世の中ってのはな、ロクでもない奴ほど長生きするんだよ
「おや、お目覚めですか?」
空腹が治まり、ひと眠りをして目を覚ます。そんなところへ聞こえてきたのは、落ち着きのある男性の声で、
「おはようございます、でいいのかはわかりませんけど……」
なにせ、窓から差し込む日は赤みがかった色。夕方のそれだったんだから。
「それでいいのでは?」
「そうですか……。ではあらためて、おはようございます、セオさん」
多少は心身の調子も戻っていたのかもしれない。今度の寝起きは頭もボヤけた風ではなく、身を起こすのもすんなりとやれた。
「ええ。おはようございます、アズールさん。加減は、だいぶよくなったようですね?」
「ですね。面倒おかけして申し訳ないです」
「キオスも言っていたと思いますが、そこは気にしなくていいでしょう。それよりも、皆さんもアズールさんのことを気にかけていたようですし、呼んできてもいいですか?」
皆さん、というのは、多分第七支部の人たちだろう。腐れ縁のふたり以外とは、わずかな時間しか過ごしていないはずだが、それでも気のいい人たちばかりだということは理解できているつもり。
俺としても、伝えたいことがあれば聞きたいこともある。それに、心配をかけてしまっただろうという自覚だってある。
「はい。お願いします」
だからそう答える。
「わかりました。それでは……」
そうしてセオさんが部屋を出ていき、
「よう!初仕事で死にかけるとか、やっぱさすがだわ、お前は。まあ、アズは殺したって死にそうにないんだけどな」
「というか、悪運だけは強かったもんな。しぶとさだけならゴキブリ並みっていうか」
最初にやってきたのは、腐れ縁共。
「当たり前だろうが、アホ共。世の中ってのはな、ロクでもない奴ほど長生きするんだよ」
憎まれ口には憎まれ口を。こいつら相手なら、これくらいがちょうどいい。
「ふふ。その割には、ガドさんの話を聞いた時は真っ青になっていませんでしたか?」
「そうね。さっきまでだって、ずっとロビーでウロウロウロウロと」
「ちょ……!?それは……」
「元気そうで安心しましたよ、アズールさん」
「朝よりは、顔色もよくなったみたいですね」
「ええ、おかげさまで。シアンさん、セルフィナさん。ご迷惑かけて本当に申し訳ないです」
軽くラッツたちを揶揄しつつ、セルフィナさんとシアンさんもやってくる。
「ま、俺は信じてたけどな。アズールは絶対に無事だってよ」
「あれぇ?『俺が一緒に行ってれば……』なんて、ウジウジ言ってたのは誰だったかなぁ?」
「んなっ!?それは……その……偶然だ!」
タスクさんとソアムさんのやり取りがどこか楽し気に見えてしまうのは俺の気のせいなのか。
「ぷっ……。偶然とか……」
「てめぇ……やろうってのか?」
「お?いいの?まーたボコボコにされたいの?」
「それはこっちのセリフだ!今日という今日は――」
「はいはい、そこまでにしな。あんまり騒ぐようなら、ふたりまとめて叩き出すよ」
「ぬぐ……しょうがねぇからここは見逃してやるよ」
「ぐぬ……そっちこそ、命拾いしたね?」
ヒートアップしかけたタスクさんソアムさんを黙らせたのは支部長で。
「アズール。アンタも無茶はほどほどにしなよ」
「……はい」
非の打ちどころが見当たらない正論。当然ながら、そのお言葉には逆らえるはずもない。
「今更なにをしり込みしてるんですか」
「そうそう。この先ずっと避けるわけにも行かないんだし、早い方がいいって」
「そりゃそうなんだけどよ……どの面下げて会えばいいのか……」
そして、セオさんとキオスさんに引っ張られるように顔を見せたのは――
「ガドさん!よかった!本当に無事だったんですね!」
キオスさんから聞いてはいたが、それでも実際に顔を見て安心した。
「……ったく、ホントにお前はなぁ」
俺としては妙なことを言ったつもりはないんだが、なぜか呆気に取られたような表情を見せたガドさんは、なぜか深いため息を吐き出す。そして、なぜかこの場にいるガドさん以外の全員は苦笑。
「ありがとうな、アズール。お前のおかげで、俺は命拾いしたよ」
「いえ、俺の方こそガドさんに助けてもらいましたし……。あの時はありがとうございました」
そのあたりは控えめに言って、お互い様だと思う。ガドさんが突き飛ばしてくれなかったら、俺はあの双頭巨人に踏み殺されていたはず。むしろそのせいでガドさんを危険にさらしてしまったわけだし……
前言撤回だな。どう見てもお互い様じゃないだろ俺。
「……俺も、だいぶアズールのことがわかってきたわ。わかった。この件はお互い様ってことでいいな?」
これまたなぜか、ガドさんまでが苦笑を見せる。本当になにがおかしいんだろうか?
