俺の手であのクソ鯨をぶち殺してやりたいと思ってな
「ふざけるんじゃねぇぞ」
感情のままに吐き出されたその言葉には、当然ながら怒りという名の感情が多分に含まれていたんだろう。
となれば、ただでさえ聡い上に、俺のことに対しては殊更過敏なクーラが気付けないはずもなく、
『……ごめんなさい』
謝罪の言葉がやって来る。
……それが火に油だとも知らずに。
「何に対してだ?」
『……え?』
「だからその謝罪は、何に対してのものだと聞いている」
『だって、すごく怒ってるみたいだったから……』
「それは事実だけどな。んで、どうして俺が怒ってるのかを理解し、反省した上でのことなんだろうな?」
『それは……』
言い淀む。そのことが明確に、謝罪の理由を示していた。
「まさかとは思うがお前、相手が怒ってるっぽいからとりあえず謝っておくか、的な理由で言ってるわけじゃないだろうな?」
『……あ!?』
そう指摘して、ようやく理解できたらしい。
「そういうの、世間的にはあまり褒められたことではないらしいぞ?」
『……そうだよね』
「だからさ、謝るにせよ怒鳴り返すにせよ、まずはその理由を聞いてからの方が無難だとは思わないか?」
『……けどさ、私が君を嫌な気持ちにさせちゃったのは事実なんだよね?』
「ああ」
その点だけは、何があろうとも否定してやるつもりは無い。
『理由、聞かせて。ちゃんと理解して、その上で君に謝りたい』
「……あいよ」
軽く深呼吸をひとつ。まだ腹立ちは収まっていないが、おかげで頭の方は冷えてきた。似たようなシチュエーションでやらかしたことは過去にもあったが、俺だってあの頃よりは成長しているつもり。いくらクーラが同じ轍を踏んだからと、俺までそれに倣ってたまるかという話だ。
「何様のつもりなんだよお前は」
だから、いつぞやは感情のままに吐き出してクーラを傷付け、後悔したセリフを繰り返す。もっとも、今回はなるべく棒読みになるように意識してだが。
『……そうだったね』
そしてクーラは、それだけで理解してくれた。
「お前があれこれと背負い込むくらいなら別にいいさ。けど、その結果としてお前が苦しむのは、俺としても気分が悪いんでな」
『……うん』
なまじ力があるから(といっても、現時点ではほぼ失われているわけだが)背負い込み過ぎてしまう。俺が知る限りでも、間違いなくクーラにはそういうところがある。
「お前の悪い癖だと思うぞ?」
『そう、だよね』
「ああ。それに……」
これはこうして話すうちに思えてきたこと。
「今お前が言ったこと。今みたいな事態への備えを怠った理由なんだけどさ……それは、こう言い換えることができないか?お前は、1分1秒だって惜しいってくらいに、俺との時間を大事にしてくれていた、と」
それだけクーラが俺を想ってくれていた。そんな解釈だって、できないことはないはずだ。
「お前に堕とされかけの身の上としては……そのことを過ちみたいに言われるのも、腹が立つ話なんだわ」
『……アズ君の人たらし』
「なんでそうなる!?」
唐突にそんなことを言われる筋合いは無いと思うんだが。
『……自覚無いの?』
「あるわけないだろ」
少なくとも、俺にそんな意図は無かった。ああ、それはもう断じて。
『アズ君の無自覚天然人たらし。なおさらタチが悪いよ……』
「そうかよ」
『けどさ、君の言う通りだよね。ゴメンね。それと……ありがと』
「ああ。その謝罪と礼は素直に受け取るよ」
沈んでいた声がいつもの調子に戻ったのは結構なこと。
だが……
差し当たっては気持ちが上を向いたらしいとはいえ、これはあくまでも一時的な話なんじゃないかとも思えてしまう。
基本的には、明るく陽気な性分をしているクーラ。けれどその一方で、罪悪感が原因である場合は案外落ち込みやすいということもこれまでの付き合い――特にここ数日で判明していたりもする。
