いつかあいつと来た時には紹介させてください
「ア――ん!起きて――!」
何かが聞こえる。遠いような近いような、何ともボヤけた感じで。
「アズ――ん!アズー――ん!」
揺れる感覚。伴うように、聞こえる音――声がはっきりとしてくる。
「ん、あぁ……」
まぶたの向こうが明るい。目を開ければ、
「トキア……さん?」
「よかった……。ご無事でしたか」
そこに居たのは昨日今日と行動を共にしていた女性で、浮かべている心配顔には安堵が見えた。
「ぐ、うあぁ……」
仰向けになっていた身を起こせば、少し背中が痛い。
「おふぁようございまふ……」
そして挨拶にはあくびが混じってしまう。
「おはようございます。ところで、どうしてこんな場所に?」
「えーと……」
はてさて……?
トキアさんの声以外で聞こえるのは潮騒。鼻にもかすかに潮の香りが漂ってくるこの場所はゼルフィク島の港で、俺が寝ていたのはベッドではなく硬い石畳。なるほど、だから背中が痛かったのか。
寝起きのトボケた頭もだんだんと覚めてくる。
そして、
ああ、そうだったか……
ようやく思い出す。
昨夜ここにやって来て、クーラとふたりであれこれやってたんだったか。
「空が白み始めてきたなぁ」
『とりあえず形になったわけだし、そろそろ寝ようか。さすがに眠いよ……』
「同じくだ……」
こんなやり取りをした記憶はあるんだが、そのまま寝落ちしていたんだろう。
「その、いろいろありまして……」
「本当に心配したんですよ?昨夜は……その……思い詰めた様子でしたから」
「……あ」
たしかに昨夜――トキアさんと最後に顔を合わせた時の俺は、辛気臭い有様だったと思う。その上で宿舎のベッドがもぬけの殻。それは心配するだろう。
「申し訳ないです」
せめて部屋に戻るまでは持ちこたえるべきだったか。
『ふわぁぁぁぁぁ……』
そんなところに唐突に聞こえてきたのは、これ以上ないというくらいに気の抜けた声。
そういえば、この魔具も使いっぱなしだった。となれば、誰の声なのかは考えるまでもないだろう。声の主もまた、明け方まで起きていたんだし。
「よう、お目覚めか?」
『うん……おふぁよお……』
「ああ、おはよう」
「なるほど、そういうことでしたか」
そして今のやり取りだけでトキアさんも察した様子で。
「ですが、クーラさんと話すのでしたら部屋でもよかったのでは?」
それ自体はまったくのド正論だった。
もちろん、外に出たのも理由あってのことだったんだが。
『……あれ?もしかしてトキアさんもそこに居るの』
「はい。おはようございます、クーラさん」
『おはようございます』
「ところで、一度宿舎に戻りませんか?パウスさんが朝食の用意をしてくれているそうなので」
「そういえば、朝飯時でしたっけ」
寝坊したからなんだが、太陽の高さから見るといつもの起床時刻はとっくに過ぎている。それに徹夜に近い状態だったこともあってか、かなり腹も空いている感じ。
『じゃあ、私も朝ご飯にするよ。お腹減ってるし。……アズ君、またあとでね』
「ああ。またあとでな」
これから大仕事が待っているんだ。まずは、腹が減ってはなんとやらだろう。
朝飯をいただき、ひと休み。途中、妙にトキアさんの視線を感じた気はしたんだが、それは俺の体調を気にかけてくれていたんだろう。幸いにも、外套を羽織っていたこともあり、風邪を引くこともなく。多少眠い以外では調子も万全だったわけだが。
そうこうするうちに、この島を発つ時間がやって来る。
「それでは、ふたりともお気をつけて」
そう言ってくれるのはクーパーさん。ちなみにだが、クーパーさんとパウスさんはこの島に残ることになっていた。クゥリアーブまで送ることは可能だとトキアさんは申し出たわけだが、当人たち曰く、
「この島には畑もありますし、牛や鶏も飼っておりますからなぁ。魚も釣れるので、ある程度の自給自足は可能なんですよ」
「むしろ、牛と鶏の世話をしなきゃいけませんからね」
「それに、名ばかりとはいえ、一応はここの支部長ですからな。誰かがこちらに残っていた方が好都合ということもあるでしょう」
とのことだった。
ちなみにだが、おふたりは港で見送ると言ってくれたんだが、そこまでしてもらうのもどうかということで、支部の前でということにしていただいた。
「はい。クーパーさんもパウスさんもお元気で」
「本当にお世話になりました」
当初の予定とは大きく変わったとはいえ、この島に来てからはいろいろな意味で世話になりっぱなしだった。
「いえいえ。数百年先まで語り継がれる場面に立ち会うことができましたからな。『虹の卵』を研究するものとしても、貴重な経験をさせていただきましたよ」
「そうですかぁ……」
俺が『虹孵しの儀』に挑戦した時のことだ。
多少の覚悟……というか諦めをしたつもりとはいえ、数百年先まで云々と言われると頬が引きつってしまう。
「俺も見たかったですよそれ……。けど!」
がっくりと肩を落としていたパウスさんが唐突に立ち直り、
「サインももらえたし、末代まで自慢できることができましたからね。俺はあのアズールさんの怪我を治療したことがあるんだぞ!って」
「そうですかぁ……」
俺としては心底勘弁願いたい話なんだが、そこも諦めよう。右肩の件で恩義があるのは事実なんだから。今でこそ普通に動かせるし痛みもかなり薄れてはいるが、パウスさんが居なかったなら、いまだに脱臼したままだったわけだし。
「もう会う機会も無いと思いますけど、絶対に忘れませんから!」
普通に考えればそうなるだろう。この島に人がやって来る理由の大半は、生涯に一度きりの『虹孵しの儀』であり、俺はすでに終えているんだから。けれど、
「いや、また会うこともあると思いますよ」
そう口にしたのは、いい加減な気持ちからではなかった。
「港からの夜景が奇麗でしたからね。一緒に見たい奴がいるんですよ」
「それって、アズールさんの彼女ですか?たしか……クーラさんっていう」
「まあ、そういうことですね」
あのクソ鯨さえ居なくなれば、そんな機会だって作れるはずだ。
「いつかあいつと来た時には紹介させてください。この人が、俺の右肩を治してくれた恩人なんです、って」
「それは……少し恥ずかしいような……」
「はは、そこらへんはお互いさまってことで」
そんなこんなで別れを済ませた後は港に足を向け、数分ほどで到着。
さて、ここからが本番だ。
気を引き締める。作戦の第一段階はトキアさんから交戦の許可をもらうこと。
この部分に関しても、昨夜のうちにクーラとシミュレーションを繰り返した。上手く行く可能性が高いというのが俺とクーラの見立て。それでもここでコケたら、その後のすべてが破綻してしまう。となればいい加減な気持ちで臨むべきじゃない。
昨夜聞かされたことだが、一応は最後の手段――トキアさんの意思を捻じ曲げてでも許可してもらう方法も無いわけではない。当然ながら、俺としてもクーラとしても、極力避けたいところでもあるわけだが。
「ところで、アズールさんにお聞きしたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
話を切り出そうとした矢先、俺が言おうとしていたような内容がトキアさんの方からやって来る。
「ええ、構いませんよ」
「では……アズールさんは、どのようにして海呑み鯨を仕留めるつもりなんですか?」
俺はまだ何も言っていない。
けれどサラリとかけられた問いかけは、まさにこれから話そうとしていたことだった。