「いや、けど……」
「いいな?」
「わかりました」
お互いさまで済ませようというのは、ガドさんの気遣いに違いない。ならば、これ以上食い下がるのも非礼になるだろう。
この恩はいつか返せる機会を待つことにするか。
「さて、あらためてアズールさんにお聞きしますが――」
「はい」
この支部の全員&ガドさんが揃ったところで、セオさんが問いかけてくる。
「どこか気分が悪いとか、そういうことはないのですね?」
「ありませんけど」
「そうですか。では、先に謝っておきますね」
「はい?」
急に話が妙な方向に転がりだす。
「これからアズールさんの色脈を検査します。かなり苦しいと思いますが、我慢してください」
「……必要なこと、なんですよね?」
「ええ」
「そういうことでしたら……」
色脈というのは初めて聞く単語だけど、誰も止める様子が無いあたり、本当に必要なことなんだろう。それに、苦しいといっても多分大げさに言っているだけだ。せいぜいが、30秒間息を止めるとか、その程度の苦しさだろう。
「では、お願いします」
「「おう」」「あいよ」「「はい」」
そんな俺をよそに、セオさんの合図でタスクさんとガドさん、ラッツとバートに支部長が動きだし、
「ちょ……!?いきなりなにを!?」
支部長が両肩、ガドさんが右足でタスクさんが左足、バートが左手でラッツは右手を抑えてくる。
「暴れられても困りますので。では、行きますよ」
「いや、心のじゅ――」
認識の甘さを思い知らされたのはこの時。
「――んびうぉ……がああああああああぁぁぁっ!?」
口から吐き出されるのは、本当に俺の声なのかすら怪しく思えるほどの叫び声。いや、吠え声というべきか。
「あぐっ!……うあ……いぎっ……えぐ……あがっ!」
意志とは無関係に動こうとする身体のあちこちを抑えられていたせいで、唯一動かせる腹がビクンビクンと跳ねる。
痛い。苦しい。気持ち悪い。やめてくれ!
そんな感情で意識が塗り潰され――
「終わりましたよ。お疲れ様でした」
不意に、波が引くように、一切の不快感が消えていく。
「はぐ……かひゅ……ふうっ……ふあっ……。ぐ……うぇぇ」
乱れに乱れた呼吸の中で、こみ上げてくるのは嘔吐感。
「アズール君、これを」
「はあっ……はぁっ……」
差し出されたゴミ箱に顔を向けるも、吐き出されるのは荒い呼吸のみ。食い物を無駄にせずに済んだのは幸いというべきなのかもしれないけど。
「ふぅ……ふぅ……」
それからしばらく。ようやく呼吸も落ち着いてくる。
「……それで、なんで俺はこんな目に合わなきゃならなかったんですか?」
涙目で投げかけるセオさんへの問い。そこにトゲを含ませてしまったのは、間違いなく俺の失態。それでも、恨み言のひとつも言いたくなる程度には苦しかった。
心身の両方をぐちゃぐちゃにかき回されるような感覚とでも言えばいいのか。あるいは、身体の中に嵐だか竜巻だかを詰め込まれたらあんな気分になるんじゃないかと思えるような。
「先ほども言いましたが、色脈を検査するためです」
「色脈というのは?」
初耳ではある。それでも、心色と関係してるんじゃなかろうかという程度には予想も付くんだが。
「精神を心色として発現させる際に、力が通るための……水路のようなものですね」
「なるほど」
それならば、漠然とではあるが理解できる。手のひらに泥団子を出すのであれば、心と手のひらをつなぐ水路が色脈になるわけだ。
「ひょっとして、色脈次第では心色の発動にも影響するとかですか?」