そして海呑み鯨がのさばっている限りは、事あるごとに背負い込んで落ち込むんじゃないかとも思えてくるわけで。
……それもこれも全部あのクソ鯨のせいじゃねぇかよ。
あれこれ考えるうち、そんな方向へと思考が流れていく。
クーラに対して腹を立てていたのは事実だが、本人が反省している上でこれ以上責めたいとは思えない。となれば、まだ収まり切っていない苛立ちの標的は欲しいところ。
そもそもの話、あのクソ鯨が出張って来るのが数日前だったなら面倒な事態にはなってなかったことだろうに。少しはタイミングを考えやがれと言いたい。
いや、それ以前の話として……
トキアさんを危険な目に遭わせやがっただけでも許しがたいってのに、俺が食われかけたせいでクーラを泣かせちまってただろうが。
感動のあまりとか嬉し涙とかであれば別に構わない。俺が自責することをクーラが望まない以上、俺自身も例外としよう。けれど、それ以外でクーラを泣かせて許されるのはタマネギだけだ。
となれば、あのクソ鯨は控えめに言っても万死に値する。
死にかけたこともあってか、俺の中では恐怖の方が先に立っていたのかもしれない。
だが今は、奴への殺意がこみ上げてくるのがはっきりとわかる。
となると……
そのあたりも込みで考えれば、この先クーラを苦しませないための道筋なんてのは、ひとつしか無いことだろう。
すなわち、根本を断つということ。早々にクソ鯨を始末してしまうことだ。
そしてそれは幸いなことに、世間的に考えても最善なんだから。
唯一問題なのは、今回のケースにおいては尋常じゃなく困難だということくらいで。
『アズ君?』
「ん?どうかしたか?」
聞こえてきたのは訝しむ様な問いかけ。
『いや、それは私のセリフだから。急に黙っちゃったけど、何かあったの?』
「悪い。少し考え事をしてた。明日、ちょいとやりたいことができてな」
クソ鯨に怒り心頭なのは事実としても、それ以上に惚れた弱みというやつもあるんだろう。クーラと機嫌よく笑って生きていくことを一番に望む俺としては、どうにかして……いや、なんとしてでも成し遂げたいところ。
『私で役に立てるなら力になるけど?』
「それは心強いな」
それに考えようによっては、俺たちの日常をトチ狂った大馬鹿野郎の手から守り切った時よりは難度も低いはず。なにせ――力を失っているとはいえ――あの時に立ちふさがった最大最強にして最凶最悪の敵が今では味方なんだから。であれば、夢物語とも言い切れないだろう。
この際だ。手段を選ぶのは止めにする。俺が些末なこだわりを投げ捨てさえすればいいんだから。
やったらやったで別の面倒がやって来るのは確実。それを思うと、少しだけためらいもあるんだが……
まあいいか。どうせ数年後には間違いなく……下手をすれば近日中にもやって来るかもしれない面倒ごとなんだから。遅いか早いかの違いでしかない。
そうすれば覚悟は完了。
『任せてよ。君のためだったらなんだってするから』
「……安易にそういうことは言うんじゃねぇよ」
俺だったなら『無理なくやれる範囲だったら』と付け加えるところなんだが、クーラは俺に対しては割とホイホイとそんなことを言ってくる。
『大丈夫。だって私は、身も心も命も魂も全部君のモノなんだから。それで、君は何をやりたいの?』
本当にお前という奴は……
つくづくクーラの愛情は重い。
内心でため息。
だがまあ、そんな風に言われてまんざらでもないのも事実か。
だからなんだろう。
「大したことじゃないんだが……。俺の手であのクソ鯨をぶち殺してやりたいと思ってな」
そんな、大言壮語以外の何物にも思えない言葉を、スルリと口に出すことができていた。




