俺は自分で思う以上に単純だったらしい
「やっほうアズ君」
そんなお気楽な声と共に、クーラが軽い足取りでやって来る。
「なんでお前がここに……」
それは俺にしてみればあり得ないことだったわけだが、
「……随分とご挨拶だね。私がここにいたらいけないの?」
不満げに返されてしまう。
「いや、いけないってことは無いんだろうけど……」
どちらかといえば――
「むしろ嬉しいんじゃない?だってさ……」
笑みを浮かべる。その種類は『ニヤリ』なんて表現が似合いそうなもので、
「『お前の顔が見たい。お前と触れ合いたい。お前を抱きしめたい。お前の隣で寝たい。お前の飯が食いたいよ』だったかな?」
「っておい!?」
俺を真似るように口調を変えて言ってきやがったのは、まだ鮮明に記憶に残るセリフ。
精神的にボロヨレになっていた俺が、昨夜の鏡越しに漏らしたばかりの泣き言だったわけで。
「ってわけだからさ」
慣れた様子でクーラが俺に抱き着いてくる。その感触は俺が良く知るもので、久方ぶりのものでもあって。
「私もさ、ずっとこうしたくて。ずっとこうしてほしかったんだよね」
「はは……。幻じゃないんだよな……」
「もちろん。まあ、分け身ではあるんだけどね」
やれやれ……。俺は自分で思う以上に単純だったらしい。
こうしてクーラの体温を感じているだけで、擦り切れそうになっていた心が癒されていくような気がした。
「んで、どうしてお前がここに?」
そんなこんなでしばしの間、再会の余韻に浸り、気分も落ち着いてきて。あらためて疑問に思っていたことを聞く。
「トキアさんが第七支部に出した依頼で」
「そういえば、さっきそんなことを言ってた気がするな。それで、詳しい内容は?」
「可能な限り早く、私をクゥリアーブに連れて来ること。そして、『虹孵しの儀』が終わるまでの間、私がクゥリアーブに滞在できるようにすること」
「……そういうことか」
トキアさんは俺の酷い有様を近くで見ていたわけで。その対処法として選んだのがこれだったわけだ。
「けど、それならもっと早くに言ってくれてもよかっただろ?」
王都からクゥリアーブまでは、急いだとしても数日はかかる。そして、ここ数日の定時連絡ではそんな話はまったく出なかったんだが。
「私としてもそうしたかったんだけど、黙っておくべきだってトキアさんが」
「……なんでだ?」
そんな嫌がらせをする人だとは思えないんだが。
「私が来るって知ったら、浮かれて何も手に付かなくなりそうだって」
「……本気ですげぇなトキアさん」
実際にその通りになっていた自分が容易に想像できるんだが……
「ちなみにだけどさ、報酬額は海呑み鯨の残渣にしておよそ半分相当」
「……いや、法外にもほどがあるだろそれは」
数日の距離まで人ひとりの護衛。その報酬としてはいくら何でも多すぎる。
「トキアさん曰く、『ほとんど何もしていないわたくしが半分も受け取るのは抵抗がありましたが、アズールさんがそれで納得するとも思えませんでしたからね。ちょうどいい口実が見つかってよかったですよ』とのことだよ?」
「……本当に敵わないな」
トキアさんが自分の取り分を要らないと言ったとしても、たしかに俺は納得しなかっただろう。けれどこんな使い方をされてしまえば、文句なんて言えるはずもない。
「ちなみに、私の代役――エルナさんのお店でアルバイトするのは、ネメシアちゃんとアピスちゃんが引き受けてくれてる。もちろんそっちもトキアさんからの依頼扱いで」
「どこまで抜かりないんですかトキアさん……」
「だよねぇ。……まあ、それはともかくとして。君が『英雄』にされちゃうことを諦めて受け入れた以上、私も君のパートナーとして腹をくくる。この街にいる間、君のサポートは引き受けるから。差し当たっては、3日後の舞踏会だよね」
「……そこらへんも経験があるのか?」
「もちろん。ダンスなんかはサクア姉様直伝だからね。別の異世界では、薄汚い陰謀が渦巻いてる宮廷に潜り込んだなんてこともあったからさ、そっち方面も任せておいて」
「どこまで心強いんだよお前も……」
本当にトキアさんといいクーラといい、頼りになりすぎるだろう。
「万にひとつ、億にひとつも、君に恥をかかせるわけには行かないからね。だからさ、ダンスのレッスンでは容赦しないよ?」
「……初心者なんでな。なるべくお手柔らかに頼む」
「そこか大丈夫。とある異世界では、武術の師範代なんかも経験してるから。その時に教えた人たちは大会で優勝してるんだよ」
「そうなのか?」
「うん」
ためらい無しの即答。指導者もこなせるとか、本当にどこまで多芸なのやら。まあ、そういうことなら安心でき――
「これでも私、地獄の師範代だとか、鬼の師匠なんて風にも呼ばれてたんだから」
――そうもなかった。
「いやいやいやいや!?」
それはどう考えたって、地獄のように、鬼のように厳しいってことだろうが!?
「そこは天国とか天使にしてほしいと俺は思うわけ――」
「失礼いたします、アズール様」
と、そんなところに声をかけて来たのは年配の女性。そういえばドアは開けっ放しだったか。
彼女はこの迎賓館に来た時に挨拶をした人で、衣装合わせを担当するとも聞いていた。なんでも、俺のためにわざわざ王宮から派遣されてきたんだとか。
「お待たせいたしました。衣装合わせの用意が整いましたので、ご案内いたします」
「あ、はい」
同じ様付けにしてもいつぞのミューキ・ジアドゥよりはマシなんだろうけど、ここまでビシッとかしこまられると、こっちが逆に落ち着かない。とはいえ、落ち着かないからタメ口でいいですよ、なんて風にも言えないだろう。あちらにだって立場があるだろうし。
思えばトキアさんの口調も丁寧ではあったが、普段はいくらか崩していた。そのおかげで堅苦しさは感じなかったわけだが。
って、そうだった!
トキアさんで思い出したこと。当初の予定では、舞踏会のパートナーもトキアさんが引き受けてくれることになっていたわけだが、ほんの少し前に変更になったばかり。
「あの、舞踏会のパートナーなんですけど……」
「はい。トキア様よりうかがっております。そちらのクーラ様が務めることになったと」
まあ、トキアさんがそのあたりで手抜かりをするはずもないか。
「ええ。クーラと申します。このたびはこちらのわがままで突然の変更をかけてしまい、真に申し訳ありません。ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
その服装はいつもの――動きやすさと丈夫さ重視の普段着。
にもかかわらず、優雅なんて表現が似合いそうなカーテシーを伴ってクーラが発するのは、「お前誰だよ!?」と言いたくなるような口調。それも、取ってつけたような俺のそれとは違って、トキアさんにも劣らぬほどの気品らしきものも感じられて。
「はい。お任せください」
顔色ひとつ変えずにそれを受け止めるこの人もかなりの大物だったに違いない。




