気休めどころの話じゃないさ
結局、海呑み鯨に関するあれやこれやの話が終わったのは夕暮れ時。パウスさんが用意してくれた晩飯をいただき、宿舎の部屋に戻る頃には月が煌々と輝いていた。
『あのさ……今夜は夜通し語り明かしたいんだけど、いいかな?』
クーラも同じ月を眺めているんだろうかと思いつつ鏡の魔具で連絡を入れれば、開口一番やって来たのはそんな頼みごと。
今日もいろいろとあったわけだし、今は明日に備えてさっさと身体を休めておくべき状況で、クーラだってそれくらいは理解しているはず。
「ああ。お前の気が済むまで付き合うさ」
それでも断る気にはなれなかったわけだが。
明日の朝イチで俺とトキアさんはこの島を発つ予定。そしてクゥリアーブに到着後、そこの支部長に俺が持つ鏡を渡し、夜にはフローラ支部長がクーラのところへ鏡を受け取りに来るという手はずになっていた。
この鏡で俺たちが言葉を交わせる時間は長くない。珍しくクーラがわがままを言ってきたのは、そんな事情もあってのことだったんだろう。
『じゃあ、なにから話そうかな――』
「失礼しまーす!」
これもまた間が悪いということなのか、その矢先にドアの向こうから呼びかけがあった。
「少し待ってもらえるか?」
『うん』
「……どうかしましたか?」
「洗濯してた服が乾きましたんで」
ドアを開ければそこにはパウスさんの姿。手にしていたのは俺が着ていた服で、
「それと、さっき言ってたリボンって、これでいいんですよね?」
その上には、数時間前に俺の命を救ってくれたリボンがあった。
「ええ。わざわざありがとうございます」
「いえいえ、アズールさんには大事な物だったみたいですし。ああ、それと……」
それ以外にも肩に塗るための湿布薬やら、身体が冷えるようだったら羽織ってくれと外套まで持って来てくれたパウスさんに礼を言って見送って、
『君も大事にしてくれてたんだね、そのリボン』
「当たり前だろうが。一応は、お前の大事な物を預かってるって形なんだからな」
今の会話もクーラに鏡越しで聞かれていたらしかった。
『なんか不思議な感じ。元は君からの贈り物で私が大切にしてたリボンを、今は君が預かって大事にしてくれてるんだよね』
「たしかにな。お前の謎処理を受けたことといい、そういう意味ではこのリボンは数奇な運命をたどってるとも言えるんだろうかな」
『そうなるんだろうね』
っと、そういえば……
このリボンに関しては妙な事があったばかりだった。これまでのあれこれから考えても、その原因を作ったのはクーラなんだろう。
「なあ、クーラ。たしかこのリボンって、強度を高める処理をしてあったんだよな?」
『うん』
「けど、それだけってわけでもないんだろう?」
『……どういうこと?』
……あれ?
俺としては確信に近いものをもってかけたはずの問い。けれどクーラの返答は、キョトンなんて表現が似合いそうなもので。
「そうなのか?海呑み鯨とやり合った時のことなんだけどな――」
「――ってことなんだが」
『いや、そんなの私は知らないけど』
そうしてすべてを話し終えて、それでもクーラは不思議そうにしていた。
『繰り返すけどさ、あくまでも私がやったのって、耐久性を高めるだけの処理だから』
「けど、あんなことができるようになる理由ってのは……」
『それ以外では思いつかないんだよねぇ……。ちなみにだけど、他の布なんかで同じことってできそう?』
「それはわからんな。なにせ、試したことも無いんだし」
『じゃあ、今から検証してもらってもいい?私も付き合うからさ』
「俺は構わないんだけど、お前はそれでいいのか?」
明日にはこの鏡を手放すことになっているわけで。そうなれば、王都に戻るまでの数日間は会話すらできなくなってしまうのに。
『いいよ』
返事は即答で。
『私としても気になるところだし。それに何よりも、私にとって一番大事なのは君自身なんだから。そこらへんを曖昧にしたせいで君にもしものことがあっても嫌だからさ。もしも君に害をもたらすようだったら、そのリボンだって手放してほしい』
「わかったよ」
相も変わらずにクーラの愛情は重いが、それを心地よく感じている俺もすっかり慣らされているんだろう。とはいえ、そういうことならば検証はやっておくべきか。クーラが助言をくれるというのもありがたいところ。
そうしてあれやこれやと試してみて確証がとれたのはといえば――
例の現象が起きるのはこの白リボンに限った話であり、背負い袋やら服やらといった他の布では何も起こらない。
このリボンに触れさせた俺の心色は吸い込まれて、その後は白リボンが虹色に光り出す。
光っている間はこのリボンそのものを思い通りに操ることができ、伸縮も自在。
時間の経過で光は消えるものの、再度心色を吸い込ませれば光が戻り、そうなれば操ることは可能。
光が消えるまでの時間は吸い込ませた心色の量に比例するらしく、光っている間に新たに心色を吸わせれば、消えるまでの時間は延長できる。
光っている時もそうでない時も、クーラが施した処理による耐久力は健在。
と、こんなところだった。
「どう考えても普通じゃないよな?やっぱり原因って……」
『……私がやった処理、だろうね。多分だけどさ、あれが原因で君の心色との親和性がアホみたいに高まったんじゃないかなぁ、と』
「そういうものか」
『確証は無いけどね。まあ、気休めくらいは君の役に立ちそうでよかったかな』
「俺としては、そんな風には思えないがな」
こうして検証してみただけでもかなりの可能性を感じるところ。付け加えるならばそれ以前の話として、
「気休めどころの話じゃないさ」
これが無かったなら、俺はとっくに海呑み鯨の朝飯にされていたことだろう。だから――
「お前がお守り代わりにと持たせてくれたリボンが、最後の最後で俺をこの世につなぎとめてくれたんだよ」
『そっか……』
「ああ、そうだともさ」
本当にこれで何度目になるのやら。
またしても俺は、クーラに救われていたというわけだ。
『ねえ、アズ君。私さ、心に決めたよ』
「……急にどうした?」
それなりに有意義な検証が片付き、さて歓談に戻ろうかという矢先、クーラが何やら決意めいたものを口に出す。
『クラウリアが戻って来てもまだ生きてるようなら、あのクソ鯨を八つ裂きに……ううん、思いつく限りの苦痛を与えた上で嬲り殺しにしてやるから』
「……まあ、お前ならそれくらいは容易いんだろうけどさ」
シレっと物騒なことを口にしてはいるが、驚くには値しなかった。なにせこいつの手にかかれば星界の邪竜だって瞬殺なんだから。それに、過去には実際に……って、そうだった!
……なんでこんなことを今の今まで忘れてたんだか。
今更ながらに思い出したのは、クーラが海呑み鯨の討伐経験者であったということ。そして、
「なあ、クーラ。お前は、あれの弱点を知ってるんだよな?」
つい先日に聞きそびれていたこと。
仮に知っていたとて、あの状況で始末できたとも思えない。だがそれでも、その情報があれば今後の討伐は格段に楽になることだろう。
だから、期待感が沸き起こるのがはっきりとわかる。
『……弱点?』
けれどクーラが返してくるのはそんな心底不思議そうな。
『何言ってるの?』なんて心の声が聞こえて来そうなつぶやきだった。