「ええ。心色を使うにあたっては、色脈というのは欠かせないものなんです。ちなみに、人間以外の生き物や魔獣には、色脈は存在していないようですね」
「なるほど……。たしかに犬や猫が心色を使うなんて話は聞いたこともないですけど。ともあれ、色脈云々はまったく知りませんでしたね。師匠からも教わりませんでしたし」
なんだかんだ言っても、俺の知識は大半が師匠由来。
「ま、ザグジアは心色無しでずっとやってきてたわけだからね。心色使いの常識には疎かったってことじゃないかい?」
「そういうことですか」
それはそれでありそうな話ではある。
「ここからは重要な話になります。バートさんたちには話しましたが、アズールさんもしっかりと覚えておいてくださいね」
「はい」
セオさんの表情に倣うように、俺も居住まいを正す。
「色脈というのは、無理に心色を使うことで傷ついてしまうんです。具体的には、倒れるまで。あるいは、倒れそうになるまでです。特に危険なのが、まだ心色や色脈が馴染んでいない時期……心色を得てから1年未満の間にそれをやってしまった場合です」
「……俺みたいに、ですよね?」
それは、まさに俺がやってしまったことだった。
「ええ。その場合にどうなるのかですが……今後マトモに心色を扱えなくなる、程度で済めばいい方です」
「……それでも相当深刻だと思うんですけど」
にもかかわらず、セオさんはマシな方だという。であれば、マシじゃない方というのは一体……
「どれも実例のある話ですが、感情を失くした人形のようになるとか、二度と目を覚まさなくなるとか、最悪は数日のうちに命を落とします」
「んなっ!?」
そうして告げられたのは、背筋が凍り付きそうになる話。
幸いにも俺はこうして生きているわけだし、意識があれば感情もあるわけで。
その一方で納得もしていた。今朝俺が目を覚ました時のセルフィナさんの様子は、そのあたりを聞いていたからなんだろう、と。
「あの……それで、俺の色脈とやらはどうだったんです?」
その検査で俺は相当にしんどい思いをしたわけで。
「そのことなのですが……。明らかに不自然です」
「……不自然?」
難しい顔でセオさんが口にしたのは、「良い」でも「悪い」でもなくて。
「セオ。どういうことなんだ?」
ガドさんも不思議そうに問いかける。
「そうですね……アズールさんの色脈の状態ですが、良い悪いで言うならば、間違いなく前者でした」
「それは結構なことじゃないのか?」
「ですよね」
俺もガドさんに同意見。
「ですが、あまりにも整いすぎていました。不自然なほどに」
再び出てきた不自然というワード。
「先ほども言いましたが、限界近くまで心色を使えば、確実に色脈は傷つくものなんです。ガドもそうでしたよね?」
「ああ。まだ本調子には程遠いな。それでも、少しずつマシになってきてはいるんだが」
「ええ。傷ついた色脈も、基本的には自然に治癒していくんです」
「そのあたりは、身体の傷みたいなものってことですか?」
「そうですね。かすり傷であれば放っておいても治りますが、切り落としてしまった指が生えてくることはないのと同じようなものでしょうか。もちろん、色脈の丈夫さや自然治癒の速さには個人差がありますが……それを踏まえてもなお、あり得ないんです。なにしろ……」
言葉を切る。俺も含めて、この場にいる全員が耳を傾ける。
「アズールさんの色脈には傷ひとつ、乱れひとつない上に、私がこれまでに見てきたどんな色脈よりも綺麗に整っていたのですから。それこそ、理想的、芸術的とすら言えるほどに」
そんな中でセオさんが告げたのは、俺にだっておかしいと理解できるものようだった。




