」
「違いない」
といっても、ラルスが助かったのは俺らだけではなく。セオさんやそのご家族にとっても望ましい事だったわけだが。
「それにさ、今日だけでこれだけトラブルがあったってことは、明日からは平穏な旅になると思うの」
「……たしかにな」
これだけいろいろあったんだ。すでに3か月分のトラブルは前倒しで片付けたと見てもいいだろう。
だったら、明日以降はこれといった騒動なんて起こらないはずだ。そうに違いない。
「さて、そういうことなら……平穏な明日に備えてそろそろ寝るか?ようやく眠くなってきたよ」
そして、話を聞くうちに高ぶっていた精神も落ち着いてきたんだろう。そうなれば、睡魔が活き活きとしてくるのも道理。なにせ、時間的には日付が変わろうかというところなんだから。
「そうだね。お休みなさい」
「ああ。お休み」
なんだかんだで疲れてはいたんだろう。だから目を閉じれば、すぐに意識は霞んでいく。
墓参を目的とした旅。いろいろとあったその初日は、そんな穏やかな空気の中で終わりを迎えていた。




