会いたかったぞクソ鯨!
「このあたりですね。昨日クソ鯨と遭遇したのは」
飛槌に乗ってクゥリアーブへと向かう途中。高度100メートルを維持していたこともあり、相当に速度が落ちていたんだろう。だから、トキアさんがそう告げてくる頃には、時刻はすでに昼飯時になっていた。
とはいえ、そのあたりも想定済み。少し前にクソマズい携帯食料での昼飯は済ませてあった。同じ携帯食料にしても、俺が常備しているキオスさん考案の方は普通に美味かったはずなんだが、そっちは昨日のあれこれで海水まみれ。残念なことに、廃棄せざるを得なくなっていた。
これも全部クソ鯨のせいだな。食い物の恨み、晴らさでおくべきか。
まあ、そのあたりは上乗せしておけばいいだろう。
「ちなみにですけど、今のところクソ鯨の敵意ってのは感じ取れます?」
そうであれば手間がひとつ省けるんだが。
「いえ、ありませんね」
「そうですか」
まあ、横着はできなかったということか。
『私はしばらく黙るね。見守ることはできないけど、聞き守ってるから』
「ああ」
『それじゃあ……アズ君、ぶちのめしちまえ!』
「おうともさ!」
そうして鏡の向こうからの声が止む。
「何か感じたらすぐに伝えますので」
「頼みます」
さて、作戦の第二段階を始めようか。
まずは……
右手に発現させた泥団子を『遠隔操作』で正面に飛ばし、500『分裂』。そのまま海面へと落下させて、
爆ぜろ!
『爆裂付与』を発動。そうすれば、派手に水柱が吹き上げる。
言うなればこれは、奴をおびき出すための撒き餌。王都を発つ前に、キオスさんが聞かせてくれた魚釣りの手法に関する話を参考にしたものだった。
あの時は『食い物関連を持ち出すあたり、キオスさんらしいよなぁ』なんて風に思いながら聞いていたが、まさか役に立つ時が来るとは思わなかった。
その後も、右前方、右側、右後方、後ろ、左後方、左側、左前方へと、同様に泥団子を飛ばし、盛大に水柱を吹き上げてやる。
「あの、アズールさん?随分派手にやっているようですが、余力は大丈夫ですか?」
トキアさんは心配そうにそんなことを聞いてくるんだが、
「ご心配なく。これくらいならなんともありませんから」
クーラによる色脈の調整と、例の1200年の結果なんだろう。疲労のひの字すらも感じてはいなかった。
「そういえば……『虹孵しの儀』を終えたあとも疲れた様子はありませんでしたか」
「……俺の心色って、消耗が少ないらしいんですよ」
まあ、その理由を正直に明かすわけにはいかないんだが。
「さて、次は……」
頭に巻いていた白リボンを引き解く。
餌をばら撒いた後にやるのは、釣り糸を垂らすこと。クーラの言う作戦名をトキアさんは『わかりやすい』と(かなり無理をして)褒めていたが、たしかに作戦内容を上手い具合に表現しているとは思う。
白リボンに心色を食わせてやれば、虹色の光を帯びる。そしてこの状態をしたリボンは俺の意のままに動く。
だから硬くなれと念じてやれば、棒のようにピンと伸びる。いや、今回は釣り竿のようにと言うべきか。
その後はリボンの先端から、ひも状に形成した泥団子を下へと伸ばしていく。
そして30メートルほど下――クソ鯨の攻撃圏内まで下したところでその先端に泥団子を作り出し、形とサイズを調節。最後に『封石』で強度を上げる。
「それが餌というわけですね?」
「ええ。あとは釣れるのを待つばかり」
餌自体は結構な大きさがあるわけだが、『遠隔操作』で軽く浮かせてあるので、積載重量的な負荷もゼロ。
昨日のあれこれから考えるに、この餌にもクソ鯨は食らいついてくるはずだ。
ただひとつ問題があるとすればそれは……
「クソ鯨がこれに気付いてくれるといいんですがね……」
それこそが作戦における一番の不安要素。なんだかんだと言ったところで、奴が気付いてくれなければ、このまま待っていても待ちぼうけになりかねないわけで。
派手な撒き餌をやったとはいえ、それに気付かないほど遠い海域に移動されていたなら、本気でどうしようもない。
当然ながら、この状態で何時間も留まるわけにもいかないだろう。
「……どうやらその心配は必要無さそうです」
「……ってことは!?」
「ええ。この感じ、昨日と同じですね。こちらを捕捉したようです」
けれど数秒後には、そんな不安も杞憂に終わる。どうやら奴は近場に居てくれたらしい。
そうなれば、クソ鯨はすぐにでも跳び上がって来るだろう。だから海面に目を向けて、
来たか!
これまた昨日をなぞるように、海面にシミが広がっていく。
直後に水音。大口を開けて迫ってくるクソ鯨が見えた。
思えば昨日は、予期せぬところから襲われ、いいように翻弄され、這う這うの体で逃げ出したような形。
突き詰めるならばそれは、奴の不意打ちが見事に成功していたという話。
不意打ちが生み出すアドバンテージが絶大というのは、知らない人を探す方が難しいことだろう。
けれど今回はそうじゃない。
奴が仕掛けてくるのは予想済みであり、不意打ちは不意打ちたり得ていない。むしろ安全圏を確保した上で、手ぐすね引いて待ち伏せしていた構図だ。
そのことから生じるアドバンテージだって、不意打ちに負けず劣らずに大きい。
つまり昨日とは立場が逆転。圧倒的に有利なのはこちらだということ。
だからなんだろう。
会いたかったぞクソ鯨!
口元に笑みが浮かび、腹の中ではそんな快哉を上げていた。




